ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.11.30 クリニック梯子のトホホな土曜日

2013-11-30 11:26:46 | 日記
 11月最終日。今年も余すところあと31日となった。
 昨朝は喉の痛みと声が若干しゃがれた程度だったのに、夜になると殆ど声がかすれて出なくなった。ベッドに入ったが、なかなか眠れず咳き込み通しで一晩中殆どまんじりとも出来なかった。隣で夫は高いびき、いつもながら何とも憎らしいことよ。

 本日の予定は3か月毎の歯科検診の後、リフレクソロジー、ヨガ、息子のインフルエンザの付き添い・・・だったのだが、朝、息子を送り出し、リフレクソロジーサロンに本日ドタキャンのお詫びメールを入れる。
 そして、まずは朝一番で予約していた歯科クリニックへ。口蓋隆起の部分の上顎骨壊死で大騒ぎしてから早いもので3か月が経過した。喉元過ぎれば・・・の単純な私は、すっかり顎骨壊死の恐怖を忘れつつある。今はゾメタも中止しているし、ハーセプチンとフェソロデックス注射だけだから、歯磨きも問題なく出来ている。先日アロマテラピー講習会・プチで頂いたティートゥリーの歯磨きは、歯茎が引き締まってお口の中がとてもさっぱりして良い感じだ。その効果か、いつもは必ずひっかかる奥歯の部分も「よく磨けているので、この調子で」とお褒めの言葉を頂き、一か所歯茎の腫れと前歯の裏の詰め物をチェックしただけ。歯石も取らず、消毒を終えたら特に問題なしということで僅5分。次回3か月後、2月末にまた予約が入った。

 その足で隣接するクリニックへ移動。「一昨日から喉が痛く、葛根湯を飲んだけれど、昨夜から声が出なくなり咳き込んで眠れず、熱はありませんが・・・」とお話しする。案の定、喘息様急性気管支炎との診断。今はハーセプチンとフェソロデックス注射の治療で、来週の水曜日がまた治療日だということをお話する。胸の音を聴きながら肺の転移の話になる。ラ音が聴こえるようだ。
 今回は気管支喘息の薬、ステロイド性の炎症・アレルギー症状を抑える薬、気管支を広げて呼吸を楽にする薬、抗生物質の4種類、5日分が処方された。暖かい水分をたっぷり摂り、喉を乾かさないようにお茶うがいをすること、とのこと。こんなに手洗うがいに励んで風邪をひかないようにしていた筈なのに、トホホである。

 そして、最初に受診した歯科クリニックを挟んだ隣にある薬局へ移動。薬剤師さんからはロキソニンや葛根湯を飲んでいるので熱が抑えられているのでしょう、と言われる。ロキソニン一挙両得である。
 3か所梯子して家を空けた時間は僅か1時間。さすがに近所のクリニックは忙しい(?)主婦の味方である。通っている大病院ではとても考えられない待ち時間である。

 夫は先日購入した電動自転車に乗って実家(車なら30分かからないが、電車とバスを乗り継ぐと1時間以上かかる。)の様子を見に行ってくれるとのこと。有難いことである。今日はのんびり過ごさせて頂き、なんとか月曜日には復活しないと、と息子の夕方の第2回のインフルエンザ予防接種の付き添いも夫にお願いしてしまおうという私である。
 
 
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2013.11.29 なんて素敵なグレイトジョブ!

2013-11-29 22:10:56 | 日記
 10月から読売新聞の医療サイトyomiDr.で連載中の緩和医療医・大津秀一先生のコラム「専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話」を愛読している。
 最新号は「モルヒネは怖い薬?」というテーマで、とてもすんなりと頭に沁み入るお話だった。

 既にこのブログでも何度かご紹介させて頂いているのだが、驚いたことに、先生がオフィシャルブログ「医療の一隅と、人の生を照らす」で私の拙文についてコメントされているのを、ひょんなことから見つけた。

 拝読したときにはもう嬉しくて照れまくり(我ながら単純ではありますが・・・)、早速一番最初の読者である夫に知らせた。
 これもご縁なのかもしれないな、と(勝手ながら)思うのは、ちょうどその前の晩、先生の本「死ぬときに後悔すること25」(新潮文庫)を大切に読み終わったばかりで、改めて25のことを考えたところだったのだ。本当にこんなことがあるのだ、とびっくりだった。

 以下、転載させて頂く。ひと月ほど前、10月27日の記事である。

※  ※  ※(転載開始)

あるブログから

あるブログを発見しました。
「ロッキングチェアに揺られて」というブログです。
別に紹介を頂戴したわけではなく、自分が発見しました。
「2013.10.25 “最後の経過は早い”という厳しさ」というエントリーで私のヨミドクターの記事が引用されています。
ブログはこちら
ご自身の気持ちをよく見つめられて表現されています。私が印象に残ったのは下記の部分。

<以下引用>
「いつ私の体の中の細胞が暴れ始めるのだろうと思うと、そうそういつも心穏やかでいられないのが正直なところだ。けれど、出来れば昨秋のECのような強力な抗がん剤を投与して健康な細胞まで痛めつけ、受験前の大事な時期、息子の足を引っ張るように寝込みたくない(いわんや入院したくない)というのも本音だ。
 だからこそ、人生の質の観点から動いていくことが不可欠だ、という。そう、治療と並行して、限られた時間を自分にとって満ち足りたものにするために今の私の毎日はある。それが真実だ。
 希望を捨ててはいけないけれど、もしかしたら新薬で完治するかもしれない、と思うことはやはり甘いのだな、と自戒する。いつ最後の経過になっても、できるだけ後悔しないように生きていかなければならない」
<以上引用>

今回の記事
ヨミドクター
で私がお伝えしたかったこと。もう既に実践されていると感じました。
そして母としての息子さんへの思いやりや気遣いの部分には心が熱くなりました。

25項目もきちんとチェックして、指針にはなっているようで嬉しく思いました。

<以下引用>
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと → おかげさまで記憶に残る恋愛が成就して今に至る。
19 結婚をしなかったこと → 既婚
20 子供を育てなかったこと → 一男あり
21 子供を結婚させなかったこと → まだそこまで達していないが、息子の意思を阻むつもりはない。
22 自分の生きた証を残さなかったこと → 息子の存在、そしてこのブログの存在。
<以上引用>

まさに「グッドジョブ!」
18番あたりはもう「グレイトジョブ」ですね(^^) 22番も!
そして「治療を使いこなす」とはこういうことだと思いました。

私たちは必ず迷います。
答えのない中に時に不安を隠しきれません。
それでもまた進んでゆくことができます。
恐る恐る一歩を踏み出して、気がつけば遠くに来ていたということもあるかもしれません。
皆さんが大変な状況を抱えている中で、歩いてゆかれる中で、少しでも役に立つ情報が提供できたら・・そう思っていますので、こんなブログを拝見すると「書き続けることをやめる訳にはいかない」と励まされます。

それではまた。
失礼します。

(転載終了)※  ※  ※

 グッドジョブ!いや、グレイトジョブ!まで言って頂いて、もう患者冥利に尽きてしまう。これでいいんだな、私なりに私らしく治療をうまく使いながら限られた日々を生きていけばいいんだな、とすーっと肩の力が抜ける。

 これからも隠れファンとして(いや堂々と宣言していますけれど・・・)大津先生のコラムやブログの拝読を続けつつ、目指すはサブタイトルのとおり心穏やかに潔く精一杯生きる再発進行乳がん患者。私のモットーどおり細く長くしぶとく、頑張りすぎずに頑張っていきたい、と思う。

 さて、気付けば学内は色とりどりの落ち葉だらけだ。あっという間に11月の勤務日も今日で終了。やはり風邪を引いた感じで葛根湯やらカコナールやらにお世話になっている。この週末でなんとか体調を整えないと・・・。来週はまた通院日がやって来る。
 
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2013.11.27 私が死んだら再婚するの?

2013-11-27 19:56:04 | 日記
 患者仲間から、私より一回り以上年上―60代半ば―のご夫婦のお話を伺った。
 とても仲の良いご夫婦で、家族ぐるみでお付き合いがあったという。その奥様が、部位は違えど同じ病に冒され、様々な治療の甲斐なく逝かれた。お子様たちは既に皆、独立されているので、ひとり遺されたご主人は、彼女を一人でお墓に入れるのはあまりに可哀想だから、自分が死んだら一緒に入れてくれ、とおっしゃっていたそうだ。
 ところが、1年もしないうちに年上の女性と事実婚に入られたとのこと。ずっと家に置いておくわけにもいかないから・・・と納骨もするのだそうだ。
 「言ってることとやってること、違うじゃん!」というのが患者仲間の弁。

 それを聞いて、因みに我が家は、と夫と息子にインタビューしてみたのが、今日のお題だ。
 平均寿命迄、まだ長い時間が残されている。
 夫は、私が言うのもなんだけれど、マメで器用だし、自分のことは一通り出来る(妻がやらなければ夫は自然と出来るようになる!ということもあるか。)から、言葉は悪いかもしれないけれど、いわゆる家政婦としての妻は要らないのではないかと思う。
 けれど、早晩息子も家を出るだろうし、ずっと一人での余生が淋しいことに違いはない。「つまりは茶飲み友達ってことだな~」と夫。確かに働いているうちはいいけれど、リタイアしてからひねもす誰ともお喋りすることもなく一人で暮らしていたら、淋しいだけでなく認知症も出てしまうかもしれない。そんなことになったら大変だ。でも「若い相手とは体力的にも話を合わせるにも大変だからなあ・・・」という。
 逆に、私が病気を抱えない健康体だと仮定して、自分が先に逝ったら、一人で余生を過ごさせるには長すぎるから、いい人がいれば是非再婚してほしいと思っている、とのたまう。
 うーん、50過ぎてからそんないい人が見つかるのかどうか。

 そして、息子。「いきなり新しいお母さんが来るなんて、とても心の整理がつかないから勘弁してよ。お母さんより年上の人が来たらグエッ、オバサンだな、と思うし。年下なんてお父さんが連れてこられる保証もないし・・・。」と言う。これまた至極もっともなことだ。能天気に「いいよ~」などと返事をされたら、草葉の陰から頭をはたかなければなるまい。
 「じゃあ、君が独立してこの家を出てからお父さんが再婚するっていうのはどう?」と訊くと、「それはそれで微妙だよ。自分の家に帰ってきて自分の知らない人がお母さんの代わりに家にいたら、嫌だよな。」と夫が代弁。

 もちろん、私の代わりなど簡単に見つけられると言われれば、ちょっと、いや大分、傷ついてしまう。けれど、息子がもっと小さくて手がかかって(今も十分手がかかるけれど)、夫の仕事が今よりうんと忙しくて、仕事・家事・育児の両立、いや三立させるには“夫、過労死”が容易に想像出来るとなれば、話は違う。
 ワーキングマザーは長いこと悩みながら仕事・家事・育児を成り立たせて頑張っているわけだから、男性も工夫次第でそれが出来ないことはないだろう。けれど、同じことをいきなり同じレベルで、しかも誰のサポートもなしにやってみろ、というのはあまりに酷だ。
 むろんライフステージでそれぞれ状況は違うのだろうけれど、かけがえのない伴侶が亡くなっても、遺された家族は“それでも生きて”ゆかなければならない。
 いつかも書いたけれど、やはり遺された方が辛いのだろう、と思う。その先の生活は普段通りに否応なしに続いていくのだから・・・。

 とにもかくにも明日のことは誰にもわからない。
 人は皆、生老病死。生を受ければ必ず死んでいかなければならない。老衰なのか病気なのか不慮の事故なのか。いずれにせよ最期の時まで細く長くしぶとく、生かされている限り生きなければならない、と改めて思う。

 昨夜、喉が痛くて慌てて葛根湯を飲んだ。今朝も再度ダメ押しをしたら、なんとかセーフだったようだ。
 そしてもう一つ、滑り込みセーフで11月と印刷された喪中欠礼状も投函出来た。この機会を逃すとまた1年間にわたって近況報告が出来なくなる方も多いので、大車輪で一,二行ずつ書き込んでしまった。「普通は書かないんじゃないの?」と夫に言われたけれど。今日明日には届いてくれる筈である。
 
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2013.11.26 細い糸は細いままにしておきたいか

2013-11-26 19:53:29 | 日記
 とても細い糸―言ってみればお互いに努力しなければ容易く切れてしまいそうな細い糸―で結ばれたご縁がある。
 こうしてブログを通じてやりとりをさせて頂く方との繋がりもそうであると思う。
 ハンドルネームだけで実際のお名前もお顔も知らない、けれどコメントを通じたやりとりを続けるうちに一度お会いしてみたいな、という気持ちを丁寧に手繰り寄せると、うまくその糸が繋がることがある。
 実際にお目にかかって一緒の時間を過ごし、お別れする時、「またお目にかかりましょう。」と言うことが出来れば、細かった糸をより太い絆に育てていくことも出来る。
 もちろん、残念ながら一度もお目にかからずに切れてしまう糸もあれば、一度お目にかかってもそれっきり、その後の「また」が続かない、という糸もある。

 病を得るまで、どちらかといえば人付き合いは淡白な方だったと思う。けれど、こうして一期一会の大切さを身を以て知るにつれて、私は俄然欲張りになったようだ。だから、せっかく繋がった細い糸は、出来るものならより太い繋がりにしていきたいと思っている。
 もちろん、必ずしもそう望んでいる方ばかりではないし、実際に会ってみたらお互いに想像していたような方ではなかったからフェイドアウト、ということもままあるだろう。

 こうした闘病記ブログや患者会等をきっかけにお付き合いが始まる方は、同病で、かつ再発治療を続けておられる方が多い。これまでにご縁あってお目にかかり、交流を続けたけれど、残念ながら訃報に接してしまった方も一人や二人ではない。
 健康な友人知人であれば、たとえ年に一度の年賀状のやりとりだけ、というような状況でも“便りがないのは良い知らせ”ということで、あえて必要以上の心配はしない。
 けれど、こと同病の方となれば、1年間の音信不通はかなり大事(おおごと)だ。どうなさっているのだろう、具合が悪いのだろうか、もしや入院でもされているのだろうか・・・と心配し始めれば、なかなか心穏やかではいられない。
 こうして日々の状況をブログにアップしていれば、相手は管理人の生存確認が出来るわけだけれど、管理人としては哀しいかな、相手のことが分からない。
 
 人と関わるということ―特に共通の辛い体験をし、痛みを抱えながら生きている方たちと関わりを持てること―は、前を向いて治療を続けていく上でとても大きな力を頂くことが出来る素晴らしいことだ。けれど、同時に難しいことに違いはない。
 “同病である”というバックグラウンド以外何も知らない同士のこと。うまくお付き合いが続く方が珍しいのかもしれない。そして、一方だけでなく双方の努力が必要だろう。
 いったんリアルな関わりを持ってしまえば、いざ訃報に接した時のダメージがとても大きいのは経験済みだ。だからあまり深いお付き合いはしないでおこう、と思う方がいることも当然のことと頷ける。
 
 一人で思い悩み続けることは辛いし、一人だけでエンドレスの治療に向き合っていくこともしんどいことだ。だから本音を話すことの出来る、似たような経験をしている仲間が欲しい、と魂が叫ぶわけだ。けれど、こと再発治療中の友人を持つということは、いつかは相手を見送るというとても辛い経験をするか、逆に自分が見送られることになるか、二つに一つ、ということでもある。何とも厳しい現実だけれど。
 
 それでもあえて私はせっかく繋がった細い糸を大切にしたい。そして出来れば、生きている限り、そうした糸をより太いものに育てていきたい、と思うのだ。
 もちろん、相手がたとえやんわりとでも“No,Thank you.”とおっしゃるのなら無理強いはしないつもりだけれど。これは独りよがりなことだろうか。

 11月最終週が始まった。休み明けの職場の冷え切っていたこと。朝、出勤して机上の温度計を見ると、14度しかなかった。皆が揃って9時を過ぎる頃にようやく19度。人熱が頼りだ。ジャケットやコートを着込んで仕事をすると肩も凝る。それでも12月までは暖房は入らない。節電体制は例年通り。
 痛みを感じないように体調管理が難しい季節になってきた。
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2013.11.24 念願かなって電動自転車!店員さんと不思議なご縁

2013-11-24 20:41:02 | 日記
 今日は、息子は終日模試。彼を送り出してから夫と2人で、2駅先の大型ショッピングセンターまで数年ぶりに繰り出した。
 この辺りは丘陵地を切り開いた土地だから、何と言ってもアップダウンが激しい。自宅は高台にあるから“行きはよいよい帰りは恐い”よろしく、夫は最後の急な坂を自転車に乗ったままで上がるのは大儀である。私自身は、ここ4年以上、各種薬の副作用からすっかり握力が落ちてブレーキを効かせることが出来ず、骨転移しているため、転倒したら危険ということで、自転車乗りからリタイアしている。頑張って一気に昇り切るのは高校生男子の息子のみである。
 そんなわけで、寄る年波なのかなんなのか、夫が最近「電動自転車欲しいな~」を連発するようになっていた。ずっと待たせていたのだけれど、夫を酷使するのも何だし、ということで思い切って買うことにしたという次第だ。

 サイクルショップで出てきた店員さんは、まだ20代前半と思しきフレッシュマンだ。ネットでいろいろ見ていたこともあり、即決で「これが良い!」と言った夫に店員さんの方がびっくり。私も「とりあえずちょっと乗ってみたら」ということでお店の周りを1周してもらう。
 ふと店員さんの名札を見ると、なんと我が家と同じ苗字ではないか。しかも同じ旧字である。彼は就職するためにこの街にやってきたという23歳だそうだ。訊けば、その昔を辿ると同じ郷里らしく、落ち武者だという夫の祖先と、どこぞの侍だったという彼の祖先とは、もしかしたら遠い親戚かもしれない、とすっかり盛り上がる。
 調子に乗ってツーショットの写真まで撮り、彼に言われるがまま、もろもろの付属品やら保険やらハイハイとお願いしてしまった。ボーナスの査定にプラスになればいいな、などと余計なお世話なことまで思ってしまうお節介おばさんの私である。
 ボディの色は義父、夫、息子と3代続いたご贔屓の球団のシンボルカラーだ。もろもろの付属品やら何やらの手続きと充電を任せ、昼食を摂った後、引き取って夫は自宅まで夢にまで見た新車に乗って、私は再び電車に乗って最寄駅まで戻った。
 帰宅すると「これはもう山登りも出来るほどだよ。」とすっかりご機嫌の夫。模試から帰ってきた息子にも嬉しそうにお披露目していた。

 それにしても、就職まもない23歳の店員さん。郷里を離れて一人暮らしなのか寮生活なのかわからないけれど、ふと息子の5年後を想ってしまう私だ。
 高校の卒業式さえ出られれば、いや、このままうまく行けば成人式も見られるかもしれない・・・と思いつつ、大学に入ることが出来れば出来たで今度は就職が気になり、その先は結婚が気になり・・・と切りがなくなりそうだ。とにかく、息子がきちんと働いて自分で生活してくれますように、と祈ってしまった。

 あっという間に土日が終了してしまった。明日からまた新しい1週間が始まる。来週からは早くも師走だ。本当に毎年のように月日が過ぎるのが恐ろしいほど加速していく。


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