3月1日は芥川龍之介の誕生日である。
芥川龍之介は、まあ、その小説を読んだことがない人はそうはいないだろう、という大文豪である。
その芥川龍之介が生まれたのが、1892年の3月1日。
そう、ちょうど120年前のことである。
辰年辰の月辰の日辰の刻に生まれたから龍之介と名づけられたと言われる。
真実は不明。
120年、十二支が丁度十度巡った今年も当然辰年である。
さて、芥川龍之介といえば、なんといっても『羅生門』である。
むろん、他にも多数の代表作がある。
が、ここは話の流れから、そう断定しよう。
黒澤明の映画にもなった。
もっとも、黒澤の映画の原作といえるのは、どちらかといえば、同じ芥川の『藪の中』である。
それはともかく小説『羅生門』である。
芥川は羅「生」門としたが、舞台となっているのは平安京の羅「城」門である。
羅城門は、平安京の南の玄関である。
内裏の南面中央からまっすぐ南へと伸びる朱雀大路の南端に、それはあった。
都の正門として威容を誇ったが、十世紀後半に倒壊後、再建されなかった。
荒廃した羅城門の様子は『今昔物語集』などに描かれ、それを元に芥川は『羅生門』を書いた。
もちろん、今羅城門はなく、公園に跡を示す石碑が建っているばかりである。
周囲はごく普通の住宅街で、当時を偲ぶよすがもない。
奈良のように、再現して立てるようなスペースなどありゃしない。
まあ、なんとなく「ああ、ここがそうなのかぁ」と、イメージしてみよう。
それはそれで、一つの楽しみ方だろう。
ところで、平安京遷都と同時に、羅城門を挟んで東西に二つのお寺が建てられた。
東寺と西寺である。
東寺は今も残り、世界遺産に登録され、まあ、言わずもがなの名刹となっている。
一方の西寺は、悲しいかな、朱雀大路の西側の荒廃とともに、寺もなくなっていった。
今はその跡を示す碑や、礎石が残っているだけである。
どういうわけか、ここも公園になっている。
興味がある方は一度お訪ねになってはいかがであろうか。
”あいらんど”
いや、もちろん、3月3日といえば、雛祭り。
男の子にとっては、嗚呼憧れの雛あられ。
あのぱふっととした、ほんのり甘いあられを食べるのが、楽しみだった。
「ぱふっとした」って言葉、あるだろうか。
まあ、要するに、花より団子。
お飾りなど、大して興味がない。
お内裏様とお姫様の顔がどうだとか、無関心。
たいていの男の子は、そんなもの。
大人になってみると、何かしらの意味があるのだな、と、まあ思ったりもする。
雛祭りの歴史に思いを馳せてみる。
雛祭りの発生は、一説には、穢れを移した人形<ヒトガタ>を川に流したことが始まりともいう。
これがひいな遊びといわれた女の子の人形遊びと結びついたのが、今の雛祭りと言われている。
まあ、そんな歴史よりも、やはり団子だ。
京都では雛祭りにばら寿司を食べる習慣がある。
引千切<ヒチギリ>という和菓子を食べる習慣もある。
蛤を食べる習慣もある。
蛤は、夫婦円満の象徴で、つまり、将来女の子が良き伴侶を得るための縁起担ぎというわけだ。
食べ物の話ばかりでもなんなので、雛祭りの行事の話を一つ。
宝鏡寺というお寺がある。
それほど大きくない、普段はひっそりとした、というか非公開のお寺。
そのお寺が、年に2回、春と秋に一般公開される。
春はこの雛祭りの時季にあわせて公開される。
その理由は、この寺の別名の聞けばすぐに分かる。
宝鏡寺は人形寺とも呼ばれているのだ。
古くなった人形を引き取り、人形供養をしてくれるお寺である。
もともと尼門跡のお寺、つまり、皇族など、偉い人たちの御息女などが住職を勤めたお寺である。
人形と結びついたのも、そんなところに理由があろう。
毎年春の一般公開では様々な雛人形が展示される。
皇族由来のもの、地方独特のものなど、古今を問わず、人形を展示している。
なかなか壮観である。
三十三間堂の千体仏像にも匹敵する、といえば大袈裟か。
そうそう、三十三間堂といえば、3月3日は無料で入れる。
三十三はアラビア数字で表せば33で、なるほど、というわけだ。
その日、女性には桃のお守りが授与もされる。
ぜひお訪ねになられてみてはいかがだろうか。
”あいらんど”
当館の東を南北に流れる鴨川
京都府は今年から鴨川沿いの歴史・文化スポットを多彩に結んで観光客を誘う「鴨川文化回廊」事業を各界と連携して始めています。
古く江戸後期の儒学者・頼山陽(らいさんよう)は、京都の美しさを“山紫水明”と称賛しているのは皆様もご存じかと思います。
この言葉は現代も京都を形容する表現として盛んに用いられていますが、その中心的役割を担ってきたのが鴨川でしょう。
北西部の桟敷ヶ岳東側の谷を源流に雲ケ畑、上賀茂を経て糺の森で高野川と合流し、四条大橋上流で白川が合流をして下鳥羽付近で桂川に注いでいます。
上流に位置する北山通と下流域の東寺の五重塔がほぼ同じ高さになっていますヨ。
近年は治水対策とともに河川整備が進められ散策や夏場の夕涼みの憩いの場として多くの人に親しまれていますネ
特に有名なところでは植物園の西側、半木の道の桜並木や納涼床は観光客の方には目玉スポットです。
今回の事業計画で川沿いに散策モデルコースの設定、テーマ別のコース、川や水にまつわる豆腐や茶の湯、友禅染めといった今日の食や伝統文化産業の体験企画も取り組むとか。
また、鴨川と芸能・映画とのかかわりにもスポットを当てるとのことで、一層身近な流域となりそうです。
(当館にかかわる皆さんには大いに楽しみですね)
京都府のホームページで回廊コースを発信されます。
マスコミを通じて今後いろいろな詳細が公開されることでしょう、乞うご期待の程。
しーちゃん
お宿いしちょう、石長松菊園からすぐの河原町通りにでた向かい側に紙匠「ぱぴえ」さんというかわいい名前の紙屋さんがありますので、ご紹介をいたします。
小さなお店の中には所狭しと和紙のクラフトからメモ帳、一筆箋・絵葉書・ポチ袋などなど・・・
かわいい舞妓さんの絵柄や専門の画家の方の季節の花の絵ハガキなど、どれもこれも手に取りたくなるものばかりです。
携帯のめーるでのコミュニケーションも便利ですが、たまには季節の絵柄で近況を知らせるお便りは、貴女のセンスアップになること間違いなしでしょう。
一度「ぱぴえ」さんをのぞいてみると、必ず一度は書いてみようかな~と思うはず。
今風のツイッターやフェイスブックではない紙の持つ自然の優しさと、自筆で書いた心遣いが必ず幸せを運びこむことだと思います。
店内ではかわいい店員さんが親切丁寧に教えてくれますよ。
ちなみにお駒ねえさんは、バリバリの昭和の手紙派です。
http://hyogensha.net/papie/index.html {ぱぴえ}
お駒ねえさん
只今世は受験シーズンでありまして、ここ教育の街でもある京都で、近年各校が新しい取り組みを行っています。
まず、現在行われている高校受験において府教育委員会は府立高校の授業に「茶道」を取り入れるという京都らしい授業を設けました。
各年度ごとに学校数を増やし年4時間程度外部講師を招いて体験実習と講義を行い全員必修ではなく、対象の学科やくらすは学校ごとに決めるそうです。
お茶という京都の伝統文化への関心を高める若者が増えてほしいものです。
また、大学においては、京都美術工芸大を南丹市園部町に開講し、今年の4月から伝統工芸の職人育成を掲げる全国初の4年生大学を開校します。
「職人のまち」でもある京都の地から宮大工や陶芸、仏像彫刻など工芸業界を担うあらたな人材育成をし、京都の地から匠と呼ばれる職人が日本全国へ旅立つのも、そう遠くないでしょう、私の息子も今年は高校受験でこのような市の取組みも含めて色々な選択肢をして、みらいへ羽ばたいてほしいと願っています。(最後は個人的な思いでした)
松井でした(*^_^*)
毎月25日は、天神さん、北野天満宮の縁日の日。
食べ物、古着、古道具……。
多種多様の露店が、境内や参道に立ち並ぶ。
当たり前だが、2月にも催される。
ただし、2月の天神さんは、ただの天神さんではない。
2月25日には梅花祭が行われる。
梅花祭というのだから、梅が満開なのだろう。
と思っていってみると、意外とそうでもない年が多い。
今年など、まだまだ寒いので、満開になるのはもう少し先になるだろう。
もう少し後にすれば良いと思うのだが、そうもできない事情がある。
2月25日は、菅原道真の命日なのである。
梅花祭とは、梅のまつりではなく、梅を愛した菅原道真を偲ぶ会であるわけだ。
にしても、良くできたもので、梅の咲く季節ではある。
ただし、公式には、梅花祭の名の由来は、道真が梅を愛したから、ではないようだ。
さて、その梅花祭で何が行われるのか。
梅花御供と呼ばれる神事も行われるが、大方の参拝客の目的は別にある。
それが野点だ。
野点とは、野外の茶会である。
その茶を点ててくれるのが、京都五花街の一つ、上七軒の芸・舞妓さんである。
こちらは、豊臣秀吉が催した北野大茶湯が由来となっている。
テントの下の座敷で、芸妓さんがお茶を点ててくれる。
その手前を見ているのも楽しみの一つ。
ただし、その目の前で点てたものが飲めるわけではない。
奥で点てたものを運んできて、配ってくれるのだ。
そりゃ何百人もにお茶を供さねばならぬのだから、悠長にはしていられない。
しかし、運んできてくれるのも舞妓さんで、間近に接することができるのはうれしい。
今年は2月25日が土曜日。
とても多くの人出が予想されるが、一度見てみるのも良かろう。
しかし野点拝服料1,500円なりはややお高い?
”あいらんど”
皆様のおうちではおひな様飾りはされましたか?
代々受け継いできている大きなひな壇に飾りつけるのは、何年もしていないのが現実で、本音ではなんでこんな大きなものを狭い所に飾らないといけないの!と思っています。
子供に女の子がいても生まれて3年くらいでしょうか飾っていたのは。
今は略式になってしまい、お内裏様とお雛様だけが鎮座されています。
気持ちの問題とごまかしてはいますが、本当は娘にも受け継いでいってほしいものが沢山あるのだと実感しています。
料理一つ結婚したらまともにできないと恥をかくし、掃除も洗濯も・・・・・いっぱいあって本当にどうしたらわかってくれるのでしょうかね、と愚痴も言いたくなります。
私もそうだったよううに、母から娘へ伝えたいものは形ではなくやっぱり気持ちでしょうか。
心がけと気持ちの持ち方思いやりそんなことが一番大切で役に立つのではとふと思うこのごろです。
ひとつの大切な命を育てて、一人立ちしてゆく日を心なしか楽しみにして、お雛様を眺めています。
母より
2月18日土曜日~3月21日水曜日
しだれ梅と椿まつり 城南宮
150本余りのしだれ梅、その後は300本もの椿が咲き誇ります。
毎日午後3時から、神職がご由緒等ご案内下さいます。
午前9時~午後4時
2月21日火曜日
燃灯祭 上賀茂神社
二月第二の子の日の神事です。平安時代に宮中の年中行事として
行われていた「子の日遊び」を神事化したもので、神職一同、
御阿礼野と呼ばれる場所にあった神館跡の壇に出でて小松を
根引きとし、それに燃灯草を添えて神前に奉る神事です。
午後2時~
弘法市 東寺
1200~1300店ほどで、毎月約20万人ほどの人が訪れています。
開催時間 午前5時頃~午後4時頃
2月23日木曜日
五大力尊仁王会 醍醐寺
不動明王など五大明王の力を授かり、その化身・五大力菩薩に
よって国の平和や国民の幸福を願う行事です。この日に限って
授与される災難・盗難除けのお札「御影」は、京都の町屋や
老舗はもちろん、各家庭の出入り口に貼られています。
全国から十数万人の参拝者が訪れるこの仁王会は、醍醐寺最大
の年中行事として知られています。力自慢の男女が巨大な鏡餅を
持ち上げ、その時間を競う「餅上げ力奉納」も有名です。
午前9時~午後5時
五大力尊法要 聖護院積善院準提堂
五大力菩薩の御開帳がなされ、盗難除けのお札、お守りの授与
があります。粕汁の無料接待もあります。
山伏による柱源護摩供養午後1時~午後4時
粕汁接待 午前9時半~
2月24日金曜日
幸在祭(さんやれさい) 上賀茂神社
上賀茂地域の農家の元服(成人の)儀式で、男子十五歳になると
「あがり」といい、里の仕事、祭礼、町内行事などで一人前の
大人として扱われます。田の神と山の神に元服を奉告します。
午後12時~
青谷梅林 梅まつり
宇治市に隣接した城陽市に青谷梅林があります。
その起源については、後醍醐天皇の皇子、宗良〔むねなが〕親王の歌に、
「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなき」
とあることから、鎌倉末期ごろにはすでに梅林があったことが知られます。
徳川時代には淀藩から梅樹栽培の奨を受け、老樹古木をまじえて数万本の梅樹が群生していたと伝えられています。
現在は、およそ20ヘクタールの面積に梅樹が植えられております。
主な品種は、城陽白〔梅菓子・梅干・梅酒用等〕、白加賀〔梅酒用〕、青軸、玉英…等。
2月から3月にかけては約1万本の白梅が咲き誇り、青谷は大きな白布を広げたように白一色となり、どこまでも梅の香りに包まれる感じになると思います。
青谷山の梅を見にゆきて
「白雲の上に立つかとあやしめば
梅なりけりとかほる山風」 〔加藤里路〕
梅の咲くころ、青谷梅林では梅まつりが催されます。
今年は2月20日(月)から3月18日(日)まで。
宇治の平等院などを観光された後、ちょっと寄り道されてはいかがでしょうか。
<交通のアクセス>
JR京都奈良線の「山城青谷駅」から徒歩約20分
近鉄「大久保駅」より京阪バスで約20分、「中村」下車後、徒歩約12分
〔お問い合わせ〕
城陽市観光協会 電話0774-56-4029
城陽市商工観光課 電話0774-56-4019
”さぼてん”