小倉山峰のもみじ葉こころあらば
今ひとたびの行幸待たなむ
百人一首にも収められたこの一首は、平安歌人、藤原忠平のもの。
歌人というか、政治家としてのほうが有名ですが。
百人一首には、漢風諡号の貞信公という名前が使われており、そちらで知られているかもしれません。
小倉山というのは、嵯峨野にある山で、百人一首も本来は『小倉百人一首』といい、この小倉も、小倉山に由来します。
というのも、その選者である藤原定家の山荘がこの地にあったからです。
百人一首は、その山荘で撰じられました。
この山荘は小倉山荘といい、後、時雨亭とも言われたようです。
その時雨亭の跡、というのが、嵯峨野にあります。
3つも。
なぜ3つも!?というのは、率直な疑問。
一度廃れたもの故に、本来の跡地が分からなくなったというのが実際のところ。
3つあっても良いの?といわれると、正直よく分かりません。
今でもどこが本当の場所なのかと、議論されているのでしょうか。
跡地のある場所がいがみ合っているという話は聞いたことがないですが。
さて、その跡地はそれぞれ、常寂光寺、二尊院、厭離庵という場所にあります。
このうち前の2つは小倉山中に、後の1つは小倉山麓にあります。
お互いは近いようで、それなりに距離はあります。
共通しているのは、どこも紅葉の名所であるということ。
まあ、嵯峨野全体が紅葉の名所でもあるんですが。
その中でも、名高い場所です。
厭離庵などは、その時期にしか一般公開しないくらいです。
時雨亭跡めぐりというのは、この時期の散策にもってこいのルートかもしれません。
どれが本当の場所かはっきしりて!と、目くじらを立てるのはやめましょう。
それぞれを見比べ、どの景色を定家は見ていたのだろうと、そんなことに思いを馳せてみてはいかがですか?
一味違った嵯峨野が見られるかもしれません。
”あいらんど”