ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.10.31 今日もいい日

2011-10-31 20:16:33 | 日記
 早くも10月最後の日になった。今日も暖かくいいお天気だ。
 明け方、母が倒れた夢をみて、眼が覚めた。まさか大丈夫だろう・・・とは思ったけれど、ちょっと心配だったので実家に電話をしたところ、いつものノーテンキな感じの声が返ってきてひとまず安堵した。
 そうはいっても実家は後期高齢者の2人暮らしだ。出来るうちにちゃんと親孝行をしておかなければ、と思う。

 朝、出勤していつものようにメールチェック。管理職選考の合格者名簿が届いていた。
 最近、ベテラン対象の選考種別が廃止されて、3種類あった受験区分が若手(受験資格:主任級)とその他(同:係長級)の2種類になっている。
 つまりは、ますます年齢層の若い人たちが合格者名簿に登載されるようになっているので、なかなか知っている名前を見つけることが出来なくなった。そんな中、今年は“その他”部門で数名見つけた。しかも、そのうちの2人は、私が10年以上前、研修担当をしていた時の新規採用者だったことに、なんとも驚く。そうか、もう彼らが係長級になって受験出来るのか、としみじみ。年をとるのは当然か、と思う。

 さて、お昼は持参したお弁当をしっかり食べて、11月の新刊文庫目当てに生協まで出かけた。
 先日、友人が息子にくださった図書カードを大切に持っていく。彼女は息子に「お母さんには黙っていていいから、好きなマンガでも買ってね。」と言ってこっそり渡したそうだ。
 が、かつて義妹や私の父からお小遣いをもらって黙っていたために、私から大目玉を食らったことがあることを思い出したか、あとが怖いと思った息子はすぐに白状し、「お母さんが欲しいよね、僕は一部だけもらえればいいから○円分は使っていいよ。」と、何とも泣ける台詞を言うではないか。お言葉に甘えて、6冊も購入したが、まだあと1冊は買うことが出来る勘定だ。本当に有難い。新刊の文庫を買う時のこの幸せ感は、何とも言えない高揚感がある。明後日の通院日まで読まずに寝かせておくのがちょっともったいないくらいだ。

 そんなわけで、今日も幸せないい日だった。
 本当に我ながら情けないほど単純だけれど、気持ちよく空腹になり、食事がきちんととれて、便秘もある程度解消し、しっかり眠れている・・・、それだけで気持ちがこんなに安定するのだな、と思う。
 帰り道、どんどん群青色が濃くなる空の中、三日月がとても綺麗だった。

 バタバタと夕食の支度をして、何とか食卓に並べるいつものウィークデー。2人から「美味しいね。」と言ってもらえて疲れが吹き飛ぶ感じ。
 ちょっと気になるのは、また何やら喉の奥が痛むこと。うがい手洗い励行に加え、先手必勝で葛根湯を飲んでみた。今日も早寝して、明日はきっちり元気になっておかなければ。

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2011.10.30 ステキな日曜日

2011-10-30 21:36:55 | 日記
 特にこれといった予定のない日曜日。週に一度だけ普段は出来ない朝寝坊が許される日だ。昨日、寝具を冬物に変えたので、ベッドでぬくぬくしていると、いつまででもまどろんでいられる感じ。

 朝食というよりブランチを夫が用意してくれて、息子とともに有難く頂く。昨日の朝まではまだ美味しさを感じられなかったから、4日ぶりに美味しくお腹一杯食べられた朝食だった。

 もろもろ片付けているうちに息子のインフルエンザの予約時間になり、いつものクリニックまで2人で出かけた。
 15歳になっても母子手帳持参、保護者同行で、というのが、なんとも不思議な感じだ。ふと、母子手帳を見れば、ようやくお座りが出来るようになった初めての夏、紺地に赤い金魚のリップル生地の甚平さん姿でお得意の「ホー」の口(口笛を吹くようにちょっと口を尖がらせた感じの口で、ご機嫌の時しかやってくれなかった。)をしている息子の写真が貼ってある。
 今やどちらが付き添いなのかちょっと戸惑うくらい、見上げるほどになった息子に付き添っている。このクリニックには彼が生後二か月から通っている。初めは首も座らず横抱きで、それがベビーカーに乗せられるようになり、自転車の前かごに乗せて、手を繋いで自分で歩いて、とても具合が悪いときはタクシーで・・・。今やちょっと具合が悪ければ、塾をパスしてさっさと一人でこのクリニックにやってくる息子だ。
 そんなことを思い出しているうちにあっという間に注射が終わり、30分ほど様子見で待機してから家に戻った。

 帰り道、「団地内の木々がずいぶん大きくなったね。」と言うと「いや、そんなことはない、前からこのくらいだった。」と息子が言う。「でも保育園にあったいろいろなものがうんと小さくなったように見えるでしょう?」と言うと、「そうか。小さかった頃と同じくらい大きく見えるこの木も、自分と同じように大きくなったということか。」と息子が頷く。そんな色づき始めた木々の下、落ち葉を踏みながら2人で歩いた。

 午後からはリンパプラスヨガに参加。やはり汗をたっぷりかくと本当にさっぱりする。「夕食も任せて。」と言う夫と、(私がいると五月蠅いのか)「面白そうだから、時間があえばこの映画でも見てきたら?」と言う息子の好意に甘えて、ひとりで息子お薦めの映画を観てきた。(私の好きな役者が出ることを息子はご存知なのだ。)
 今日観たのは昨日封切りの「ステキな金縛り」。珍しく殆どの席が埋まっていた。サスペンス調で始まったかと思えば、うんと笑って、そして最後はしんみりと、とても温かい気持ちになった。

 帰宅したら夕食が待っていた。なんてステキな日曜日!
 これでまた来週から頑張れる、と思う。毎週々々同じことの繰り返しだ。水曜日に治療を終えると、木曜日、金曜日と体調が悪い。すると、(ああ、もう治療休みたいな・・・)と弱気になる。そして、土曜日の後半からだんだん元気が出てきて、日曜日になると好きなことが出来て、月曜日、火曜日と普段通り働ける。もりもり食べられる。現金なもので、(これならまだまだ頑張って治療できる。大丈夫だ。)と思う。そして水曜日の通院日を迎える。

 これからあとどのくらい、こんなステキな日曜日を続けることが出来るだろう。
 先般亡くなったアップル社のジョブズ氏の言葉「今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定の事は、本当に自分がやりたい事なのだろうか?」と問うてみる。
 今日のような日曜日が人生最後の日だったとしたら、うんと幸せだろうな、と思う。






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2011.10.29 描きたいことを描けばいい-「ツレがうつになりまして。」-

2011-10-29 18:34:24 | 映画
 標題の映画を観た。
 2年ほど前、NHKのドラマで、別の俳優さんたちが演っていたものを見たので、原作のコミックエッセイは読んでいなかったけれど、ストーリーは知っていた。45分ものの連続ドラマだったが、映画は2時間だからもっとコンパクトに、でも言いたいことはストレートにきちんと伝わってきた。
 
 漫画家である主人公(ハルさん)が、唯一連載している雑誌の担当から「読者アンケートが不評なので・・・」と連載を打ち切られる。時を同じくしてご主人(連れ合い)である“ツレ”がうつ病で会社を辞め、自宅療養開始。当面は失業保険で食べていけるとはいえ、不調が長引く中、自分が働かなくては、と焦るのだが、なかなか連載の仕事をもらうことができない。
 そんな中、挿絵の仕事を紹介されて行った先で、うつ病を経験した編集者と出会う。その彼から「自分が描きたいことを描いていないのは編集者にも伝わってしまうものだ。アンケートは口実。作家は自分が一番描きたいことを描けばよいのだ。」と言われる。そして、ハルさんが(自分が一番描きたかったのは、こんなに近くにあったのだ・・・)と気付いた時に、彼女のスケッチブックから、その本当に描きたかった、飼っているイグちゃん(イグアナ)や、自分、ツレが飛び出してくる-実写と漫画が融合したとても印象的なシーンだった-ところから、今日のブログのタイトル「描きたいことを描けばいい」を頂いた。

 そう、ブログを日々書いているだけでも、本当に書きたいことを書く時は、苦労せずに書ける。そして夫から申し渡される(!)“松竹梅”の点数も結構いい線をいくことが多い。
 けれど、とにかく今日も何か書かなければ・・・と、ネタに困って絞り出した時は、当然文章が流れないし、あとから読んでもあまり面白くない。
 まあ、私のような凡人が1年365日絶えることなく何かしら興味深い話題を提供できるなら、文筆業を本業にしている方たちに怒られてしまうだろうけれど。

 たまたま、以前に観た「神様のカルテ」で主人公の奥様役を演じていた宮崎あおいさんが、今回は主人公のハルさん。とても自然な演技に好感が持てた。
 そして、何よりうつ病を演じたツレこと堺雅人さんの、ずーっととれない眉間のしわが印象的だった。あの絶望的な泣き顔・・・胸に迫るものがあった。
 そういえば私も若い頃、何かちょっとあるたびにすぐに眉間にしわを寄せていた。「幸せが逃げて行くから辞めた方がいいよ。」と職場の先輩等にもよく注意されていたのだけれど・・・。最近は随分とれてきたような気がしている。年の功か。諦観か。

 がん患者が再発や転移で心を病み、うつ病になることが少なくない、というお話は精神腫瘍医からよく聞く話だ。そして、がんとうつの両方を経験した患者さんの「抗がん剤の副作用より辛い」という言葉を聞けば、このうつ病がどれほど辛いものであるかは、想像に余りある。
 体に重りがめり込んだように起き上がることができない、得も言われぬ体中のだるさ、無気力感・・・・、気が滅入るほどの“あの”副作用よりも辛いとは・・・。

 蛇足ながら、作者ご夫妻が結婚同窓会のシーンで特別出演していたということを鑑賞後パンフレットで知った。そして、脚本が出来てから実際にこの映画が出来るまでさまざまなハードルを越えなければならず、3年間を要したという。この体験を映画にして沢山の人に観て頂きたいという、作者の静かではあるが、強い思いを感じた。
 暖かい涙が沢山出たし、夫婦2人の会話の中でのハルさんの突っ込みに笑い、主人公のご両親の会話等にしんみりとした。
 気付けば泣き笑いの、けれど夫婦が本当の夫婦になっていく成長物語を体感できるあっという間の2時間だった。

 今日も秋晴れのいいお天気。朝は依然として気持ち悪さが残っていたが、息子を送り出した後、大洗濯をして、一休みしてから夫と買い物に出かけた。
 ようやく昼には気持ち悪さが治まってきて、食欲が出てきた。健康だった時はなんということもなかったごくごく当たり前のこと-お腹が空いて、美味しくもりもり食べられること-がいかに有難いことなのか、を、投与後、毎回のように感じる。
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2011.10.28 一昨日通院日に読んだ2冊

2011-10-28 19:53:35 | 読書
 一昨日は2冊読んだ。
 1冊目は山根基世さんの「ことばで『私』 を育てる」(講談社文庫)。
ご存知、NHKアナウンサーであった著者が、「人の心に届くことば、良い関係を育てることば、自分を豊かにすることばなど、芸術家や作家、俳優、そして市井の人々と出会った経験をもとに、ことばにまつわる大切なことを綴ったエッセイ集」だ。
単行本は1999年発行なので、ちょうど著者が50歳前後、今の私と同じ年頃で書かれたものだからか、通じるところが多々あった。そして10年以上経っていながら、中身は全く古さを感じさせなかった。
 特に印象深かったのは、終盤の「書かなければ生きられなかった」という章。読み書きとは全く無縁だったが、東京大空襲で夫も子どももすべてを失い、45歳で日記をつけ始めた雫石とみさんのインタビューにまつわるお話だった。著者も長年「ことば」を使って仕事をしてきたが、ことばの力を改めて思い知らされた、という。
「お金や肩書や名誉など、外側からの支えは、失えばそれきりだが、書く喜びという、内側から自分を支えるものを持つ人の強さを思わずにはいられなかった。世の中何もこわいものはない。内側から自分を支えるものさえあれば、人間こんなふうに生きることが出来るのだ、と勇気づけられる思いがした。」とある。 
 まさにそうなのだろう、と思う。日々、こうしてブログを書きながら、今、間違いなく自分も支えられている、と思うことが多々あるからだ。
 解説は山根さんに憧れてアナウンサーを志したという進藤晶子さん。「働く女性」として山根さんを目標とする方は多いのだろう、と思った。

 2冊目は柳澤桂子さんの「すべてのいのちが愛おしい 生命科学者から孫へのメッセージ」(集英社文庫)。
 「里菜ちゃんへ 今日も元気ですか?」との書き出しから始まる50通の手紙の形式をとる。「生命科学者である著者が、愛について、いのちの始まりについて、宇宙の誕生について、死や性について、詩情豊かな言葉で孫に語りかける。「自然の不思議」に驚く力、感受性がなければ科学する心は育たない。「孫への手紙」という形をとりつつ、すべての人々に送るメッセージである。」と裏表紙にある。
生命科学に関するとても専門的なことが赤 勘兵衛さんの美しい挿絵とともに書いてあるのだが、とても読みやすく、著者が愛情をこめて楽しんで書いておられる様子が伝わってきた。
 お孫さんはこの本を書かれたときまだ5歳だったという。5年後、文庫版になったときもまだ小学校4年生で、あとがきではまだこの本を読みこなせない、と書いておられる。そして「中学生になった孫に話して聞かせるように愛情をこめて書いたが、中学生だけの本ではなく、広く大人の方にも読んで頂きたいと思う。生命の不思議に驚嘆されるだろう。」ともあった。まさにそのとおりだった。高校の生物以来、生命科学とは無縁の私が、神秘的で厳粛な気持ちになった。

 今日も秋晴れで爽やかな一日だった、が、相変わらず気持ち悪さは継続。食べ物の美味しそうな匂いはわかるし、空腹感はあるのに、食べられない。食欲の秋というのに憂鬱だ。だるくて横になりたい。食事の支度も青息吐息だ。
 とにもかくにもようやく金曜日、明日明後日は珍しく遠出をする予定もない。ゆっくり体を休めたい。

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2011.10.27 祝!ブログ開設2周年

2011-10-27 20:10:10 | 日記
 おかげさまで、今日でブログ開設から2周年。

 これまでご訪問くださった方は延べ16万人を超え、閲覧して頂いた頁も42万頁を超える。
 昨年の開設1周年の時には、5万人そこそこだったと記憶しているので、この1年で延べ11万人を超える方たちが訪れてくださったのだと思うと、感慨深い。

 1日平均にすれば、300人から400人の方が訪れてくださっている。これは、私が年賀状等のやりとりをしている方の数と比較しても、格段に多い数字であることは間違いない。今年の1月からコメントも頂けるようにして、何人かの方とは双方向でのやりとりもさせて頂いている。

 「あなたのことだけ一方的に知っていて、なんだか悪いみたい・・・」と言ってくれる友人もいる。
 確かにここまで自分(と我が家のこと)を曝け出していいのだろうか、という気がしないでもない。けれど、日記であるし、自分の記録のために書いているわけで、フィクションやきれいごとを書いてみたところで致し方ない。

 この調子で、細く長く続けていくこと・・・、それが、私が日々前を向いて暮らしていく上で、今は何よりの励みになっている。

 先日、ポロリと夫に「私、そうそうすぐには死なない気がしてきた・・・」と言ったら、夫に「・・・俺の方が先に死ぬような気がする。」と言われてしまった。何ともバツの悪い笑い話である。

 もちろん私は、遠隔転移が複数臓器にある再発・進行がん患者であることは間違いない。これは厳然たる事実だから、冷静に考えれば、そうした病変が全く消えてしまうとか、すっかり治ってしまうとか、そんな都合のよいことが起こるのでは、と楽観してはいけない。けれど、だからといってこの日進月歩の治療の進歩を目の当たりにすれば、そうそう悲観的になることもない、とも思う。

 そう、楽観することもなく、悲観しすぎることもなく、日々、淡々と。
 出来ることを出来るときに、出来るだけ。躊躇わないで、決して後悔しないように。
 再発治療も間もなく4年を迎えるが、この頃は、ブログのサブタイトルのとおり、心穏やかに、潔く、精一杯生きたいと改めて思うことが多い。
 そして、何よりまた来年のこの日、「祝!ブログ開設3周年」の記事を書けるように、と願わずにはいられない。

 今日は、早朝お腹の気持ち悪さで目が覚めてしまい、寝返りを打ったり深呼吸をしたり、何とかもう一度寝る努力をしたが、結局、その後寝ることはできなかった。それでも、足が攣らなかったのは幸いか。
 日中もお腹のもたれ感と吐き気があり、気分は優れない。当然食欲もないから、お昼休みにはお散歩をして気晴らし。ロキソニンとマグラックスを飲むためにちょっとだけお昼をとった。
 ナベルビンも21クール目を迎えたが、毎回々々副作用の出方は少しずつ違う。うまくコントロールしていきたいと思うが、なかなかそうもいかない。まだまだ修行の身である。

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