芭蕉翁詠みけり。
六月や峯に雲置くあらし山
夏の嵐山を、すっと爽やかに詠みあげた句である。
「六月」というのは、この場合、旧暦で、つまり今の7月くらいで、梅雨明けの後の季節。
つまり、この「雲」は、梅雨のどんよりとした灰色の雲ではなく、青空を背景にした、白い入道雲である。
嵐山と、それの背負う夏空が見えるようだ。
そんな季節まで、後もう少し。
この句の句碑が、嵐山中腹の千光寺境内にある。
京都には句碑、歌碑の類が多く建てられている。
有名なところでいえば、「かにかくに」の歌碑。
近代の歌人、吉井勇の、
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる
という短歌が刻まれている。
お茶屋遊びの後の、艶やかさと気怠るさとが入り混じった空気を、うまく詠み込んでいる。
当館から程近い、京都御苑に隣接してある梨木神社にも、歌碑がある。
千年の昔の園もかくやありし木の下かげに乱れさく萩
歌作は、日本人のノーベル賞初受賞者、湯川秀樹博士による。
梨木神社は、萩の名所として名高い。
9月になれば、正に乱れ咲く萩が見られる。
ただし、「千年の昔」、といっても、梨木神社は明治の創建だから、この「園」は梨木神社のことを言っているのではない。
また、これも当館の近く、高瀬川沿いを二条から御池へ下がって東へ、鴨川に架かる御池大橋の西詰めにも、句碑がある。
春の川を隔てて男女哉
大文豪、夏目漱石の句である。
「春の川」というのは、もちろん鴨川で、「男」というのは、夏目漱石。
では「女」とは?
句の横に、こんな文字が刻み込まれている。
御多佳さんへ
「御多佳」というのは、祇園のお茶屋の女将で、漱石が懇意にしていた磯田多佳のことだ。
この句にはいわれがある。
ある京都訪問の機会に、漱石は多佳と北野天満宮へ行く約束をした。
しかし、行き違いから、それがキャンセルになってしまった。
約束の日に多佳が他用で出かけてしまい、漱石は待ちぼうけを食らったのだ。
それを恨みがましく思って詠んだのがこの句だという。
漱石はそのとき、祇園とは川を隔てた向かいの、木屋町に宿を取っていたのである。
しかし、実はこれが漱石の勘違いで、多佳は、その日に、という約束をしたつもりはなかったという。
そんな事情を知っていると、句碑を見るときの気持ちも、少しは違ってくる。
ちなみに、多佳が女将をやっていた御茶屋「大友」があったのが、上記の「かにかくに」の碑がある場所だ。
そんな縁も、面白い。
この他にも、多くの歌碑、句碑が、京都にはある。
それを巡る旅に、出てはいかがだろうか。
”あいらんど”