平成も27年、四半世紀を超えた。我が家の親戚縁者を見渡して明らかに一番若い平成8年生まれの息子が来年には成人式を迎えようというのだ。職場に平成生まれの職員が入って来てももはや何の不思議もない。
とはいえ、常日頃息子にはため息交じりに「お母さんは、ほんっと、昭和の人だよね」と言われるし、自分自身やっぱり私は昭和だなあ~と思ってきた。私は昭和36年6月生まれだから、昭和の時代を27年半過ごしたことになる。その間に人格形成は出来上がっているということだろう。
それなのに、全くもって恥ずかしいことをしてしまった。
昨日4月29日は言わずと知れた昭和天皇の誕生日である。私にとって4月29日は、今上天皇の誕生日である12月23日よりも身近なものに感じていた。けれど、昨日の記事に自分が何気なくつけたタイトルを見て、今日になって、驚きと恥ずかしさのあまり赤くなった。
「昭和の日」とは「国民の祝日に関する法律」の一部改正によって2007年に制定された祝日で、日付は昭和天皇の誕生日である4月29日があてられている。
であるのに堂々と「みどりの日」と書いているではないか。は?・・・確かに昨日は新緑美しい良い休日だった。そして、昭和天皇が崩御された後「昭和の日」が制定されるまでは4月29日という日が「みどりの日」と称されていたには違いない。けれど、もう8年も経っているではないか。2007年の改正以降「みどりの日」はとっくに5月4日に移動していたというのに。(本日、タイトルは訂正致しました。)
トホホ、いつも「あれ、今日はなんで休めるんだっけ?」と能天気に訊いてくる夫に「所詮、あなたは今日が何の日だか分からなくてもお休み出来ること自体が大事なのよね~」とからかっていたのに。
とはいえ、このブログの一番目の読者である夫もいまだに気付いていないかもしれないのだから、夫婦揃って何とも間抜けなことである。
これからはカレンダーの赤い印を見て、「お休み、お休み・・・」と小学生よろしく喜んでいないで、大人らしくその日の由来等しばし考えてみることも必要かもしれない。
さて、今日で4月も終了。2015年、早くも3分の1を終えることになる。
来年無事に誕生日を迎えることが出来れば、昭和という時代を過ごした27年半と平成を過ごす年月がちょうど均衡する。昭和の人と揶揄されながらもそれ迄生きていきたいものだ、と感慨深く思う。
明日からは皐月、5月のスタートである。
とはいえ、常日頃息子にはため息交じりに「お母さんは、ほんっと、昭和の人だよね」と言われるし、自分自身やっぱり私は昭和だなあ~と思ってきた。私は昭和36年6月生まれだから、昭和の時代を27年半過ごしたことになる。その間に人格形成は出来上がっているということだろう。
それなのに、全くもって恥ずかしいことをしてしまった。
昨日4月29日は言わずと知れた昭和天皇の誕生日である。私にとって4月29日は、今上天皇の誕生日である12月23日よりも身近なものに感じていた。けれど、昨日の記事に自分が何気なくつけたタイトルを見て、今日になって、驚きと恥ずかしさのあまり赤くなった。
「昭和の日」とは「国民の祝日に関する法律」の一部改正によって2007年に制定された祝日で、日付は昭和天皇の誕生日である4月29日があてられている。
であるのに堂々と「みどりの日」と書いているではないか。は?・・・確かに昨日は新緑美しい良い休日だった。そして、昭和天皇が崩御された後「昭和の日」が制定されるまでは4月29日という日が「みどりの日」と称されていたには違いない。けれど、もう8年も経っているではないか。2007年の改正以降「みどりの日」はとっくに5月4日に移動していたというのに。(本日、タイトルは訂正致しました。)
トホホ、いつも「あれ、今日はなんで休めるんだっけ?」と能天気に訊いてくる夫に「所詮、あなたは今日が何の日だか分からなくてもお休み出来ること自体が大事なのよね~」とからかっていたのに。
とはいえ、このブログの一番目の読者である夫もいまだに気付いていないかもしれないのだから、夫婦揃って何とも間抜けなことである。
これからはカレンダーの赤い印を見て、「お休み、お休み・・・」と小学生よろしく喜んでいないで、大人らしくその日の由来等しばし考えてみることも必要かもしれない。
さて、今日で4月も終了。2015年、早くも3分の1を終えることになる。
来年無事に誕生日を迎えることが出来れば、昭和という時代を過ごした27年半と平成を過ごす年月がちょうど均衡する。昭和の人と揶揄されながらもそれ迄生きていきたいものだ、と感慨深く思う。
明日からは皐月、5月のスタートである。