ふろしき王子のブログ◎
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うっとこの最寄駅「豊田」は、日野と八王子の間の割合しずかな町。
今度、駅前に大きめのイオンな商業施設が出来ると
また雰囲気は変わりそうですが、
(本音:でっかい商業施設は好きじゃない。かといって、ただ大手メーカーから仕入れて
 定価で売るだけの個人商店を選ぶ氣にもなれない。個人商店は、その専門性を高めて
 商品とともに、その使い方のこつとか裏話など、深いバックボーンから
 そのお客にとって有用な付加価値を与えてほしいと思う)

現在は、買い物に行く街といえば、隣の八王子です。
電車に乗るなら立川でもよいのかもしれませんが
ガッチャマン(がちゃまん)伝説を持ち
歴史ある大都市八王子のほうが、僕の肌には合うようで
風とおしもよい。
(ただし、全体的な風は、八王子は過去の街として廃れてきている。
 みなが集まるお店は、どこにでもある駅ビルやドンキホーテなどであって、
 八王子のこころ、を感じさせるお店や雰囲気が主導になっていない。
 こんなときは、原点に還ろう。蚕を育て、織物の街にしてみては?
 海外からも観光客が押しかけるかも)

今日の午後、息子を自転車の前に乗せて、
ぎらぎら西陽を受けながら八王子へ向かいました。
息子は麦わら帽子をかぶっている。
(いちいち補足をいれて申し訳ありません。個人的に、帽子は不要と考えている。
 紫外線は皮脂が防ぐ。帽子は頭を蒸らして、かえって熱中症を呼ぶ。
 汗に濡れた髪の毛が乾くときにとられる気化熱が、体を涼しくさせるので
 帽子でふさがずに風に当たったほうがよい、という仮説。
 でも、子どもも実験台にする勇気もなくて、自然素材の麦わら帽子程度なら、と)

日野バイパスを西進していくと、途中から甲州街道に合流。
駅前の桑の木通り(マルベリーストリート?)を超えて
横山町も過ぎ、お目当ての乾物屋で、米こうじと棒寒天を買う。
(今回の記事は、あえて逐一、本音部分を書いてみている。
 このように、本心で思っていることを表現することを、
 表無し・おもてなし、といい、表面の取り繕いではなく、うら=心を表すこと。
 読みづらくて申し訳ありません。
 米こうじも、本当はそこで作っている、麹屋で買いたい。
 知らなかったものを教えてくれた人とか、自宅まで行商に来てくれた人からは
 買いたいけれど、既に知っているものを、自ら出向いて、実際作っている所ではなく
 仕入れただけの販売店で買う、という形態は、今は必然性、必要性を感じられないのは
 僕のへそまがりの性でもあるが、途中にいくつもの卸が入ってきて、
 流すだけで価格を倍々にしていくという流通は、シンプルな江戸っ子にはいずいものだ。)

帰りみち、製粉工場で北海道小麦の粉を5kg買って、
最後の買いものは、業務用スーパーでパスタ。
(書きづらいが、単に国産小麦と書かれたものは、放射性物質を含む可能性があるので手が出ない。
 自分なりに安定化はしているが、元がなる竹安全と思われるものを選びたい。
 隠すのがいけない。全て測定して、基準値以下であっても測定結果と測定した機械を
 記して、数値を見て客が判断すればよい。命、特に子どもを持っている親や家族は
 心配に思うのが当然。ただ、んなこと言ってちゃ何も食べれなくて、生きてけないよ
 と言う方もいるでしょう。だけど、そういう風にゼロかいちかの二元論は極論であり、
 水風呂は冷たいし、熱湯風呂はやけどしちゃう、というのと同じ。
 人によって、臨機応変に工夫したり、バランスをとって、自分なりに学び、
 あとは直勘に任せてでも、自分で決めたことならば後悔はない、という生き方はできる)

米こうじは甘酒づくりに使う。棒寒天はジュースをゼリーにする。
小麦粉は、ソーダブレッド(重曹入りホットケーキ)、
手ごねの天然酵母パン、お好み焼き、手打ちうどんになる。
(たしかに、炭水化物や糖質は、糖エネルギーをすぐに使わないと
 膵臓のインシュリンでストックするという労力が内臓を疲労させて
 将来の糖尿病につながる要因として、寝る前の摂取を控えるべきとは思うが、
 ご飯の前に、おかずに使われている砂糖の多さも知りたい)

自転車で往復1時間ほど。坂道がつづき、息子と粉が乗っていると
よい運動になる。僕は、歩き(節約時は3万歩/日)と自転車と
風呂敷背負いと掃除によって、ジムに行かずとも太ることはないが、
もうちょっとふっくらしたいので、もっとお金が入ってくるようにして
おかずを増やそう。34才からはイメチェンだ!スーツなんて着てみたり。
(今回は、何でも茶茶を入れる試み。着る機会はないが、小心者の僕は、
 案外スーツが好きだ。ということで、スーツは、少なくとも自分にとっては、
 社会に対してまともな大人として表現することで、守るための鎧に見える。
 だから逆に、本当は不真面目な者ほど、スーツを着て信用を得ようとするという
 読みはできるが、動物には通用せず、目の透明度と声質、匂いから
 性格や感情を読みとる。清潔な身だしなみは大切だが、
 大げさに例えれば、本当に悪い人間は、良い人の振りをする。
 皮膚感覚で判断しよう)

いずれにしても、こうして、息子と一緒に西へ向かって、
夕陽を浴びながら自転車をこぎこぎした思い出は大切にしたい。
3才の息子は忘れるかもしれないけど、二人で歌をうたい、
雨やどりをし、歩道に出たセミの幼虫を移動したり、
ペットショップで抱っこしてやどかりを覗きこんだ。
(小学生時代、将来の夢はペットショップだった。
 だけど、生きものの種類によっては、容器で飼われることは
 壮絶なストレスになる。長らくペットして続いてきた血筋では
 かえって飼われて安心しているようにも見えるから
 その見極めも難しいけれど、飼わなくても、
 近所には愛すべき生きものたちが色々と野性のまま人と共生していて、
 愛でる目的でペットを飼育する必要がない、というほうが楽しそう。
 動物園は、、、かたちによるけれど、基本的には反対。
 遠くの地の動物を眺める前に、身近な小動物の名前と顔を
 覚えるのが先と)

からだを使った経験は、こころに残る。

環境がこころを変え、こころ(思い)が体を変え、体(行動)が環境を変える。
佳き輪を奏でるために、あなたのコミットメントは何でしょうか。
(心から変えるのは難しい。むしろ、心は生まれつきのもので
 変えることはできない。ただ、余計な、覆っている泥を流すことはできる。
 それは、泥の原因を知ろうとする心の向きや周囲の協力があって。
 体から正常にするほうが、まだ楽だ。よく眠るとか、入浴、食事の質など
 はっきり見えるかたちで作用される。そして、体が健康になったから
 即、こころも健康になるとは限らない。喉元を過ぎて、むしろ傲慢になるかもしれない。
 でも、心のうれしさよりも体のよろこびを軸にすれば、妄想世界ではなく
 実際の生活、社会、自然環境の快さにシフトする。こうして、空想世界から抜けて、
 からだで実感できる佳き世界を造ろうと体が動き、環境が本来の清浄を取り戻したとき、
 はじめて、こころが、何も思想も瞑想も要らずに、素直に清らになるのだろうか)


と、今回はあえて、いつものように記事を書いた後、
そのうら(表なし)にある心がとやかく言っていることを付け足してみました。
それでもきっと、うらのうらまでは書いていない。
ともかく、表の、目に見える世界というのは全体のほんの一部であるから、
その、取り繕った、編集された、洗練された、きれいな明るい部分だけで
印象判断し、ときに騙されて食いものにされないためにも、
自分なりの異なる視点をいくつも持ってみたり、逆に頭で考えずに
細胞レベルの抵抗感の有無も参考にするとか。
基本的に、焦らせるような物言いや、又聞きは信用しない。

ごちゃごちゃと書いてしまいました。
たまにぁ、こんな夜もあってんねん。

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