インテリジェント ワークス

子供達との泣き笑い

チームでは無い

2020年06月15日 | 塾長の独り言

平成塾を立ち上げる時に、今までとは違う多くの事を考えねばなりませんでした。

まず、現状の子供達の環境は必ずしも平等では無いこと。
親の考えが子供の将来を本当に見据えているのだろうかという疑問。
小学生にして半ば人生を諦めかけている子供達がいること。

けれども反対側には、何不自由無く暮らす子供。
子供の事を真剣に考えている親。
自分が何を目指して良いのかわからない子供。

そして後から気付いた事として、いつの間にか学校の先生が公務員になっていたと言う事でした。

何よりも悩んだのが、今回作る組織は野球のチームでは無いと言う事です。
野球のチームを作るなら目標設定は簡単です。
試合をして、他のチームに勝てるようにすれば良いのです。
これがどれだけ大変な事なのかは、自分でも充分に解かっていますが、目標設定だけと言うなら非常にシンプルで解かり易い目標です。
ですが、今回作る組織はそうではありません。
どこに目標を置こうか、これには悩みました。

結論は子供達の10年後に役立つ事を教えたい。
全てはこのコンセプトから始めました。

けれども、こんな大それたコンセプトを打ち出した所で、当の子供達が喜んで参加する筈はありません。
それで無くとも日頃は遊ぶ時間を削られて、塾に通わされている子供達も多い筈です。
それに加えて、どこの馬の骨とも判らない輩に、子供の教育をお願いしますと言う親もいないでしょう。

この時も、原口教頭先生から伺った悲惨な環境で生活している子供達の事が頭から離れませんでした。
何とか子供達に色んな事を気付かせてやりたい。
自分自身で壁を超える方法を教えてやりたい。

野球を通じて色んな事を教えたい。
まずそれには、自分自身が野球の良いところと、悪いところを整理する事から始めなくてはなりませんでした。



足立ポップスの顛末(後編)

2020年06月13日 | 塾長の独り言

ある時、とんでもない話しが聞こえて来ました。

それは試合中に監督が選手に暴行を働いたと言うものです。
俄かに信じ難い話しですが、この監督の性格や過去の経歴を知っていた僕には、来るべき時が来たかと言う感じでした。

詳細を聞いてみると、まだ試合中だと言うのにある選手をベンチ前に立たせ、殴る蹴るを繰り返し最後はひっくり返して蹴飛ばしていたと言う事です。
理由はピッチャーだったこの選手がストライクが入らないから。
そしてこの暴行を受けていた選手は、僕が必ずこうなるからと居酒屋に呼び出して注意をしていた父兄の息子でした。

何と言う事でしょう。
この監督の犠牲になるのは、いつも力の弱い女性や子供だけです。
いったい何人の犠牲者を出せば気が済むのでしょう。

なぜ、この時に他のコーチ達は彼を殴ってでも止めなかったのでしょう。
このチームではこれが当たり前なのでしょうか。

暴行を受けた選手の父親は、なぜあの時に僕の忠告を聞かなかったのでしょう。
そして、なぜその忠告をこの監督に伝えたのでしょう。
全ては僕が心配していた通りになりました。

この暴行を受けた選手の弟も足立ポップスに在籍していましたが、年末には2人揃って退団しました。
この父親は、彼らに土下座して謝るべきでしょう。

この後、足立ポップスは選手がどんどん減って行きます。
最後の年には6年生が9人、そしてその選手の弟がひとりの僅か10人のチームになりました。
それでも、このチームが数年続いたのは、監督を交代させたり新監督に食事や酒と寝床を用意する、チーム結成当初から居た父兄がいたからでしょう。
この父兄と言っても父親は、今から思えば姑息に立ち振る舞う狡猾な方だったと思います。
この父親の末っ子がいる内は全力で選手を集め、特に足立ポップスの行く末や参加している他の子供達の家庭の事など何も考えていなかったでしょう。
また、監督交代にこの新監督を指名した理由は、自分が扱い易かったからでしょうね。
野球経験も無く、野球チームがどういうものかすら理解していなかったこの父親は、自分の意見が通り易くコントロールできる体制を望んでいたのです。
このたった一人の父親の為に、子供達の3年後を見据えたチームは滅茶苦茶になりました。

最も可哀想だったのは、こんな父兄と監督に大切な時間を奪われた子供達ですね。

こうして足立ポップスは選手がいなくなり自然消滅しました。
この時、僕が足立ポップスを去ってから、まだ10年も経っていません。
あれだけ多くの選手達が所属していた、巨大なチームは勘違いした大人数名によって無くなりました。

このチームに所属した選手達の内、最初の頃に在籍していた選手達は、その後に色んなチームで活躍してくれました。
教えて来た事は間違い無かった、そして何より選手を大切にして来て良かった、そう思えた瞬間でしたね。

当時の選手達は、今でもたまに僕の家を訪ねて来ます。
みんなもうお酒の飲める年になりました。
そしてバリバリと働いています。

そんな話しを元の選手達から聞かされる度に、あの時間は無駄じゃ無かったと心から思えます。



足立ポップスの顛末(前編)

2020年06月06日 | 塾長の独り言

ごめんなさい、随分と間が空いてしまいました。
ようやく少し時間を見つける事が出来ましたので、続きを書かせて頂きますね。

まずは平成塾の前に、最初に塾長が作った足立ポップスの顛末から。

新監督の趣味で全員が頭髪の五輪刈りを命じられた足立ポップス。
所属していた女子選手達は全員が退団しました。
その中には後の日本代表の鈴木鮎美や、我が娘も含まれておりました。

そりゃあ当然でしょうね。
女の子に頭を丸刈りにして来いと言える神経が理解できませんわ。
そもそもこう言う事を言いだす奴の傾向として、学生時代には散々野球に没頭したのに、大した実績を残していない奴に多いですね。
高校野球の丸刈りの歴史を勉強すれば、それがどれだけ無意味な事かはすぐに理解できる筈。
ましてや、大学の野球部で頭を丸刈りにしている学生なんて皆無ですよ。
僕が誘った女性コーチは、自分が子供達を守ると抜かして足立ポップスに残っていたのですが、この時はいったいどんな気持ちだったのか是非聞いてみたいところです。

この新監督の増長ぶりは外から見ていても解るようになって来ました。
平日も夜の8時まで行う練習。
冬場なんて5時には真っ暗ですよ。
それを小学生に8時まで練習させるって、何かに取り憑かれているとしか思えません。

更に遥か遠方の大田区の大会参加を決めたようです。
足立区から大田区への大会には、東京を縦断して行かなくてはなりません。
それも都大会などのスポットの試合ならともかく、わざわざ大田区の大会に参加するには訳があったようです。

ひとつは足立区が大会が無い時に、大田区では大会が開催されていたから。
そしてもうひとつは監督そのものが家に帰りたくなかったからでしょう。
それに付き合わされる子供や父兄はたまったものでは無かったと思います。

そんな寒風吹きすさぶ或る真冬の昼頃。
家の前でうずくまっている子供を見かけます。
手足を縮め精一杯身体を小さくして、家の門の前で家族の帰りをまっているようです。
それは足立ポップスの選手でした。
何をしているのか怪訝に思い近づくと、顔が真っ赤で一目で高熱が有る事が解かります。
聞くと練習中に体調不良を新監督に訴え出たところ、帰れとだけ言われて家に戻って来たこと。
家族は皆外出中で全員夜まで帰って来ないこと。
僕は愕然としました。
この子は明らかにインフルエンザです。
それを知って、新監督はグラウンドから追い出したのでしょう。
家族に電話の1本もかけてやれば、すぐに対応が出来た筈なのにそのまま帰らされたようです。

僕はこの子を自宅に連れて帰り、布団に寝かせて彼の自宅の留守電にメッセージを残しました。
ご家族が戻って来たのは夜の8時過ぎ。
あのまま放っておいたら、命の危険もあったかも知れません。
ぐっすりと寝ていた彼をご家族に渡せた時には、本当に安堵しました。

けれども、このチームの暴走は止まりません。
こんな出来事は、チーム関係者からすれば大した事では無かったのでしょう。
そして、僕が最も恐れていた事件が起こりました。