ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.3.31 久々の“土曜日復調”!

2012-03-31 22:13:01 | 日記
 夫と息子は旅行最終日。
 当初の予定を変更して、朝の出発が1時間早まったので・・・とモーニングコールのリクエストがあった。かくいう私は、さらにその時間より1時間ほど前に目覚めてしまい、そのままベッドでグズグズ。有難いことに気持ちが悪くない、ということに気づき、次にお腹が空いて目覚めた、ということにも気づいた。

 土曜日の朝、ちょっと怠くはあっても気持ち悪さがなく、空腹を感じて起きられたのはどのくらいぶりだろう。今月は特に、治療日を木曜日に変更した週が2回あったので、復調が日曜日までかかってしまったことも大きい。土日両日、文字通り籠城蟄居状態の冴えない休日続きだった。

 そして、今朝は食前にナウゼリンを飲まずに朝食が摂れた。嬉しい。他の人たちからすればごく当たり前のこんな単純なことが素直に嬉しい。

 さて、食後、2人が洗濯物を沢山持って帰ってくるはずだから、洗濯機を回しておきたいと思ったのだが、予報通り早くも午前中から雨が降り出してしまった。しかも風も強く大荒れ。諦める。それでも東京はようやく桜の開花宣言。

 そして、久しぶりでリンパプラスヨガに出かける気になった。これまた嬉しい。行って汗を流せば気持ちが良いことは十分わかっているのに、今月は一体何度キャンセルしたことか。雨・風の中、傘をオチョコにしながらいそいそと出かけた。気持ち良い汗が出ること出ること。この1か月分のデトックスをし尽くした気分。爽快だ。相変わらずマグラックスのお世話になっていて便秘ではあるが、運動で少しは腸が動いてくれるかもしれない、と期待している。

 さて、今日の2人の足取り。早朝富山を発って、「ワイドビューひだ」号で越中八尾を越えて猪谷まで往復し、その後、電鉄富山から富山地方鉄道(三浦友和さんが映画:オールウェィズ2で運転した舞台)で立山まで往復したそうだ。富山で駅弁を調達した後、「はくたか号」で越後湯沢まで、そして夕方の「とき」号に乗って夜、東京着。夕食も済ませて帰宅は先ほどだった。

 お土産は、城端特産の手染めシルクスカーフ。私の好きなラベンダーとブルーのグラデーション。息子が選んだそうだ。早速胸元にあしらってみた。風合いが一枚一枚異なっているという。なかなか素敵。

 お土産話を聴きながら、夫が撮った写真700枚を見終わって、息子の分はまた明日。
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2012.3.30  人生案内から

2012-03-30 20:46:27 | 日記
 昨朝の読売新聞の「人生案内」を見て、唸った。長くなるのだが、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

闘病の長男と別居続ける嫁

 80代男性。妻と2人暮らしです。関東在住の長男夫婦のことで相談します。
 長男と嫁は結婚して24年ですが、嫁が第1子を出産後、育児を理由に実家に戻り、そのまま居着いてしまいました。そのため、長男は20年以上、妻の実家から電車で30分ほどの場所で、単身赴任と同様の自炊生活を続けてきました。
 長男は優しくてお人よしで、嫁に給料の大半を渡して、嫁の実家の家計を助けてきました。一方の自分は小遣いも少なく、貧相な格好を見かねた私が洋服を買ってあげたこともあります。
 そんな長男が5年前、がんを患ってしまいました。私は病後の面倒を見るため、嫁に一緒に住んでやってほしいと頼みました。でも、嫁は聞き入れませんでした。
 長男は現在、がんの転移などで入院しています。今度ばかりは別居状態を放置できません。嫁を説得し、長男と同居させるにはどうしたらよいですか。(北海道・R男)



 一人闘病生活に耐えている息子さんを、離れた所で案ずるしかないご両親の胸中は察するに余りあります。身を切られるほどのつらい思いをしておられることでしょう。
 しかし、残念ながら、息子さん夫婦の関係は親が介入してどうにかなる段階を超えていると思います。日頃はどんなに衝突していても、相手が危機的状況に遭遇すれば、何はさておいても助け合うのが夫婦だと思います。がんの再発や転移に苦しむ夫の看病に妻が一切駆け付けないのは、夫婦のあり方として尋常ではありません。
 それでも長年お給料を渡し続けてきたのは、息子さんの妻子への愛情でしょうか。いずれにしても、第三者にはわかりえない夫婦の思いがあったのではないかと感じます。
 息子さんは妻への期待はとっくに捨て、案外達観しているのではないかとも思います。ここに至るまで妻との関係を見つめてきた本人です。むしろ、高齢の両親にこれ以上心配をかけることを何よりもつらく思っているのではないでしょうか。
 そっと見守るだけで十分です。あなた方の愛情に支えられているからこそ、息子さんも病と闘っていられるのだと思います。(大日向 雅美・大学教授)(2012年3月29日 読売新聞)

(転載終了)※  ※  ※


 回答者の大日向先生は、少子化について海外研修に出かけた頃から、著書等で大変お世話になったので存知上げているが、お返事が本当に苦肉の作、という感じだ。
 確かに夫婦のことは当事者以外、親にだってわからない。このケースはがんになって、再発転移してから別居というわけでもない。もちろん、それまで同居していて発病や再発転移をきっかけに別居、離婚という酷いケースだって世の中にはあるだろうけれど。それでも20年もの別居生活、何がこの方たちをそうさせたのか。私なぞ、結婚以来実家に帰ったのは本当に数えるほどだ。それはそれで、一人娘の分在でかなりの冷たさなのかもしれないけれど。帰らずに済んだ、ということも幸せな生活が送れていたからだ、とも思う。
 80代という高齢のご両親の心配も察するに余りある。どうしても両親に重ねてしまうからだ。

 病と闘う上で、近しい人から「あなたのことを決して忘れていませんよ」「いつも気にかけていますよ」という想いがキャッチ出来れば、人は想像以上に強くなれるものなのだ、と信じている。

 さて、体調。昨夜も寝付きは悪く、いつものように4時過ぎに一度目覚めたが、その後もう一度眠ることが出来た。ナウゼリンを飲み、時間をかけて最低限の食事。少し水分が摂れるようになってきた。食後にイメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックス服用。火照りは若干あるし、気持ち悪さもあるが、だるさはない。ステロイド・ハイというほどでもない。夕食前にもナウゼリンを飲んだが、そこそことることが出来た。

 年度末最後の日、退職挨拶やらで事務室内はバタバタしている。昼もナウゼリンを飲んでから食事。食後は今回最後のロキソニンとマグラックス服用。午後は新入生の配布物の袋詰め作業の人海戦術。あっという間に最後の日が終わった。新しい座席表も配られた。週明けは新メンバーでのスタートとなる。

 今日の2人の足取りは、午前中引き続き金沢観光でサイクリング。昼過ぎに「しらさぎ号」で金沢を発ち、高岡へ。高岡から城端を往復し、高岡から「しらさぎ号」で富山に入り、宿泊という。一体、何時間電車の中で過ごすのか。もらっている時刻表を足しあげたら3時間半。それほどでもないか、と思ってしまう私も鉄ママである。
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2012.3.29 「与える」と「届ける」

2012-03-29 22:10:04 | 日記
 先日のセンバツ高校野球の宣誓、石巻工業高校主将の言葉に感銘を受けた方は多いだろう。くじで宣誓役を引き当てた、と聞いた時に、やはり「神様はいるのだ」という思いを強くした。

 仕事中だったのでライブで聞くことは出来なかったが、ニュースで繰り返された画像に思わず息を止めて聞き入ってしまった。メンバーで出し合った言葉をホワイトボードに書きこみ、ピックアップしながら考え抜いて作り上げた宣誓だったと聞いた。
 あの大舞台で、一言もとちることなく、まさに淀みなく、落ち着き払って、かつ若者らしく爽やかに。心が揺さぶられる言葉たちに舌を巻いた。
 すぐに、この子は去年、息子より僅か1つ上の年齢で被災し、その後の1年を生きているのだ、と思った。どれだけ過酷な経験をしてきたのか、と胸が痛む。
 そのことについて、息子にふると「凄いね、というのはいいけど、だからといって同じ体験をしているわけでもないし、すぐに僕と比べるのはやめてくれない?」と言われてしまうのだが・・・。

 この言葉について、読売新聞のコラムで取り上げられていたのに目が止まった。1週間ほど経ってしまったが、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

3月22日 よみうり寸評

 〈日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう。日本の底力、絆を〉と石巻工・阿部翔人主将が力強く宣誓した◆〈球春〉とはよく言ったものだ。この選手宣誓が一気に春を連れてきたように思えた。今年、関東では春一番も吹かぬまま春分を迎え、春が遠かったのに◆〈センバツ〉が甲子園で開幕した21日、全国に先駆けて高知でサクラが開花した。これからセンバツの日程が進むに従ってサクラ前線も北上してゆく。〈みちのくの山河慟哭初桜〉。長谷川櫂さんの震災句集の一句だ◆東日本大震災から2度目のセンバツに被災地のチームの主将が選手宣誓のくじを引き当てたのもよかった。感動、勇気、笑顔を「日本中に届けます」がいい◆「与える」と言いがちなところ。上から目線のその言葉が無意識にだろうが、よく使われる。これには抵抗がある。「与える」でなく「届けます」がうれしい◆被災者の思いを汲み、ナインの思いを集め、今、野球ができることへの感謝を込めた宣誓で、春が来た。(2012年3月22日13時47分 読売新聞)

(転載終了)※  ※  ※

 確かに、最近色々な方からの、元気を「与える」とか勇気を「与える」という言葉を耳にすることが多い。でも、「与える」は、やはり上から下へ、の感じがする。だからこそ「届ける」は、相応しく素晴らしい言葉だと思う。

 たった一言ではあるが、その言葉の持つ意味を思うと、言葉を正確に使うということに対して敬意を払うとともに、慎重にならざるを得ない。日々ブログを書きつつも、自戒の念で一杯になる。読んでくださる方が不愉快に思わないように、傷つけないように・・・と同時に、自分の書きたいことはきちんと書く。ほとほと難しいことなのだけれど。

 体調だが、昨夜も12時過ぎまで寝付けず、今朝は4時半前に早朝覚醒。そのままベッドで時計を見ながらぐずぐず。6時半に旅行中の夫にモーニングコール。朝食は最低限で済ませ、イメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、ゾメタの計6錠。水分をとるのも鬱陶しい感じで、6錠を飲み下すのは結構大変だ。少し火照りもあるが、昼も食前はナウゼリンを飲み、食後ロキソニンとマグラックスを飲むため、ということでごく少量にとどめた。2人がいると気持ち悪くとも食欲がなくとも夕飯も作るし、食べないといろいろ言われるので、ついついそこそこの量お腹に詰め込むことになるが、一人ならマイペース。無理して食べない方がやはり調子が良い。これは便秘も助長しているのかもしれないが・・・。

 今日の2人の動静。朝、金沢を発ち、七尾へ。さらに「のと鉄道」で穴水へ。サイクリングを楽しんだ後に、駅弁をゲットしてから和倉温泉へ。共同浴場・総湯に入り、夕方「はくたか号」で金沢に戻る。金沢では夕方になるが、ここでもサイクリングで街中を走りまわる、というスケジュール。お天気が良く海が綺麗だそうだ。明日は金沢を発ち、宿泊地富山に向かうという。

 今日は勤務終了後、職場事務室の送別会開催。投与後翌日で体調不調により失礼承知で欠席させて頂いたが、今月末で退職される方たちには、お世話になった御礼に心ばかりのお菓子をお渡しした。一期一会、またいつかどこかでお世話になるかもしれない。

 さて、本当に急に暖かくなった。桜の蕾の色がまた変わり、先端はピンクに見える。
 朝の澄み切った青空の下、白木蓮の花がようやく白い花びらを見せてくれた。花開く前のすっくとしたこの形が、潔くてとても好きだ。姿勢を伸ばして歩きたくなる。
 春、植物の躍動を感じて、自分もまさしく生きている物なのだ、と感じる瞬間だ。
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2012.3.28 ナベルビン28クール2回目、ゾメタ68回目

2012-03-28 22:15:02 | 治療日記
 今日から夫と息子は北陸旅行。いつもより1時間近く早く出かけるというのに、相変わらず息子は寝起きが悪い。とりあえず2人を無事送り出してから、洗濯物を干し、私はいつもの時間に家を出た。

 乗換も順調で、JRでは後半の15分ほど席を確保することが出来た。ずっと立ちっぱなしに比べて随分体力温存になる。予定通りの時間に病院到着。今日は採血等診察前の検査がないので、そのまま腫瘍内科受付。いつものように売店でお水を買い、自動血圧測定をして「中待合へどうぞ」の番号が点滅するまで待つ。血圧は90-62、脈拍は91。

 15分ほどして中待合に入り、さらに15分ほどして診察室へ入った。いつものとおり先生の第一声は「さて、どうでしたか~」。
 「やはり木曜日投与だと、土日に寝込んでしまうので、水曜日の方がいいですね。気持ち悪さよりも怠さが酷く、今回、早朝覚醒はありましたが、ステロイド・ハイはありませんでした。」と先週の報告をする。診察室での体温は6度2分。先生は「出来ればデカドロンは3錠を2錠に減らしてみたいが、こうした吐き気や怠さを引き起こしているのはおそらくナベルビンの仕業で、ハーセプチンは関係ないと思うが、今回ハーセプチンがないので、そのあるなしで比較をするということで、デカドロンは3錠のままでやってみましょう。」とのこと。前回同様、イメンド2種類とデカドロン3錠×3日分が処方された。
 次週は待ちに待った休薬週なので、予約は再来週。採血のみでレントゲンはなし、の予約が入った。心エコーについても、まだ急ぐことはないとのこと。

 化学療法室へ移動。いつもとは反対側の、窓際の席に案内された。気づくと夫から「無事新幹線に乗った」とのメールが入っていた。まずは針刺し名人の看護師Oさんの前でイメンド125mgを飲んだ。その後30分ほど待って、ベッドに移動して、認定看護師Kさんが針刺。来月から乳腺外科の病棟に異動されるので、今日が最後の針刺になる。さすがにお上手で、痛みがない。席に戻り、イメンドが効いてくるまで30分ほど待って点滴開始。
 今日はグラニセトロン+デキサート、ナベルビン、生理食塩水、ゾメタ、生理食塩水の5本。イメンドの服用のせいで途中眠くなるが、とりあえず読書に勤しむ。お隣の椅子からは鼾のファンファーレがひっきりなしで、なかなか辛いものがある。
 無事に5本が終了して、2時間ほどの所要時間。終了時の血圧は107-62。抜針は名人Oさん。本当に不思議なほど衝撃がない。今日は針のラッキー・デーだった。

 化学療法室を出る時に、認定看護師のKさんにほぼ4年間お世話になった御礼のご挨拶、そして来月からこの室のリーダーとなる針刺し名人のOさんにも、これからも宜しくお願いします、と頭を下げた。
 会計に移動。それなりに混んでいて30分ほど待つ。外に出るととても暖かく、病院の前の桜の蕾も一気に膨らみそうな気配だった。薬局はこれまた混雑で椅子が一杯。こちらでもたっぷり30分ほど待つ。本日の病院と薬局での滞在時間は4時間半強。とても順調な日だった。
 だが、いきなり外が暗くなってきて、予報通り雨が降り出した。

 駅ビルに急いでランチ。開店4周年記念フェア中でお得にランチが取れた。4年前の2月、この病院に通い出した時は、まだこの駅ビルはオープンしていなかったのだな、としばし感慨にふけった。吐き気止めのおかげで気持ち悪さはなく、ほぼ完食。ランチ後はマグラックスを飲んだ。先週の投与以来便秘が今一つ解消しないのが、気持ち悪さが長引いている原因かもしれない。

 さて、今日の夫と息子の足取りの記録。北陸フリー切符の旅だ。「MAXとき」で長岡へ、その後「北越号」で金沢へ。今日の宿、金沢で荷物を預けて「サンダーバード」で福井へ。福井では私鉄で芦原温泉に向かったようだ。ここでは足湯を楽しんだ模様。福井からさらに「しらさぎ号」で金沢に戻るのは21時近くの予定。いやはやいったい何時間電車に乗ったことやら・・・。お疲れ様なことである。昼も夜も駅弁、と聞いていたが、いましがたのメールによると夕食だけは和倉温泉の名物旅館「加賀屋」直営店で温かいものが食べられたようだ。ちょっと羨ましい。
 とはいえ、息子に付き合ってくれる夫には本当に頭が下がる。

 帰路は雨もやみ、いいお天気になった。夜空がとても美しかった。数日前、月と金星、木星が並んでいたが、今日も三日月と一緒に輝いている。二人も遠く北陸で同じ月と星を見ている、と聞いた。とても不思議な気分だ。


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2012.3.27 心が傷つく時・・・患者の場合

2012-03-27 20:06:38 | 日記
 毎日新聞のネット記事で連載中の「診察室のワルツ」で、先週、気になる記事を見つけた。長くなるのだが、以下転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

診察室のワルツ:/21 患者の心が傷つく時=岡本左和子

 今回は患者の心が傷つく時を考えます。治療をはじめ、さまざまな支援が必要な患者と、専門知識を持って患者を支援しようとしている医療者が、互いを傷つける原因はどこにあるのでしょうか。

 私の父ががんを患い、亡くなる時、駆けつけた執刀医が「十分に生きられました」と言いました。父をはじめ家族全員が信頼し、何でも相談してきた医師でしたから、私たちのことを思い、慰めの言葉をかけてくださったのだと思いますが、家族は違和感を持ちました。その言葉が出たのは、まさに父が息を引き取ろうとしている時で、家族もそれぞれに思いがあり、皆が言葉を失って張り詰めた沈黙に包まれていました。それほど長い闘病ではなかったため、私たちには「少しでも長く生きてほしい」という気持ちがあり、その医師の言葉に「何ということを言うのか」と感じました。同じ時期に親を亡くした友人に聞くと、医療者から似たような言葉をかけられた人が多くいました。医療界では、このような言葉は「慰め」として普通なのかもしれません。

 排せつの介助をする際、「くちゃい、くちゃい、いっぱい出たね」「もう終わりましたか」など、大きな声で言ってほしくない言葉を同室の患者にも聞こえるような声で医療者が話す、周りに丸見えで恥ずかしい、大人に幼児言葉を使ってばかにされた気分だ、という患者の声を聞きます。医療者が「患者を励ましたい」「何でもないように振る舞おう」と思いやったはずの言動が、患者の心を傷つけてしまうのです。死生観やプライバシー、個の尊厳など、通常は他人が立ち入らない個人の領域で、医療者の「何とかしてあげたい」という思いが逆効果を生んでいるように感じます。

 思うように身体が動かない、自分ですべきことができないなど、病を持つだけで自尊心を傷つけられがちになる時に、互いの思いがすれ違えば、医療者の思いやりや気遣いは、押しつけとなります。医療者は、患者でも医療者でもない、個としての心と視点を共有することや、その共有を実現するための工夫を考えてみてください。次回は、医療者の心が傷つく時を考えます。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者):毎日新聞 2012年3月21日 東京朝刊

(転載終了) ※   ※   ※

 そう、医療者が私たち患者を傷つけよう、などとは決して思っていないだろうに、なぜこうしたことになるのか・・・と唇を噛む思いだ。私にもそんな経験がある。私は成人しているし、今のところ認知症の症状が出ているわけでもない。だから、病院で、患者という立場になった時に「くちゃい、くちゃい」と言われるような場面はないが、毎週のように針を刺された時に、ちょっと顔をしかめると「あ~、痛いね~、痛いね~」などと幼児言葉を使われることに、とても違和感を覚える。きちんと対等な言葉遣いで接してほしい、と強く思う。もちろん、全ての医療者がそうである、というわけでは、決してない。

 誰しも好きで病院通いをしているわけではない。病院に通うということだけで、気持ちがささくれ立つことがある。健康でない、ということで自尊心が傷つけられているのは事実だ。そんな状況でのこうした言葉は決してお互いを幸せにしない。

 私たち患者がこうした言葉で傷つくのと同様に、私たち患者が医療者の心を知らず知らずのうちに傷つけてしまっていることもあるのだろう。次回の記事…医療者の心が傷つく時…を待ちたいと思う。

 今日は春らしい陽射しの一日だった。今年は春一番が吹かずに終わったけれど、南風と北風は体感温度が全く違う。久しぶりに学内のビュッフェランチに出かけ、木曜日の通院日以来5日ぶりに美味しく食べることが出来た。毎度のことながら、数日間の食欲不振を脱して美味しく食べられることの有難さを思う。

 先週無事学位授与式を終えた娘(?)たちが数名、お茶とお菓子の贈り物を持って窓口を訪れてくれた。4月から進学する者、就職する者、それぞれの旅立ちの春。私もおかげで少し若返った気分だ。若い人たちからパワーをもらえるのはこの職場の醍醐味かもしれない。

 そしてあっという間に明日はまた通院日・・・である。

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