梅小路公園の朱雀の庭・いのちの森は穴場でおススメですよ!
梅小路公園といえば京都水族館や最近では鉄道博物館が定番観光スポットですが、実は紅葉の隠れた名所でもあります!
東福寺や寺社仏閣の紅葉はもちろん素晴らしいですが、何せ人混みがすごいですからね。
こちらはのんびり観ることができますよ。しかもとってもリーズナブル!市バスが便利ですが京都駅からぷらぷら散歩するのもまたイイもんです。
見頃は過ぎつつありますが是非足を運んでください!
最寄駅:京都駅から北西方面へ徒歩約15分
フロントよっしー
今年も嵐山花灯路が開催されます。
12月8日から17日までで、点灯時間は17:00から20:30.
昨年いってみましたが、沢山の人で賑わっておりました。
竹林のラインナップは色々な色彩でライトを当てるので昼には見ることのできない光景です。
南門
京都市に寄贈されたフランス文学者の故桑原武夫氏の蔵書が廃棄された。
今年の四月にあったそんなニュースを覚えているだろうか。
図書館の倉庫に蔵していたものを、目録を残して市の職員が処分してしまったというものだ。
残念なニュースではあったが、幾許か同情の余地がないでもない。
蔵書スペースの問題は、一般の読書家においても懸案事項だからだ。
ただ、この一件で一番の問題となったのは、親族などに相談もなく処分した、という点だったようだ。
ところで、当館、石長松菊園の南側の通りを突き当たったところにコインパーキングがある。
通りを挟んだ向かいにある銅駝美術工芸高等学校の北側に接する場所だ。
二、三年ほど前までそこは空き地で、そこに枝ぶりの良いモミジが植わっていた。
初夏に新緑の葉を出し、今頃の季節にはそれを赤く色づかせて、季節を感じさせていた。
それは、空き地になる数年前までそこにあった料理屋の庭木だったものだ。
そして、そもそもその料理屋の建物はかつて、フランス文学者の生島遼一氏の邸宅だった。
その頃のことは、残念ながら知らないのだが。
そんな由来を知るきっかけとなったのは、実は某出版社から転送されてきた手紙であった。
生島氏宛で、氏の著書の愛読者であろうか、出版社気付で出されていた。
当館に届いたのは誤配で、本来はその料理屋へ配られるべきだったものであった。
どうしてここへ転送されたのかが気になり、調べたところ、その料理屋がそういう由来のものだと知った。
もちろん、それよりはるか昔に、生島氏は亡くなられていた。
さて、桑原武夫氏と生島遼一氏とは、同じフラン文学者で、同時期に京大の教授を務めていた。
スタンダールの『赤と黒』を二人で共訳もしている。
件のニュースを聞いた時、そんな繋がりのことを思い出した。
片や蔵書が処分され、片や邸宅はコインパーキングに……。
何か時代の流れの哀しさを感じさせられるような話である。
この紅葉の季節、そのコインパーキングの前を通ると、ついあのモミジのことを思い出してしまう。
同じようにして、時の流れの中で失われてしまったものは、数多くある。
一方で、この京都には、時代を超えて守られてきたものも、また数多くある。
物を壊すのも人であり、守るのもまた人である。
京都という町は、そのせめぎあいを繰り返し、今に至っている。
そういえば、桑原氏や生島氏は、無頼派の作家、織田作之助とも関わりが深い。
何しろ織田は三高(京大教養部の前身)に通い、スタンダールに影響を受けて作家を志したのだから。
織田の小説『それでも私は行く』には、桑原氏の名前をもじった人物が登場してる。
又、随筆『可能性の文学』の中には、生島氏の名前も登場する。
ちなみに、『それでも私は行く』は、京都を舞台とした小説である。
織田らしい時代の風俗を活き活きと書ききった作品となっている。
現在入手可能な書籍があるかどうかは判らないが、青空文庫には収録されている。
是非ご一読を。
”あいらんど”
京の年中行事、師走の風物詩顔見世興行のまねきは、公演会場の岡崎、ロームシアター京都に上げられたことはお伝えしましたが、四条南座はと言うと、耐震補強工事中。
周囲は足場が組まれシートで覆われていますが、正面にまねきが上がった様子を描いた絵が飾られました。
西側には、襲名披露を行う芝翫さん親子の写真が貼られています。
いよいよ、明日初日を迎える顔見世興行。大盛況を祈りたいと思います。
ブログ班
洛中の中心部に豊かな自然が広がる京都御苑。
江戸時代までは約200軒の公家屋敷が並ぶ公家町を形成していましたが、明治2年の東京遷都により公家のほとんどが東京へ移転し、荒廃しました。
明治10年以降、京都府を中心に整備行われ、現在の南北約1.3km、東西約700mの国民公園として市民に親しまれる御苑が誕生しました。
この歴史ある御苑内の宮家、公家の邸宅跡、幕末維新に所縁があった場所を、今見頃の紅葉と併せて散策してみました。
〈閑院宮邸跡〉
公家屋敷の佇まいが残る貴重な遺構
〈九条邸跡〉
五摂家の一つ、九條家の唯一の遺構。茶室拾翠亭が残る。
〈堺町御門〉
御苑内の九つの御門の中で唯一南側にあり、御苑の正門。
京都三大祭の葵祭と時代祭の行列はここから出発。
〈蛤御門〉
「禁門の変」の舞台となり、刀傷らしき跡が残る。
〈建礼門〉
天皇陛下や国賓が来られた時開門される格式の高い門。
〈学習院址〉
学習院は公家の子弟の教育機関。
この周辺の紅葉は特に綺麗。
〈橋本家跡〉
橋本家は幕末の公武合体政策により将軍家茂に嫁いだ和宮の生家。
〈猿ヶ辻〉
御所の東北は鬼門。それを守っているのが御幣を持った猿がいます。
この辺りで尊攘派の過激派公家、姉小路公知が暗殺される「朔平門外の変」が起こった場所で猿ヶ辻の変とも言われる。
〈中山邸跡〉
明治天皇の生家。木造平屋建ての21坪ほどの産屋が現在も残っていますが、非公開。
〈近衛邸跡〉
枝垂桜で知られるが、紅葉も綺麗。
京都御苑はその広い敷地に様々な樹が植えられていて、長い間、紅葉やイチョウの黄葉を楽しめます。
だいたい2時間あればご紹介した場所をめぐることが出来ます。
お時間が許す方はお楽しみください。
京都好き男 細木
鴨川には多くの野鳥が生息しています。
代表はカモ。そしてサギ、鵜、オオバン(団栗橋付近に居ついていたのですが先月の台風の後、姿を見ない)、そして冬にはユリカモメ。
たまにはこんな珍しい鳥も。
カワセミ。渓流に棲む鳥だと思っていたのですが、鴨川の岩の上で休んでいました。
都会のど真ん中で見られるとは、驚きです!鴨川が綺麗な証ですね!
KAZ