家は自分たちの住居としてだけでなく、
商店やカフェ、撮影スタジオ、演奏会、
賃貸も可能なように作っておきたい。
限定された用途に造り固めず、
形を変えたり元に戻せるようなシンプルな仕組みならば、
メンテナンスもしやすく長持ちし、
住む世代に応じて多目的に変更が可能。
体自体が多目的である。
手は土や石ころ、草をいじり、おむすびやひもを結び、
赤ちゃんに優しく触れたり細かい字も書く。
何かひとつの分野に限定して秀でているのも魅力的だが、
誰もが、ある程度ひと通りのことをこなせるという前提があれば、
何でも専門家にまる投げということがなくなり、社会全体が底上げされる。
たとえば家を建てるにしても、土台や骨組みは
大工さんにお願いするが、壁塗り、シンプルな家具、
仮の小屋程度は作れる腕があれば、目線を上げた相談ができる。
そのための知識や技を、学校の図工の授業で教えてほしい。
セロテープやホチキスで安直にこさえるのではなく、
木を組んだ棚、竹を結んだ縁台など、大人になってからも
生かせる技術。
仕事場の掃除はするが、自室は散らかり放題とか、
他人前では笑顔を振りまいて、家では家族に怒鳴るなど、
決められた仕事だけきちんとして、
他には心を配る余裕が無くなるようなスタイルは、
本業のパフォーマンスの長続きや向上も妨げるだろう。
裏表、波の振り幅が大きいほど、けじめよく意識を切り替えて
集中を高める必要が出る。
それは一見プロっぽいかもしれないが、
ニュートラルでいて、いつでも即応できるほうが
生きる能力が高い。
草を食べているウサギが、逃げモードに切り替えようと
呼吸を調えていたら、すぐに捕まってしまう。
真の剣士ならば、宴席で酔っぱらっている時に
敵が来襲しても、普段通りに立ち回れるだろう。
切り替えなければならないのは、自然体がいけてないということ。
だから、少なからず無理を演じることになり、
そのストレスの反動で、例えば仕事後に暴飲暴食したり、
人に難癖つけて憂さを晴らそうとしたりする。
先に専門技術があるのではなく、まず日常生活における
こまごました作業、掃除洗濯炊事、片付け整理収納、
歩く背負う縫う結ぶなどの動作の質、段取りの感覚を身につけておき、
その上に、なりわいとしての仕事が乗っていれば、
仕事は日常の延長あるいはひとコマとして
大きく意識を切り替える必要がなくなり、リバウンドも小さい。
だから、子どもの将来のためにと
何か一つだけレッスンを続けさせるよりも
生きていくのに必要な、当たり前の動作を
ひと通りきちんとできるようにやらせることが、
結果的に将来の職業の選択肢や可能性を増やし、
広く確かな土台の上で、専門技術も飛躍するだろう。
ささやかなスケールであれ、森づくり、田畑、
お裁縫、木工、料理、心身の調整、道具の手入れなどの
生活技術の修得に、教育はもっと時間を費やしてもよいと思うが、
こういうことは、その時だけ習うというよりは
普段の暮らしと直結していれば自然と身につくものだから、
子どもだけのレッスンではなく、親のライフスタイルの影響がつよいだろう。
まあ、せめて学校では、あえて差別するならば
男子は木工(木組み)、かんながけ、包丁砥ぎ、
女子はかご編み(竹や葛など)、裁縫(浴衣程度の和裁と編み物。希望者は織り物)、料理(炊飯・味噌汁・漬物)、
共通して、掃除、風呂敷・ひも結び、田畑づくりを
必修にしてほしいと思います。
追伸
国語の授業では墨をすって筆で書く。よって、書道と国語では墨をつかう。
| Trackback ( 0 )
|