教え子達に招待されて、JDリーグの公式戦を観戦しに行って来ました。
一般のチケット購入エリアでは無く、チーム関係者の受付へ行くと無料のパスとユニフォームまで用意されていましたよ。
これ着て応援しろって事ね。
けど、これ着てるの見られたら、トヨタの鎌田、織機の江渡、日立の高瀬あたりが怒りそう(笑)
試合開始1時間前には、スタジアムは既に観客でいっぱい。
昨年までと大幅にメンバーが変わった戸田メディックスに、みんなが期待しているのが伝わって来ます。
特に日立から移籍して来た鮎美の加入で、一気に打線が厚くなり、みんなが良い刺激を受けていますねぇ。
武もこの日は大活躍。
眼の前でホームランも打ってくれました。
この武と鮎美の1,2番コンビってどうよ。
破壊力しか無いよね(笑)
この日は鮎美、武富、深沢の活躍もあって、取りも取ったり16点。
試合が終わると、3人がすぐに駆け寄って来ました。
武なんかヒットを打った時に、塁上から手を振ってましたよ。
怒られても知らんぞ(笑)
そして試合後にはみんなで記念写真。
今年の戸田は台風の目になりそうですね。
他のチームも戦々恐々としているんじゃないかしら?
そうそう、今年から新加入のアリッサともお話しして来ました。
身長も高く、マウンドでは大きく見えるアリッサですが。
話すと、他人に気遣いの出来るとっても可愛らしい女の子です。
今年の戸田のエースとして、活躍する事を願っていますよ。
猛威を振るう新型コロナにより、職を失う又は失うであろう人数は今月までに5万人を超えると言う予測が出ています。
物凄い人数が職を失う事になるんですよね。
ただ、これだけ不景気だと経営者側としても止むを得ずと言う所があるかも知れません。
何しろ世界中がコロナの影響で経済が回らなくなっています。
どこの企業も商店も、余剰人員を雇っておく余力はありません。
ですが。
ちょっと待って下さい。
時給で働いている人達を解雇したり、勤務時間を減らす事は必ずしも経費削減になっていないどころか、逆に経費が増えている事に気付いていますか?
もしもこのブログを見ている経営者の方、またはそんな経営者に解雇された、もしくはシフトを減らされた方がいらっしゃいましたら、以下のシミュレーションをご覧下さい。
社員の人件費を減らして、経費の削減を行う為には一定の条件があります。
それは時間に関係なく、支払う給料が固定の場合に限られます。
対して、逆に経費の削減どころか経費が増えてしまうケースが存在します。
それは時給で働く従業員で構成された、決められた数の工程をこなして行く場合です。
仮にお客様が来ても来なくても時給が発生するような場合は、そのシフトを減らす事によって人件費の削減にはなります。
ですが、一定の工程を時給で雇われた従業員が製造して行く場合には、逆に経費が増大して行きます。
その理屈を解り易く説明して行きましょう。
仮にケーキを販売する商店で店番をする従業員が4人居たとします。
お店の開店時間は12時間であり、各々の時給は計算し易い1000円としましょう。
その場合は12時間×4人×1000円で、毎日48000円の人件費が発生する事になります。
これを3人で店番させると、1日に発生する人件費は36000円となり毎日12000円の経費削減に繋がります。
ですが、これを製造工程に置き換えてみましょう。
ケーキを作るこのお店では、以下の作業が必要だったとします。
解かり易く、各々の工程を全て4時間で固定します。
材料の準備作業4時間。
ケーキ製造時間4時間。
ケーキ梱包品出4時間。
ここも同じく合計時間は12時間です。
これを4人で作業したとしたら、一人が受け持つ時間は3時間で済みます。
つまり12時間÷4人で一人が3時間働けば全ての製造工程が終了します。
この時、かかる光熱費を100として、従業員の消耗体力も100としましょう。
製造にかかった人員は4人。
かかった時間は12時間。
実際の労働時間は3時間。
使用した光熱費は100。
従業員の労力は100となります。
ですが、これを何も考えない経営者が経費削減を謳い文句に、従業員の数を4人から3人に減らしたとします。
すると、上で示した時間が以下のように変化します。
製造にかかった人員は3人。
かかった時間は12時間。
実際の労働時間は4時間。
使用した光熱費は133。
従業員の労力は133となります。
ご理解頂けますか?
人員削減により、一番見込んでいた人件費の削減は全く変化が無く、逆に作業時間が増える事により光熱費と従業員の負担だけが増加する事になります。
もしも、皆さんが努めている職場で、上記のような決定が下されようとしているなら、このブログを紹介してもう一度しっかり計算するように上司に申し出て下さい。
御必要であれば、これを図解した表も用意してあります。
お申し付け頂ければ、いくらでも提供させて頂きます。
ご希望の方は、コメント欄に資料希望、公開不要を明記の上、送り先を書き込んで下さい。
みんな、コロナなんかに負けないで。
今の世の中、新型コロナの蔓延で大変な事になっています。
勿論罹患された方々には心より御回復を願うばかりですし、付近で発症があった方々には細心のご注意をお願いするばかりです。
命の危険を伴う流行性疾患の登場と共に、経済活動も回らなくなりつつあります。
みんな大変な状態に追い込まれていて、一朝一夕には解決できない問題ばかりでしょう。
ですが、こんな八方塞に追い込まれた時って、人は本性を現します。
こんな世の中になったのはコロナのせいだと叫ぶ人々。
政府の対応が悪いと現政権を批判する人々。
役所に詰め寄りPCR検査を受けさせろと無理強いする人々。
それだけではありません。
僕の周辺では仕事を失った人々。
仕事は維持出来ているものの、給料が下がった人々。
そして助けを求めて来る人々が大勢います。
皆さんの状況はとてもよく解かります。
自分ではどうにもならない状況に追い込まれているのでしょう。
誰でも良いから救いの手を差し伸べて欲しい気持ちも理解できます。
でも、こんな時に〇〇が悪いと叫んで事態は解決しますか?
本当に今出来る事を全てやってみましたか?
こんなご時世に、今までの安泰だった生活をそのまま維持しようと考えていませんか?
僕はそんな考え方が大嫌いです。
平成塾では、子供達に現状に満足する事無く、常に努力する事を教えて来ました。
それは野球、勉強、私生活に関係なくです。
けれども努力を怠る事なんて簡単なんです。
今日は疲れたから。
明日も忙しいから。
そして、もっとも嫌いだった言葉が、時代が違うから。
子供も大人も努力するのに時代なんて関係ねーよ。
今自分が出来る事をやってみろよ。
まずは環境や他人を責める前に、やらなけりゃならない事が沢山あるじゃねーか。
大した仕事もしてないのに、今まで普通に給料が出ていた事の方が不思議なんだよ。
今、自分を顧みなかった多くの人々が、本当の自分を見直す時に来ていますね。
これから高校受験を行う卒部生とお母様に、今日は勉強に関するアドバイス。
勉強と言うのは野球で言う練習と同じです。
そしてテストは試合と同じ。
つまり試合で勝つ為には漠然と練習していても、決して良い結果を得る事が出来ません。
よく聞く話しで、この前のテストは75点を取ったから、次は80点を目指しましょうと言うお母さまがいらっしゃいますが、これは勉強のさせ方を根本的に間違えています。
もしも成績を伸ばしたい、または受験で成功させたかったら、取った点数では無くて落とした点数に注目して下さい。
例えば数学で70点を取って来たとしましょう。
そこでは30点を落としているのです。
何の問題で30点を落としたのか、それを表にして記録して行きます。
例えば図形の証明問題で25点、単なる方程式の計算ミスで5点と記入して行きます。
勿論全ての科目を記録する必要は無く、受験に必要な主要5科目だけで良いでしょう。
これを行う事により、不得意な問題が浮き彫りになって行きます。
後はそれを徹底的に復習して、苦手な問題を潰して行くんです。
このマイナス点数が1回の中間テストや期末テストで何点以下に抑えるなんて目標や、ご褒美、ペナルティが有ってもモチベーションアップに繋がるかも知れません。
また、テストを受ける機会は多ければ多いほど、自分が苦手とする問題がより一層はっきりします。
こうする事により日々の目標がはっきりしますので、漠然と長い時間を勉強するより、遥かに効率的で成果の上がる学習になると思います。
中学校3年生になってから、受ける高校が無いと慌てる前に、自分の弱点を無くしておきましょうね。
塾生達が卒部しても、そのご父兄より色々とお話しを聞かされます。
意外と同じ事を言うご父兄が多いので、今日はそのご意見に回答してみたいと思います。
中学1年生のご父兄より
うちの子は中学に入ってから花開いたみたい。
家ではほとんど勉強していないのに、学校での成績はわりと上位にいるんです。
回答: それはですね、あなたのお子さんが稀に見る天才児か、周囲の子供の頭が悪いかのどちらかです。
中学2年生のご父兄より
うちの子は毎日塾に行かせているのに、ちっとも成績が伸びないんです。
回答: それはですね、ダイエットマシンを買ったのにちっとも痩せないのと同じです。
中学3年生のご父兄より
もう行ける高校が無いんです。
回答: それはですね、高校に行く事を目標にしていたからです。
意外と多いこの相談。
参考になりましたでしょうか。
平成塾を運営していて一番辛かった出来事と言えば、あるコーチの裏切りでしょう。
僕はこのコーチを最も信頼していましたし、事あるごとに相談も持ち掛けていました。
時には笑い、時には涙しながら子供達の現状を話し合い、ともかく子供達の為になる事をやれるよう頑張ろうと、お互いが誓っていたものだと信じていたのです。
ですが、ある飲んだ席で、このコーチが平成塾に参加しているのは全く別な目的があると告げられます。
これを聞かされた時はハンマーで脳天を叩かれたような気分で、一緒に乗った帰りのタクシーの中で一言も発せられなかった事を覚えています。
もともとこのコーチはTPOを弁えないで、あまりにも軽率な言動を繰り返す所はありました。
それはこの発言を聞かされる数年前の出来事ですが、ある別なコーチが不祥事を起こしたのでコーチを辞めたいと電話で申告をして来た事があったのです。
たまたま僕はその日は忙しくて、その電話での会話継続が難しく後ほど改めて話そうと言う事になったのですが、その電話をかけて来たコーチが次に電話をしたのが当該コーチでした。
不祥事を起こしたと主張するコーチの口調、更にはエコーが響く通話音。
まともに考えれば、電話はオープンボイスになっており、後ろで誰かが聞いているのはすぐに判ります。
にも関わらず、当該コーチはある事無い事話し始めました。
このコーチを慰めようと思ったのか、そんな不祥事は自分もやった、それだけじゃ無くて他にもあいつもやったし、こいつもやったしと本人の思い込みをあたかも事実のように伝えてしまいました。
これこそ飲んだ席で言うなら冗談で済んだかも知れません。
ですが午前中の電話で現役のコーチが発言した内容は非常に重く、この話しはその日の内にお母さんネットワークを通じて近隣の団体に伝わりました。
何と言う思慮の浅さ、何と言う愚かさ、この噂を他の団体から聞かされた自分は、呆れかえって物が言えませんでした。
更に当該コーチ本当は参加できる練習にも顔を出さなくなって来ます。
その日は当該コーチが自分の野球がある事は知っていました。
ただそれは午後1時からの試合で、こちらを11時に出れば集合時間は充分に間に合うタイミングだったのです。
平成塾は8時から足立東校で練習が行われており、指導者がほとんど休みであった事も知っていた筈でしたが、このコーチがグラウンドに現れる事はありませんでした。
そんな時の先の発言です。
そのショックは筆舌に表し難いほどのショックを受けました。
子供の為の団体と言う自負があったからこそ、学校や協議会を敵に回してでも子供の為と戦って来たんです。
本当に子供達の為に出来る事をやろうと思ったからこそ、大人の都合で平成塾を利用しようとする団体を排除して来たのです。
ところが、どうでしょう。
実際にはそんな事を微塵も考えていない人がコーチとして在籍していたと言うのは、まさしく裏切り行為以外の何物でもありませんでした。
翌日、その日は平成塾の納会前の親子大会の日であり、グラウンドで僕はそのコーチに昨夜の発言の真意を問いました。
するとそのコーチは、飲んだ席の発言なんかどうでもいいだろと会話を一方的に終わらせたのです。
もしここで、昨夜何かまずい事でも言いましたか?などと発言があれば、まだ救いようがあったでしょう。
ですが、このコーチは明らかに自分の発言を覚えていました。
故談志師匠の言葉で、酒がその人を変えるんじゃない、酒がその人の本性を暴くんだと言う有名なセリフがありますが、まさにこの件はそれが当てはまるでしょう。
とは言え、最も信頼していたコーチです。
発言が軽率で、最近はまじめに練習に出てこない事はあっても、長い時間苦楽を共にした仲間です。
どうしようか本当に悩みました。
ですが、足立ポップスは途中から自浄作用を失ってチームが暴走を始めました。
その結果として多くの子供達が泣く思いをしたのです。
泣いて馬謖を切るの例え通り、このコーチの本音を知ってしまった以上は、ここに置いておく事は出来ませんでした。
これが僕にとってどれだけ辛い出来事であったかは、当該コーチも他のコーチも知る由は無いでしょう。
平成塾が所属していた開かれた学校作り協議会。
足立区の全小学校がこのシステムを導入していましたが、この時の辰沼小学校では協議会その物がおかしな方向に進んでいました。
開かれた学校作り協議会は毎月各学校内で会合が行われるのですが、丸西校長、原口副校長の時代には本当に子供達の為に何をするべきかが話し合われていたんです。
参加していたメンバーも、学校における問題や課題をどんどん指摘し、それらをどのように修正して行くべきなのか、誰が音頭をとって行うのかを真剣に話し合っていました。
ですが校長副校長が同時に替わってからは、何か活動が見え辛いおかしな組織に変わって行ったのです。
ある協議会開催日、僕が指定された教室に入ると、そこには今まで見た事が無いような人数がひしめき合っていました。
それまでは協議会に参加する先生達を含めても20人程度の会合だったのですが、その日は見た事も無いお爺さんお婆さんだけでも40人近くの人数が居るのです。
教室に入り切れない程の人数で始まった協議会。
いきなり人数が増えた理由はすぐに判りました。
この日はいつもと違って、足立区の教育委員会からゲストが一人参加していたのです。
足立区の中でも開かれた学校作り協議会で大いなる実績を残している辰沼小学校、今日はその内容を見学に来ましたと挨拶を受けます。
奇しくもこの日は開かれた学校作り協議会が、辰沼小学校の学校評価を発表する日でした。
何もかも今までと違う協議会に、入室当初から違和感を覚えていた僕は、いきなり人数が大幅に増えた理由を隣の席の人に聞きます。
すると、驚くべき回答を得ました。
新しく参加している人達は、全員がある宗教関係者だったのです。
開かれた学校作り協議会として地域の住民の協力する人数を増やしたい学校側と、よく解からない宗教ポイント?つまり地域への貢献を報告したい宗教関係者達との利害関係が一致した結果なのでしょう。
それまで見た事も無いお爺さんお婆さん達が、自分達はこの学校にどんな事でも協力を惜しまないと言うアピールを始めました。
そして配られた冊子を見て僕は腰を抜かします。
そこには学校評価と書かれたA4で30ページほどの冊子が全員に配られました。
この評価をしたのは、開かれた学校作り協議会となっています。
前にも書きましたが、僕はこの協議会で土曜事業部長という役職を仰せつかっておりました。
他にも平成塾には協議会の副会長も存在します。
こんな資料が作られていた事自体二人とも知りませんでしたし、ましてや当時の会長がパソコンを操作出来る技量はありませんでした。
けれども、この資料は明らかにパソコンで作られたものであり、提出元は辰沼小学校開かれた学校作り協議会となっているのです。
実際の開かれた学校作り協議会の幹部が全く知らない内に作成された資料は、副校長がどうだと言わんばかりに読み上げて行きます。
前半は学年ごとの人数や、父兄達の職業分布、更には年間の学校行事の報告が記載されていました。
そして14ページだったと記憶していますが、子供達の学習に関する意欲の記載があります。
そこには辰沼小学校の先生と勉強する事で、だんだん勉強が楽しくなって来た。
今まで解からなかった勉強が、解かるようになって来たと記載されています。
しかも、分からない勉強があると、先生が放課後に個別指導をしてくれると、あたかも今でもこれが継続されているように書かれていましたが、これは原口副校長が学習に付いて行けない子供達を残して、自ら勉強を教えていたものでした。
少なくとも現校長と副校長になってからは、一度もそんな事が行われていない事を知っています。
そして辰沼小学校が誇る土曜事業、わくわくパワーと平成塾の活動が読み上げられました。
こ2つの団体の何が凄いのかと言うと、他の小学校の土曜事業では書道教室や茶道教室、英語教室などが開催されていましたが、集まる人数はせいぜい10人程度なのです。
ところが平成塾だけでも参加人数は50人、わくわくパワーに至っては200人を超える人数が参加しています。
これは勿論現校長副校長の成果ではありませんが、それを教育委員会の前で発表したのは現校長と副校長なのです。
平成塾に関しては素晴らしい団体であって、野球を通じて子供達が礼儀作法と言葉遣いを習っていると発表されました。
これには教育委員会から来られたゲストが拍手をしただけでなく、もっと皆で手伝おうじゃないかと言う流れになります。
これに喰い付いたのが先の宗教関係者達でした。
自分達の団体には野球経験者も沢山いるので、議員先生にお願いしてコーチを沢山派遣しますと言われます。
この発言に校長副校長は大喜び。
これぞ地域一体となった開かれた学校作り協議会の目指す姿ですよねと、猛烈に教育委員会にアピールをします。
そして時間も押し迫った頃、最後から2ページ目の28ページが読み上げられました。
そこには統一学力テストで辰沼小学校は足立区のワースト3位だったと記されています。
するとどうでしょう。
教育委員会も学校関係者も、協議会メンバー全員が次回はもっと頑張ろうで終わろうとしたのです。
これが公務員の論理だと言う事を目の前に叩き付けられました。
敢えて話し合いにしたく無い内容を最後に持ってきたこの手法。
敢えて肝心な内容をわざわざ離して記載するこの手法。
これが民間企業であれば、14ページに記載された内容と28ページに記載された内容に大きな矛盾がある事が読み取れる筈です。
つまり、この小学校では先生の言う事を聞いて勉強しても、決して学力が伸びないと書いてあるじゃないですか。
どうしてこれが問題にならないのでしょう。
この資料は誰が作成して、誰が承認したのでしょう。
どうしてこんなに宗教関係者が一気に増えたのでしょう。
平成塾はあれほど校長副校長と対立しているのに、どうして資料の中ではこれほど賛美されるのでしょう。
ここでも子供達の為の団体が大人に利用されようとしています。
そして、この判断を遅らせると、平成塾は宗教団体に取り込まれる可能性がありました。
この協議会終了と同時に、校長に平成塾は協議会を離脱する事を伝えます。
平成塾が開かれた学校作り協議会を脱退して、地域の独立団体として活動する決断に至った経緯を書いてみたいと思います。
ここで誤解の無いように書いておきますが、僕は公務員全般を駄目だと言っている訳ではありません。
直前の仕事では外務省の海外ネットワークや暗号化装置の設置、更には総務省のデータバックアップを担当した自分は、頭脳明晰で素晴らしい公務員が沢山いる事を知っています。
加えて、当時の辰沼小学校にも素晴らしい先生が沢山おりました。
子供達に真摯に向き合う関川先生、子供達の兄貴分として活躍する宮尾先生、平衡感覚に優れて子供達の支えとなっていた橋本先生、他にも教育には欠かせない先生達が多く在籍していたんです。
けれどもそれらを意に介さず、子供と向き合う事もしないで公務員の論理を押し付ける先生がいたのも事実です。
では、公務員の論理とは何でしょう?
簡単に言ってしまえば、文書として記録に残る物が公務員の成果の全てです。
簡単に説明させて頂ければ、先に報告した学級崩壊。
先生は時間通りに教室に入り、授業を開始しています。
教壇で教科書を読み、時間割通りに最後まで授業を行いました。
ですが、子供達は先生の授業に耳を傾ける事はおろか、教室内では机の上にゲーム機を出し、挙句には教室を出て遊び歩く子供すらおります。
この報告の前半部分を報告書に上げるのが公務員の論理。
そして後半部分を問題にするのが民間の論理なのです。
公務員の論理では、遊んでいる子供達に先生が気付かなかったのですから、報告書に記載する術がありません。
また、報告書に記載が無いのですから実績として記録が残らず、この小学校では学級崩壊の事実などは無かったものとして処理されます。
つまり、いじめだろうが、学級崩壊だろうが、先生が気付かなかったと言えば、無かった事になってしまうのが公務員の論理なのです。
公務員の世界は減点方式です。
出来て当たり前。
就任当時は全員が100点満点を持って仕事を開始します。
ですが、時間が経つに連れ、免許証の点数同様に違反をすれば減点されて持ち点が減って行きます。
免許証と異なるのは、一定期間で持ち点が復活する事が無いんですね。
なので、実際の問題や課題は気が付かない方が有利なのです。
前例に従い、何も気が付かなければ、少なくとも自分の所では問題は起きません。
これを踏まえると、前任の丸西校長、原口副校長がどれだけ尖がった先生だったかはご理解頂けると思います。
また、現状の学校運営に文句を付ける平成塾、この団体がどれだけ邪魔だった事でしょう。
恐らく当時の辰沼小学校の校長副校長は、平成塾をすぐにでも消し去りたい気分だったでしょう。
ですが、そこは公務員の悲しい論理。
前任者が平成塾の存在と実績を報告している以上、平成塾が無くなる事自体が現任の校長副校長の汚点となるのです。
活動してくれる団体と人数は多ければ多いほど報告書に書く内容は増えて、自分達の評価は上がって行きます。
反面、実際の活動は無ければ無いほど良いのです。
実際の活動が無ければ、少なくとも問題や事故は起きませんから。
これが子供達に向き合う、当時の辰沼小学校の実態でした。
平成塾の歴史の中で、平成塾側から辞めさせた塾生が一人だけ存在します。
しかし、その事によって世間で言うところのモンスターペアレントと言うものを、じっくりと味わう機会を頂きました。
卒部生や元塾生のご父兄はご存知かと思いますが、平成塾では無断欠席を2回続ける、もしくは合計で3回無断欠席を行うと辞めて頂くと言うルールが存在しました。
実はこのルールはある事件が原因で作られたルールなのです。
ある練習日、平成塾に行くと家を出たままグラウンドに姿を現さない塾生がおりました。
これはその塾生を迎えに行った他の塾生からの報告で、〇〇くんは先に行ったよと言われたんですけどと聞かされます。
この報告を受けて最初に心配したのが事故、そして次に心配したのが誘拐でした。
その場にいたコーチのほとんどがグラウンドを出てその塾生の捜索にあたり、残った自分はグラウンドにいる塾生を見ながら消防に電話して、救急車で運ばれた小学生はいないか確認作業をしていました。
約1時間後、その塾生は他の子供と公園で遊んでいた所を、コーチとして参加していた先生に発見されてグラウンドに連れて来られます。
その塾生のお兄さんは足立ポップスに居た事もあり、その塾生の家庭環境やお母さまもよく存じ上げておりました。
子は親の鏡とはよく言ったもので、あの親在りてこの子在りという感じなのですが、この一件で平成塾に厳格なルールが出来上がったのです。
そしてそのルールは、まず塾生全員に口頭で伝え、次に父兄宛に手紙を持たせました。
更にブログで発表すると言う3段階を経て全塾生とご父兄に通達したのです。
ところが、ある塾生がこのルールを無視して無断欠席を行います。
それも2回続けてを含む3回目の無断欠席でした。
その塾生はルールに従い退塾となります。
残念ですが、ルールを守れない者を置いておく事はできません。
これが後にも先にも平成塾から退塾にしたたった一人の塾生です。
そしてしばらく経過した在る平日の事です。
仕事で外出していた僕の携帯が鳴りました。
出るとコーチとして参加していた先生からです。
塾長、忙しいところ申し訳ありませんが、〇〇くんの家に電話して頂けませんか。
その〇〇くんとは、先日平成塾を辞めさせた男の子です。
内容を聞くと平成塾を辞めさせられた事に納得が行かない母親が学校に電話をして来て、いくら事情を説明しても理解して貰えない。
塾長から電話させろとしつこいんですと言う事でした。
ちょうど昼ご飯を食べ終えた直後でもあり、次の仕事までは少しだけ時間があったので伺った電話番号に電話をしてみます。
すると、それは話しを聞きたいと言う態度では無く、まずは一方的に退塾を取り消せと言うものでした。
電話が繋がってから最初の15分間は、一方的にこの母親がまくし立てます。
それはヒステリックに怒鳴るだけで、何が問題だったのかでは無く、ただ単に自分が気に喰わないと言う内容でした。
勿論そこに日頃はお世話になっています等の殊勝な言葉はひとつも出て来ません。
まずは言いたいだけ言わせて、ぼくはゆっくりと経緯を話し始めました。
まずこのルールが出来た背景を話すと、自分の子供には関係ない、自分の子供が遊んでいた訳では無いというものでした。
次に全員にこのルールを伝えた事を話すと、自分の子供は大人の話しをきちんと理解できない、だから知らなくて当然だと言って来ます。
次に手紙を持たせましたが読みましたか?と尋ねると、そんな手紙があった事すら知らない、自分の子供は学校から貰った手紙ですら家では出さないと言う事です。
最後にブログは見ましたかと聞くと、そんなものは見ている暇が無い、だから私は悪くないと言う理屈です。
そして、それだけではありません。
自分の息子が無断欠席をしたなら、次に休むと退塾になるよと何故電話で知らせてくれなかった。
自分の息子に野球をやらせたいなら、我が家に毎回子供を迎えに来るべきだろうと怒鳴ります。
なるほど、これがモンスターペアレントかと納得しました。
ボランティアで子供達に野球を教えている自分が、なんであなたの家に電話しなくちゃいけないのか、他に50人も塾生がいるのに全員の送迎をしろと言うのかと聞いてみますが、他の家は知らない、自分の家だけで良いと言い放ちます。
この押し問答は1時間半にも及び、携帯の電池が残り少なくなってしまいました。
最後はどうしても平成塾に戻りたいなら、今度はルールを守ると約束した上で来年の再募集に改めて応募するようにと通達して電話を終わりましたが。
これを大学から社会人になったばかりの先生がやられたら、確かにノイローゼになるかも知れませんね。
モンスターペアレント、もう二度と関りを持ちたくありません。
新しい校長と副校長に不信感を抱いた平成塾。
そんな中であの事件は起こりました。
これは過去にもご紹介した事がある事件ですが、今回は別角度から包み隠さずお話ししたいと思います。
ある年、6年生が平成塾に入って来ました。
どことなく覇気の無い男の子、その子は家庭の事情から小学校入学と同時に引きこもりになり、友達と遊ぶ事はおろか学校にも満足に通えていませんでした。
実はこの子には2人のお兄さんがいます。
その2人は足立ポップスに在籍していた事があり、平成塾を僕が運営している事を知ったその子のお父さんが連れて来たものです。
長いこと引きこもっていたお陰で、表で友達と遊んだ事もないこの子は、野球どころかボールで遊んだ事も無いようでした。
当時の平成塾は子供達がだんだん野球が上手くなって来た時期でもあり、6年生は勿論低学年の子供達でもキャッチボール程度は普通に出来るようになっています。
そんな中で全くボールが捕れない6年生。
何より本人がとても恥ずかしかった事でしょう。
すぐに辞めちゃうかな?
それを心配していましたが、きっとお父さんにも励まされ続けたのでしょう。
彼は毎回遅刻する事無く平成塾に通って来ました。
当時の平成塾は土曜日の午前9時から練習が行われていたのですが、僕はその子に次の土曜日は6時にグラウンドに来るように促します。
みんなとキャッチボールが出来る程度まで個人レッスンをするつもりでした。
ただ6時と言えば早朝です。
小学生には早すぎるかな?と少し心配していましたが、翌土曜日その子は時間に遅れることなくグラウンドにやって来ました。
よしやろうと思ったその時です。
他の塾生が一人来て、また一人来て、いつの間にか塾生全員がグラウンドに集まってしまいました。
これには僕が慌てます。
待て待て、平成塾の練習は9時からだよ。
開始まではあと3時間くらいあるよと言ったその時です。
塾長、僕らは友達の応援に来たんです。
球拾いをさせて下さい。
なんと言う事でしょう。
その子が特別練習をすると噂で聞いた塾生達全員が、この子を応援する為に自発的に集まって来たのです。
事実その子とキャッチボールを始めると、全員が彼を応援してボール拾いをしてくれました。
これにはその子も僕も泣きながらキャッチボールをしましたよ。
その子はそれから学校を休まなくなり、後日学校が終わってから野球道具を持って友達の家を訪ねたそうです。
ところが数日後、コーチとして参加していた学校の先生が、飲んだ席でこれを美談として副校長に話します。
すると副校長は翌日すぐに大問題としてこれを校長に報告しました。
そして学校側の言い分はこうです。
本来貸していない時間に平成塾は練習を行った。
早朝練習に対して近所からクレームが沢山入った。
ルールを守れない平成塾は解散させると言うものです。
副校長に話してしまった先生からは何度も何度も謝罪がありました。
この時、平成塾は校長副校長のやり方に異を唱えていた真っ最中です。
校長副校長からすれば、平成塾を叩く絶好の材料だった事でしょう。
僕はこの子も含め、何人もの子供達を救えた事だし、辞めろと言うなら辞めても良いかなと思っていました。
ですが、これを聞いて真っ先に動いた人達がいます。
それは塾生のお母さん達でした。
お母さん達は何人かで手分けして、学校周辺の全部の家を回って聞き込み調査をしてくれたのです。
結果、どこの家からもクレームなど出していない事を突き止め、その報告を学校側に提出します。
ところがこの報告でメンツを潰された校長副校長は、勝手に近所中を回ったと逆切れし、そんな父兄が集まる団体は即刻解散すべしと強硬手段に出ようとしました。
万事休すかな。
そう思った時に伏兵が動きます。
それは当時の主将だった矢田くんを始めとした6年生達です。
矢田くんや小原くん、舟越くんなどのメンバーが校長室を訪ねて直談判をし、自衛隊と呼ばれた竹内くんが下級生にアンケートを取って全員の意見をまとめます。
更に彼らは、これでも解散させるなら教育委員会に相談するとまで言ったようです。
これだけの資料を作られて、教育委員会の名前を出されたら、公務員然とした校長副校長も引かざるを得なかったでしょう。
無事に平成塾は続けられる事となりました。
しかし、この子供達の行動は僕の差し金に違いないと思い込んでいた校長副校長。
それは全くの誤解です。
子供達は公務員然とした教員の態度に、もう辟易としていたんですよ。
足立区の小学校には開かれた学校づくり協議会と言う物が存在します。
これは元々は公務員の常識は非常識という観点から、足立区長に就任した近藤やよい区長の希望で設置されたものです。
この時、既に公務員化された教育委員会と先生達だけでは、地域住民や児童、更にはその父兄達との感覚の乖離が激しく、このままでは駄目だと言う事から始まったこの制度。
多くの地域住民を学校の運営に混ぜる事で、健全で世間の常識に沿った学校運営を果たそうと言う試みです。
平成塾は創立当初、この開かれた学校づくり協議会の一員として組み込まれました。
これは丸西校長、原口副校長の配慮によるもので、平成塾の発言を学校内に取り込み易くしてくれたものです。
しかも平成塾のコーチからは協議会の副会長が選出された他、僕自身も土曜事業のトップと言う立場に招聘されました。
土曜事業とは、辰沼小学校で開催される全ての団体の活動やイベントを決定するものであり、当時は学習教室や花などの植物を植えるボランティア団体が参加していました。
同じソフトでも、使う人が変わるとこれほどまでに向かう方向が変わるかと言うのが、この開かれた学校づくり協議会に代表されたように思います。
丸西校長、原口副校長の時代には、みんな真剣に学校の事を協議していたように思います。
そこには学級崩壊もいじめ問題も包み隠さず公開され、全員がその原因と対処方法を意見交換しておりました、
時として会議の席でぶつかり合う事もありましたが、それらは全て子供達の為にと言うベクトルが働いていたと思います。
ところがどうでしょう。
校長と副校長が変わった途端に、この小学校では全ての問題が無くなります。
そして、この協議会には毎回足立区の教育委員会のメンバーが加えられる事となりました。
いつしか、この協議会は子供達の為の環境に関する話し合いでは無く、校長副校長がどれだけ頑張っていて、こんなに素晴らしい組織を作っているんだと言う教育員会へのアピールの場になって行ったのです。
そんな時に事件は起こりました。
毎週開催されていた学習教室の資金が使い込まれたのです。
これは学習教室での成果を試す意味で、子供達がテストを受ける為の積み立て資金でした。
本来であれば、これは協議会の中で発表され、対策を講じるべき問題です。
ですが、この校長と副校長はこれを隠蔽しようと試みます。
当時の協議会の会長と校長、副校長の3人で話し合った結果、使い込んだ本人に返済の約束をさせ、使い込みの事実は無かった事にしようとしたのです。
ですが、使い込まれたのは大勢の子供達の受験費用です。
予定していたテストを子供達が受けられなくなった事により、この事実はすぐに関係者全員が知る事となりました。
これに物を申したのが平成塾です。
まず最初に、なぜ一人に大金を預からせていたのか。
次に、なぜすぐに関係者に事実を報告しなかったのか。
実際、協議会の副会長にすら公式な連絡は無く、土曜事業長の僕にですら報告があったのは事件発覚から1か月も経過してからです。
しかも関係者には報告が無いのに、なぜか元のPTA会長には報告が届いており、協議会の会長、校長、副校長、元のPTA会長で隠蔽しようとした構図が見え隠れします。
この事は以前のブログですっぱ抜きました。
何しろ放っておけば、このまま無かった事になりそうだったからです。
これに激怒した当時の協議会の会長、なぜか元PTA会長と平成塾は対立します。
多くの父兄が見守る中で話し合いが持たれましたが、理路整然と問題を指摘する平成塾に対し、感情論で対抗する協議会の会長と元PTA会長。
最後は今回の行動の問題点をことごとく指摘され、協議会会長と元PTA会長が興奮して全ての書類を破り捨てて、話し合いの会場から出て行く結末となりました。
この後、校長と副校長はこの事実を教育委員会に届かないようにするだけの行動に移ります。
いきなり先制パンチを貰った平成塾。
それは、今後の活動は公務員のルールに従って下さいと言う意味でした。
民間と公務員には色々な違いがありますが、公務員の常識は非常識と呼ばれるほど世間の感覚とは乖離しているものが多々あります。
その内のひとつが、知らない事は仕方が無い。
国会議員や官公庁のお役人の答弁でも、私は知りませんでした、存じ上げませんと言う発言をよく耳にしますが、これぞ公務員の常識が世間と乖離している最たるものでしょう。
知らないで済まされるのが公務員。
知らなかったでクビになるのが民間企業です。
仮に学校内で児童がいじめに遭って大怪我をしたとします。
そもそもいじめが有った事実を知らなかったで済むのが公務員の先生達。
ところが私立の先生達はそうはいきません。
ここまで大きな事件があるのに、知らなかったでは済まされません。
当然、監督不行き届きで罰せられます。
また憲法14条にある「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」、これを教育基本法に焼き直したのが第3条「すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」
更にこれを日教組が解釈すると「全ての児童は同じ」という拡大解釈に繋がり、十把一絡げの構図が作り出されます。
丸西校長と原口教頭(当時副校長)の素晴らしかったところは、まさにそんな日教組の解釈を無視して、子供達一人一人と向き合った事です。
これにより先生に不信感を覚えていた子供達が、みんな学校に来る希望を湧かせたんですね。
ところが新任の校長と副校長は、辰沼小学校が荒れる前の状態に戻るような運営を始めました。
子供達の名前も覚えようとせず、全員を団体の中の一人として扱い始めたのです。
平成塾は当時、開かれた学校作り協議会の1組織と言う立場におりました。
これは学校の運営や先生、子供達の挙動に対して、いつでも意見を出せる立場にと丸西校長が配慮してくれたものです。
その為に学校への出入りは勿論、子供達の授業風景は参観日で無くとも入室が許されていました。
ところが新校長と副校長は、まず学校への出入りは必要最低限とし、それすらも事前に校長、副校長の許可を得るようにルールを変更します。
また、辰沼小学校には過去にも、現在もいじめも学級崩壊も無いと宣言しました。
この後、平成塾は公務員の醜悪な隠ぺい工作を何度も目撃する事となります。
色々書いて来ましたが、平成塾は多くの子供達に居場所を与える事に成功して来ました。
先にも書きましたが、先生からいじめっ子のレッテルを貼られた子供が、この学校のいじめを撲滅してくれた事。
小児ぜんそくで全く運動が出来なかった子が、自らグラウンドを走り中学高校と運動部に所属してくれた事。
引きこもりで学校に来れなかった子供が、自ら友達の家を訪ねるようになり、毎日通学するようになった事。
その他にも、失明の危機にあった子供に運動する楽しさを教え、個別支援学級の子供達にも普通クラスの子供達と一緒に活動する場を与えて来ました。
ですが、平成塾創設3年目にしてその活動は大きく変化します。
それは丸西校長と原口教頭(当時)の同時転勤でした。
これは終戦直後の昭和25年に発布された地方公務員法32条によるものです。
地方公務員は地元との癒着を防ぐ意味で、一定期間を勤務したら必ず転勤をします。
勿論地方公務員である以上、それには従わなければならないのですが、問題はその決定をするのが東京都の教育委員会であると言う事です。
因みに足立区の教育委員会には人事権はありません。
つまり学校や児童の都合などお構いなしに、一定期間を勤務したら次の赴任地を指示します。
当時荒れていた辰沼小学校が、ようやく立ち直りを見せ始めた頃です。
丸西校長、原口教頭を慕っていた子供達は大勢おりました。
ところが、新学期になって学校に行ってみると、二人の姿はそこにはありません。
これには目を真っ赤にして戸惑った子供達が何人も出ました。
丸西校長と原口教頭は本当に型破りな先生達だったんです。
一人一人の子供達をケアし、必要とあらば子供達の家まで送り迎えをする事すらありました。
そんな子供達の心の支えを何の前触れもなく転勤させ、教育委員会が送り込んで来たのは筋金入りの公務員でした。
新しく赴任した副校長(ここから今の呼び名になります)が挨拶もそこそこに、開口一番言い放ちます。
私は特別な事は一切しません。
全て前例に従い、新しい事は何一つ行いませんから。
公務員制度を知れば知るほど、丸西校長と原口教頭の挑戦は凄いものでした。
教育委員会や文科省のお達しはどこ吹く風。
そんな自分達への評価より、目の前に居る子供達の為に全力を尽くしていましたね。
子供達の為ならどんな犠牲も厭わない、そんな姿勢は子供達にも徐々に伝わって行きました。
そこへ出現した平成塾。
互いにとても良い関係であったと思います。
何しろ学校関係者だけでは実現できない企画を平成塾が行い。
平成塾だけでは実現できない環境を学校が提供してくれました。
その中でも最も大きかったイベントが学校で行われた合宿でしょう。
学校に泊って合宿をするなんて、まともに企画したら絶対に許可されないでしょう。
火事が起きたら誰が責任取るんだ。
食中毒が起きたらどうするんだ。
文句を付けようと思えば、いくらでも理由なんて考えられます。
そこには公務員の誰も責任を取りたくないと言う論理が働いていますね。
けれども、子供達からしてみれば、これほど思い出に残るイベントは無いでしょう。
みんなワクワクのドキドキです。
家庭とは違い、自分達の事は全て自分達で済ませます。
使った食器も全て自分達で洗いますよ。
晩御飯が済んだら体育館で遊びます。
こんな夜まで遊んでいても怒られないなんて、子供達には夢のような時間ですね。
お母さん達+先生チームとドッジボール対決。
子供達は大はしゃぎ。
対するお母さん達も真剣にムキになります(笑)
ひと通り遊んだら寝床の準備。
体育館にマットを運び、その上に寝袋を広げます。
誰がどこで寝ても自由ですよ。
みんな寝る準備は整いましたか?
でも、まだ寝せませんよ。
これから、学校ならではのイベントを行います。
学校と言えば、どんな学校にも怪談話のひとつやふたつはあるものです。
この日はじっくりとその話しを聞かせてあげました。
既に泣きそうな最前列右側のポロ和。
けれども最もビビリーだったのが前列中央の第三代主将の矢田くん。
どんな打球にも立ち向かう彼も、この手には全く歯が立ちません。
何しろ設定されたコースが長い。
体育館からスタートして校舎1階の廊下を全て通過したら、階段を上がって理科室まで自分達のお札を取りに行き、4階の廊下を通って体育館まで戻って来ると言うもの。
途中、音楽室からピアノの音は聞こえるわ、全ての電器は消されているわで、直前に聞かされた怪談がリアルに思い出されます。
みんなぐったりとしてお休みタイム。
さっきまでの元気はどうした?
特に消灯時間は設けません。
起きていたかったら起きてなさい、但し明日も普通に練習するよ。
翌朝、早朝から遊びだす塾生達。
もう朝からボールの音がうるさくてたまりません。
みんなで朝日を浴びながら空気の入れ替え。
今日も絶好の練習日和です。
朝ご飯はパン。
翌年の合宿から近所のパン屋さんにお願いして、大量のオカズパンを届けて貰いました。
勿論好きなパンをいくつでも食べ放題です。
合宿ですから練習があるのは当たり前。
みんな二日間本当に頑張って練習しました。
そして、ここでは野球以外の大切な事を沢山身に付けましたね。
最後はみんなでアイス。
本当に美味しく感じた事でしょう。
これが平成塾の合宿の始まりです。
でも、これを企画した当時の原口教頭には、本当に頭が下がります。
公務員の実情を知っていれば、決して実現できない企画でしたよね。
公立学校の先生と言えば、間違いなく肩書は地方公務員なのです。
これは昭和25年に地方公務員制度が出来上がってから不変の原理で、先生=地方公務員なんですね。
公立の小中学校の先生になるには、まず大学で教職の単位を取り教員免許状を取得します。
その後に教員採用試験に合格し、晴れて採用予定者名簿に名前が載ります。
その名簿の上から順番に採用が決まって行くという仕組みです。
実は塾長がこの制度を知ったのは自分が大学に入ってから、更にもっと詳しく実情を知ったのは平成塾を立ち上げてからになります。
公務員と民間企業の一番大きな違いは。
「知らなかった」で済まされるのが公務員。
「知らなかった」で済まされないのが民間企業です。
どちらの対応が世間的に納得されるかは一目瞭然ですね。
だから政治家の答弁などを聞いていても、記憶にありません、それは私は知りませんと言う歯切れの悪い回答がまかり通ってしまいますが、民間企業で記憶にありません等と言った瞬間にクビを覚悟しなくてはなりません。
塾長が子供達の頃には、相手に対しての最終通告は「先生に言うよ」と言うものでした。
実際に先生に言われて自分が悪い事をしていようものなら、それこそ鼓膜が破れるほどの往復ビンタを喰らったものです。
つまり先生とは子供達にとって絶対的なものだったんですね。
それが今ではどうでしょう?
子供達が「先生に言うよ」と言ったところで、「言えば?」と返されるのが関の山です。
ましてや現代の先生達は決して子供を叩きません。
ちょっと触っただけでセクハラだの体罰だのと懲戒処分を受けかねないからです。
どうしてこうなったかと言うと、それは先生達の採用制度に大きな問題があると思います。
教職員の採用は毎年12月に発表されます。
そしてそこで採用された学生は、翌3月に配属校が決められ、4月から先生となり場合によっては担任を持つ事になります。
ここで驚くのが採用決定が12月と言う事ですね。
通常大学生の就職試験は3年生の3月に説明会解禁、6月から採用面接解禁と経団連がスケジュールを決めています。
これは全ての大学生に不公平な環境が無いようにとの配慮からですが、実際には優秀な学生は3年生の2月頃には極秘で採用を打診されています。
6月から悠長に就職試験を繰り返す学生は、何処にもコネも無く、頼れる先輩もいないと言うのが実情で、就活で受験する企業は100社超えなんて言うのがザラなんです。
それは在籍している大学の知名度や偏差値に如実に現れ、それこそ大学とは名前ばかりの三流大学出身者には明日は無いシビアな現実だったりします。
こうなって来ると、翌年に卒業を控えた学生で8月頃までに企業からの採用に関する内定通知が来ていないと、それこそ敗北感に打ちのめされる毎日を過ごす事になりますね。
どこでも良いから採用して欲しいと言うのが現実となります。
最初から自分は学校の先生になるんだと強い意志を持って臨んでいる人には、周囲の採用決定などは何も響かないでしょうが、実際に教職は単位を取ったものの就職先が無いという学生にとっては、教員採用と言うのは蜘蛛の糸に感じる事と思います。
そのお陰か、現状の学校の先生達は公務員化が加速しました。
学校の先生になったのでは無く、地方公務員として就職した学生が大勢いるからです。
それに加えて現在の教育委員会の制度。
カリキュラムを決定するのは文科省で、それを法制化した後に地方自治体の教育委員会に通達を出します。
それを地方自治体の教育委員会が更に細かく市町村の教育委員会に通達して行くのですが、ここでの一番大きな問題は地方自治体の教育委員会が人事権も予算も全て管理していると言う事です。
つまり学校の先生達の処遇を決定しているのは、その市町村の教育委員会では無く、地方自治体の教育委員会なのです。
平成塾があった辰沼小学校は足立区立となっていますが、その実態は全て東京都の教育委員会に握られていました。
なので先生や子供達との関係には全く考慮される事なく、定期的に他の学校への転任を申し渡されます。
それだけではありません、そんな階段形状の組織を作ってしまうともっと大きな弊害が発生します。
文科省が出した通達に対して、地方自治体の教育委員会がちょっと余計な仕事を上乗せして市町村の教育委員会に通達します。
なんでそんな事をするかと言うと、単純に通達を右から左に流すだけだと自分達の存在意義が問われるからですね。
すると各市町村の教育委員会は更なる上乗せをして、各学校の校長に通達を出します。
それを校長がちょっと上乗せして各先生達に書類を作らせるんです。
学校では依然として私物のパソコンは持ち込み禁止としている所が多く見受けられます。
また、ITの知識が乏しい先生達は仕事の為に溜めた個人データを流出させてしまう事故も多く報告されています。
ですが、これらの作業を手書きで期日通り済ませるには、それこそ早朝から深夜まで時間を要しますよね。
それこそ先生達が子供の相手をする時間が無くなった悪がここには存在するんです。
公務員として就職した先生が、こんな大量の仕事を押し付けられたら、子供の面倒を見る時間なんて無いでしょう。
確かにそれは充分同情に値しますし、事情はよおく解かります。
ですが先生という職業を選んだのは先生ご自身です。
厳しい事を言うようですが、他に就職先が無かったからでは済まされません。
貴方の一挙手一投足に子供達の未来がかかっているんです。
この事を知った僕は、子供達の絶対的存在にならなくてはいけない事を悟りました。
何故なら、公務員と化した先生に教わっているクラスは、既に無法地帯となっていたからです。
そんな子供達を引き受けるには、こちらにもそれなりの覚悟が必要です。