京の五条の橋の上、といえば、牛若丸と弁慶。
五条大橋には牛若丸と弁慶の可愛らしい像が建てられています。
五条大橋に立ち、なるほど、ここが二人の出会いの場所か、と感慨深く思う人もいるでしょう。
しかし、しばし待たれよ。
実は当時の五条の橋と、今の五条大橋とでは、架けられている場所が違うのです。
というのも、まあ、今となってはかなり有名な話ではあります。
二人の出会った当時の五条通=五条大路は、今の松原通なのです。
五条通の二筋北を東西に走る松原通にも、鴨川に橋が渡っています。
これを松原橋といい、なるほど、この場所が二人の出会いの地か、となるわけです。
が、またまた待たれよ。
実は、出会いは別の場所ではないかという説もあるのです。
後世に書かれた『義経記』によれば、出会ったのは、五条天神宮だといいます。
五条天神宮は、松原通を鴨川から随分と西へ行った西洞院通との交差点付近にあります。
これを五条というのは、もちろん、かつて松原通が五条大路だったからです。
ここで出会った二人は、その後、清水寺で再戦したといいます。
清水寺は松原通の東の延長上にあります。
いずれにしても、かつての五条大路の付近で二人は出会ったのでしょう。
と、結論付けるのは、まだ早かったりもします。
京都の北、大徳寺のある辺りは、紫野と呼ばれています。
この辺りにも二人の伝説が残っているのです。
二人の出会いの地は、昔この辺りに流れていた川にかかる橋だった、と。
その名も、御所ノ橋。
なるほど、御所ノ橋が転じて五条の橋となったというのは、真実味があります。
実際この辺りは、義経の母、常盤御前に縁のある土地です。
そしてこの辺りには、弁慶が刀狩の待ち伏せのために座っていた石が残っています。
もちろん「そうだといわれている」というものにすぎませんが。
そのほかにも、それらしい遺跡が残ってはいます。
それが却ってできすぎな感じもするんですけど。
結論をいえば、どれも真偽は不明です。
まあ、820年以上も前のことですから、無理もない話です。
興味がある人はそれぞれの場所を尋ねてみてはいかがでしょうか。
ここだろうか、いやこちらではないか、などと考えているのも楽しいものです。
”あいらんど”