さくらももこさんの著書に今日の標題と同じエッセイがあった。
これは妊娠・出産を経験してのお話で、自分も母になった頃、興味深く拝読したと記憶している。一方、今日の記事はヨガの智慧も絡めて、の話題である。
ヨガの世界では自分が言葉にしたこと、行動したことは全て自分が種を蒔いたこととして、全ていつか自分に戻ってくることになっている。
幸せや優しさ、ポジティブな種を蒔いておけば、そういう種が育って周りまわって花や実になって自分にやってくる。逆にネガティブな発言や行動をすればその時は同様に・・・、ということだ。
何か虫の居所が悪かったり、心に闇を抱えるような状態であったとする。その時、周りの人にネガティブな言葉をぶつければ、その時はああ、スッキリした!と思うかもしれない。けれど、その言葉は結局のところ巡り巡って自分のところに戻ってくる、というわけ。
だから、そうした言葉は出来る限り口にしない、そうした行動も取らない。
同時に理由なくそういう言葉を人様から向けられても、それを必要以上に重く受け止めて反芻したり、落ち込んだりする必要は、ない。
この智慧を知り、実践することが出来るようになって随分楽になった。
もともと小心者だから、人から何か言われれば落ち込むし、気に病んでいた。何故だろう、何がいけなかったんだろうと考えて、その理由が思い当たらない場合でも。
でも、ヨガの考え方では、それについて自分がその人に対して何らかのジャッジをしたり、怒ったり、恨んだりすることは必要ないのだ。
その時その時、自分が出来ることを精一杯、ただ素直に幸せに行っていればよい。後は世界に委ねるだけ。
あらゆることは必ずその種を蒔いた本人に戻っていくように出来ている。
“そういうふうにできている”からだ。嬉しくない言動を受けてそれに対して仕返しのようなことをしなくても大丈夫、逆にそういう言動をとれば自分に戻ってくる。だからお任せすればよいということだ。
先日、ある方のブログの記事を読んでいて、おお、良くぞ言ってくれました!というものがあった。
私はこのブログでその分野の話題は避けるようにしている。けれど、このところ書きたくても書けなくてちょっと悶々としていたまさにそのことを、それこそ痛快なまでに一刀両断に文字にしておられたので、わあ、凄いな!と思ったのだ。
けれど、上の考え方によれば、コメントで「良くぞ書いてくれました。私もそう思っていて・・・」と色々毒を吐いてしまったら、結局、自分がいつかその毒の種を刈り取らなければならないと気付いたのだ。
最近ではPCに向っているより、ヨガをしたり本を読んだり映画を観たりすることに余暇を割いているので、読ませて頂いているブログもごくごく少なくなった。体調管理しながら仕事と家事に取られる時間を引くと、自分のブログを書くことさえ毎日時間が取れないくらいなので、人様のブログにコメントを入れるエネルギーや時間はすっかりなくなっている。
なるほどな、と思ったり、え?そうなの、と思ってもただ読ませて頂くだけ。それに対してコメントするのは、今の私にとって結構大変なことだ。
文字を打ち込んで送信ボタンをポチッとするだけではないかといっても、それが共感だったり賛辞だったりポジティブなものならまだしも、ポジティブでないことを、頭の中で思っているだけでなく、文字という形にして残すという作業はハードルが高い。その一線を超えるにはやはり負のエネルギーが必要だ。これを敢えて言葉にし、文字にしてしまうとそれが自分の中でダークな形で定着してしまうと感じる。
世の中には本当に色々な人がいる。
皆が幸せになるには、まず自分が幸せで穏やかな気分でいなければ、と思う週末である。