北海道新聞 09/08 05:00
ロシア・サハリン北部のタイガの森を転々として暮らす先住民族ウイルタのトナカイ遊牧民が、存続の瀬戸際に立たされている。伝統的な生活で生計を立てるのは難しく、密猟でトナカイも全滅寸前に追い込まれたためだ。だが、2年前からトナカイを大陸から導入して数を増やす取り組みを始めるなど、伝統の生活を守ろうと奮闘している。(サハリン北部で細川伸哉、写真も)
■飼育数増やし後継者育成
サハリン北部の町ノグリキから北へ150キロ。途中から干潟を四輪駆動車で走り、さらに車では進めない湿地を約1時間歩いて「トナカイ村」を目指した。
村には遊牧民が寝泊まりする小さいテントが一つ。一帯はハイマツと低木だけの乏しい植生で、厳しい自然環境を物語る。「今年は秋が早い。次の遊牧地に向け、トナカイたちを集めているところだ」。チモフェイ・ボルズノフさん(48)が笑顔で迎えてくれた。
ボルズノフさんらは、サハリンの約400人のウイルタのうち、唯一、現在もトナカイの遊牧を続ける団体「ユクテ」の構成員。40~69歳の計8人が2カ所に分かれ、年間を通じてテント生活を送っており、自宅がある町に戻るのは月1回程度。冬期間はトナカイそりでの移動だ。
ボルズノフさんは10歳の時、祖父からトナカイの扱い方を習ったことを今も心のよりどころにしている。「いつもトナカイを気遣い、心を通わせるように心がけている。タイガの森が自分を呼んでいる」
ノグリキ郷土博物館のタチヤナ・カルターブフ館長(67)によると、旧ソ連時代、サハリンにはトナカイの肉や毛皮を製品にするソフホーズ(国営農場)が3カ所あり、先住民族約300人が1万頭以上のトナカイを遊牧していた。遊牧を生業としてきたウイルタの暮らしを国が農業生産に利用した形だが、伝統的生活の維持につながった。
だが、1991年の旧ソ連崩壊後、ソフホーズ解体で給料が出なくなり、遊牧をやめる人が相次いだ。野生となったトナカイは密猟の格好の的となり、10年前には姿が見られなくなった。
その結果、サハリンのトナカイはユクテが飼育する群れだけとなり、近親交配が繰り返され、死産などが増加。2年前、数は過去最低の100頭まで減った。ユクテ副会長のガリーナ・マカロワさん(69)は「残ったトナカイを処分し、遊牧を放棄することも話し合った」と振り返る。
しかし長老から励まされ、昨年と一昨年、極東のサハ共和国から計60頭のトナカイを導入。サハリン北部で石油開発を行う外資系企業が伝統的生活の支援として補助した。おかげで今春生まれたトナカイの子は健康だ。今年7月にはウイルタやニブフの子ども12人がサハ共和国を訪れ、大規模な遊牧生活に触れるなど後継者育成にも力を入れる。
サハリンの先住民族には伝統的な利用目的でサケ・マスを年1人300キロまで捕獲する権利が与えられ、遊牧生活の食費の一部は州政府が補助。ただ、トナカイ遊牧の収益はゼロで、ボルズノフさんらの現金収入は町に戻った際のアルバイト代などに限られる。
ユクテ最年少のエフゲニー・ウラジミーロフさん(40)は「都会生活で地位のある仕事に就くのは頑張れば誰でもできるが、トナカイ遊牧は自分たちにしかできない。息子たちにも伝えていく」と力強く語った。
<ことば>サハリンの先住民族 ニブフ約3千人、ウイルタ約400人など計約4千人が主にノグリキやオハなど北部で暮らす。州政府や石油関連企業は文化伝承や生活の支援を行っているが、先住民族の収入はサハリン平均の半分ほどとされる。1945年の太平洋戦争後、サハリン南部に暮らした樺太アイヌと一部のウイルタ、ニブフは日本人と共に「引き揚げ」の形で北海道などに移住した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/342557
ロシア・サハリン北部のタイガの森を転々として暮らす先住民族ウイルタのトナカイ遊牧民が、存続の瀬戸際に立たされている。伝統的な生活で生計を立てるのは難しく、密猟でトナカイも全滅寸前に追い込まれたためだ。だが、2年前からトナカイを大陸から導入して数を増やす取り組みを始めるなど、伝統の生活を守ろうと奮闘している。(サハリン北部で細川伸哉、写真も)
■飼育数増やし後継者育成
サハリン北部の町ノグリキから北へ150キロ。途中から干潟を四輪駆動車で走り、さらに車では進めない湿地を約1時間歩いて「トナカイ村」を目指した。
村には遊牧民が寝泊まりする小さいテントが一つ。一帯はハイマツと低木だけの乏しい植生で、厳しい自然環境を物語る。「今年は秋が早い。次の遊牧地に向け、トナカイたちを集めているところだ」。チモフェイ・ボルズノフさん(48)が笑顔で迎えてくれた。
ボルズノフさんらは、サハリンの約400人のウイルタのうち、唯一、現在もトナカイの遊牧を続ける団体「ユクテ」の構成員。40~69歳の計8人が2カ所に分かれ、年間を通じてテント生活を送っており、自宅がある町に戻るのは月1回程度。冬期間はトナカイそりでの移動だ。
ボルズノフさんは10歳の時、祖父からトナカイの扱い方を習ったことを今も心のよりどころにしている。「いつもトナカイを気遣い、心を通わせるように心がけている。タイガの森が自分を呼んでいる」
ノグリキ郷土博物館のタチヤナ・カルターブフ館長(67)によると、旧ソ連時代、サハリンにはトナカイの肉や毛皮を製品にするソフホーズ(国営農場)が3カ所あり、先住民族約300人が1万頭以上のトナカイを遊牧していた。遊牧を生業としてきたウイルタの暮らしを国が農業生産に利用した形だが、伝統的生活の維持につながった。
だが、1991年の旧ソ連崩壊後、ソフホーズ解体で給料が出なくなり、遊牧をやめる人が相次いだ。野生となったトナカイは密猟の格好の的となり、10年前には姿が見られなくなった。
その結果、サハリンのトナカイはユクテが飼育する群れだけとなり、近親交配が繰り返され、死産などが増加。2年前、数は過去最低の100頭まで減った。ユクテ副会長のガリーナ・マカロワさん(69)は「残ったトナカイを処分し、遊牧を放棄することも話し合った」と振り返る。
しかし長老から励まされ、昨年と一昨年、極東のサハ共和国から計60頭のトナカイを導入。サハリン北部で石油開発を行う外資系企業が伝統的生活の支援として補助した。おかげで今春生まれたトナカイの子は健康だ。今年7月にはウイルタやニブフの子ども12人がサハ共和国を訪れ、大規模な遊牧生活に触れるなど後継者育成にも力を入れる。
サハリンの先住民族には伝統的な利用目的でサケ・マスを年1人300キロまで捕獲する権利が与えられ、遊牧生活の食費の一部は州政府が補助。ただ、トナカイ遊牧の収益はゼロで、ボルズノフさんらの現金収入は町に戻った際のアルバイト代などに限られる。
ユクテ最年少のエフゲニー・ウラジミーロフさん(40)は「都会生活で地位のある仕事に就くのは頑張れば誰でもできるが、トナカイ遊牧は自分たちにしかできない。息子たちにも伝えていく」と力強く語った。
<ことば>サハリンの先住民族 ニブフ約3千人、ウイルタ約400人など計約4千人が主にノグリキやオハなど北部で暮らす。州政府や石油関連企業は文化伝承や生活の支援を行っているが、先住民族の収入はサハリン平均の半分ほどとされる。1945年の太平洋戦争後、サハリン南部に暮らした樺太アイヌと一部のウイルタ、ニブフは日本人と共に「引き揚げ」の形で北海道などに移住した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/342557