ふろしき王子のブログ◎
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・地域的必然性のないものが、シェアを広く占めるのに違和感を覚え、
 みなが共通の話題にしがちな流行りものに背を向ける、へそ曲がりの拙ですが
 テレビが無く、話題のドラマも見たことがなく、人気のアイスや話題のお店、
 行列には並ばず。
 リスクなき二番煎じ、本音なき定型の挨拶を交わし合うだけで、裏では無関心、
 あるいは食い物にしようと、天使の微笑みを発する偽善に生きるよりも、
 蔭で子どもたちの行く末を案じ、土台を固めんとしながら、
 印象的には食えぬ問題児と思われるような偽悪のほうがいい。

・広い自然公園に行っても、何でだかバッタや蝶など虫が少ない。
 生き物探しを期待していた息子が「いきものどこ~?」と探しつづけるが、
 東京ドーム数個分の敷地であれ、これでは我が家の6畳足らずの庭の方が
 密度ははるかに濃い。一歩踏み出せば、オンブバッタが跳ね、カナヘビが横ぎる。

 各国では規制が広がれど、日本では放置で、ホームセンターでも普通に
 園芸用として売られ、農業でも広く使われている神経系に作用する農薬
 ネオニコチノイドの類が原因として否めない。半径500mに影響が及ぶ。
 その自然公園の周りは、それほど畑は見られないが、割合高級住宅街で
 庭つき一軒家が多いので、ガーデニングで使われている可能性がある。

 現代農業で、農薬を使う情況は、不自然な農法の中でのバランスとして
 不本意ながら理解できるとしても、単なるお庭の、趣味的な園芸において
 わざわざご丁寧に、殺虫剤や除草剤をあまねく利用する情動が、
 野蛮人の僕には理解できない。
 
・あらゆる分野、360度から、命や人権に対する冒涜が行なわれている日本。
 これは何か。
 お人好し、裏を返せば他人から嫌われることを極度に恐怖する
 村八分のトラウマを潜在する日本人に対して、
 もっと、自分が素直に感じたことを信じて、孤高をおそれずに
 行動、選択しなければ、ただ全員仲良くそろって、子ども生き物
 巻き込んで滅ぶだけだよ、さ、これでもなお周りを氣にして
 うすら笑って我慢しつづけるつもりかえ?という奥心からの試練であるものか。

 日本は市民革命を達することなく、権力に抗わないまま
 民主主義と謳っているけれど、実際は国が大衆を蹂躙している。
 かといって、石や火や槍を持って、不満を爆発させるという手段を
 採用しないところが、日本人の品格といえるが
 結論は、一人一人が真剣に学んで賢くなり、自己責任における
 日々の行動や選択の質や方向を決めて、権力者の都合よいように
 騙されないことも肝要。

・生まれ持った感性を邪魔して、そぎ落とし、曇らせる教育が多い。
 幼稚園からはじまって、現在の教育ならば通わないほうが
 ずっと賢くいられるのではと思う点が多い。
 放っておけば素晴らしいものを発揮し生み出すものを、
 わざわざ「こうしましょう」という見本を掲げて、
 その通りにしないと叱責し、問題児と見なされる。

・現在は、通って当然という空気、同調圧力といったら大げさか、
 幼稚園にしても、ビジネスに過ぎない。
 元々は無かったものであり、無ければ無いで
 親もライフスタイルを合わせるし、近所の子ども同士、
 縦や横のつながりで、遊びから社会性を育める。
 通う(べきとされている)幼稚園、を選ぶために
 いくつか見学や説明を聞きに行くが、
 「いらんわ」というカリキュラムが多い。
 やらされている感、目が死んでしまうような。

 子どもは自由にさせ、その代わりに、自ら行なった後始末、
 落とし前をつけさせればよいと考える。
 汚してもいいけど、自分で拭いてねって。

 我が家でも、ある意味何にもしつけていないが、
 何も助けないので、自分で好きに行い、自分で片付けている。
 家が小さいため、僕自身、何かするたびにいったん掃除をするので、
 それを真似ているのかもしれない。観念はテレパシーで背中から伝わるもの。

 自然な育児、を標榜する学校でも、そういう特別感のあるところは
 教育費も高額だから、見合う内容を親に披露するために、
 かえってシンプルからはずれて、色々と凝った内容になりやすい。
 仕組み、骨組み、真髄が体験で身につけばよいところを、
 表面的な装飾に時間をかけて、そこにもっともな理屈を後付けする。

 流れ者のおじさんとか、近所の怪しいお姉さんに
 勝手に遊んでもらうほうが、佳き成長にいざなってもらえそう。

・ワケギが日々するすると伸び、水前寺菜も根づいた。
 来月はスイセンの球根を植えて、真冬の庭の準備。

・相変わらず、風呂敷づくりと、いくつかの制作、協力、取材について
 かたむけている毎日。その中で、心を癒すのは、やっぱりだい好きな庭にある。
 大氣の汚染もすすみ、もはやそのままでの大自然の保持が困難な時にきている。
 人間が自然を壊すのではなく、人が大自然を生み出す、くらいの氣概が必要。

・嫌なものを攻撃しているヒマはない。自分が佳きと信ずるものを、
 毎日、愚直にタンタンと繰りつづけるのみにある。

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