先住民族関連ニュース

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「サケ漁はアイヌ民族の自己決定権」 紋別の協会長、無許可で網設置

2019-09-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/01 05:00
 【紋別】アイヌ民族で紋別アイヌ協会会長の畠山敏さん(77)が31日、儀式用のサケを捕るため紋別市内の藻別川に無許可で網を設置した。儀式は1日に実施予定という。川でのサケ漁は違法だが、畠山さんは「サケ漁はアイヌ民族の自己決定権だ」と主張している。
 畠山さんは31日午後3時すぎ、河口から約100メートル上流で木製ボートに乗り、約1時間にわたり、網を川の両岸にかかるように張った。遡上(そじょう)するサケが数匹かかったが、網の引き上げは行わなかった。
 川でのサケ漁は水産資源保護法で禁止されている。アイヌ民族についてはサケを迎える伝統儀式に限り、道に申請し、許可を得れば特別採捕が認められる。ただ畠山さんは31日、報道陣に「許可はいらない。先住権を訴えたい」と話した。
 4月に成立した新法「アイヌ施策推進法」はアイヌ民族を「先住民族」と明記したが、土地や水産資源などの先住権については触れていない。畠山さんは8月30日にもサケの捕獲を試みたが、事前に道職員に制止されていた。(泉本亮太)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/340185

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返還された遺骨を供養 紋別アイヌ協会

2019-09-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/31 19:17
 【紋別】紋別アイヌ協会(畠山敏会長)は31日、昨年に札幌医大から市へ返還されたアイヌ民族の遺骨を供養する儀式「イチャルパ」を紋別市元紋別で行った。関係者ら約50人が先祖の霊を慰めた。
 納骨されたのは、1974年に同市渚滑町の柳沢遺跡から出土した女性の遺骨。市の寄託を受けた札幌医大が研究目的で保管していたが、昨年12月に市へ返還され、市立博物館が保管していた。
 紋別アイヌ協会は31日、同博物館から遺骨を借り、市の納骨堂に納めた後、イチャルパを実施。国内外の関係者や観光客が、イナウ(木幣)を立てた祭壇に伝統料理シト(団子)などを供え、先人の安らかな眠りを祈った。畠山会長は「(遺骨の女性は)ようやく地元に帰ることができ、喜んでいると思う。今後は再埋葬も考えたい」と話した。(泉本亮太)
☆イチャルパのルは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/340128

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アイヌ民族が伝統儀式、北海道 神への祈りと先祖供養

2019-09-01 | アイヌ民族関連
佐賀新聞8/31 11:54

北海道紋別市で行われたアイヌ民族の伝統儀式=31日午前
 北海道紋別市の紋別アイヌ協会は31日、かつてアイヌの遺骨が埋葬されていた墓地の跡地で、神に祈り、先祖を供養する伝統儀式(アイヌ語でカムイノミ・イチャルパ)を行った。
 道内外や海外から参列した人らが民族衣装を着て、神と先祖に食べ物や酒を奉納し、協会の畠山敏会長(77)があいさつ。
 畠山さんは、サケ漁は先住民族であるアイヌの権利だとして、儀式で供えるサケを同日午前に道の許可を得ずに捕る予定だったが、9月1日にも別の儀式があることから漁を延期した。
 この日は儀式に先立ち、紋別市立博物館からアイヌの遺骨を引き取り、市内で納骨した。
>> もっとくわしく読む
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/420785

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アングル:アマゾン火災、ブラジル国内では大統領批判少なく

2019-09-01 | 先住民族関連
朝日新聞 2019年8月31日08時30分
 [ブラジリア 29日 ロイター] - ブラジルのボルソナロ大統領は、アマゾン森林火災への対応をめぐり、国際舞台では欧州の指導者たちや環境保護グループから激しい批判を浴びている。しかし、国内で大統領の対応の鈍さに怒る国民は少ない。
 熱帯雨林の保護と開発のバランスを巡り、国民の多くは、外国の干渉に対する大統領の嫌悪感を共有している。アマゾンは国内では重要な国家資産と受け止められているが、国際社会では気候変動への決定的な防波堤と見なされている。
 ただ、政治家やアナリストによると、ブラジルに対する通商制裁や不買運動が広がって、ただでさえ減速している景気に悪影響が出始めれば、世論も変わる可能性があるという。
 環境保護主義者たちは、森林火災の大半は不動産投機家や牧場主らが牧草地を広げるため違法に火を放ったもので、過度な環境保護に対するボルソナロ氏の批判に後押しされたことが、こうした行動を招いたと訴えている。
 ボルソナロ氏は火災が故意に起こされたという主張を否定し、特に欧州諸国に対し、介入しないよう繰り返し要求。消火活動の資金や機材が不足しているにもかかわらず、国際支援を拒絶し、フランスのマクロン大統領と舌戦を繰り広げている。
 ブラジリアのコンサルタント会社キャピタル・ポリティコの責任者、レオナルド・バレット氏によると、今週実施した世論調査ではボルソナロ政権が「非常に良くやっている」、「良い」、「普通」とする回答は合わせて約60%に上り、国民が現時点では大統領を好意的に見ていることが明らかになった。
 ロビイストでブラジル政府の元通商担当高官だったウェルバー・バラル氏は、「アマゾンの支配権を外国人に奪われかねないとのボルソナロ氏のナショナリズム的思考のために、皮肉にも、森林火災は同氏の支持率を上げたかもしれない」と述べた。
 ブラジル国民の多くは、アマゾンには金からニオブに至る膨大な鉱物資源が眠っており、それらが諸外国から狙われていると信じている。
 この考え方はブラジル軍部でも根強く、アマゾンでの外国人のいかなる役割に対しても、たとえ環境や先住民族を保護しようとする非政府組織の活動であっても、疑心を生む結果になっている。
 軍部出身のボルソナル氏は、議会で政治家たちや一部の味方陣営からも、消火活動が遅すぎるうえにマクロン大統領との中傷合戦で時間を浪費していると批判されている。
 <経済的な影響は>
 火災が最も激しいパラ州のエルデル・バルバーリョ知事はロイターに、1月に就任したボルソナロ氏が直面している最大の問題は、これまで国内経済に景気回復の兆しがまったく見えないことだと指摘した。今やアマゾンの危機によってブラジルのイメージが損なわれ、経済に跳ね返る恐れがあるという。
 知事は「国際市場がブラジルの農産品に門戸を閉ざせば、景気シナリオはもっと深刻になるだろう」と述べた。
 既に一部の国は、ボルソナロ氏の環境政策を理由に制裁をちらつかせており、消費者らがブラジル産牛肉は買わないと決心する可能性もある。
 キャピタル・ポリティコのバレット氏によると、これは当初からボルソナロ氏の支持基盤だった農業関係の有権者に直接影響する。
 森林火災やボルソナロ氏の環境政策への世界的な批判は、投資家にも影響を与えるかもしれない。
 「ティンバーランド」などの衣料品や靴のブランドを展開する米VFコープは29日、環境問題への懸念を理由にブラジル産皮革の購入をとりやめると発表した。
 バラル氏によると、欧州などの企業は株主から、環境保護で重要な地域であるブラジルの鉱業セクターなどへの投資を停止するよう、圧力を受ける可能性もある。
 カティア・アブレウ元農業相は、農業分野でブラジルと競合する国々が環境問題を口実にブラジルを批判するのではないかと危惧している。そうなれば国民の間で反ボルソナロ氏感情が高まるとアブレウ氏はみる。
 ただ「それでもボルソナル氏は危機回避の方法について誰からの助言も聞き入れない。聞く耳を持たないし、予測不可能な人物だ」と語った。
 (Anthony Boadle記者)
http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN1VK0L0.html

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松浦武四郎~「北海道」の名づけ親【にっぽん歴史夜話】

2019-09-01 | アイヌ民族関連
サライ 9/1(日) 6:06配信
文/砂原浩太朗(小説家)
「知る人ぞ知る」という表現を時おり耳にする。一般的な知名度は高くないが、ほかに代えがたい存在感を放つ人や物にたいして用いられる形容である。探検家・松浦武四郎(まつうら・たけしろう。1818~88)などは、その典型だろう。20世紀中から彼の業績を取りあげる作家や研究者は少なくなかったが、広く知られていたとは言いがたい。ところが2019年が北海道の命名からちょうど150年だったこともあり、その名づけ親として近年にわかに注目があつまっている。松浦武四郎とは、いかなる人物だったのか。
16歳ではじめた大旅行
武四郎の生家は伊勢(三重県)の郷士で、名前のとおり四男坊の末っ子である。実家は伊勢神宮へつうじる街道に面しており、幼いころから数多の旅人を目にして育ったことと思われる。
旅行家としての人生がはじまったのは、16歳の天保4(1833)年。家出同然にして単身、江戸へくだった。家族と不仲だった気配もなく、前述のように旅の空気が身近ではあったろうが、そうした者がみな旅行家になるわけでもない。まさに天性のふるまいと言うべきだろう。江戸からはひと月ほどで連れ戻されたが、この間に篆刻(てんこく。印章彫り)の技術を身につけている。これが、のちのち旅先での収入源となった。
わずかな期間ではあったが、武四郎はすっかり旅に魅了されたらしい。両親を説得して、翌年、ふたたび故郷をあとにする。このとき一両の旅費を受けとったというから、送りだした側はせいぜい半年ほどのつもりだったろう。
ところが、武四郎は篆刻などでみずから生活の資を稼げるようになっている。この旅行は大坂を振りだしに四国、北陸、中部、江戸、九州……と10年にもおよんだ。その間に、ふた親とも亡くなってしまったというから、いささか唖然とするが、その生涯をつうじて、ふつうの価値観では測れない行動をとるのが、武四郎という男なのである。
運命の蝦夷地へ
10年ぶりに故郷へもどったのも束の間、武四郎は親類縁者へ別れを告げて、蝦夷地(えぞち。のちの北海道)へ向かった。長崎に滞在中、諸国の事情にくわしい町名主から話をきかされ興味をもったという。とはいえ、現代とは比べものにならぬほど困難のおおい旅路である。故郷を発ったのが天保15(1844。12月に弘化と改元)年2月、ようやく蝦夷地へ渡れたのは、翌年の4月だった。
当時、この地を支配していた松前藩は、御用商人と結託してアイヌ民族から搾取をかさねていた。むろん、その事実は秘されていたから、旅人など歓迎されるわけもない。武四郎は人別帳、つまりみずからの戸籍を松前藩領の江差へ移し、商人の手代となるなどして、やっとのことで蝦夷地へ足を踏み入れる。4年のあいだに3回の探検をおこない、知床や国後(くなしり)、択捉(えとろふ)、カラフト(サハリン)にまで足をのばした。
彼は紀行作家のはしりともいえ、35巻におよぶ「蝦夷日誌」で、この旅の詳細を書き残している。アイヌ民族にも深い共感を寄せ、日常会話には不自由しないほど言葉もマスターした。代表作のひとつ「近世蝦夷人物誌」では、さまざまなアイヌ人のエピソードを生き生きとつづり、彼らをしいたげる者たちの非道をうったえている。
やがて武四郎の存在は幕府の知るところとなり、ついに役人として取りたてられる。幕吏の身分で安政2(1855)年から3度にわたり蝦夷地の探検を実施、海岸線をほぼくまなく巡り、カラフトへも再度わたった。ちなみに、この地へ「樺太」という字をあてたのも武四郎である。蝦夷地の踏破は、つごう6回にもおよんだこととなる。
「北海道」ではなかった命名案
ところが、宮仕えは性に合わなかったとみえ、武四郎は4年ほどで官を辞してしまう。42歳で身をかためて娘もさずかり、在野の人として著述に専念、明治維新をむかえる。が、「蝦夷地のことなら松浦武四郎」という認識が行きわたっていたのだろう、新政府から開拓使の幹部に任じられた。ここで武四郎は蝦夷地にかわる新たな名称の考案を命じられる。彼が提出した案は、「北加伊道」だったが、これを「北海道」という表記にあらため採用されたのである(明治2=1869年)。「加伊」はアイヌ語であり、「この土地に生まれた者」という意味だった。武四郎がこめた思いの深さが推し測れるが、これを「海」に変更した政府との温度差は埋めようがない。けっきょく、かの地へ渡ることもなく2年ほどで辞職、「馬角斎」(馬鹿くさいの洒落)と号して、執筆や北海道の物産販売で生計をたてた。彼の著作には、しばしば自身による挿絵が付されているが、資料として正確でありながら、どこかユーモアを感じさせる魅力的な筆致である。それもあってか、「多気志楼(たけしろう)物」などと呼ばれて人気を博し、ずいぶんと生活の助けになったという。死の前年まで大台ヶ原(標高1695m。三重・奈良の県境)へ登山をつづけるなど、その後も生涯を旅に過ごし、明治21(1888)年、数え71歳で没した。
武四郎の生き方には、どこか突き抜けた明るさが感じられる。英雄ではなかろうが、「快男児」という呼び方がしっくりくる。そのせいなのか、彼の交友範囲はおどろくほどひろい。大塩平八郎、吉田松陰、大久保利通など幕末維新をかけぬけた巨星が目白押しで、水野忠邦や徳川斉昭(水戸藩主。15代将軍慶喜の父)の知遇も得ていた。これらの大物が一介の旅人である武四郎に魅せられていたと想像すれば胸が躍る。おそらく、それは彼がアイヌの人々へ向けた深いまなざしとも無縁ではないだろう。根からの自由人でありながら、他者への共感にもあふれる、それが松浦武四郎の魅力であったように思えるのだ。
文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190901-00010000-seraijp-life

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悲しくも美しく少しマヌケな物語、ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」

2019-09-01 | アイヌ民族関連
ステージナタリー 8/31(土) 18:47配信
ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」が、本日8月31日に兵庫のAI・HALLで開幕した。
旗揚げ20周年のニットキャップシアターが手がける本作は、日本とロシアに挟まれたサハリン島にまつわる物語。サハリン島の“チェーホフ”と名付けられた街を舞台に、その街に暮らす家族の約100年が描かれる。
開幕に際して、作・演出を務めるごまのはえは「サハリンの歴史は残酷な出来事の連続ですが、そのせいか島は様々な文化が溶け合い、たくましく優しい印象を受けます。『チェーホフも鳥の名前』は、悲しくも美しく少しマヌケな物語です」とコメントしている。公演は9月2日まで。
■ ごまのはえコメント
この作品は、北海道の北に浮かぶサハリン島の歴史と生活について描きました。この島は日本とロシアの境にあり何度も戦火にみまわれました。またこの島は昔からニヴフや樺太アイヌといった少数民族が暮らしてきました。さらに日本統治時代には沢山の朝鮮人が暮らしていました。サハリンの歴史は残酷な出来事の連続ですが、そのせいか島は様々な文化が溶け合い、たくましく優しい印象を受けます。「チェーホフも鳥の名前」は、悲しくも美しく少しマヌケな物語です。
■ ニットキャップシアター 第39回公演「チェーホフも鳥の名前」
2019年8月31日(土)~9月2日(月)
兵庫県 AI・HALL
作・演出:ごまのはえ
出演:門脇俊輔、高原綾子、澤村喜一郎、仲谷萌、池川タカキヨ、千田訓子、西村貴治、山岡美穂、黒木夏海、尾鳥英二
パーカッション:田辺響
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190831-00000055-natalies-ent

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