水曜日。お天気が良く暖かくなるという予報。予約した洗濯が終わる時間を見計らって起き、変則で休務日の夫と一緒に干す。
都心より桜が1週間ほど遅いこちらでも一気に桜が花開くだろう。夫はGWに予定している旅行の切符をゲットしに、私が出勤したら間もなく都心のターミナル駅まで出かけるという。
残り2日。大車輪で仕事をこなす。机周りの掃除もシコシコと。引継ぎ相手からのリクエストに応えて前日送った複数の案件について返事がないので、案じて電話したところ、午前中休暇とのこと。お互い限られた時間での調整はなかなか難しい。
そうこうしているうちに、かつての同僚が春色のフラワーアレンジメントを届けてくれる。最初に会ってからもう20年である。お互いまだ若かった。定年延長になり彼らは65歳まで働くことになる。まだ先は長い。
20年、色々ありましたね~としみじみ暫し歓談。「仕事がしたくなったら連絡してください」と言われ、いやいや、それはまだとてもとても・・・と応じる。
お昼は数か月ぶりに同僚2人とのランチ。本当は学内レストランを予約する予定だったのだけれど、先日、この辺りがテレビで紹介されたせいか、学外の人たちも沢山訪れている模様。やけに混んでいて予約が取れなかったという。
まあ、学内でも異動シーズンなのでお別れランチ会の予約が入っていることも事実なのだろうけれど。
ということで駅前レストランまで出向くことになった。定時に職場に戻るとなると往復の時間を引いて正味30分ない中で、注文から食事まで全て終わらせることになる。とても落ち着かないので、午後は強引にお休みを頂く。
午後も仕事の2人を見送り、大荷物を見ながら、これは一旦帰宅して荷物を置いてからヨガクラスに行った方が良いなと思ったところで、はたと気づく。夫が私より後に家を出て、夕方には戻るとのことだったので、鍵を持って出なかったのだ。
頂き物の大荷物を抱え、スタジオのロッカーにはとても入りきらない。フロントで預かってくれるかしら、と迷っていたところに夫からLINEが入る。
夫は切符をゲットした後、上野の桜を愛でに繰り出した写真が送られていた。桜並木では宴会は禁止だけれど、街中では昼から酒盛り状態だったという。その後、飛鳥山にも梯子すると聞いていたけれど、それはやめたようで、あと20分足らずで最寄り駅に到着するという。
それなら荷物をピックアップしてくれるというので、そのままレストランで待つことにした。
夫が到着してお茶をご馳走し、私はランチデザートを追加。夫に頂き物の大きな袋を託して身軽になってからF先生のビューティヨガのクラスに参加した。
一度★二つのF先生のボディメイククラスに参加して、あまりにアクロバティックでハードだったのでとてもついていけなかったのだけれど、★1つのこのクラスはゆったりじっくりで気持ちよく汗をかくことが出来た。
夕方夫がお迎え方々アウトレットモールまで出てきたので、とても久しぶりに一緒に買い物。夫のスタジャンと私のリバーシブルスカートをゲットして帰宅した。
プロ野球シーズンが開幕し、夫はテレビ観戦をしていると大人しいのでゆっくり夕食の支度が出来る。食後はドラマの最終回を視てから最終日に備えて入浴。頭痛のため、ロキソニンを飲んでから就寝。
木曜日。退職辞令交付日。
またしても朝お手洗いで目が覚めてから2時間眠れずにアラームが鳴る。あれこれ考え出すと眠れなくなるのは分かっていても、脳は同じことを繰り返す。困ったものだ。目覚めるとまだ頭が痛い。
曇天だけれど気温は上がるという。夜は雨が降り出すという予報。
食後いつもの薬にロキソニンを足し、夫を送り出してから、スーツに着替える。義母が結婚祝いにくれた真珠のネックレスをつける。
「仕事を続けなさい」という自分自身長く仕事を続けた義母の言葉通り、ちゃんと定年まで働きましたよ、と伝えるつもりで。
出勤し、朝一番でお世話になった方たちへ退職のご挨拶をお送りする。ほどなくして別キャンパスにいる20年来の同僚が挨拶に来てくれる。有難いことである。
最終日だけれど、容赦なく普段通りにメールや郵便物、交換便等の書類が届く。まあ昨日の午後に強引にお休みを頂いたわけだから、これは自業自得。引継ぎ相手からの問い合わせに答えつつ、片付け作業を進める。
退職辞令交付式のため、別棟に向かう。法人の退職者は実際にはもっといた筈だったけれど、実際に出席したのは3人だった。事務局長から辞令を頂き、有難いお言葉を頂戴する。大きな花束を頂き、幹部も含めて写真撮影。撮影の瞬間だけマスクを外すようにとのこと。直前に化粧直しすらしていないことに気づき、トホホであった。午後、早速写真のデータが送付されてきたが、良い記念になった。
職場の同僚など何人かに挨拶を済ませ、引継ぎ相手の上司とも遭遇し、暫しお話が出来て良かった。事務室に戻って再び仕事を続ける。退職当日、もっと優雅に美しく旅立つ予定だったけれど、最後までなんとも落ち着かない。
お昼は駅前までランチに。食事だけ摂って早々に戻る。午後一番で事務室内の異動者、退職者挨拶のセレモニーがあった。いきなり1番目に挨拶を振られて動揺するが、37年の職業人生活のうち26年を大学で過ごし、そのうちの半分はこの事務室にいられたことはとても居心地が良かったから、と御礼のご挨拶をする。
その後も沢山の人達のご挨拶が続き、30分ほどでセレモニーが終了した。別棟の方たちからもご挨拶を受け、頂き物がどんどんと増えていく。
セレモニーの後は、お世話になった先生方のいる別棟まで挨拶回り。全員にはお目にかかれなかったけれど、先日のお礼に心ばかりの品をお渡しすることが出来てほっとした。院生やPDからはまた花束を頂き、恐縮しきり。
再び事務室に戻って皆様にご挨拶かたがたお菓子を配り歩いた後、仕事。ようやく引継ぎ相手からの連絡も終了し、一件落着。明日から頑張ってくれることだろう。
定時になっても事務室は皆なかなか帰る気配がない。私は、明日からは生まれて初めて”毎日が日曜日”の生活が始まるけれど、皆明日から別の職場なり、新しいメンバーで仕事をスタートするわけだから、本当に大変なことだ。
別棟にいるかつての同僚たちがわざわざ挨拶に来てくれることの有難さに感謝し、メールが途絶えたところで、アカウント削除の作業をお願いして、退散。
両手には大きな袋一杯の花束や頂き物の数々。状況をLINEで連絡すると、帰宅途中の夫がピックアップしてくれるというので、門の外で合流する。本当は外食して帰る予定だったけれど、雨が降り出したので一目散で帰宅する。この大荷物を持って雨は大ごとである。
帰宅後は、頂いた花束を花瓶に活け、頂き物を整理するだけで、大仕事。さらには不在票が入っており、お花のようなので無理を承知で再配達をお願いする。かつての同僚から立派なフラワーアレンジメントが届いた。本当に今我が家は花御殿である。これにまつわるエピソードについてはまた明日。
というわけで、母に無事退職した旨Duo通話で報告し、頂いたお花や頂き物をお披露目する。夫曰く、退職でこんなにあれこれもらってくる人は聞いたことがない、とのこと。幸せ者である。
食事はレンチンの冷凍食品も駆使してとりあえず済ませた。
37年の職業人人生はかくしてひとまずピリオド。よくぞ再発治療を続けながら生き延びてこの日を迎えることが叶った。支えてくれた夫を初め、息子、職場の方たち、主治医をはじめとするお世話になっている化学療法室の看護師さんたち、門前薬局の薬剤師さんたち・・・感謝してもし過ぎることはない。
私の我儘かもしれないけれど、仕事は絶対辞めない、そして治療を続けながらとにかく生きていくという選択を支えてくれた全ての方たちに感謝である。
明日はエイプリルフール、卯月スタートである。明日からは治療後、体調が悪い中這ってでも出かけなければいけない場所はなくなる。けれど、そのことで老け込んでしまっては、これから治療を続けていく上であまりよろしくないだろう。引き籠らずにほどほどに社会との接点を持ちながら、細く長くしぶとく生きていきたいと思う弥生晦日の夜である。