中村又五郎という名前を、三代目として襲名と相成った中村歌昇は伯父さまからの名前を襲名するにあたり、播磨屋の一員としての自覚を益々芸の道に生かし、精進して行くとの言葉を各方面から聞きます。
播磨屋の一員としてもう一人中村種太郎が四代目中村歌昇を襲名することになった、このめでたい襲名披露が「秀山祭三月大歌舞伎」として、京都南座で公演される。
中村又五郎の名前は歌舞伎界においては名脇役としての地位を確立し、皆に知らしめることに、そして歌舞伎の世界をさせる一員としての誇りを持ち、皆に愛される存在であったともいえ、なくてはならない存在である。
その襲名披露が見られるいい機会だと思いますのでぜひお足をお運びください。
京都四條 南座3月
秀山祭三月大歌舞伎
中村歌 昇改め 三代目 中村又五郎襲名披露
中村種太郎改め 四代目 中村歌昇襲名披露
2012年3月3日(土)~27日(火)2月15日(水)チケット販売開始
客室係 入江
今年も残りわずかになりました。春夏秋冬全く違う顔を私たちに見せてくれるのが京都と言う街です。
春の桜、夏の蝉、秋は紅葉と秋刀魚、冬の雪、私の四季に対するイメージです。
京都といえば春の桜と秋の紅葉はあらゆるメディア(テレビや雑誌)等で言い尽くされていますが、私が一度は見たいと思っていたのは雪化粧をした金閣寺です。
京都に生まれ育った人も一年中で一番美しい光景は雪化粧をした金閣寺とおっしゃる方は多数いらっしゃいます。
私のその願いが叶ったのは昨年の12月31日の大晦日です。
金閣寺が本格的な雪化粧をしたのは5年ぶりだそうです。(前回は2005年12月22日)ましてや大晦日に雪化粧をしたのは幾年ぶりか調べましたがわかりませんでした。
今年の大晦日、この街京都は私達にどのよううな顔を見せてくれるのでしょうか楽しみです。
来年は皆様にとっても本当に良い年になることをお祈り申し上げております。
最後に、去年の大晦日の雪化粧をした金閣寺の写真を掲載いたしますのでご覧いただければ幸いです。
雪化粧をした金閣寺をご覧になりに冬の京都へおこしやす。
ここ数年の少子高齢化によって京都市内である変化がおきている。
何かと言えば、歩道橋の現象である。
京都市では「交通戦争」と呼ばれていた昭和40年代を中心に多く造られましたが、少子化による学校の統廃合で通学路から外れてしまったり、歩道橋を上り下りできない高齢者が増えたため、利用が激減したものが現れ、撤去の動きが起き、それを管理する市や京都国道事務所がすでに何機かを取り壊している。
橋脚が歩道の障害になっていたりしていたのが、撤去後には歩道が広くなったとか、遠くの山がきれいに見えるようになったとの意見もあり、今後は地元の要望と利用者状況により撤去を検討するそうです。
確かに京都市は美観的なことには敏感だと思いますが、私は子供の頃の、横断歩道があるのにわざわざ歩道橋をつかったりして、子供心に何か歩道橋が楽しかった記憶があります。
時代の流れとはいえ、減りゆく歩道橋には個人的にさみしく思えるのは私だけでしょうか?
松井です(*^。^*)
先日新聞にも掲載されていてそうだな~と思ったのが「ハンドン」。
ハンドンの言葉になんの事だか分からない方はきっと若くてガンバリ屋さんだろうと思うのですが。
いまどき大企業でも週休2日とか今は残業カットとか色々ありますが、私たちの若き頃のサラリーマン世代は土曜といえば会社が昼まで、そのあと仲間と出かけたりして遊んだものでした。
今でこそ休みになんで会社の人と出かけるの?!なんて聞こえてきそうな御時世ですよね。
昔はよかったというようになったらお年寄りの仲間入りだと言ってきた私もやっぱり良かったな~と思うようになってしまいました。
ただただ、ひたすら会社のため、家族のためと働いてきたあの頃と今は大違いで、時流に乗って生きてゆかないと取り残されそうです。
「ハンドン」その響きが懐かしい今です。
ハイパーパパ