京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

甘酸っぱいオレンジ色

2011-07-30 | インポート

 8月1日を八朔という。

 朔というのは、新月のことである。

 新月というのは、月がすっかり陰になって見えなくなる、満月と対極の状態である。

 つまり、旧暦の1日に当たるのだ。

 だから、8月1日を八朔というが、同じ理屈を用いれば、一朔から十二朔まで作れる。

 しかし、三朔だとか、十朔だとかは、まあ聞かない。

 8月1日の八朔だけが特別に取り上げられる理由は、はっきりいって知らない。

 いずれにしても、日本各地に、この八朔に行われる風習が伝えられている。

 

 さて、京都にも、実は八朔の風習がある。

 そりゃ歴史の町なのだから、あっておかしくはない。

 京都の八朔の風習は、祇園に残っている。

 この日、日ごろお世話になっているお茶屋さんやらお師匠さんやらへ、芸・舞妓さんたちが挨拶に回るのである。

 当然、昼間からフル装備の舞妓さんが登場するわけである。

 暑い中大変だろうと思う。

 しかし、普段はなかなか目にすることのできない本物の舞妓さんを見られるわけである。

 しかも、祇園の石畳を歩いているわけだ。

 この行事もなかなか有名なので、当日はカメラを持った人で花見小路はいっぱい。

 この情報社会、めったにないチャンスを生かそうと思う人は多いのである。

 そのため少々情緒にかけてしまう風景なのは、やむをえないのか。

 自分以外いなければ良いのにと思うのはわがままなのか。

 舞妓さんが自分のほうを見てにこっと笑ったと思うのは気のせいなのか。

 まあ、よく分からないですが。

 何かのついでがあったら見てみるのも良いでしょう。

 くれぐれも、舞妓さんたちのご迷惑にならないように行動するのは、基本マナーです。

”あいらんど”


あなた百までわたしゃ九十九まで

2011-07-29 | インポート

 今年は大正100年だという。

 99年前、明治天皇の崩御に伴い、大正天皇が即位した。

 その元号が明治から大正に変わったのが、7月30日のことである。

 

 京都というと、お寺や神社などが見所だと思われがちだ。

 むろん、それはそのとおりである。

 それらが創建されたのは、主に明治維新前、つまり近世以前のこと。

 京都の歴史的価値も、それらに限られているようにも思われがちだ。

 しかし、明治維新以降の建造物にも、なかなか見所が多い。

 何しろ、京都の市街地は、太平洋戦争で大きな空襲被害を受けていない。

 明治、大正、昭和のモダンな建築も、多く残されている。

 以前ここでも書いた西本願寺の伝道院もしかり。

 また、再来年の大河ドラマの主人公は同志社大学の創立者、新島襄の妻・八重だが、その同志社にもモダン建築は多い。

 

 さて、そんな中でも、三条通のモダン建築密集ぶりは目を引く。

 中京郵便局、京都文化博物館、日本生命京都三条ビル、旧家邊徳時計店、旧不動貯金銀行京都三条支店、旧毎日新聞京都支局、等々。

 これらがそれほど間をおかずに建ち並んでいる。

 建てられた年代はばらばらだが、今となっては統一感を覚えるだから不思議だ。

 中京郵便局などは、作られた当初から使用目的が変わっていないのだからすごい。

 他は、現在ではショッピングビルなどに転用されている。

 ちなみに京都文化博物館は、旧日本銀行京都支店の建物である。

 その京都文化博物館も、この7月にリニューアルオープンした。

 もちろん、モダンなたたずまいは変わらぬままだ。

 観光の終わりに、ちょっと時間が空いたとき、見て歩くにちょうどいいコースである。

”あいらんど”


鳥人

2011-07-27 | インポート

 7月も終わろうとしている。

 つまり、祇園祭も終わろうとしているということである。

 祇園祭の掉尾を飾るのは、疫神社での夏越祭である。

 夏越祭、というのは、他の神社の多くが6月30日に行う、夏越の祓えとほぼ同じである。

 なぜ、祇園祭では7月なのか。

 それは、そもそも祇園祭が、旧暦時代は6月に行われていた名残である。

 旧暦6月に行われていたものを、現行暦にすると比較的重なる7月に移してきたわけである。

 しかし、旧暦6月と現行暦7月では、必ずしも一致するわけではない。

 というか、一致することは稀である。

 実は今年は、この稀な年なのである。

 今年の7月1日は、旧暦の6月1日にあたる。

 つまり、今年の祇園祭は、旧暦で行われていても同じ日程だったということだ。

 ただ、惜しむらくは、6月は30日まで、7月は31日まであるので、夏越祭だけは、一日ずれる。

 

 さて、夏越祭の行われる疫神社だが、これは八坂神社の境内にある。

 映像などでおなじみの、四条通の東のとっつき、西楼門を入ってすぐのところだ。

 とても小さい神社である。

 ここの祭神は蘇民将来という神様である。

 この蘇民将来が神様に祀られることになる由縁となる説話がある。

 蘇民将来には金持ちの兄がいた。

 その兄の家に、あるとき旅の者が宿を乞うて訪れきた。

 兄は冷たく追い返したという。

 続いてその旅の者は、蘇民将来の家を訪れた。

 蘇民将来は、貧しいながら、その旅の者をもてなした。

 さて、この旅の者というのが、実はスサノオノミコトという神様だった。

 スサノオノミコトは感謝の気持ちから、蘇民将来の子孫までも、疫病から守ることを約束したという。

 説話としては、よくあるパターンの話である。

 ともかく、そんなことから、防疫の神様として、疫神社に祀られているわけである。

 

 疫神社の夏越祭は、他の神社の夏越の祓えと同様、茅の輪くぐりをする。

 雅楽の生演奏が流れており、なんとも優雅な雰囲気である。

 お神酒もいただけるし、そのお神酒をいただいたかわらけももらえる。

 ちょっとお得な神事である。

”あいらんど”

 


耽美の極み

2011-07-26 | インポート

 7月30日は、谷崎潤一郎の忌日である。

 谷崎といえば、いわずと知れた大正・昭和の大文豪。

 この谷崎は、京都に縁の深い人物であることも、よく知られている。

 

 谷崎の作品の中でも、代表作といわれるのが『細雪』である。

 先年大きな話題になった某有名料亭のあった船場の旧家である蒔岡家の4人姉妹を取り巻く物語となっている。

 この『細雪』の主舞台は、大阪・神戸である。

 が、姉妹たちが旅行に訪れる先として、京都が描かれている。

 印象的なのは、平安神宮の桜を見に来た場面である。

 枝垂桜の美しさを見事に流麗な筆致で描ききっている。

 

 また、『朱雀日記』という随筆では、有名料亭、瓢亭を始めて訪れた場面を描いている。

  

      春雨のしょぼしょぼと降りしきる日の夕方、上田先生から招待されて、

    私は長田君と一緒に、南禪寺境内の瓢亭へ俥を走らせた。

    やがて俥の止まつたのは、見すぼらしい燒芋屋のやうな家の軒先である。

    大方車夫が蠟燭か草鞋でもでも買ふのだろうと思つて居ると、

    おいでやす、お上りやす、と云ふ聲が聞えて、幌が取り除けられる。

    其處が瓢亭の門口であつた。

  

 なるほど、知らずにはじめて訪れたら、そう思うだろう。

 ちなみに、ここに出てくる長田君というのは、祇園小唄の作詞者、長田幹彦である。

 

 さて、その谷崎の墓所は京都にある。

 哲学の道から山手のほうへ上っていった先にある、法然院というお寺だ。

 紅葉や椿でもよく知られたお寺である。

 その墓所の中の奥まったところにあるが、春に行けばすぐに分かる。

 枝垂桜の枝の撓って垂れた先に、墓がある。

 なんとも優雅である。

 いやでも『細雪』の中の、平安神宮の場面が思い出される。

 法然院にはその他にも河上肇など、著名人の墓も多い。

 一度たずねてみてはいかがでしょうか。

”あいらんど”

 

 

 


夏越

2011-07-25 | インポート
夏越
昨日の花傘巡行と還幸祭で今年の祇園祭も残りわずかとなりました。 17日の神幸祭と還幸祭の御神輿の担ぎ手のことを輿丁(よちょう)と言うそうですが、その輿丁さんから御神輿に飾られていた稲を頂戴しました。五穀豊穣の縁起物、夏には熱冷ましに良いとか! 無事夏越ができますように! 〓K.Sasano〓


元祖小倉餡を本格復活へ  和食調理部 上野

2011-07-23 | インポート

わたしたちが大好きなあんこ。
日本の食文化に欠かせないあんこ。そのあんこ発祥の地が、京都の小倉山だということをご存知でしたか?

餡は平安初期空海が中国から持ち帰った小豆を右京区嵯峨の小倉近くで栽培し砂糖を一緒に炊いたことが日本で初めての餡の発祥にされており、現在も小倉餡の長存続しています。
菓子の原点の小倉餡を復活したいとプロジェクトが発足し古来種の小倉大納言小豆の種を亀岡で入手しその種を増やして来ました。
今年50アールの畑で15キロの種を植え11月には1トンの収穫を予定し今後安定して収穫をできるように目指すとの事です。

嵯峨嵐山観光に来られた方なら必ず訪れるであろう小倉山の二尊院の境内には「小倉餡発祥の碑」があります。
嵐山にお越しの折にはぜひご覧ください。

ちなみに、皆様が餡子を作るときには砂糖を入れてからは焦げやすいので、しっかりヘラでかき混ぜて下さいね、よくこがしてしまうことがあるので、念のため。
そしてできた餡子は餡玉(あんだま)にして、冷凍保存すると便利ですよ。

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"後の祭り"は祇園祭

2011-07-22 | インポート

京都の祇園祭は、七月の一ヶ月間行われる行事ですが、山鉾や山車が繰り出される十七日の山鉾巡行を「前の祭り」と言われていて、還車の行事を「あとの祭り」と言います。
あとの祭りは、山鉾も出ず賑やかさがなく、見物に行っても意味がないことから、手遅れの意味になったとする説があり、なるほどと実感です。
華やかな山鉾巡行も、TVなどでは鉾が写るたびにクライマックスを迎えますとアナウスが流れています、確かに後の祭であればその通りですよね。
他にも“あとのまつり”の語源があるそうですが、結論としてタイミングを逃さないようにということでしょうか・・・・・

ちなみに”あとのまつり”に出かけて行って、おいしいお土産をいただいてきました。

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7月末まで祇園さんの祭事が続くので、色々な場所で町衆が活躍します。
その中で色々な
習わしがあるのです。

                                  Concierge i


深泥池

2011-07-20 | インポート

深泥池と書いて(ちんでんいけ)と読みません、みどろがいけです。

Myiy

この深泥池は下鴨本通をまっすぐ北上していくと現れる周囲1.5km、面積9haの小さな池です。
昔から色々な言い伝えがあり、龍神が住むなどと言われ、人があまり近づかなかった場所で、深い泥の溜まった水底は底なしで何人もの遺体がいまも眠っていると言われます。
深夜に乗せた女性客の姿がこの辺りで消えた。というタクシーの怪談話も有名な話ですが、ご近所さんからはわきの道路の幅を広げる工事も済んだ頃からだんだんと生態系も変わってきたようだとのことで、変な話が多いのは事実ですが、やはり自然を守りたいものです。
京都のパワースポットを大切にと思います。
                                    ハリマ王


濡れてた両手が今を描き出す

2011-07-18 | スポーツ
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撫子(なでしこ)…ナデシコ属の植物の総称。                                                                       
鴨川の河原には、『カワラナデシコ』が自生しており古典にも古くから詠まれたことから、『京都府の草花』に制定されております。平成2年3月6日
春から秋にかけて鮮やかに京都を彩ります。
                                                         ………と、前置きはこのぐらいにして   
                                                                やりました。                                                                                                              なにがって………      
                                                                       JAPAN代表ですよ。世界一ですよ。なでしこJAPAN
眠い目をこすりながら観戦して(狂喜乱舞して)いた方も多かったのではないでしょうか???
先制され、追いつき、延長戦で突き放されても諦めず、延長後半のセットプレーで同点にして、(ゴールデンゴールでもシルバーゴールでも負けていました。現行ルール様々ですね。)PK戦で勝利するさらに澤選手が得点王&MVPまでGET
こんなに劇的で「良いんですか?」「良いんです!」状態です。
暗いニュースが続く昨今、一筋の光明が日本に射し込み、明るい話題を提供してくれました。私たちも、彼女らのように『人を笑顔にできる』接客を心掛けていきたいなァと思った次第でした。                                            
                                               烏龍茶

夏を涼し・・・ (; ̄ー ̄A アセアセ・・・

2011-07-18 | インポート

毎日暑い夏が続いていたと思ったら、いきなり台風です。
昨日は祇園祭の山鉾巡行も無事済み、大勢の方々が動く美術館ともいえる醍醐味を味わっていただけたと思います。

ところでこの暑さを制御するために京都市では「風の道」づくりに乗り出すことになりました。
鴨川と交差する御池通り・丸太町通り・五条通りなど幅員が広い幹線道路を対象に、街路樹の間隔を狭めて植樹して「緑の壁」をつくり比較的鴨川上空の機息が市街地へ流れるように風の通り道を作るそうです。

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実はこの取り組みは海外が最初で1990年代にドイツのシュトガルト市で始まったとされ、韓国のソウル市でも都市緑化が進められているといいます。
日本でも神戸市などが導入を検討しているそうだ。
この夏は特に節電意識を持ち継続的な街を冷やす案が進行中である。
                                        
 松井でした(^o^)丿