上諏訪駅発行 長野ゆき乗車券・急行券連綴券

昭和56年7月に中央本線上諏訪駅で発行された、長野ゆきの乗車券・急行券の連綴券です。


   


青色こくてつ地紋のD型連綴券で、新潟印刷場で調製されたものです。


乗車経路は上諏訪~(中央東線)~塩尻~(篠ノ井線)~長野という経路で、当時はまだ塩嶺ルートが開通していませんでしたから、現在は辰野支線とも呼ばれている「大八廻り」のルートを通るものとなります。
この券は上諏訪から長野までの直通の急行「天竜」号用として設備されたものと思われます。


急行天竜号は昭和36年に登場した新宿・長野~天竜峡間(飯田線内併結)の準急「天竜」号が起源で、飯田線内を気動車で運転された珍しい列車であったようです。昭和41年になると「天竜」は急行列車に昇格しますが、昇格後の昭和43年に新宿~天竜峡間は急行「こまがね」となり、「天竜」は長野~天竜峡間の列車となります。

列車名分離後の昭和48年に「天竜」は飯田線内での「こまがね」との併結運転を廃止し、小淵沢~長野間の電車急行になり、そのうちの1本だけは80系による急行列車であったような記憶がありますが、昭和53年にはすべてが165系に置き換えられ、旧型国電による急行列車は姿を消します。

昭和58年になると塩嶺ルートが開通し、「天竜」は駒ヶ根・飯田・平岡発の快速列車として小野駅を経由して塩尻まで運転され、塩尻で上諏訪から来る快速列車と併結のうえ、途中の松本から急行「天竜」として運転されるようになっています。

さらに昭和61年になると、「天竜」は急行「かもしか」と快速「みすず」に分離されますが、昭和63年には「かもしか」が廃止されて「みすず」だけが残っています。

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伊勢奥津駅発行 普通入場券

昭和59年9月に名松線伊勢奥津(いせおきつ)駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券です。同駅は三重県内に位置し、東海地方のイメージが強いですが、国鉄時代は天王寺鉄道管理局管内に属していましたため、大阪印刷場で調製された券が使用されています。


名松線は名張と松阪を結ぶ計画だったことから付けられた路線名ですが、参宮急行電鉄(現・近畿日本鉄道)が同じ区間を先に開通させてしまったため、松坂から伊勢奥津駅まで開通した時点で工事が中断され、以後延伸されないまま現在に至っています。


国鉄時代は赤字83線区のひとつとして廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選ばれていましたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されたため現在も廃止されることなく残され、岩泉線廃止以後は唯一の元特定地方交通線となっています。

松坂~家城間は票券閉塞式、家城~伊勢御津間はスタフ閉塞式とJRでは珍しい閉塞方式が採用されており、途中の家城駅は運転関係業務のために駅員配置駅となっているものの、伊勢奥津駅は平成2年に松坂駅管理の駅員無配置駅として無人化されています。


同駅は平成16年に木造駅舎から現在の駅舎に建て替えられていますが、建て替え5年目の平成21年の水害で全線不通となって以来、途中の家城駅までの区間が運転再開された後も運休の状態が続き、平成28年3月、6年半ぶりに全線運転再開となって列車が走るようになっています。

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JR東日本 米沢駅発行 普通入場券

平成元年3月に奥羽本線米沢駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

国鉄時代の米沢駅で発行されていた乗車券類は新潟印刷場で調製されたものが使用され、国鉄末期に同印刷場が閉鎖となると民間印刷券が使用されていましたが、国鉄民営化以後は東京印刷場で調製されたものに切替えられており、東京地区のものと何ら変わらない、当時としては「面白みの無い」様式になっています。


この券は一番下の「発売当日1回限り有効」の文言が「発売日共1回限り有効」となってしまったミス券で、当時は一時的に高崎地区の券に多く発生していましたが、同時期に調製された他地区の券にも波及していたようです。

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JR東日本 原宿駅みどりの窓口廃止

東京オリンピック対策のため、都内最後となった木造駅舎建て替え議論の沸いた山手線原宿駅ですが、先月末の平成29年1月31日にみどりの窓口が廃止されました。


   


廃止当日の31日に購入した普通入場券です。青色JREサーマル式共通指定券用紙に印字されたマルス券です。


   


みどりの窓口が廃止されても指定券券売機は設備されますので、発行箇所名がマルスの名称ではなくなりますが、このような単純な乗車券は引き続き購入可能です。


   


しかし、連絡乗車券となると指定券券売機では対応していませんので、このような券は購入できなくなります。


当日、入場券を購入いたしましたら、記念として駅員さん手づくりの「しおり」を戴くことができました。


   


しおりの「表面」です。原宿駅駅舎のちぎり絵がデザインされています。カラー印刷したものをパウチしたもので、手づくり感満載です。一般の旅客や観光の旅客の方の記念にもなるデザインです。


   


しおりの「裏面」です。こちらはコレクター向けのデザインで、左にN型マルスの写真が、右に現行のMR32形マルスの写真があり、みどりの窓口が開設された日と廃止される日の日付が記載されています。


原宿駅のみどりの窓口は1窓しかない小規模なものでしたが、合理化によって都内のみどりの窓口がどんどん閉鎖に追い込まれて行っており、都心の駅のみどりの窓口の少なさに改めて驚かされます。原宿駅近隣の代々木駅や千駄ヶ谷・信濃町などは既に閉鎖されており、新宿駅や渋谷といったターミナル駅に集約された結果、慢性的な混雑が起こってしまうという不便さが出ているように感じてしまいます。

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