新型コロナウイルス感染拡大に伴う社会活動の制限が県内でも少しずつ緩和されつつありますが、
これまでの自粛により企業、とりわけ飲食業や観光産業は厳しい経営状況が続き、
失業や行き場を失った方々も増えております。
一日も早い終息を願うばかりです。
反面、この状況でなければ、気づけないことも多々あります。
外出を自粛する中で、忙しい時には気付かなかった、一緒にいてくれる家族のぬくもりや人の温かさ、
健康でいられることの喜びや当たり前に生活できることの幸せなど
つらく苦しい中にも、人生を豊かにしてくれる本当に大切なものに気づかされることもあるのです。
さて、五月十五日の言葉は
「足ることを 知る心こそ 宝船 世をやすやすと 渡るなりけり」
これは江戸時代の心学者 「脇坂 義堂」という人の言葉です。
語源は老子の「知足者富」
足るを知るものは富む
と読みます。
富むといってもお金持ちになれると言う意味ではなく、
幸せになれると言う方が近いと思います。
足ることを知る人は幸せになれる そして人生も楽しく過ごしていける
今の不自由な生活の中で、ものの見方、人生の考え方を変えてくれる言葉ではないでしょうか?
足ることを知るとはどういう意味でしょうか?
それは「ないもの」「不足しているもの」に注目するのではなく、
「足りているもの」「すでにあるもの」に注目するという意味です。
私たちは得てして、自分が持っていないものを欲しがります。
あれが欲しい、これを手に入れたい、お金持ちになりたい、いい家に住みたい、
あの人のようになりたい、誰でもそういう気持ちを持っています。
しかし現実は思ったようにうまく行きません。
「もっともっとあれが欲しい、これが欲しい、まだまだ足りない」
多くの苦しみはそうした足りないものにこだわって必要以上に欲しがる心が原因である
と老子はさとすのです。
そしてそうした不要な欲望や苦しみを捨てて、
自分が既に持っているものに注目する生き方を選択する事が「足ることを知る心」であり
「足ることを知る心で人生を過ごしていけば幸せになれる」と説きます。
今、新型コロナウイルスにより、今まで当たり前だった生活が、大きく変わろうとしています。
そして新しい生き方、新しい生活様式が求められようとしています。
外へ出ないで家の中にいても、楽しく食事ができる事、健康に生活できること、
心配する家族がいてくれる事、子供や孫の成長の喜びなど、
日々の小さな出来事に様々な喜びや幸せを感じる事ができます。
今こそ「足ることを知る」心が大切ではないでしょうか?。
徳川家康は「不自由を常と思えば、不足なし」と述べましたが、
日常の小さな喜びに気が付けば、心が静まり、不満の気持ちから、感謝の気持ちへと変わってきます。
一日の始まりにはまず神棚に手を合わせ今日も一日お守り下さいと神様にお祈りし、
一日の終わりには今日も一日ありがとうございましたと感謝の祈りを捧げる。
ただ、それだけで感謝と祈りの生活「足ることを知る」生活ができるのです。
心の幸福は感謝の心から湧き出で、身の幸福は祈りによって倍増致します。
神様、ご先祖さまに今日一日を無事に過ごさせて頂いた感謝の祈りを捧げて、安らかな眠りの床につきましょう。
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