表題の映画を一人で観てきた。
夫がこの手のストーリーの映画に付き合ってくれないのは分かっていたし、私もあえて夫に一緒に見て、とはとても言えなかったので(一緒に予告編は見ていたので、彼も大体のストーリーは分かっていたのだ。)。
ご存知の方は多いかと思うが、作家・眉村卓さんの奥様との実話をもとにしたストーリーだ。腹痛のため妊娠を疑い病院にかかるといきなり緊急手術となる。進行性の大腸がんを患っていたことがわかる。若いから進行が早いため、1年後のことは考えられない、と告げられるのだが、退院の時に同じ医師に「笑うことで免疫がアップするので、笑ってください。」と言われる。なんとか妻に楽をしてもらおうと、夫はあれこれ家事をやってみるが、うまくいかない。そして作家としての自分が出来ることは、妻のためにだけ一日1編の小説を書き、笑ってもらうということだ、と気づく。
結果として1年を大幅に超えて、奥様は1778日(約5年)長らえることが出来た、というものだ。
それにしても、1778話を本当に毎日お書きになった眉村卓さんの奥様への愛のエネルギーに圧倒される。いくら作家とはいえ、本当に、毎日3枚以上ある物語を休むことなく書き続けたのだから。こうして私なんぞもエッセイもどきのブログを書きながら「さて、今日は書くほどのネタはあるか・・・」と、ない頭を絞るのだから。いわんやオリジナルのフィクションである。
今回は先に原作を読んでいなかったが、ストーリーは予告編等で既にある程度わかっていた。実際にご夫妻で闘病生活を送ったのは60代前半の頃で、お嬢さんもいらしたということなので、30代のDINKS夫婦と設定しているのは映画のオリジナルだ。
もちろん最後に奥様が亡くなるシーンでは、周りで観ていた他の人たちの多くが泣いていたけれど、それよりも私が辛かったのはもっと最初に出てきたシーンだった。
夫は、主治医から妻の余命をあと1年と聞かされてしまうが、妻から「私、治るよね。」と言われて「もちろん治るよ。」と答えてしまう。
その後、夫が「これから毎日1編小説を書く」と宣言すると、妻は、一人食器を洗いながらなんとも言えない複雑な表情を浮かべる。これで彼女は「自分は治らないのだ」ということを察してしまうのだ。
うまく言えないけれど、これからの病気との闘いへの覚悟のようなものを感じてしまい、辛かった。
プチ虹のサロンのメンバーとも話をしたのだが、こうしたがん患者のストーリーを映画等で見るとき、やはり患者ではない普通の人たちとはちょっと見方が違うよね、という話になった。実際には最期の部分で「あんなに浮腫んでいないはずはない・・・」等々・・・、シビアな指摘もあったけれど。
早いもので、今日で1月も終わりだ。明日から如月。今日は本当に厳しい冷え込みだったが、明日からは少し寒さが緩むようだ。
首都圏の中学受験生はいよいよ明日が本番だ。我が家の3年前を昨日のことのように思い出す。
受験生の皆が、これまで遊びも何も我慢して蓄えてきたであろうその力を存分に出し切ってほしい。悔し涙にくれる子どもが一人でも少なく無事に終わりますように・・・、と心から思う。
夫がこの手のストーリーの映画に付き合ってくれないのは分かっていたし、私もあえて夫に一緒に見て、とはとても言えなかったので(一緒に予告編は見ていたので、彼も大体のストーリーは分かっていたのだ。)。
ご存知の方は多いかと思うが、作家・眉村卓さんの奥様との実話をもとにしたストーリーだ。腹痛のため妊娠を疑い病院にかかるといきなり緊急手術となる。進行性の大腸がんを患っていたことがわかる。若いから進行が早いため、1年後のことは考えられない、と告げられるのだが、退院の時に同じ医師に「笑うことで免疫がアップするので、笑ってください。」と言われる。なんとか妻に楽をしてもらおうと、夫はあれこれ家事をやってみるが、うまくいかない。そして作家としての自分が出来ることは、妻のためにだけ一日1編の小説を書き、笑ってもらうということだ、と気づく。
結果として1年を大幅に超えて、奥様は1778日(約5年)長らえることが出来た、というものだ。
それにしても、1778話を本当に毎日お書きになった眉村卓さんの奥様への愛のエネルギーに圧倒される。いくら作家とはいえ、本当に、毎日3枚以上ある物語を休むことなく書き続けたのだから。こうして私なんぞもエッセイもどきのブログを書きながら「さて、今日は書くほどのネタはあるか・・・」と、ない頭を絞るのだから。いわんやオリジナルのフィクションである。
今回は先に原作を読んでいなかったが、ストーリーは予告編等で既にある程度わかっていた。実際にご夫妻で闘病生活を送ったのは60代前半の頃で、お嬢さんもいらしたということなので、30代のDINKS夫婦と設定しているのは映画のオリジナルだ。
もちろん最後に奥様が亡くなるシーンでは、周りで観ていた他の人たちの多くが泣いていたけれど、それよりも私が辛かったのはもっと最初に出てきたシーンだった。
夫は、主治医から妻の余命をあと1年と聞かされてしまうが、妻から「私、治るよね。」と言われて「もちろん治るよ。」と答えてしまう。
その後、夫が「これから毎日1編小説を書く」と宣言すると、妻は、一人食器を洗いながらなんとも言えない複雑な表情を浮かべる。これで彼女は「自分は治らないのだ」ということを察してしまうのだ。
うまく言えないけれど、これからの病気との闘いへの覚悟のようなものを感じてしまい、辛かった。
プチ虹のサロンのメンバーとも話をしたのだが、こうしたがん患者のストーリーを映画等で見るとき、やはり患者ではない普通の人たちとはちょっと見方が違うよね、という話になった。実際には最期の部分で「あんなに浮腫んでいないはずはない・・・」等々・・・、シビアな指摘もあったけれど。
早いもので、今日で1月も終わりだ。明日から如月。今日は本当に厳しい冷え込みだったが、明日からは少し寒さが緩むようだ。
首都圏の中学受験生はいよいよ明日が本番だ。我が家の3年前を昨日のことのように思い出す。
受験生の皆が、これまで遊びも何も我慢して蓄えてきたであろうその力を存分に出し切ってほしい。悔し涙にくれる子どもが一人でも少なく無事に終わりますように・・・、と心から思う。