ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.1.31 採血後診察、ハーセプチン190回目(3倍量再開2回目)、ゼローダ2クールは完全休薬

2018-01-31 21:40:46 | 治療日記
 昨夜は、3週間前に急きょ休講になってしまったため、今年初めてになるSさんの瞑想ヨーガクラスを楽しみにしていた。けれど、仕事の後に都心まで出向いて1時間半のレッスンを受けた後、再び病院最寄り駅に移動して・・・、という体力は到底なく、泣く泣く受付のAさんにお詫びのLINEを入れてキャンセル。

 なんとか定時まで仕事をして、生協で2月の新刊文庫を数冊買って帰宅。夫が出張先から直帰していて帰宅済みだった。何も言わずに淡々と夕食を整えてくれる。申し訳ない。でも、水仕事をして、包丁を使って炊事をすると、いきなり手の平の症状が悪化する。焼けつくような痛みに耐えかねて、友人の医師に確認して、前日から家にあったリンデロンVクリームをヒルドイドローションと混ぜて塗布する。これで少し痛みが和らぐようになった。

 食後、支度をして病院最寄り駅へと向かった。
 途中でお腹が痛くなるのではないかと不安のまま電車に乗る。なんといっても寒さのため普段以上に重ね着をしているし、荷物も持っているので、出来ることならお手洗いのための途中下車は避けたい。
 息子の22歳の誕生日でもある。20時57分誕生だったので、それより少し前に車内からLINEを入れて気を紛らわせる。彼はお友達にお祝いしてもらい、テーマパークで楽しんでいる模様。

 お手洗いに飛び込むことなくホテルまで無事に、と願いつつ、なんとか病院最寄り駅に到着し、チェックインを済ませた。ぬるめのお風呂にゆっくり入浴し、手足のケアと唇のケアをして早めにベッドに入った。

 疲れているのになかなか寝付かれない。お手洗いに起きて手を洗う度にローションを塗り直すのがストレスだ。結局、目覚ましが鳴る前に目が覚めて起床。腹痛は相変わらずだったけれど、3週間ぶりに泥便から普通便になった。浴槽足湯の支度をしてから夫にモーニングLINE。無事起きていることを確認してから足湯へ。

 当初、足の裏は手の平よりも症状が軽かったが、雪道やアイスバーンになった道を踏ん張って歩いたことで余計な圧がかかったのか、あっという間に悪化した。冷たくても熱くてもちょっと圧がかかっても、ジリジリビリビリと常時痛む。手の平だけでなく手指まで、どこもかしこも痛むので、着替えにも時間がかかる。

 レストランへ移動。ちょっとずつ色々、野菜たっぷりのビュッフェを頂く。お箸ですら持ち方によっては手の痛みを誘発する。熱いお茶は飲めないのでスープを冷まして頂く。朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウトして病院へ向かう。昨日よりは少し暖かくなるというが、相変わらずの冷え込みだ。

 IDカードを通して採血受付に出向く。番号を取ると、すぐに採血室に入ることが出来、態勢を立て直していると、化学療法室のOkさんから肩を叩かれる。「大変だったみたいだけれど、大丈夫?」と声をかけてくださる。
 先週1週間はかなり辛かったと報告しつつ、白手袋を外して見て頂くと「ああ、一気に来たね。先生は色々考えておられるみたいだから大丈夫だと思う。」と言われる。ほどなくして初めての女性検査技師のKさんから番号を呼ばれた。今日は白血球等のみのチェックのため2本。針刺しも抜針もほとんどビリリと痛む。

 向かいの腫瘍内科に移動。まだ誰も座っていない。一番乗り。定位置を確保して読書開始。今日の御伴はNHKスペシャル取材班著「老後破産―長寿という悪夢―」(新潮文庫)。
 20分ほどすると化学療法室のKwさんがヒアリングに来てくださる。手や唇を見せながら状況説明。メモをして先生に渡してくださるようだ。ひとしきりお話して少し気持ちが楽になる。多くの方たちに気にかけて頂いており、本当に有難い。忘れないうちに血圧測定。116-67、脈拍は80。その後、30分ほど読書していると中待合へどうぞ、と番号が出る。
 ほどなくして先生がお顔を出された。朝の受付から先生にお目にかかるまで今日は1時間半弱。
 
 「さて、大変だったようですね。」と言われ、手足症候群の状況、下痢の状況等を報告する。「先週先生にお目にかかって休薬してからの1週間が辛かったです。」と言うと、「皆さんそう仰いますね。」とのこと。そうなのだ。点滴の抗がん剤と違って、内服薬は止めてからが辛いのである。

 「とても明日から2クール再開は無理です・・・」と言うと、「もちろんです。」とのお答え。「2クールは中止して、今日はハーセプチンだけにしましょう。」と仰る。1週間休薬が伸びるくらいかと考えていたので、ちょっとびっくりして、いきなり3週間飲まなくていいのですか、と何度も確認してしまう。けれど、それと同時にとてもほっとする。

 今は頑張るところではないし、無理すると後に響くので、ここはしっかり体調を戻すことが大事とのご判断である。減薬と服薬期間については6錠を5錠にし、規定の14日飲んで7日休みではなく、10日飲んで11日休みでいいとのこと。それでも不安だったので、4錠から始めたいと言ってみたところ、希望が通った。4錠で10日間、11日休んで続けられそうなら、5錠に増やして同じパターンで続け、それが楽々なのか努力が必要なのかにより6錠まで戻すかどうか決めましょうといったところ。

 診察室での検温は6度6分。「かなり怠いのですが、採血結果はどうでしょう。」と訊くと、問題なしとのこと。白血球は5,800もあり(炎症を起こしているせいか)好中球も2,700ほど。全く問題なしである。しいて言えば貧血が前回より進んでいるようで11.1だそう。
今日は薬の処方がメインになった。

 ミヤBM錠を飲んでいた間はなんとか水様便の回数が抑えられていたが、止めると同時に下痢が酷くなったため、今回は3週間分1日3回バッチリ出して頂く。さらに保湿ローションについては、これまでのローションとゲルに加えて、アンテベート軟膏(強めのステロイド)とローションを一対一で混合したものをベースに塗り、更に切れたり酷い部分用に、より強いデルモベートクリームが処方された。

 下痢対策については、大人用のロペミン1mgだと効き過ぎてしまい、下痢は止まるが、腸が動かなくなるとともに食事をするとその分逆流するという4年前の苦い経験がトラウマになっている。今回市販のシートタイプの0.5mgチュアブルで充分に効いたので、それと同じものを出して頂きたいと言ってみたけれど、それはないようで、大人用の代わりに小児用の細粒を出して頂いた。やはりエコというかお子ちゃまなのである。 

 さらに唇の裂傷や口内炎対策としてワセリンも出して頂いた。これをリップクリーム代わりにベースに塗布した後、ケナログ軟膏を塗ると良いらしい。口だけでなく鼻周りなど他の部位にも使ってよいとのこと。
 これまで数年にわたって飲み続けて来た漢方2種は、一回休薬してみましょう、ということになった。手足症候群の痛みとビリビリチリチリとした痺れが似ているので、これが緩和されれば止めるにはいいタイミングなので、昼から中止を、とのこと。

 そんなわけで「皮膚対策をしっかり行って3週間過ごし、元気になって次回戻ってきてください。」と3週間後に予約が入る。
 ご挨拶をして診察室を出、化学療法室へ。

 まだそれほど混んでおらず、ほどなくして看護助手さんから窓側の通路側のリクライニング椅子に案内された。
 お手洗いを済ませ、態勢を整えて夫やお友達に報告LINE。薬が届くのを待つ。
 Mさんが様子を見にいらして、「大変でしたね。今日はハーセプチンもお休みして1週間後になるかと思っていました。」とのこと。治療薬変更の初回には人一倍副作用が酷く出る私は、看護師さん同士で話題になっていたようだ。

 20分ほどしてMさんが針刺しに見えたが、相変わらず痛い。どうも身体のどこかに痛い所があると他の部分の痛みの閾値も下がるのだろうか。痛い。今日は採血の針刺しも抜針も痛かったし、とちょっと憂鬱に。

 ほどなくして薬が届き、ハーセプチンと生理食塩水で1時間半。その間に薬剤師のKさんが来てくださる。「やはり、ダメでした・・・」と言うと、「本当に酷く出ましたね。やはり○○さんには6錠は多すぎるのですね、先生は出来たら6錠に持っていきたいと思っておられるようですけれど、まずは普段通りの生活が出来ることが一番です。」とうるうるするような言葉をかけてくださる。

 「単純なので、規定通り飲んで頑張らなくてはと思うのです。薬の半減期から考えて血中濃度を一定にする必要があるのではないですか。」と問うと、「そういうプロトコルの薬もありますが、ゼローダについては、副作用の症状によって量を変えたり休みの期間を入れたりと、変えてもそれほど気にしなくて大丈夫な薬です。」とのこと。「あまりに怠いので採血結果も悪いと思っていたところ、なんでもなくて拍子抜けしました。」と言うと、「この薬は血液には影響が出なくて、吐き気、下痢、手足症候群が3大症状で外に出るのですね、吐き気は大丈夫ですか。」と問われ、「おかげさまでドンペリドンを飲んだのは1,2回で、専ら下痢と手足症候群でした。」と応ずる。

 いずれにせよ、沢山のスタッフの方たちのチーム医療の中にいることを実感し、安心感が増す。無事に点滴が終わり、Okさんに血圧を測って頂くと、122-72。私にしてはやや高め。そのまま抜針をして頂けると思いきや、Mさんにバトンタッチ。またしても衝撃が強く、「痛いです・・・」と声に出てしまった。

 病院滞在時間は4時間強。会計書類を腫瘍内科受付に出してから、時間を見計らって自動支払機へ移動。採血、点滴の3割負担、4万円弱をカードで支払う。
 外に出るといいお天気。日差しがあって、昨日一昨日に比べて確かに暖かい。薬局に入ると、人で溢れている。今日も待つな、と覚悟して本を取り出す。10人以上待っていたが、今日も、どんどん後から抜かれて1時間以上。ゼローダが中止になったこと、副作用対策が今回の目的ということを説明する。
 全部で7種類、7袋。結構な量である。それでもゼローダがないので3,000円に達せずカード払いは出来なかった。

 病院と薬局での全滞在時間は5時間半。ぐったりする。駅ビルで、お腹と唇に優しいお豆腐料理を時間をかけて頂いた。残念なことに、10年来よくお世話になったこのお店は来月で閉店とのこと。「来月もいらっしゃれたら、どうぞいらしてくださいね。」と言われる。昼食を摂るとまた腹痛。電車の中でなくてよかった。それでも下痢にはならず、ほっとする。

 本を1冊しか持っていなかったので、薬局で読み終わってしまい、快速電車に座ったら眠気に負けてウトウト。
 夫から「夕飯はお弁当でOKだよ」と言われていたので、迷わず乗り換え駅のスーパーでお弁当を調達。最寄り駅からはタクシーに乗って帰宅した。

 最低限の片づけを済ませ、夫の帰りを待ちながらリビングで横になっているうちにまたウトウト。夫が作ってくれた蜆のお味噌汁をお供にお弁当を頂いた。

 今夜はスーパーブルーレッドムーン(地球に近い「スーパームーン」で、 1ヶ月のうちに二度、満月が見られる「ブルームーン」で、 かつ、赤銅色となる「レッドムーン」)という3つが重なった珍しい皆既月食だそうだ。夫は双眼鏡片手に寒いベランダに繰り出している。

 明日はまた東京横断の出張だ。とにかく次回ゼローダ再開は3週間後の2月22日から。
 2月の患者会ヨガクラスは果たして出来るだろうかと心配だったけれど、休薬の最終段階だから恐らく大丈夫だろう。ほっとした。とにかく今日頂いた外用薬を駆使して手足の副作用を払拭し、体調を整えて3クール目に臨みたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.1.27-28 体調不良持続、予定はほぼキャンセルの2日間

2018-01-28 21:32:00 | 日記
 土曜日。ゼローダ休薬から丸3日目。
 前夜遅くの酷い下痢と腹痛でグッタリ消耗。脂汗をかきながらお手洗いに籠り、もう大丈夫かとベッドに入ったが、その後も延々と腹痛が続き、4年前にあれだけ嫌だったロペミンを飲んで、ようやく4時間だけ連続して眠ることが出来た。

 午前中、浴室リフォームのため、メーカーのショールームに予約を入れていたのだけれど、お腹の調子を考えると私鉄とモノレールを乗り継いで説明を聴きに行く元気がなく、申し訳ないけれどドタキャンの連絡をする。
 それでも、工事の日程を考えると詳細を決定するには来週がリミットとのこと。それ以前にショールームは是非みておかなければ・・・・。土日は1週間前で予約が一杯と訊いていたが、なんとか明日、ということで強引に翌日曜日の朝一番に予約を入れてもらった。

 その後、月1回のお楽しみ、Wさんのサロンのマッサージもキャンセル。今回はゲルマニウム温浴もお願いしていたけれど、手足を温めると手足症候群は悪化するのが明白だ。ひとまずこちらも来週に延期。元気なつもりだったのでマッサージの後は久しぶりにヨガクラスも予約していたが、こちらも当然キャンセル。
 午後は、息子が都心有名店までラーメンを食べに行くというので、夫と2人でリビングで静養。

 昼も夜も食事の支度は全て夫任せ。とにかく食事をする度に、膿んで切れて出血している口内炎で、下唇全体がとんでもなく痛い。時間をかけて冷ましてから食事をしても、ほどなくして腹痛とともに下痢が続いてお手洗いに籠る、この繰り返し。身体も気持ちも消耗する。
 手の状況も頗る悪く、例えばティーサーバーを持って3人分の紅茶を注ぐだけで、持ち手の跡がクッキリと赤く凹むのだ。そして、痛む。
 休薬週の週末だからようやく楽になると思ったのに、とんでもない。これまでで一番辛い日々を過ごしている。

 夕方、何とか駅前まで買い物に出かけたけれど、相変わらずとんでもなく寒い。上下とも6枚もの重ね着をしているのに、-5℃、6℃ではあまり暖かさを感じない。東京は亜熱帯だといった夏はどこへやら。温暖化などどこ吹く風である。氷河期か、とも思うほどの大寒波である。これでは元気な人でもお腹が冷えて体調を崩すのではないか。足元は相変わらずアイスバーンであり、緊張して歩くので疲れる。
 お風呂でお腹は温めたいが、手足は出している(そうでないと手足症候群が悪化する)ので、なにやら芯まで温まらない。お風呂から出てからも下痢が続き、お手洗いに籠る羽目になった切ない土曜日の夜だった。

 日曜日。ゼローダ休薬から丸4日目。
 休薬週だからきっと元気!のつもりだったので、骨折で入院中のお友達のお見舞いに都心まで出かける予定だったのだけれど、この酷いお腹の状態で一人都心往復する勇気はなく、ごめんなさい・・・とLINEで連絡。来週中には退院予定と仰るので、暖かくなったらまたお目にかかりましょう、ということにした。申し訳ない。

 朝2回の洗濯を干してから、3人揃ってショールームに出かける。対応してくれたYさんはとても感じよく、納得のいくオプションもお願いして、無事仕様が決定した。可愛らしいミニチュアモデルも着せ替えOK。実によく出来ていて、感心することしきり。

 淡いグリーンのアクセントカラーの壁面パネルに、ラメが入った感じの白い浴槽では腰掛けて半身浴も出来る。暖房も入るし、洗濯物の乾燥も出来る。24年前に新築で入居した今の住まいも、当時は最新だったのだろうけれど、四半世紀経って本当に諸々進化しているのだな、とため息。これで浴室を綺麗にしてしまうと、キッチンや洗面、お手洗いも気になってくるのだろうか。

 無事手続きを終えて、途中駅のショッピングモールで昼食を摂る。以前夫と一度入ったことのあるタイ料理レストランに入ることを決めていたのだけれど、この酷い口内炎の状況で残念ながら大好きなトムヤンクンはお預け。辛くないパッタイをチョイス。生春巻きにもチャレンジしたけれど、やはりタレが沁みてギブアップ。グリーンカレー等辛いものは夫と息子を横目に見つつ、お任せ。

 息子は初めて訪れたショッピングモールに興味津々で、もう少し回りたいようだったけれど、私は食事が終わるや否や、案の定お腹の状態が酷くなり、何度もお手洗いを往復し、ウインドウショッピングどころではない。手の状態も悪いので、お手洗いで沢山着込んでいる下着を何度も下すのにも一苦労。気づけば手の発赤はその都度悪化している。

 夫もまだ本調子でないし、早々に退散。ヨガスタジオにも既に10日以上ご無沙汰しているので、せめてリラックスヨガのクラスに出たいと思って予約してみたけれど、どうも貧血気味。これまたキャンセル。

 それにしても、休薬中の週末がこの体調不良とは、全くの想定外。甘かった。
 これで明日、明後日としっかりフルタイム働けるだろうか。水曜日の通院までにどれだけ体調が上向きになっているか。
 もう少し休薬日を増やして、減薬も相談しなければ。このQOLの下がり様は非常事態である。

 結局、今日も夕飯の支度から明日また関西に戻る息子の荷物のパッキングまで、全て夫にお願いしてリビングで横になる始末。
 掃除すら出来ず、気持ちも身体も芯から冷え切ってしまったトホホの土日である。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.1.26 休薬はしたけれど・・・体調のこと

2018-01-26 20:13:44 | 日記
 一昨日の夜からゼローダは休薬。残っていたミヤBM錠剤を昨日の夜まで飲んで、整腸剤は飲みつくしてしまった。
 果たして、体調は回復途上にあるか、といえば、全くもって“否”である。

 相変わらず、ずーっと腹痛とともにある。早朝4時から5時の間に腹痛で目を覚まし、泥便。そして食事をすればその後は必ず下痢。しかも2、3回、水様便ときている。体重が減ってきたし、お尻も痛い。

 しっかり食べられればよいけれど、哀しいかな、口周りの状況も酷い。下唇は全面的に膿んだり切れたりで、本当に触れるだけで痛い。カモフラージュのためにマスクをすればよいのかもしれないけれど、繊維のカドでも触れればもっと痛そう。上唇まで炎症が広がってきている。出来れば口もききたくないが、仕事をしていればそうもいかない。滑舌は間違いなく悪くなっている。当然口紅も塗れないが、普段の色とは違いぼってり腫れて赤黒くなっているので輪郭はやけにはっきりしている。ケナログ軟膏を塗っているけれど、あまり事態は改善されない。昨夜は夜中にお手洗いに起きて、その後、唇の痛みで眠れなかった。たかが唇が痛いくらいで、と思うがかなり辛い。嗚呼、麻婆豆腐・・・である。

 そして、雪道を緊張して歩いた後遺症なのか(現在も裏道のアイスバーンはまだ続いているが)、足裏を踏みしめて歩いたために、足裏の痛みが酷くなっている。常時ビリビリチクチク。お風呂に入っても痛い。発赤もテカりも酷くなってきている。

 手の平もテカりと発赤が悪化している。昨日の夜はちょっと重いフライパンを使ったところ、親指と人差し指の間が真っ赤になってしまった。この程度の圧迫にも反応するなんて。指先は爪との境があちこち切れている。手を洗ったり水仕事をするたびに、ヒルドイドローションをタップリ塗りこんで白手袋をしているが、家事をすればあっという間に悪化。とても追いつかない。

 ということで、最後にゼローダ6錠を飲んでから60時間以上経つのに、事態は改善どころか症状によっては悪化している。
 これで来週木曜日からちゃんと再開が出来るのだろうか、とちょっと気弱になる。

 かたや、風邪を引いた夫。水曜日の午後にはどうしても休めないと半日出勤したが、夜には8度5分の熱。彼がこんなに高熱を出したのはどのくらいぶりか。記憶にないくらいだ。身体の節々は痛いというし、予防注射は打っているけれど、インフルエンザではないか、と昨日クリニックに行ってもらった。

 結果、AもBも(-)とのこと。喉に来る風邪との診断だった。いずれにせよ昨日は夕食時まで8度の熱が続き、ようやく今朝になって6度台になった。今日は大事をとって休暇。有給休暇はたんまり余っているとはいえ、今週は半日のみの出勤、こんなことは初めてではないか。

 そんなこんなで夫婦2人ともよれよれである。
 加えて、火曜日に関西に戻った息子が学年末試験を終えて、また昨夜遅くに帰宅した。本当は夕飯に間に合うように、と聞いていたのに、いつまで経っても新幹線に乗ったという連絡がない。なんと試験で徹夜をして寮に戻ってちょっとお昼寝したところ、そのまま寝落ちてしまい、気付けば夜だったという。それから慌てて支度して出発、4時間近くかけて帰宅したのだからこちらはたまらない。さらに夕飯も予定通り家で食べたいという。夫には早めに寝てもらうことにした。

 息子本人は今日も終日所用のため都心まで出かけたのだが、段取りが悪いので、朝から言いたくないのにあれこれ小言を言わざるを得ない始末。本当に困ったものだ。普段一緒に暮らしていないので見ぬもの清し、であるが、同居していたらどれほどストレスフルになることか。

 結局、私も体調不良で午後は半日休暇を頂いた。ようやく週末。この土日でお腹と口周りと手足の痛みから少しでも解放されたいものだ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.1.24 腫瘍内科診察-ゼローダ内服中止、第2クールからは減薬に

2018-01-24 20:13:59 | 治療日記
 昨朝は、殆ど溶けていない雪の中を、かろうじて人通りによって出来た細い道を頼りに、スノーブーツで出勤。転倒だけはすまい、とヨチヨチ歩きで普段の倍の時間がかかってしまった。溜まったメールやら何やらをシャカリキになって片づけたら、ぐったり。お腹の調子は悪いし、文字通りへとへと。這う這うの体で帰宅した。

 一方、夫は風邪気味のところに寒空でタクシーを待ったのがかなり堪えたようで微熱。怠いし体中痛いしと、出勤を断念。午後に関西へ戻る息子が家を出るのを見届けてくれた。

 食欲はないが、ありあわせで夕食を作る。夫も全然食欲がないと言い、冷えピタを額に実に冴えない食卓だ。朝早くにアイスバーンの中をこわごわ歩いて病院に向かうのは避けたいから、と予定通り前泊することにした。暗い夜道は寒く、風が冷たい。
 予想通り、病院最寄り駅周辺は自宅最寄り駅とは比較にならないほど雪がなかった。前泊は正解だ、と思う。チェックインした後、早々にお風呂に入ってバタンキューで就寝。

 早朝4時頃腹痛で目が覚める。毎度の泥便である。そのままウツラウツラしながらモーニングコール。スマホを見ると、夫の方が先にLINEをくれていた。2時間ごとに目が覚めて、とのこと。調子が悪い時の眠りの浅さということだろう。今日は午後から出勤するので心配しないで、とのこと。

 久しぶりに浴槽足湯。あまり熱いお湯だと手足症候群で知覚過敏の足が辛いので、少しぬるめに設定。レストランで新聞を読みつつ、焼きたてデニッシュの朝食を摂り、朝の連続テレビ小説を視てから、母にご機嫌伺いの電話。昨朝は雪かきがろくに出来ず、脛までの雪で長靴を履いても門まで出られず、大変だったそうだ。近くに工事に来ていた男性たちが、門から道の前まで雪かきをしてくれて助かったという。有難いことである。それでもなんとか元気にしてくれているなら何より。

 チェックアウトして病院へ向かう。今日は昨日よりさらに気温が下がるという。数年ぶりの大寒波だそうだ。寒さは骨身に沁みるが、いいお天気。青空が澄み渡っている。

 IDカードを通し、今日は診察前の検査が何もないのでそのまま腫瘍内科受付へ。待合椅子の定位置は早くも埋まっていて、別の席を確保してからコート等をエコバッグに詰めて態勢を立て直す。呼吸を整えてから血圧測定。111-68、脈拍は92。読書を始める。30分ほどで中待合へどうぞ、と番号が出る。
 その間、看護師さんが患者さんとそのご家族に親切なフォローの声掛けをしていた。見ない顔だな、と思うと「実習生」の名札。見れば、私が勤務する大学からの派遣学生であることが判明。コミュニケーション能力が高く、なかなか頑張っているな、と心の中でエールを送る(後で先生に訊くと、先生ご担当の腫瘍内科病棟で実習中だそうだ。)。
 その後待つこと30分弱。先生がお顔を出して私の名前を呼ばれた。

 ご挨拶の後、「さて、どうでしたかね。」と問われ、体調の報告。
「今朝までゼローダ飲んできました。」と言うと、「かなり努力して飲んだということですか。」と。
「はい。」と手袋を外して「手の平は5日目からこんな感じ(発赤)で、指先は第2関節くらいまで色素沈着しています。1週間目からは親指や中指の指先が切れています。」とお見せする。「知覚過敏で冷たい水も熱いお湯もピリピリします。足も痺れに加えてピリピリチリチリして変色しています。」
「うーん、やっぱり出てますね」と先生。

「お腹の調子は早朝腹痛で目覚め、そのまま(お手洗いを往復して)眠れない感じです。寝不足なので疲れ易いです。ただ水様便が延々と続いているわけではなく、内服6日目に4回ほど下痢をした後は、1日2回から4回の泥便か下痢で落ち着いている感じです。ミヤBM錠が効いているのだと思います。やや食欲不振で、なんとなく気持ち悪い程度で、生唾は出ますが、ドンペリドンを飲むほどではなく食事が摂れています。昼以降は食べるとすぐにお手洗いに、という状態です。日曜日に麻婆豆腐を食べてしまったところ、口内炎が酷くなりました。」

「うーん、そうですか、麻婆豆腐食べちゃいましたか・・・」と苦笑される。やはり無謀だったか。辛い物はご法度ということか。自覚が足りなかった。月曜日の朝はそれほどでもないと思った下唇の腫れはどんどん悪化し、昨日からはべったりと膿になって出血もある。熱いものが食べられない事態になっている。どす黒く腫れて、口角を上げると、切れて出血してしまうので、笑うことが出来ない。

 私の報告に相槌を打ちながら先生は、パソコンにどんどん打ち込んでおられる。そして、「もう今晩はやめましょう。飲まなくていいです。そして次回は5錠でやってみましょう」と仰る。
「そうですか・・・。一度減薬すると規定量に戻せないとモノの本には書いてありますが、どうなのでしょうか」と問うと、
「副作用のグレードによる減薬規定によればそうですが、それほどでもなく治療を続けたいという時にはまた増やすことは出来ます。今は頑張り処ではないので、まずは1週間で回復させて、来週治療が再開できるように備えてください。とにかくそこまで副作用が出ているということは、しっかり身体に作用しているということですから。」とのこと。
 診察室での検温はなし。「わかりました。それでは来週まで回復するようにしてきます。」とご挨拶して診察室を後にした。

 会計書類を腫瘍内科受付に出してから、夫とお友達に報告LINE。時間を見計らって自動支払機へ移動。診察だけなのでなんと僅か220円。当然現金で支払う。この病院でお札やカードを使わずにお支払いが済むというのは本当に稀有のことだ。

 外に出ると日差しはあるが、やはり空気はかなり冷たい。今日の病院滞在時間は1時間半ほど。とにかく今夜はゆっくり寝て、明け方の腹痛で起きずに済みますように、これから1週間は無事に過ごせますように、と願いつつ途中駅で昼食を摂ることに。

 帰りの電車では席が確保出来たが、腹痛で本を読む元気がなく、なんとなくウトウト。ゆっくりランチをしたが、その後が大変だった。食後は続けて3回の下痢、水様便である。何度も場所を変えてお手洗いに駆け込む始末。ああ、先生に言われなくても、これでは今晩から自分の判断でも服薬中止したところだったな、と苦笑い。

 最寄り駅からタクシーに乗ろうかと思うが、案の定ロータリーにタクシーは1台もいない。雪は、日陰にはたっぷり残っている。昨日の夜は坂道で動けなくなったタクシーがいたのだっけ、と諦めて徒歩で帰宅。下痢が続いて体力は消耗。ウトウトとリビングで自宅療養だ。

 さて、今月2回目のお花が届いていた。ピンクと黄色、赤いガーベラが合わせて7本、菜の花が2本、かすみ草が1本とアカメヤナギ。こんなにも外は寒いというのに、なんと春らしい組み合わせだろう。花言葉はそれぞれ「神秘」、「快活」、「清い心」だという。
 そして、昨日は先月旅立ったSさんの四十九日だった。お母さま宛にお花をお送りしたのだけれど、雪のため、今日到着しましたという留守電が入っていた。こうしたお悔みの行為をしながら、まだ彼女がいない、という事実がどこか受け入れられない自分がいる。

 明日、明後日と頑張れば週末だ。夫もヨレヨレで帰宅した。冴えない二人、今日も早めに休むことにしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.1.22 旅行最終日、上海帰りのリルの気分もどこへやら、大雪に驚愕

2018-01-23 00:16:36 | 
 旅行もあっという間に最終日、3日目。
 昨夜は無事部屋のお手洗いの詰まりが治り、ほっとしてベッドに入った。
 明け方にはやはり腹痛で目が覚める。その後ちょっととろりとしたら、もうモーニングコール。そそくさと準備をし、パッキングを仕上げて身支度を整える。今朝も足湯どころではない。私たちが早く出発するため、朝食時間を10分繰り上げてもらったという。スーツケースも持ってレストランからそのままチェックアウト出来るように、とのお達しだ。

 朝食開始時間の数分前に行ったが、まだオープン前なのに既に長蛇の列。時刻通りにレストランは開いたけれど、出発時間まで僅か40分しかない。あれこれ選んでいる時間はなく、最少限のものをお腹に入れて、お手洗いを済ませてルームキーを返してバスに乗り込む。7時の出発である。

 昨夜の四川料理の辛さが刺激したのか、下唇が赤く腫れてしまった。これもゼローダの副作用なのか、口内炎というわけではないけれど、とにかく皮膚も粘膜も弱くなっている。指先は早くも色素沈着で汚らしくて、手袋を外して目にする度に悲しい。

 さて、週明けの月曜日は特に渋滞が酷いという2,400万都市、上海だ。昨夜ナイトクルーズを愉しんだ観光スポット、外灘(バンド)に降り立ったのは8時少し過ぎ。朝もやの中、昨夜は見えたタワーのてっぺんがはっきりしない。それでも、早朝の空気がピリリと冷たく澄んでいて気持ち良い。僅か15分の散策時間だったけれど、あれこれ絵になる写真を撮って満足。

 ところが、出発時間になっても一番年配の男性が行方不明。ガイドのRさんの顔がどんどん険しくなってくる。どうやらお手洗いを探して遠くまで行ってしまったようだ。皆、苦笑いしているが、なんとか15分ほどして戻って来られ、次なるスポットへ移動する。
 青信号の時間が短い。これでは年配者は大変だろうと思いながら急ぎ足で進む。古城公園を突っ切って歩くと、朝から社交ダンスや太極拳、ラジオ体操もどきに勤しむ市民の姿で賑やかだ。昨夜の雨と打って変わって、青空が顔を出し始める。今日は暖かくなりそうだ。

 洗濯物(下着も含めて)が大胆に干してあるなど、上海市民の生活感満載、趣ある裏道を通って、明代に造られた美しい庭園、上海定番の人気観光名所である豫園近くの茶芸店へ。ここで養生茶の聞き茶体験をする。試飲したのは甜茶なども含めて3種類だったけれど、どれも飲みやすく美味しかった。お薦めは10種のブレンドという。抗がん作用のあるレイシもあったけれど、まあ、買って帰ってもどうせ長続きはしなさそう、ということで買い求めるのはやめておいた。

 このままで帰ったら、東京に行ってきました、観光は隅田川クルーズだけ、後はお土産屋さんばかり、という状態だね、と夫が揶揄していたが、ようやく自由散策時間が僅か30分だが頂けた。今回は遅刻したら飛行機に間に合わないから置いていく!と厳しいお言葉のガイドRさんである。

 周辺に広がる豫園商城と老街散策で、ようやく上海観光をちょっぴり体験したというところか。それにしても派手な建物が沢山。雑貨や食品、衣類等のお店が軒を連ねている上海の浅草、だそうだ。殆ど買い物の時間もなかったので、両替したお金も全然使っていない始末。とはいえ、欲しいものもなく最低限のお土産だけ購入したらタイムアウト。

 あっという間にバスは空港へ向かう。40分ほどで浦東空港に到着した。虹橋空港とは上海の西と東に大きく離れている。
 無事チェックインし、手荷物検査を通過したところで搭乗時間まであと20分。お茶を飲む暇もなく、搭乗口へ急ぐ。ラストショッピングエリアで、留守番の息子にお土産を購入。昨夜頂いて美味しかった10年物よりもちょっと頑張って12年物の紹興酒を。

 帰りの飛行機は、定刻より早く滑走路に向かい始めた。何より気になるのは東京のお天気。大雪警報である。羽田に着陸できなかったらどうしよう、とハラハラしたけれど、食事をして映画を1本観終わらないうちに、定刻よりも早めに羽田空港に到着。聞きしに勝る大雪で、よくぞ無事に帰ってこられた、と夫と2人胸をなでおろす。

 大陸ではメールは大丈夫だったがLINEが繋がらなかったので、息子との連絡も途絶えがち。昨日帰ってきた息子は、所用のため夕方まで都心にいる予定だったが、この雪で早めに切り上げられたということで、なんとサプライズ、空港まで迎えに来ていた。これにはびっくり。どこかで合流して食事を済ませて帰宅する予定だったけれど、とにかく無事で安心した。

 帰りはリムジンバスで最寄り駅まで、の予定が早くも運航中止という。諦めて私鉄とJRを乗り継ぐことに。幸運にも乗車制限もなく、無事JR駅まで到着。行先変更やら時間調整やら何やらあったけれど、自宅最寄り駅まで2駅のJR駅に戻ってきたのは羽田空港を出て2時間ちょっと。食事を済ませようと駅ビルに行ったものの、早じまいでやむなく駅ナカのファミリーレストランで夕食。窓の外はもう吹雪のように雪が降り続いている。

 タクシーを呼ぼうと電話をしても全く繋がらない。食後、夫がタクシー乗り場の様子を見に行ったが、10人以上待ち。30分ほど待ったもののこれは埒が明かない。とにかく自宅最寄り駅まで行くことに。結局、自宅最寄り駅でも10人以上待ちで、1台来ただけでぷっつりと途絶える。仕方なしに待つのを諦めて、3人でラッセル車宜しく荷物を引っ張って、歩ける幅の道を作りながら帰宅した。

 なんとか無事に帰宅出来たのは羽田着陸から6時間も経っていた。とにもかくにもタクシーを待っていたら、まだ帰宅出来ていなかったかもしれない。3人無事に帰ってくることが出来て本当に良かった。
 手分けをして最低限の片づけと入浴だけ済ませ、あとは眠るだけ。
 それにしても4年ぶりのこの大雪、どうしたものか。明日からお仕事再開である。明後日はまた通院日。息子も明日は関西に戻る。朝の路面凍結、足元が不安なことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする