先日あけぼのハウスに参加して、考えたこと。
テーマは「抗がん剤治療はどこまでも続けるべきなのか」(完治はないとわかっても最後まで治療することの意義)だった。興味のあるテーマだったとはいえ、あけぼのハウスに参加すればこのテーマに対する明確な答えをもらってこられるわけではない、ということも重々承知してはいた。当然のことながら、このテーマの結論は話し合って簡単に出るような性質のものではないから。
そもそも各々のがんの性質や再発転移の部位により、患者が100人いれば100通りのがんがある。どれ一つとして同じものはない。だから、いわゆる標準治療はあるかもしれないけれど、特に再発後に至っては、各々が選択しうる治療方法は本当に様々だ。
なるべく体に負担がかからないようにマイルドに、QOLを落とさず治療を続けていきたい人もいるだろうし、その時はきつくてもガツンと一発やっつけて頑張っていきたい人もいるだろう。まさしく完治が見込めない再発治療は、各々の人の人生観に大きく左右されるもので、「正解などない」と言ってよいと思う。
大切なことは、他の人の意見を参考にはしても、あくまで自分で勉強して(自分の体なのだから、誰かにお任せしておしまい、という人はいないだろう。)、自分が求める一番大切なものは何かをきちんと持つこと。そして、長期にわたる治療を続けるにあたり、家族への影響を最小限にしつつ、主治医が提示してくれる選択肢のメリット・デメリットを加味しながら、治療の分岐点、分岐点毎に後悔しないように考えて結論を出していけば、(あくまで)自分にとって最も正解に近い治療方法が得られるのではないかと思う。そう、いつも「EAT SMILE THANK」を忘れずに。
私が参加者の前でこれまでの治療経過をお話したときに、「初発の時にホルモン剤しか飲んでいないけれど、その時、抗がん剤をやっていれば状況が変わったかもしれない・・・についてはどう考えるか」という質問があった。質問された方が私にどういう答えを期待されていたのかはわからない。
ただ、私が初発手術を受けた時(2005年2月初旬)、隔年にスイスのザンクトガレンで開催される「早期乳がんの初期治療に関する国際会議」でのコンセンサスは、35歳以下(若年性)かどうか、腋窩リンパ節転移があるかどうか、しこりが2cm以上かどうか、の3点が全て(-)(マイナス)だったらホルモン剤治療だけ、または無治療で、抗がん剤治療は行う必要がない、ということだったと思う。実際に主治医がもっていた資料を見せてもらったのを覚えている。それが大きく変わったのが、手術直前の2005年1月末に開かれた第9回会議だった。 2001年からほとんど変更がなかったリスクカテゴリー、および選択すべき治療方法の指針について、変更がなされている。要はその情報が間に合わなかったということだ。今でこそ、2007年3月のコンセンサスで、リンパ節転移がなくともHER2が3+というだけで、低リスクではなく中リスクということで術後の抗がん剤は必須だったのだろうけれど。
それでも当時はリンパ節転移がなかったから、抗がん剤をやらなくて済むのだ、ということでほっとしたのは事実だ。放射線医からも「こうして術後放射線で叩いて今まで再発した人はこの病院には一人もいない」と言われ安心していた。勉強不足といえば勉強不足だったのかもしれないけれど。
もちろんその時も「HER2 3+」については気になったので、主治医にハーセプチンを投与する必要がないかどうかについて相談した。残念なことに当時、ハーセプチンは再発治療であり、術後補助治療としては保険適応外だった。経済的なこともさることながら、再発するかどうかもわからないし、主治医には「低リスクだから放射線と5年間ホルモン剤内服だけでいいと思う。特に仕事を続けていくのに、毎週1回の点滴を開始するとかなり負担になると思うが大丈夫か。また、いったん始めてしまうといつ辞めていいか明確な基準がないので、辞めるタイミングも難しい」と言われ、それでもあえて「開始してください」と言うことは出来なかった。
主治医が外科医で乳腺専門医でなかったことも、今思えばプラスではなかったのかもしれない。その時も「セカンドオピニオンをとってもらってもかまわない」と言われたけれど、また一から病院を探して予約をとって、手術や治療がどんどん遅れることは心配だった。
そして、初発の時に地元のクリニックから紹介されたこの病院は、私の住んでいる地域の救急医療・がん医療を重点に取り組む中核病院であり、近所のクリニックから紹介されるのは皆この病院だったから、最初からここを無視して都心の有名な病院に行く、ということについては(今後長く通うことになるのだから、なるべく通院が負担にならないように・・・)ということであまり考えなかった。
結果として3年経たずして再発をみることになったが、術後半年ごとに行っていたもろもろの検査も5回目となる2年半までは全く異常なしだったので、術後ハーセプチンをやっていれば再発しなかったのではないか、とか、術後抗がん剤をやっていれば再発しなかったのではないか、と今になって悩むことはなんの生産性もない、と思う。術後抗がん剤をやっても再発している方はいないわけではないのだから。
その場でも言いかけたけれど、「それは(考えても仕方がない。)こうなったからには前だけを向いて治療をしていくほかない。」というのがやせ我慢でも強がりでもない正直な気持ちだ。
長く再発治療を続けるにあたって、「もし、だったら、もし、○○していれば」の「タラレバ」は不毛なことだし、そのことについて悶々と考え続けるのはそれこそ時間の無駄だと思う。そして初発の方々が「再発したらどうしよう・・・」とあまりに不安に思い悩み過ぎるのも精神衛生上良くないし、結局のところ時間の無駄だと思う。その時その時にきちんと納得のいく治療をして、それでも再発してしまうのだったら、それはそれで神様の与えてくれた試練であり、運命である。それからをどう生きるか、が問題だ。
もちろん再発しなければしないほうがいいに決まっているし、7割(再発せず完治)の集団に入れなかった、3割(完治しない再発)の少数派集団になってしまった、という事実は確かにラッキーではないことだけれど、だからといって今更7割に入れ直してください、ということは現実問題として不可能なのであるから。前にも書いたが、確率はあくまで確率にすぎない。自分に起きるか起きないかは“All Or Nothing”である。一人の人間の体の中で30%だけの再発はあり得ないのだから。
特に再発して以降、自分で納得いくまで悩みつつ、これだ、と決めたらもう迷わずに躊躇わずにタイミングを逸すことなく治療を始める。あれこれと先を思い煩うよりも、事態が変わったら即、考える。これが再発治療とつきあう私にとっての極意である。
さて、昨日の投与で今日の体調だが、昨日は早めに休み、普通に起きて、普通に仕事に行って帰宅した。
さすがに吐き気止めの点滴のせいで今朝は便秘。出がけにマグラックスを飲んだけれど1日お腹が気持ち悪いだけ。それでも昼をしっかり食べたので、胃から上に何か引っかかっている感じがする。
テーマは「抗がん剤治療はどこまでも続けるべきなのか」(完治はないとわかっても最後まで治療することの意義)だった。興味のあるテーマだったとはいえ、あけぼのハウスに参加すればこのテーマに対する明確な答えをもらってこられるわけではない、ということも重々承知してはいた。当然のことながら、このテーマの結論は話し合って簡単に出るような性質のものではないから。
そもそも各々のがんの性質や再発転移の部位により、患者が100人いれば100通りのがんがある。どれ一つとして同じものはない。だから、いわゆる標準治療はあるかもしれないけれど、特に再発後に至っては、各々が選択しうる治療方法は本当に様々だ。
なるべく体に負担がかからないようにマイルドに、QOLを落とさず治療を続けていきたい人もいるだろうし、その時はきつくてもガツンと一発やっつけて頑張っていきたい人もいるだろう。まさしく完治が見込めない再発治療は、各々の人の人生観に大きく左右されるもので、「正解などない」と言ってよいと思う。
大切なことは、他の人の意見を参考にはしても、あくまで自分で勉強して(自分の体なのだから、誰かにお任せしておしまい、という人はいないだろう。)、自分が求める一番大切なものは何かをきちんと持つこと。そして、長期にわたる治療を続けるにあたり、家族への影響を最小限にしつつ、主治医が提示してくれる選択肢のメリット・デメリットを加味しながら、治療の分岐点、分岐点毎に後悔しないように考えて結論を出していけば、(あくまで)自分にとって最も正解に近い治療方法が得られるのではないかと思う。そう、いつも「EAT SMILE THANK」を忘れずに。
私が参加者の前でこれまでの治療経過をお話したときに、「初発の時にホルモン剤しか飲んでいないけれど、その時、抗がん剤をやっていれば状況が変わったかもしれない・・・についてはどう考えるか」という質問があった。質問された方が私にどういう答えを期待されていたのかはわからない。
ただ、私が初発手術を受けた時(2005年2月初旬)、隔年にスイスのザンクトガレンで開催される「早期乳がんの初期治療に関する国際会議」でのコンセンサスは、35歳以下(若年性)かどうか、腋窩リンパ節転移があるかどうか、しこりが2cm以上かどうか、の3点が全て(-)(マイナス)だったらホルモン剤治療だけ、または無治療で、抗がん剤治療は行う必要がない、ということだったと思う。実際に主治医がもっていた資料を見せてもらったのを覚えている。それが大きく変わったのが、手術直前の2005年1月末に開かれた第9回会議だった。 2001年からほとんど変更がなかったリスクカテゴリー、および選択すべき治療方法の指針について、変更がなされている。要はその情報が間に合わなかったということだ。今でこそ、2007年3月のコンセンサスで、リンパ節転移がなくともHER2が3+というだけで、低リスクではなく中リスクということで術後の抗がん剤は必須だったのだろうけれど。
それでも当時はリンパ節転移がなかったから、抗がん剤をやらなくて済むのだ、ということでほっとしたのは事実だ。放射線医からも「こうして術後放射線で叩いて今まで再発した人はこの病院には一人もいない」と言われ安心していた。勉強不足といえば勉強不足だったのかもしれないけれど。
もちろんその時も「HER2 3+」については気になったので、主治医にハーセプチンを投与する必要がないかどうかについて相談した。残念なことに当時、ハーセプチンは再発治療であり、術後補助治療としては保険適応外だった。経済的なこともさることながら、再発するかどうかもわからないし、主治医には「低リスクだから放射線と5年間ホルモン剤内服だけでいいと思う。特に仕事を続けていくのに、毎週1回の点滴を開始するとかなり負担になると思うが大丈夫か。また、いったん始めてしまうといつ辞めていいか明確な基準がないので、辞めるタイミングも難しい」と言われ、それでもあえて「開始してください」と言うことは出来なかった。
主治医が外科医で乳腺専門医でなかったことも、今思えばプラスではなかったのかもしれない。その時も「セカンドオピニオンをとってもらってもかまわない」と言われたけれど、また一から病院を探して予約をとって、手術や治療がどんどん遅れることは心配だった。
そして、初発の時に地元のクリニックから紹介されたこの病院は、私の住んでいる地域の救急医療・がん医療を重点に取り組む中核病院であり、近所のクリニックから紹介されるのは皆この病院だったから、最初からここを無視して都心の有名な病院に行く、ということについては(今後長く通うことになるのだから、なるべく通院が負担にならないように・・・)ということであまり考えなかった。
結果として3年経たずして再発をみることになったが、術後半年ごとに行っていたもろもろの検査も5回目となる2年半までは全く異常なしだったので、術後ハーセプチンをやっていれば再発しなかったのではないか、とか、術後抗がん剤をやっていれば再発しなかったのではないか、と今になって悩むことはなんの生産性もない、と思う。術後抗がん剤をやっても再発している方はいないわけではないのだから。
その場でも言いかけたけれど、「それは(考えても仕方がない。)こうなったからには前だけを向いて治療をしていくほかない。」というのがやせ我慢でも強がりでもない正直な気持ちだ。
長く再発治療を続けるにあたって、「もし、だったら、もし、○○していれば」の「タラレバ」は不毛なことだし、そのことについて悶々と考え続けるのはそれこそ時間の無駄だと思う。そして初発の方々が「再発したらどうしよう・・・」とあまりに不安に思い悩み過ぎるのも精神衛生上良くないし、結局のところ時間の無駄だと思う。その時その時にきちんと納得のいく治療をして、それでも再発してしまうのだったら、それはそれで神様の与えてくれた試練であり、運命である。それからをどう生きるか、が問題だ。
もちろん再発しなければしないほうがいいに決まっているし、7割(再発せず完治)の集団に入れなかった、3割(完治しない再発)の少数派集団になってしまった、という事実は確かにラッキーではないことだけれど、だからといって今更7割に入れ直してください、ということは現実問題として不可能なのであるから。前にも書いたが、確率はあくまで確率にすぎない。自分に起きるか起きないかは“All Or Nothing”である。一人の人間の体の中で30%だけの再発はあり得ないのだから。
特に再発して以降、自分で納得いくまで悩みつつ、これだ、と決めたらもう迷わずに躊躇わずにタイミングを逸すことなく治療を始める。あれこれと先を思い煩うよりも、事態が変わったら即、考える。これが再発治療とつきあう私にとっての極意である。
さて、昨日の投与で今日の体調だが、昨日は早めに休み、普通に起きて、普通に仕事に行って帰宅した。
さすがに吐き気止めの点滴のせいで今朝は便秘。出がけにマグラックスを飲んだけれど1日お腹が気持ち悪いだけ。それでも昼をしっかり食べたので、胃から上に何か引っかかっている感じがする。