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文科省表彰に新冠の小林さん ふるさと教育推進評価

2023-12-14 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年12月13日 18:58

行徳局長から表彰状を受け取った小林さん(右)

 【新冠】町教育委員を20年間務めた小林悟さん(70)が、本年度の文部科学省の地方教育行政功労者に選ばれた。

 小林さんは自営業の傍ら、2003年から今年11月4日まで5期20年にわたって町教育委員を務め、08年6月から16年10月までの約8年は委員長も務めた。

 これまで小林さんは、「レ・コードと音楽によるまちづくり」を推進する町の取り組みとして、昭和音楽大と提携し新冠中吹奏楽部への演奏を指導する事業や、地元に伝わるアイヌ民族の伝説などを収集した冊子「新冠百話」を活用したふるさと教育を推進するなど尽力してきた。

 ・・・・・

(石井純太)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/952638/


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松下徹 個展「影になる埃、光の粒」のお知らせ

2023-12-14 | アイヌ民族関連

アイランドジャパン株式会社2023-12-13 19:16

HARUKAITO by ISLANDでは12月22日より、松下徹による初めてのハンドペインティングを発表する個展を開催します。

松下徹は、震災復興や都市開発などの公共空間をテーマにストリートの視点から介入した作品群に定評があるアートコレクティヴ「SIDE CORE」のメンバーの一人。今回のシリーズはドローイングの新しいシリーズになります

HARUKAITO by ISLANDでは12月22日より、松下徹による初めてのハンドペインティングを発表する個展を開催します。 

松下徹は、震災復興や都市開発などの公共空間をテーマにストリートの視点から介入した作品群に定評があるアートコレクティヴ「SIDE CORE」のメンバーの一人。 個人の制作活動としては、幾何学的なパターンをテーマに、近年ではアイヌの工芸品や沖縄の芭蕉布など民族藝術に触れ、自らの手で描くことに立ち返り、改めて<線をかく/色を塗る>行為と向き合ってきました。 

人類学や自然界に根づく「線」の軌跡と触れ合いながら、美術史における定義をも解き放つドローイングの身体性を追求し、都市やメディア空間に溢れる記号やパターンを脱構築化していく斬新な実践から精選した新作シリーズを展示いたします。ぜひご高覧ください。

【展覧会概要】

タイトル:影になる埃、光の粒 Dust in shadow, particles of light

作家名:Tohru Matsushita 松下徹

日程:2023.12.22 fri. - 2023.12.24 sun.2024.1.11 thu. - 2024.2.4 sun.

Open:13:00-19:00 Thu-Sun Closed on Mon, Tue, and 12.25-1.10, 1/18,19

【作家プロフィール】

Tohru Matsushita | 松下 徹

アーティスト/SIDE CORE ディレクター

1984 年神奈川県生まれ

東京藝術大学先端芸術専攻修了

化学実験や工業生産の技術によって絵画作品を制作。高電圧の電流によるドローイング、塗料の科学変化を用いたペインティングなど、システムが生み出す図柄を観測・操作・編集するプロセスにより絵画作品を制作。またストリートカルチャーに関する企画を行うアートチーム SIDE CORE のディレクターの 1 人でもあり、国内外のストリートカルチャーに関するリサーチ/執筆をおこなっている。

https://www.oricon.co.jp/pressrelease/1744685/


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塩ベースの汁は石狩汁、それとも三平汁?北海道の郷土料理を道産子が解説

2023-12-14 | アイヌ民族関連

北海道Likers2023年12月13日 20時0分

冬になると食べたくなる、北海道の郷土料理があります。魚が入っていて、具だくさんで、ほっと身体も心も温まる汁がたっぷりの……。そう、『三平汁』! あれ、『石狩鍋』?

たしかに似ていますが、違う食べ物です。どんな違いがあるのか、またどんな料理なのか、それぞれの料理について詳しくご紹介します。

「三平汁」は塩漬けした魚の汁物

北海道では昔、魚を塩漬けや味噌漬けにして、一年中食べられる保存食にしていました。そんな塩漬けした魚と、にんじんや大根などの野菜を一緒に煮込んだのが『三平汁』です。身体を温める料理として、寒い冬に食べられています。

北海道では200年以上も前から食べられていて、現在でも家庭料理の定番です。基本の具材や味つけは同じですが、地域や家庭ごとに異なる場合も。旬の野菜を加えて、冬以外の季節に食べる地域や家庭もあります。

使われる魚はサケが多いですが、ほかにもタラやニシンなどを使います。塩漬けだけでなく、味噌漬けやぬか漬けの魚で作ることも。煮込んだあとは塩で味を調えることが多いですが、醤油や味噌などで味つけすることもあります。

北海道生まれ、北海道育ちの筆者は給食で三平汁を何度も食べたことがあるなど、道産子にとって身近な郷土料理のひとつです。

なぜ『三平汁』というのか、名前の由来は諸説あります。

そのひとつが、“斉藤三平”という人物が関わっている“人名説”。漁師の斉藤三平が松前藩の藩主に振る舞ったとか、武士の斉藤三平が秋田名物の『しょっつる汁』をまねて藩主をもてなしたとか、同じ名前でも違う逸話がいくつもあります。

また、有田焼の始祖である“李三平”が焼いた皿に盛り付けられたからという説も。

「石狩鍋」は生サケの味噌煮込み鍋

『三平汁』と同じく、北海道の郷土料理のひとつである『石狩鍋』。ぶつ切りにした生ザケの身とあらを玉ねぎやキャベツ、大根などの野菜や豆腐と一緒に、合わせ味噌を溶かした昆布出汁で煮込む鍋です。仕上げに山椒をかけます。熱々にして食べれば身体が温まり、昔から冬に食べられています。

名前の由来は、サケがよく獲れる石狩川がある石狩町(現在の石狩市)から生まれた漁師料理であることから。江戸時代からサケ漁がさかんだった石狩町では、大漁の際、ご褒美にと味噌汁にもサケを入れて食べていたのが始まりなのだそうです。

北海道では家庭料理の定番で、野菜にはいろんな具材を入れます。いくらやバターをトッピングしたり、汁を牛乳にしたりといった北海道ならではの贅沢なアレンジも。また飲食店などでも食べられます。道産子の筆者は、『石狩鍋』も給食で食べたことがあります。

『三平汁』と『石狩鍋』はどちらも北海道の郷土料理で魚を使います。サケを使うという点も同じですね。冬に食べて身体を温めるという共通点もあります。よく似ている料理だといえそうです。

『三平汁』と『石狩鍋』の違いは魚の調理法にあります。『三平汁』は塩漬けや味噌漬け、ぬか漬けなど漬け込んだ魚を使うのが特徴。一方、『石狩鍋』は生の魚を使います。また『三平汁』はサケ以外にニシンやタラなどで作られることもありますが、『石狩鍋』はサケで作られます。

味つけにも違いがあり、『三平汁』は漬け込んだ魚の塩味(えんみ)と、塩のみで味つけをするのが基本。醤油や味噌などの調味料で味つけをすることもありますが、具材を煮込んでから味を調えます。一方、『石狩鍋』は具材と一緒に味噌を溶かして煮込むのが基本です。

ルーツはアイヌ料理?

出典: HAPPY SMILE / PIXTA(ピクスタ)

『三平汁』と『石狩鍋』が似ているのは、どうやらアイヌ料理にルーツがありそうです。

アイヌでは、肉や魚、野菜、山菜などを煮込んで作った汁物を“オハウ”といい、日常的に食べられていました。魚を使うと“チェプオハウ”、肉だと“カムオハウ”という呼び方になります。“チェプオハウ”が『三平汁』や『石狩鍋』などになったのではないか、ともいわれています。

似ているけれど、実は違う『三平汁』と『石狩鍋』。どちらもおいしい料理です。北海道の家庭や飲食店などで食べる機会があれば、ぜひ違いをたしかめながら味わってみてください。

【参考】農林水産省、奥尻町、石狩市、実践女子大学

【画像】岬太一、HAPPY SMILE、iori、プロモリンク、keiphoto、bj_sozai / PIXTA(ピクスタ)

https://news.livedoor.com/article/detail/25525202/


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第289回:なんかいやな感じ(鈴木耕)

2023-12-14 | アイヌ民族関連

マガジン9 2023年12月13日 By 鈴木耕 

 年の瀬である。でも東京は妙に暖かい。12月、やはり季節の移ろいにしたがって、キリリと冷たい感じがいいのだが、寒さに備えて用意したダウンがなかなか使えない。暖かいのはいいのだが、なんか変な気分。
 面白い本を読んだ。『なんかいやな感じ』(武田砂鉄、講談社、1600円+税)。武田さん風に言うと、気候までも「なんかいやな感じ」である。
 ぼくは武田さんの書くものが大好きだ。小さな違和感から物事の本質を巧みに抉り出す、その手つきがとてもいい。それに、ぼくもその違和感を共有できることが多いのだ。

とてもいやな感じ

 新聞を開く。武田さんの言う「いやな感じ」満載である。それも“とても”がつくほどいやな感じだ。
 自民党安倍派の裏金疑惑(もはや疑惑の域を超えたようだが)が続々と報じられ、それもいわゆる「5人衆」とかいわれる幹部連中が率先して懐を温めていたというのだから呆れ果てる。それにしても千万円単位の金が、ホイホイとポッケに入ってくるのだから、政治家ほど(エラくなればなるほど)美味しい商売はない。
 実は、9千万円を超える金が渡っていた人がいた……という情報も一部で流れている。それは誰か……? 考えれば分かる。
 ともあれ、松野博一官房長官の更迭は、もはや時間の問題となった。記者会見での「お答えは控えさせていただきます」がもう聞けなくなると思うと、なんだかちょっとさみしい気さえする(むろん皮肉です)。
 で、当然ながら、5人衆だか何だか知らないが(小粒ぞろいの)安倍派幹部たちも、雁首並べて討ち死にということになる。だって、松野氏だけを更迭して、他の同罪の連中をそのままにしておいては、どう考えても整合性が取れない。
 というわけで、西村康稔経産相や、自民党の役職者の高木毅国対委員長、世耕弘成参院幹事長、萩生田光一政調会長らも続々と更迭されることになる。副大臣や政務官の辞任ドミノどころの話じゃない。あんな派閥順送りの小物議員たちより一段上の派閥幹部たち(それでも小粒には変わりないが)の更迭は、岸田内閣そのものの崩壊に直結する。
 更にここにきて「安倍派の政務三役(大臣、副大臣、政務官)は全員交代させる」と、岸田首相は考え始めたという。これが実現すれば、なんと15名もの政務三役が交代ということになる(大臣4名、副大臣5名、政務官6名)。なんだか、岸田首相の破れかぶれ、という気もするが……(注:13日になって、萩生田氏は自ら辞任、政務官名は留任、という報道がなされている)。
 自民党最大派閥の安倍派の顔色を窺いながら政権運営をしてきた岸田首相にとって、安倍派崩壊は、自身の政権の崩壊を意味する。つまり、岸田内閣(というより自民党政治)の壊滅である。破れかぶれになる気も分かる。
 毎日新聞(11日夕刊)が一面で大きく伝えていた。

安倍派政務三役交代へ
西村氏ら全15人
無派閥2氏 要職起用検討

 岸田文雄首相は、自民党の清和政策研究会(安倍派)が政治資金パーティー収入の一部を裏金化していた疑惑を受けて、安倍派の閣僚、副大臣、政務官の政務三役計15人を交代させる調整に入った。閣僚・党役員の後任には、無派閥の浜田靖一前防衛相(68)と梶山弘志幹事長代行(68)を国対委員長を含む要職で起用することを検討している。(略)

 ふ~ん、というしかない。確かに安倍派の政務三役全員を交代させれば一応は人心一新ということにはなろう。けれど、その後任に名前が上がるのが、ハマコウこと浜田幸一氏と梶山静六氏という父を持つバリバリの世襲議員なのだ。なんだ、おんなじかよ……である。そういう“人材”しか、もう自民党にはいないのだな。

 ところで、そこでなんだか「グズグズのいやな感じ」が立憲民主党である。大悪事が露見して青息吐息の岸田内閣への「不信任決議案」を出すかどうかで大迷走。松野官房長官の不信任案は出したけれど、肝心の内閣不信任案は「国民の理解が得られるかどうか見極めがつかない」という理由で躊躇する。何をアホなことを言っているのか。
 どう見ても政治を任せちゃおけない、それが岸田内閣の現況ではないか。いま「内閣不信任案」を出さなくて、いったいいつ出すというのか。グズグズぶりも目に余る。
 有権者たちは「こんな野党でいいのかなあ」と失望の溜息をついている。どうなのよ、泉健太さん!

鼻をつまみたいほどいやな感じ

 ネット右翼諸氏たちの悲鳴が上がる。しがみついてきた安倍元首相はすでにいないし、権力の源泉である所属議員数を誇ってきた安倍派が、見るも無残な終焉を迎えようとしている。すがる者がなくなったらネット右翼諸氏は、どうしたらいいのか分からなくなって錯乱状態のようだ。
 その典型が杉田水脈(ぼくはこの人には敬称をつける気にならない)だが、もはや次回選挙での当選は不可能だろう。少なくとも安倍晋三氏亡き後の自民党からは、比例トップの席は貰えまい。するとどうするか。
 必死になってヘイトゲロ(まさにゲロだと思う)を吐き散らすしかない。そうすることで、ヘイト仲間の歓心を買うしか方法はない。東京新聞(12月4日付)が、さすがにこう書いている。鼻をつまみながら読むしかない。

アイヌ中傷動画 杉田氏拡散
差別助長の恐れ
名指しで「ごろつき」侮辱場面

 自民党の杉田水脈衆院議員は、アイヌ民族の関係者を出演者が「アイヌ利権」と中傷するユーチューブ動画を自身のX(旧ツイッター)投稿文に添付した。動画は出演者がアイヌの特定の個人を名指しで「ごろつき」と侮辱する場面を含む。杉田氏は賛同する立場から動画を拡散させ、メディアは内容を報じるべきだと書き込んだ。
 差別的言動を繰り返す杉田氏による、さらなるレイシズム(人種差別主義)助長が懸念される。国会議員としての資質が疑われる行為で、自民党執行部の対応が問われる。(略)

 法務局から2度にわたって「人権侵害」との警告を受けているにもかかわらず、何の根拠もなく「アイヌ利権」と喚き散らす。
 法務局とは政府機関である。政府機関から警告されているのだ。それでも、必死に極右系の人たちにしがみつくしか、もはや杉田の議員として生き延びる道はなくなったのだろう。岸田首相は早急に杉田に引導を渡さなければならないのだけれど、いまは政権自体の延命に必死で、とてもそんな暇も余裕もない。
 まあ、杉田は百田某氏らの新党へでも行くしかなかろうが、どうするのだろう? ネット右翼諸士のアイドルも、やっと我々の前から姿を消してくれるかもしれない。少なくともぼくにとって、それは慶祝に値する。

絶対的な、いやな感じ

 イスラエルのガザ侵攻はハマス殲滅戦だという。それがネタニヤフ首相の最初からの意志だった。けれど、それを単に「ハマス殲滅戦」と言っていいのか。それに伴う膨大な無辜の民(なんの罪もない人たち)の殺戮を伴って続けられている戦争ではないか。
 たった4日間の“戦闘休止”も、イスラエルは「ハマスの違反行為」を名目に、あっさりと終わらせた。そして前にも増した激しい爆撃を南部で繰り広げている。
 もはやガザでのパレスチナ人の死亡者は1万8千人を超えたという。その多く(8割ともいわれる)は子どもと女性だ。ガザ地区の平均年齢は20歳に達しない。つまり圧倒的に子どもの多い地区なのだ。爆撃されれば必然的に子どもの犠牲者が増える。それを承知の上で爆撃する。鬼畜の所業。
 イスラエル軍は、ガザ住民に「南部へ避難しろ」と警告し、警告通りに避難した人たちの集合地を容赦なく爆撃する。こんな理不尽があるか。
 単なる「いやな感じ」じゃない。「絶対的ないやな感じ」だ。220万人の住民のうち、実に150万人以上は家を失ったとされる。
 イスラエル側のプロパガンダがすごい。イスラエル日本大使館は、連日のように積極的にツイート(X)を発信し続けている。こんなパターンだ。

国際社会との協力は、ガザ地区における人道的取り組みを推進する原動力です。イスラエルは、ガザの人々に支援を提供するあらゆる取り組みに手を差し伸べています。戦う相手はハマスであり、ガザの人々ではありません。(11月29日)

「人道援助」
食料、水
医療器材
避難所運営用品
ディーゼル燃料
調理用ガス
作戦の休止およびカタールとエジプトの仲介で米国と同意した人質解放の枠組みの一環として、エジプトからガザに支援物資が移送されました。(12月1日)

イスラエルはガザにおいて、ヨルダンおよびアラブ首長国連邦から寄贈された二つの野戦病院の設置を進めています。これらの野戦病院では、数百人のガザ住民の治療と包括的な医療サービスを提供することが可能です。
イスラエルが戦う相手はハマスであり、ガザの人々ではありません。(12月4日)

女性への暴力に対する沈黙は、容認と同等の意味を持ちます。
イスラエル外務省(@IsrawlIMFA)は、10月7日にハマスによって殺害、レイプされた何百人もの女性に焦点を当てたイベントを主催しました。
各国大使を含む120人以上の参加者が集まり、パネル展示やディスカッションを通じて、女性たちが直面した恐ろしい出来事を共有しました。(12月6日)

ハマスの人質のうち最年少のクフィール・ビバスくん(10カ月)。4歳の兄・アリエルくんの両親とともに、イスラエル南部の自宅からガザへと連れ去られました。早期の解放を求めます。(12月7日)

光の祭り・ハヌカが始まりました。
ろうそくの暖かくおだやかな灯りが、闇の中に浮かび上がります。私たちの心を一つに結びつける光です。今年はろうそくを灯しながら祈ります―。すべての人質が愛する人のもとに戻れますように。(12月8日)

10月7日、テロ組織ハマスによる襲撃当日。数多くの女性たちが、性的暴行を受け、拉致され、無惨にも殺害されました。
生存者から語られる、聞くに耐えない凄惨な拷問や性暴力。#女性に対する暴力撤廃の16日間 最終日である今日、彼らの証言に耳を傾けてください。(12月10日)

駐日イスラエル大使館 @israelinjapan は、テロ組織ハマスによって愛する人をガザに拉致された3家族の代表団をお迎えしました。
胸が張り裂けるような体験を共有し、早期解放「#BringThemHomeNow」のメッセージを伝える、極めて重要な来日となります。
ガザで今もなお拘束されている137人の無実の人々、最愛の家族の早期解放を求め、団結して立ち上がります。

 こういったツイートが、毎日のように繰り返される。必死に自国の立場を守ろうとするのは分かるし、書かれている内容も、それだけを取り上げればごく当たり前のことである。しかし、どうしてもダブルスタンダードだよな、自分に都合のいいことしか書いていない、殺しているパレスチナの女性や子どもたちについては何の言及もないのか……という不信感が湧いてくる。
 休戦の上でこれらのツイートがなされているなら納得もしようが、あまりに一方的な言い分ではないかと感じるのだ。
 殺すのを停止せよ。まずそれが絶対の前提条件だろう。そうでなければやはり、絶対的ないやな感じは残り続ける。

 さまざまな「いやな感じ」が、世の中を覆いつくしているみたいだ。
 目を瞑らないでいよう。
 耳を塞がずにいよう。
 「おかしいよ」と発信することは、小さいけれど止めてはいけないと思う。

https://maga9.jp/231213-5/


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江戸っ子から見た無血開城&トンズラ将軍慶喜 現場で何が起きていた?

2023-12-14 | アイヌ民族関連

武将ジャパン2023/12/13

2023年の朝ドラ『らんまん』に、倉木隼人と“えい”という夫妻が登場しました。

隼人は元彰義隊士。

えいは彼を匿い、それが縁で結ばれた夫婦です。

隼人は酒に溺れ、日雇いで生きています。

そんな夫でも、妻には深い愛情があります。

一体なぜ?

彼らのような江戸庶民の感情は、幕末の江戸城無血開城や慶喜の動向を振り返るとき、非常に重要な存在と言えます。

総大将が逃げ出し、決着がついているのに戦い続けた江戸っ子や東北諸藩――彼らは愚か者だったのか?

江戸っ子の目線から、幕末のクライマックスを振り返ってみましょう。

明治維新は「無血革命」なのか?

徳川慶喜の命が奪われることもなく、江戸城が無血開城となった印象が強いせいか。

明治維新は「無血革命」だった――そんな風に言われたりしますが、果たして実態はどうでしょう。

そこには無血革命を強調したい意図があり、以下のように数々のバイアスがかけられています。

◆明治政府の上層部が吹聴喧伝した

伊藤博文などの上層部が、海外でまでそう語りました。

明治維新から日露戦争後まで、日本は極東の優等生。清と違ってスムーズに近代化を成し遂げた。ロシアよりもずっと清新だ。

そんな宣伝戦略があり、イギリスの思惑も深く絡んでいます。

◆イギリスが無血革命を指向する

イギリスは【フランス革命】以来、国王斬首は野蛮だとしてライバル・フランスを激しく批判していました。

この姿勢は宿敵であるナポレオンにも発揮され、彼は流刑にとどめられています。

それどころか、ナポレオン3世と4世を庇護したのが他ならぬイギリス。

しかし彼らにとって流れる血とは青い血、つまりは王侯貴族を重視します。

幕末の動乱期にどれだけの志士や幕臣が死のうと、【戊辰戦争】でどれだけの庶民や兵士が死のうと、さして気にかけていないからこそ無血と言えてしまう。

◆維新前後の戦死者数の把握に疑義が生じている

戦国時代と幕末は、江戸時代という泰平の世を経て、遺体の扱いに大きな変化が生じました。

遺体を放置したら腐敗するため戦国時代は即座に埋めたものですが、江戸時代は罪人の死体は晒したのです。

戊辰戦争の場合、その慣習が残ったためか、遺体処理に不備が生じます。武士ではない層がやむなく担うこともありました。

会津戦争】での遺体埋葬禁止令は、誇張があったとされますが、実際に不備があったからこそ語り伝えられた。

東北地方の戊辰戦争慰霊碑を比較すると、西軍の死者は詳細が刻まれている一方、東軍は曖昧なままのことがしばしばあります。同じ人命の損耗でも、東西格差が生じているのです。

靖国神社の英霊となるとさらに露骨であり、現在に至るまでそれは続いています。

◆明治政府の人命把握がそもそも格差ありき

明治になってからも人命格差は続きます。

その軋轢は北海道に集中。

明治政府は北海道開拓と、囚人の苦役を一石二鳥でまとめました。

当初は東北諸藩の者を屯田兵とし、監獄が整備されると囚人、日清戦争以降は海外からの労働力を酷使します。

北海道各地にはそんな犠牲者の慰霊碑が残されています。アイヌはそもそも人命として把握されていたかどうかもあやしいレベルです。

そういう人命の犠牲を数えるうえでも露骨なバイアスがかかっているのが明治という時代。

まさに「どの口が無血革命と言うのか」という話で、はっきり言えば綺麗事です。

人口差もあるため、フランス、ロシア、中国の革命より犠牲が少ないように見えるかもしれません。

適切な数え方、数字の比較はどうしたらよいか。その点も踏まえねばならないでしょう。

江戸っ子は大政奉還と王政復古に納得できた?

嘉永6年(1853年)にペリーが来航。

このとき現地の人々は見物に押しかけ、瓦版屋や浮世絵師たちは速報号外を印刷販売しました。

浮世絵でも時事ネタは売れる定番だったのです。

なにせ当時は、和宮が京都から嫁いでくるわ、将軍家茂が家光以来の上洛を果たすわ、大地震が頻発するわ、疫病が流行るわ、物価が高騰するわ、漁村だった横浜が急速に発展するわ……と、号外ネタづくしの時代です。

幕政改革は、江戸っ子にとって歓迎すべきものではありません。

例えば参勤交代が緩和されると、大名屋敷がお得意様だった江戸っ子は取引先を失います。

大奥もそうです。予算が削減されると、衣装や菓子を納入していた業者は収入が減ってしまう。

治安は急速に悪化しています。

生麦事件】に続いて【薩英戦争】が勃発し、江戸も砲撃されるのではないか?と人心は不安で混乱したのです。

後世の私達は「薩英戦争後にイギリスと薩摩が手を組む」と冷静に状況を追えますが、騒乱真っ只中の当時は一寸先は闇。

実際、英国ではヴィクトリア女王が激怒して、対日戦争を訴え、江戸の攻撃案まで立てられていたのです。

しかし、現実に江戸は火の海にならず、日常生活が決定的に破壊されることはありませんでした。

こうした状況を前にして、江戸の幕閣はどうしていたか?

彼らは困り果てていました。

京都の朝廷が政治に口を挟むようになってきて、どうにもうまくいかない。自国のため外交を進めようとすると、京都の「孝明天皇の意見を聞け!」という横槍が入る。

同じく京都にいる徳川慶喜も厄介でした。

聡明で政治力は高い上に、くだけた言い方をすれば「空気を読まない」。

孝明天皇の信頼を盾にした【一会桑政権】という、幕府から半ば独立した政治体制を整え、ますますコントロールが効かない。

それでも幕閣では最善を尽くそうとする人物がいます。

例えば小栗忠順

幕府内で重くどんよりとした空気が漂う最中、小栗は横須賀製鉄所の設立を進めました。

他の幕臣たちが、このままでは幕府は危ういと肌で感じていたところ、小栗は明るく言ってのけます。

「確かに幕府の前途は暗い。だからこそこの製鉄所は作らねばならない。幕府という母屋が売りに出されたとしても、そこに“土蔵付き売家”と札を貼れるだろう?」

と、この言葉通り、程なくして幕府は崩壊、その過程で小栗忠順は冤罪処刑という非業の死を遂げます。

しかし東郷平八郎は小栗の功績を認識していて、【日露戦争】の勝利は小栗あってのことだと語っています。

海軍の戦艦は、横須賀製鉄所改め造船所から出航していたのです。

将軍没落も時代の流れか

慶応4年(1868年)――江戸っ子たちは何を思い、正月を迎えたのか。

勝海舟は氷川の自宅で寝正月を過ごしていました。

罷免されて暇であり、緊張感はない。

それが突如、浜離宮まで呼び出されたと思うと、顔面蒼白の慶喜その人がいたのだから、まったくもってわけがわからない。

京都で将軍様が大敗北した上に、部下たちを置いたままトンズラって……いったい何事でぇ!

この一件を江戸っ子たちはどう思っていたのか? メディアはどう報じたか?

それを理解するうえで重要なヒントがあります。

当時の売れっ子であり、脂の乗り切った浮世絵師・月岡芳年の『魁題百撰相』です。

彼が得意とする武者絵であり、一見、鎌倉から江戸まで武士の姿を描くと思わせるようで、実は時事ネタづくしという作品。

その「足利義輝公」を見てみますと、詞書では第15代とされています。

ただのミス?

いいえ、この作品の詞書は、わざとまちがったと思われる箇所が出てきます。

幕府復興の志を持ち、京都に入るものの、三好・松永に襲撃される。

織田信長が上洛し、京都に入るも、織田と仲違えして再度京都から落ちてしまう。

嗚呼、これも時代というものだろうか。

13代義輝の名前でありながら、15代義昭と混ざっている。これには意図的なものがあるのでしょう。

以下のように読み替えるとどうでしょう?

幕府復興の志を持ち、一橋派から将軍候補にあげられるものの、結果的に失敗して処罰されてしまう。

島津久光が上洛し一橋派復権を実現し、京都に入るも、島津久光と仲違えして、再度京都から落ちてしまう。

嗚呼、これも時代というものだろうか。

絵を見れば、ますますこの読み解きはハッキリしてきます。

描かれた人物は悲運の将軍・義輝というよりも、よくいえば聡明、悪くいえば狡猾さが滲んだ美男。

何より、慶喜の写真によく似ています。

時代の流れといえばそうだけれども、納得できていない。そもそも政治的な手続きは京都で一方的に決まってしまった。

意味がわからない。納得できるわけもない。

それが江戸っ子の心境。

【フランス革命】のように、市民が武器を手にした革命とはまるで違い、頭の上で勝手に決まってしまったようなものでした。

この詞書はそれでも抑制されています。

江戸っ子はべらんめえ口調でこう語っていたとか。

「豚だの牛だの食らっていやがる一橋めがよォ、のこのこ戻ってきやがって。江戸が騒がしくて仕方ねェ! とっとと腹でも切ってくたばりやがれ!」

豚肉を食べる一橋家当主ということで、“豚一”と呼ばれた慶喜。

江戸っ子にしてみれば、親しみも何もあったもんじゃありません。

若き徳川家茂までは江戸で将軍となり、江戸城の主として君臨した期間があります。その家茂が上洛する様は浮世絵として販売されました。

歌川派の絵師である月岡芳年も落合芳畿らも筆を執り、東海道を歩む将軍様御一行を描いたのです。

描く者、刷る者、売る版元、それを眺める江戸っ子まで、みなが家茂に愛着を感じていました。

一方で慶喜は?

家茂亡き後、よくわからないまま京都で将軍となり、江戸っ子にしてみれば全く親しみを持てない親戚のようなもの。

しかもそいつのせいで、女子どもだけでも逃げろと江戸中大騒ぎなのです。

芳年の描く慶喜の絵は、美貌でありながら冷え切っていて、何を考えているのかわからない人物が描かれている。

これが慶長4年の江戸っ子から見た慶喜像なのでしょう。

無血開城といえるのか?

過去に起きた事実は変わらない。

ゆえに歴史的な出来事も認識をあらためる必要はない――というのは大きな誤解です。

歴史には、長い年月を経て認識が変化するものもあり、時には人為的に歪められたものもある。

それを精査研究を重ねて正しく修正してゆくことにより、より適切な記述に姿を変えてゆく。

たとえば【江戸無血開城】という言葉そのもの。

単に【江戸開城】とした方が実態に即しています。

結城素明の絵も、あまり用いられなくなってきています。誤解を招きかねないとされているのです。【大政奉還】の絵もそうで、イメージと実態がかけ離れていると指摘される。

実は「勝海舟西郷隆盛と膝詰めで語り合って、江戸開城がなされた」という有名な会談ですら、明治時代から舌打ちされているような話。

山岡鉄舟本人はともかく、その弟子たちは「勝がでかいツラしすぎだ、鉄舟先生あってのことだ」と苛立っていました。

西郷との会談は

・勝海舟
・山岡鉄舟
・大久保一翁

の三者が協力して成立したのが実態。それだけでなく家茂の未亡人である和宮も、慶喜の助命に向けて京都と連絡を取り合っていました。

勝海舟のビッグマウスは歴史認識にまで悪影響を及ぼしています。

例えば【万延元年遣米使節】です。

教科書ですら長いこと、勝の乗船していた咸臨丸の方が重要であるかのように記載されていましたが、ポーハタン号組である小栗忠順らの方が歴史的意義は大きい。

明治維新を生き延びた上に知名度と発信力が高い勝海舟と福沢諭吉が乗っていたため、後に咸臨丸が目立つことになったのです。

【江戸開城】についていえば、渋沢栄一も忘れてはなりません。

彼は心酔する「徳川慶喜が内戦を避けたおかげで、日本の栄光がある」と喧伝することに努めました。

元幕臣で筆力抜群の福地桜痴も、この渋沢に協力しています。

いわばセルフプロデュース力が高い面々によって幻惑され、ハッピーエンドであるかのように描かれた江戸開城までの流れ。

「渋沢、いいかげんにしやがれ!」と江戸っ子や元幕臣たちが怒っても仕方のない話です。

江戸っ子にも武士にも、長年培ってきた誇りがあります。

花は桜木、人は武士――。

そんな彼らからすれば、武士の頂点に立ちながら、あまりにチキンな慶喜の振る舞いは、納得できるものではなく、とにかく失望でしかない。

桜のような武士が、将軍様のお膝元である江戸にいないということを、彼らはどうしたって認めたくなかったのです。

慶喜はどうなったのか?

慶喜は、徳川宗家当主としては認識されていません。

宗家当主として、家茂が指名したのは田安亀之助(徳川家達)。

当主ではない上に京都で勝手に政権を放り出した慶喜は、江戸城から白眼視されました。

天璋院に育てられた家達は、慶喜に冷たい目線を向けていたことが伝えられています。

【江戸開城】で命が救われた徳川慶喜は、その後どうなったのか。

西軍としても、ただ慶喜を助命するわけではなく、江戸城明け渡しと武装解除が条件に提示されました。

しかしこれは、現実には履行されず、戦火は東北へと広がり、和宮が慶喜助命を京都に依頼する一方、天璋院(篤姫)は東北諸藩を叱咤激励していたのでした。

岡山を謹慎地とされた慶喜は、交渉によって水戸へ。

思えば弘化4年(1847年)、一橋家の相続が決まり江戸へ旅立った慶喜はまだ幼い少年でした。それがこうして戻ってくるのですから、悲哀なものです。

しかし現実は、感傷にひたっている場合どころの話ではありません。

明治維新の衝撃は、水戸藩を怒濤の中へと引き摺り込んでゆきます。

天狗党の乱】に敗れて藩士たちが大量処刑されると、水戸藩政は反天狗党(諸生党)が握っていました。

ところが維新の結果、天狗党は自分たちの味方が勝利したと勢いを増します。

束ねるはずの藩主・慶篤(慶喜の同母兄)はそんな動乱の最中の4月急死し、毒殺説まで流れる始末。

まるで火薬庫のような場所に慶喜を置くわけにもいきません。

さらに5月には武田耕雲斎の孫・金次郎が水戸に入り、反天狗党(諸生党)の大量殺戮を開始します。

白昼堂々、恨みのある相手を集団で襲撃し、殺し、生首が転がる……そんな地獄の様相を呈していました。

水戸藩は、幕末維新の歴史の中で、最も数奇で残酷な運命を辿りました。

内乱により藩士同士が徹底して殺し合い、あまりに多くの人命が奪われてしまったため、人財が枯渇したのです。

回天の動乱に至る思想は、水戸藩の生み出した【水戸学】に根ざすものの、肝心の人材はいない。

そもそもなぜ、徳川御三家から幕府打倒の源流思想が生まれ、最後の将軍である慶喜を苦しめたのか。

この影響は現在に至るまで払拭されているとはいえません。

勝った側は言うまでもない。負けた側だって、会津藩はじめ自分たちの歴史を雄弁に語っています。現に新選組は大人気です。

それが水戸藩では、まず自藩の歴史を辿らねばならず、そこで大きな壁に突き当たってしまいます。

2021年放映の大河ドラマ『青天を衝け』では、水戸藩の紛争が描かれました。【天狗党】関連ニュースのコメント欄まで水戸藩の歴史論争が繰り返されていたほどです。

そんな水戸藩ですから慶喜が長く置かれているわけにもいかず、山岡鉄舟が水戸に入り、慶喜から幕府の処置を勝海舟に任せるという言質をとってきます。

そして7月、銚子から静岡に向かい、宝台院へ。

徳川家康の側室であり、徳川秀忠の母である西郷局(お愛の方)の菩提寺です。

年末、そこで面会を果たしたのが渋沢栄一でした。

六畳ほどの薄暗い部屋にいる慶喜に、渋沢は「どうしてこうなったのか?」と悔しがりながら問いかけます。

しかし慶喜は応じない。これほどの没落ぶりに、倒幕は当然の帰結だと考えていた渋沢ですら、落涙を止めることはできません。

翌年の明治2年(1869年)まで【箱館戦争】は継続。

大久保利通は慶喜を函館に派遣し、榎本武揚と対峙させようとしますが、反対にあい実現には至りませんでした。

こうして慶喜の、長く静かな後半生は始まりますが、一方で、そんな平和な余生を迎えられなかった人々は江戸に大勢いました。

月岡芳年は上野戦争を見ていた

江戸城で白眼視された徳川慶喜。

まるで人望がないどころか嫌悪されるほどの主君ですが、個々の武士が掲げる意地は別物です。

江戸では【彰義隊】という慶喜護衛隊が結成されていました。

本丸が開城され、総大将の慶喜が水戸へ向かったのですから、彰義隊だって解散だろ……というわけにもいかない。

むしろ納得できず、武士の花となるべく、合流してくる者たちがいました。

中には、栄一のいとこである渋沢成一郎もいます。

彰義隊士は揃いの格好をしていました。

裾のくくりに紐がついた義経袴を履き、裾をキュッと締める。水色がかった打裂(ぶっさき)羽織を身につける。

彼らが、この世の名残を惜しむため、吉原へ繰り出すと、遊女たちの間ではこう言われました。

「情夫(いろ)に持つなら彰義隊」

女性たちは簪の飾りに将棋の駒をつけ、彼らを応援していました。

しかし【上野戦争】はわずか一日で決着がついてしまいます。

徳川将軍家の菩提寺であった寛永寺は、彰義隊を匿ったために境内を没収され、後に戻されたのは十分の一ほど。

徳川の象徴であった跡地にはさまざまな博物館が建てられ、浴衣姿で犬を連れた西郷隆盛の像まで立ち、激戦の跡はすっかり消えたようにすら思えます。

今や、ひっそりと佇む彰義隊の慰霊碑だけが往時を伝える……いや、江戸っ子の意地は残されています。

上野の山の物陰から、人気絵師の月岡芳年と弟子の年景は、戦の様子を目に焼き付け、スケッチしていました。

酷い戦だと江戸っ子たちはひそかに語りました。

西軍は、やたらめったら死体を斬りつけています。人肉に三杯酢をつけ、葱を入れ、味噌付けにして食べたと吹聴している者もいたとか。

その後に発表された月岡芳年『魁題百撰相』は、ディテールが細かい死に様が描かれています。

積み重ねた畳をバリケードにする。

簀子を盾にする。

よろめいた仲間を支え、水を飲ませる。

血にまみれた握り飯を無心で口に運ぶ。

切り落とした首から垂れる血を舐める。

首を肩にかけて歩いてゆく。

経帷子を首の周りにだらりと垂らして血まみれになっている。

酷い戦を目の当たりにしたとしか思えない、極めて生々しい絵です。

新政府は彰義隊の顕彰を禁じたため、詞書では『太平記』や『太閤記』が題材だとされているものの、当時あるはずのない大砲やボタン付きの軍服が描かれています。

江戸っ子たちが見れば、誰を描いたのかすぐにわかる。臨場感のある姿が記録されました。

この『魁題百撰相』には、他にも珍しい特徴があります。

上杉謙信上杉景勝伊達政宗、片倉小十郎など、東北ゆかりの英雄が多いのです。

北へと転戦する彰義隊士にエールを送るように、彼らは雄々しく描かれている。

そうなのです。彰義隊が壊滅しようと、流血は終わりません。

武装解除されなければ戦争は続行

慶喜の処分を見ていくと、外部から切り離され、旧幕臣と明治政府で決められていることがわかります。

幕臣にせよ、旗本にせよ、江戸っ子にせよ、西軍には全く納得ができていない。

幕府には戦力があります。

時代遅れで軍制改革もできずあっという間に敗北。「もはや刀や槍の時代じゃねえ」と嘆く新選組隊士はフィクションでのお約束です。

しかし、これはあまりに事を単純化しすぎていて、実際の幕府軍はそこまで脆弱ではありません。ざっと例を挙げてみましょう。

◆幕府海軍

実質的に海軍は幕府のみが有していました。

抗戦を主張した栗本忠順はもちろん、勝海舟ですら「海軍があるじゃねえか!」と慶喜を罵倒したほど。榎本武揚が函館へ向かったのも、海軍兵力があればこそです。

アメリカ産のストーンウォール(甲鉄艦)を購入するまで、明治政府はどうにもなりませんでした。

◆幕府陸軍

フランス式シャスポー銃を装備する幕府陸軍は、なかなかの戦力でした。

新選組にしても、実は洋式訓練を受けています。

◆武器の供給

新政府側に対しては、イギリスが【南北戦争】で余った武器を売りつけています。

東北諸藩に対しては、スネル兄弟を代表するプロイセン商人が接近、とりわけ長岡藩のガトリング砲は猛威を振るいました。

武器をいち早く購入した庄内藩も藩単位では敗北しておらず、秋田藩に攻め込み、藩主を自害寸前にまで追い詰んでいます。

しかし、です。あらためて考えてみたい。

そもそも武力による倒幕は必要だったのか?

当時は西軍側でも慎重な意見が多かった。

一方でイギリスは、明治新政府に武器と恩を売りつけておきたい。

日本国内の理論というより、列強の市場原理が働き、明治維新では大いに流血があったと言えるのです。

 江戸っ子は上野戦争を忘れない

渋沢栄一をフィクションで描く際には、ひとつの定番がありました。

渋沢本人が【戊辰戦争】に従軍しないため、従兄弟の渋沢成一郎彰義隊を率いる様が描かれます。

彼は小栗忠順のもとへ相談に向かっており、ひとつの見せ場となります。

しかし大河ドラマ『青天を衝け』では、成一郎ではなく、甥の渋沢平九郎が戦死するまでの姿が、ラブロマンスを踏まえつつ描かれました。

そのため上野戦争は描かれなかったのです。

個人的には、大河ドラマですら【上野戦争】を避けるのか!と唖然としたものですが、代わりに朝ドラ『らんまん』が補うとは思いもよらぬことでした。

台詞のみで語られるとはいえ、当時の江戸っ子の心境をよく再現しているのです。

上野へと向かう彰義隊士を、うっとりとした目で見送ったえい。

そして背中まで斬られて血まみれになりながら、えいの家へ転がり込んできた隼人。

まさかあのお侍が家に来るとは……。

そう驚きつつ、看病するえい。彼女は隼人の怪我が命に別状がないほど重いようにとそっと願いました。

なぜか?

もしも軽傷ならば、彼は北へと転戦してしまう。彼女にはその気持ちが理解できました。

維新後、俸禄を失った隼人は、日雇い人足として生計を立てます。

無口で酒に溺れる日々。

それでもえいは、そんな夫に心の底から惚れているとうっとりと語ります。

彼らの子の世代になると、江戸っ子には定番の自慢がありました。

「俺の親父はよォ、上野の戦で戦った。彰義隊にいたのよ!」

倉木隼人とえいの子も、両親の馴れ初めを知り、自慢の種としたことでしょう。明治時代にはそんな江戸っ子がまだいたのです。

『らんまん』には、維新前に火消しをしていた職人・大畑義平も登場します。

実はこの火消しも、勝海舟に声をかけられていました。

開城交渉が決裂したら、【ナポレオン戦争】のモスクワに倣い、江戸を焦土作戦で焼き尽くそうと考えていたのです。

結果的に実現されなかったものの、火消しである大畑義平にも、その話は耳に入っていてもおかしくはありません。

主人公が出入りすることになる大畑印刷所には、岩下という職人もいます。

彼は月岡芳年の師匠である歌川国芳の浮世絵を手がけたことが誇りなのだとか。

『らんまん』は、まだ江戸の風情を残した明治初期の世界観をよく再現しています。

月岡芳年『魁題百撰相』も、忘れられてはいない。

“最後の浮世絵師”という異名を取る彼は、ファンも多くおります。

谷崎潤一郎、江戸川乱歩、三島由紀夫……など、錚々たる面々が彼を礼賛。

アパレルブランドとのコラボレーションの定番でもあり、作品展もしばしば開催されます。

『魁題百撰相』を通して、人々は【上野戦争】で戦った勇姿を目にすることになるのです。

2023年、江戸川乱歩の弟子である山田風太郎原作『警視庁草紙』が連載されました。

東直輝氏作画によるこの作品は『芳幾・芳年』展とコラボを実施。単行本8巻収録の外伝『異聞・浮世絵草子』では、【上野戦争】を目に焼き付ける芳年の姿が描かれています。

150年以上を経ても、民衆の目に届くところへ蘇ってくる江戸っ子の意地、彰義隊の姿――これほどの痕跡を残した彼らの命は、どうして無駄であったといえるのでしょうか。

https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/12/13/178495


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グアダルーペの聖母巡礼 メキシコ首都

2023-12-14 | 先住民族関連

 AFPBB News12/13(水) 14:37配信

メキシコ・メキシコ市の聖堂を訪れた、グアダルーペの聖母の巡礼者(2023年12月12日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】メキシコの首都メキシコ市で12日、毎年恒例のグアダルーペの聖母(Our Lady of Guadalupe)の巡礼が行われた。

【写真26枚】グアダルーペの聖母の巡礼者

 メキシコ市北部にある聖母像が祭られている聖堂には、数千人の巡礼者が訪れた。伝統的な踊りの奉納もあった。

 聖母は1531年、先住民族の男性フアン・ディエゴ(Juan Diego)の前に現れたとされる。メキシコの守護聖人とされており、同国で最も敬愛を集めている。【翻訳編集】 AFPBB News

https://news.yahoo.co.jp/articles/7775931eaa66f72d319717f5f5cab1acc974e8ba


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欧州7カ国=民間主導の炭素クレジット、制度改善策を共同提案

2023-12-14 | 先住民族関連

RIM12/13 16:26

欧州7カ国は、民間主導の炭素クレジット(ボランタリークレジット:VC)市場で見せかけの環境配慮「グリーンウォッシュ」を防止する制度改善策を共同で提案した。11月30日からアラブ首長国連邦(UAE)で国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)が開催されている中、オランダとドイツ、フランス、スペイン、フィンランド、ベルギー、オーストリアが12月10日に発表した共同声明の中で示した。

 

声明ではVCの利用が、脱炭素に向けた行動の加速や、持続可能な開発目標の達成、世界中の気候変動プロジェクトへの経済的支援に貢献すると指摘。その一方で、厳格な基準とセーフガード(CO2削減効果の保全策)の備えがなければ、炭素クレジットの効果が損なわれる危険性があると強調した。VC市場で取引される炭素クレジットの多くが、所定のCO2削減・除去量に裏付けられていないという批判にさらされていること加え、炭素クレジットの低い価格や透明性、制度指針の不備といった点も指摘。こうしたことから、本来CV市場で対応が可能であるにもかかわらず、気候変動に対する最悪の影響を回避するめに緊急に必要な目先のCO2削減が遅れるリスクがあるとした。

 

7カ国は、VC市場の透明性や高品質なVCを確保するための提案として声明に7項目を盛り込んだ。

 

(1) 二酸化炭素(CO2)の直接・間接排出量の算定と公表。パリ協定に準拠したCO2削減目標の設定と実行計画の策定

 

(2) 供給網全体のCO2削減の優先。CO2削減は自主的努力が本来の手段であり、炭素クレジットはあくまでも補完的な方策であることの明確化

 

(3) 炭素クレジット利用の明示方法の確立と消費者への充分な情報の提供

 

(4) 炭素クレジットの使用目的の明示: 企業・団体・機関の削減目標達成のため(オフセット・相殺)か、プロジェクト実施国での削減目標に貢献するため(貢献)か

 

(5) 高品質な炭素クレジットの利用: 正確なCO2吸収・削減量を反映し、CO2削減・吸収・除去のプロジェクトにより追加的にCO2が減るという「追加性」と、恒久的にCO2が減るという「永続性」を持つ炭素クレジット。加えて、規制の緩い国で生産・投資が拡大し排出量が増加するという「炭素リーケージ」に対する防止策も施された炭素クレジット

 

(6) プロジェクトが実施される国の環境と社会に対する影響、人権、ジェンダー平等、先住民族や地域住民の権利に対する配慮。炭素クレジットの購入がもたらす持続可能な開発への貢献についての留意

 

(7) CO2削減目標の達成状況と炭素クレジットの利用に関する透明性の担保と年次ベースの報告書の公開

https://www.rim-intelligence.co.jp/news/rre/1761139.html


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浅瀬で動けなくなったマッコウクジラ死ぬ 豪

2023-12-14 | 先住民族関連

 AFPBB News12/13(水) 16:49配信

豪パース西部沖の浅瀬に打ち上げられたマッコウクジラ。ウエスタンオーストラリア州生物保護当局提供(2023年12月12日提供)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】オーストラリア西部ウエスタンオーストラリア(Western Australia)州で、浅瀬で身動きが取れなくなっていたマッコウクジラが死んでいるのが確認された。当局が12日、発表した。数日前には、大勢の海水浴客に囲まれている様子が撮影されていた。

【写真】浅瀬で動けなくなったマッコウクジラ

 全長15メートル、体重30トンはあるマッコウクジラは週末、州都パース(Perth)南方の海岸付近で目撃された。クジラに触れようとする人が出たため、野生動物管理当局はクジラは明らかに弱っており死にかけているとして、近づかないよう呼び掛けていた。

 当局の担当者は「マッコウクジラがこうした都市圏の海域にいるのは非常にまれ」とし、死因は不明だと説明した。

 現地では12日夕方、クジラに別れを告げるため先住民(アボリジニ)の伝統的な儀式が行われた。アボリジニの言い伝えでは、クジラは重要な意味を持つとされる。【翻訳編集】 AFPBB News

https://news.yahoo.co.jp/articles/1d2606cab2245ecacb8cff03261338288ca2b557


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アマゾン奥地の民ヒベリーニョの「リアル」が垣間見えた、カカオ農業の話

2023-12-14 | 先住民族関連

アイデアスフォーグット12 13, 2023

by Junko Kobayashi

特集「多元世界をめぐる(Discover the Pluriverse)」

私たちは、無意識のうちに自らのコミュニティの文化や価値観のレンズを通して立ち上がる「世界」を生きている。AIなどのテクノロジーが進化する一方で、気候変動からパンデミック、対立や紛争まで、さまざまな問題が複雑に絡み合う現代。もし自分の正しさが、別の正しさをおざなりにしているとしたら。よりよい未来のための営みが、未来を奪っているとしたら。そんな問いを探求するなかでIDEAS FOR GOODが辿り着いたのが、「多元世界(プルリバース)」の概念だ。本特集では、人間と非人間や、自然と文化、西洋と非西洋といった二元論を前提とする世界とは異なる世界のありかたを取り上げていく。これは、私たちが生きる世界と出会い直す営みでもある。自然、文化、科学。私たちを取り巻くあらゆる存在への敬意とともに。多元世界への旅へと、いざ出かけよう。

南米大陸の数カ国にまたがる広大なアマゾン熱帯雨林。そのうち63%が、ブラジル国土の中にある。2023年1月と5月に、筆者はブラジルのアマゾンに暮らす民、ヒベリーニョ(または、ヒベリイーニョ)の集落に滞在し、少しの間生活を共にした。

「ヒベリーニョ(Ribeirinho)」とは、川縁に家を建て、漁や畑を耕し生計を立てる人たちを意味するポルトガル語。前回の記事では、「川」と共に生きる彼らの暮らしに焦点を当てた。

▶️ アマゾン奥地の民「ヒベリーニョ」と暮らして考えた、豊かさのこと

今回は、ブラジルに暮らす筆者がヒベリーニョの集落で過ごすきっかけとなった、アマゾンでカカオ農業で働く者たちの会合「アマゾナスカカオ生産者集会(以下、ECOA)」の様子を交えながら、「森」と「農」の視点から彼らの生きる世界をレポートする。

恵まれた土地、しかし安定した収入が得られない

ECOAでは、アマゾンの森林で暮らすことの厳しさを実感するようなストーリーが多く共有された。

今回訪問したマデイラ川流域のヒベリーニョの農家やその家族たちは、半自給自足の生活を送っている。自分たちの畑でできた果物などの農作物を売って生計を立てているのだ。雨期には川の水位が上がり、アンデス山脈からの有機物がアマゾン川を通り、彼らの住む大地に行き渡るので、土壌が肥沃になる。化学肥料や農薬などを使わなくても、自然の恩恵により農業ができるのである。

しかし、アマゾンの住民は、収入が不安定な人が多い。せっかくオーガニックの要件を満たすような農作物を作っていても、オーガニック認証を取得していない生産者も多く、仲介者に安く買い叩かれていた。その結果、より安定した収入を求めて集落を離れ、都市に出たり、違法採掘業に従事し始めたりする人も出てきている。

また、この地域には野生種のカカオが生育しているが、品種改良されているカカオに比べて小粒で、苦労して街に運ぶほどの価値がないと見捨てられたり、ごく安価でしか取引されなかったりしている。

長年アサイーを生産してるベテランの農家は、次のような話をしてくれた。「今期はアサイーが豊作で、沢山収穫できたんだ。でも、買い取り先がないし自分達が街まで運んで売ることも難しい。一部は集落で売れたけれど、結局ほとんど廃棄することになってしまった。せっかく豊作だったのに、悲しかった。僕たちはどうしたら良いかな。何か良い知恵はないかな」

彼の言葉は、筆者の心に刺さるものだった。化学肥料や農薬は使わないオーガニックのアサイー。需要は高いはずだ。しかし彼らが暮らすアマゾンから市場へこれを持ち込むことは、インフラやコスト面を考えると難しいのが現状である。そうしてヒベリーニョたちが諦め、手放した土地が木材伐採業者によって破壊される実例が、数多く報告されているという。

より良い農業をサポートする研修に参加してみて

厳しい現状を打開するために活動しているのが、今回のECOAの主催となっている団体だ。日本のAmamos Amazon(アマモス・アマゾン)社とNPO法人クルミン・ジャポン、そしてブラジルのチョコレート会社Na’kau(ナカウ)およびInstituto Piagaçu(インスティトゥート・ピアガス)。

互いに協力しながら、マデイラ川流域の農作物に付加価値を付けるオーガニック認証の取得サポートや、農作物の栽培加工の指導、養蜂指導等を行い、自然と人の共存、環境保全、農家の生活安定・向上を目指している。筆者も、カカオ生産の指導プロジェクトに関わる一人だ。

約5日間にわたって開催された今回のECOAでは、品質の良いカカオの栽培・収穫・発酵・乾燥についての研修が行われたほか、カカオ専門家を招いて、さまざまなテーマの講義と実技訓練や意見交換等が行われた。科学的なデータを基に、どうしたら品質のいいカカオの発酵・乾燥ができるのか、また品質の良いカカオが農家にもたらすメリットは何かを教える専門家たち。

参加した生産者たちは興味深く話を聞き、また教わったことを実際自分たちの日々の作業に取り入れ始めている。必要な道具が簡単に手に入らず、環境的に困難を伴う生産者もいたが、彼らは決して諦めることなく、自分たちにあるもので必要な何かを生み出す応用力を見せた。農家が培ってきた伝統的な方法と、最新の科学的知識が混ざりあう瞬間に立ち会うことができたと感じる。

このプロジェクトに参加している農家のカカオは、市場の120%の価格で買い取られるようになった。

ヒベリーニョの生活様式に馴染む「アグロフォレストリー」

ヒベリーニョたちが日頃から実践している、持続可能な農法もある。農業(Agriculture)と林業(Forestry)を組み合わせた「アグロフォレストリー」と呼ばれるものだ。樹木を植え、森を管理しながら、そのあいだの土地で農作物を栽培したり、家畜を飼ったりすることを指し、森を伐採しないまま農業を行うことが特徴だ。自然と共に生きるヒベリーニョの生活様式にも、違和感なく馴染む。

キャッサバなど限られた種類の作物だけを育てる単一栽培では、気候変動によるダメージや病気、価格変動に大きな影響を受けてしまう。しかしアグロフォレストリーを行うことで、同時にさまざまな種類の作物や家畜を育てられるため、作物のどれか一つが枯れてしまった・病気になってしまった場合も他の作物や家畜、森の木の一部を材木として売るなどの方法で収入を得ることができる。

現地で出会ったスタッフは、アグロフォレストリー農法およびカカオ生産の技術指導者として働く立場から、自身が生まれ育ったマデイラ川流域でのアグロフォレストリーの特徴を語ってくれた。

「アグロフォレストリーは普通、開拓した土地を使うケースが多い。でもここでは、もともとある森で自生している樹木の特性を活かし、その土地にある植物を植え足す形でアグロフォレストリーをしているんだ。例えばカカオなどを植えようと思ったら適度な日陰が必要なんだけど、ここではすでに自生しているパラゴムの木やアサイー椰子の木など、背の高い木々が日陰を作ってくれているので、更地から始めるのと比べて効率がいいんだよ」

アマゾンの森林保全には多種多様な方法がある。しかし森を守るために絶対に欠かすことができない要素は、森を伐採せず共に生きる、「森の番人」ヒベリーニョたちの存在ではないか。

「将来何になりたい?」アマゾンの民が見ている世界

初めてヒベリーニョの集落に行ったとき、カカオ農家の子どもや若者たちに将来何になりたいかを聞いてみた。ほとんどの答えが、医者や看護師などの医療関係者か、警察官だった。収入が不安定な農家に興味を持つ子どもや若者は、ほぼいなかったのだ。

そんな中、ECOAに参加していたとある10代後半の男の子に出会った。先住民保護地区に暮らす彼の父親はカカオ農家で、彼は日頃から父の手伝いをしている。その子の同世代の若者たちは、農業に関心がなく、都市での生活に憧れているのだそうだ。また、街では先住民の子孫への偏見もあるといい、「先住民の子どもだって大学に行って勉強がしたいんだ」と話していた。

そんな彼は、2023年から大学で環境マネージメントについて勉強している。「僕はただの農家としてじゃなく、自分のコミュニティやアマゾンの農家たち、そして自然のために働きたい」と力強く夢を語ってくれたのが印象的だ。

また、1月のECOAに父親の代わりに参加していた別の女の子は、将来は医療関係で働きたいと話していた。しかし5月に再会した際、将来の夢が変わったと話す。専門家による講義でカカオとチョコレートの奥深さ、マデイラ川流域のカカオの稀少性を学んだ彼女は、いずれカカオ専門家となって、自分の地域のカカオ生産の発展に貢献したいと考えるようになったという。

ただ、「ヒベリーニョは森を守るために農業をすべき」ということを言いたいわけではない。農業以外の仕事を選び、町で暮らすのも彼らの自由である。ただ、農業が魅力的な職業のとして選択の一つであってほしいと願う。貧しさのせいで、大好きな森を離れる選択をしなくても済むように。

持続可能なサイクルの決め手になるのは、私たち自身

森を守りながら農業をし、収穫できた農作物で収入を得て暮らすヒベリーニョ。そんな彼らの暮らしが安定するために欠かすことのできない存在は、彼らの農作物を買い、市場に流通させる役割を担う者と、私たちのような消費者だ。これらを一つの円滑なサイクルとして循環し続けることが、アマゾンの森を守る一つの方法である。

アマゾンのヒベリーニョの集落は、ブラジルで暮らす人たちにとっても遠い場所であり、観光地でもない。ほとんどの人は行くことのない特別な場所とも言える。移動だけ考えても、ブラジル国内、例えばサンパウロから今回訪れた集落へ行くにも飛行機や船・ボートを乗り継いで4~5日ほど要する。ましてや日本からとなれば、移動だけで1週間近く必要になるような場所で、実際に訪れるのはかなり難しい地域だ。

しかし、実際に行ってみることはできなくても、例えば彼らのカカオで作られたチョコレートを口にすれば、その遙か遠く離れたアマゾンの自然を味わい、さらにアマゾンの森を守ることにも貢献できる。

私たち消費者側が商品を選ぶとき、何を選ぶかということで日本から遠く離れたアマゾンの環境保全に貢献できるのだ。どこにいるかは関係なく、何ができるか・何を選ぶかで守れるものがあり変えられる未来がある。

【参照サイト】Amazon Amamos
【参照サイト】Instituto Piagaçu
【参照サイト】NA’KAU
【参照サイト】クルミン・ジャポン
Edited by Kimika

https://ideasforgood.jp/2023/12/13/forest-amazon/


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山崎さんに文化庁長官表彰 無形文化財伝承・保存に貢献  白老

2023-12-14 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2023.12.13

文化庁は12日、国内外に優れた成果を示し、文化振興に貢献したとして、2023年度文化庁長官表彰に白老町高砂町の工芸作家で町伝統文化継承者、山崎シマ子さん(82)ら全国の83個人4団体を選んだと発表した。表彰式は19日、京都市で行われる。

山崎シマ子さん

 発表によると、山崎さんは衣服の製作や刺しゅうなど女性の手仕事を中心に技術の習得や伝承に携わり、現在も自ら組織したサークルなどで後継者を育成。地元のアイヌ古式舞踊を伝承する組織にも参加し、無形文化財の伝承・保存に貢献している功績が認められた。

https://hokkaido-nl.jp/article/32033


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先住民族と都会人をつなぐアマゾン出身のモデル、ザヤ・グアラニが取り組む緑の意識改革【戦うモデルたち】

2023-12-14 | 先住民族関連

VOGUE 2023年12月13日

森林伐採や採掘に加え、干ばつで400以上もの集落が孤立するなど、COP28でも大々的に討論された“地球の肺”・アマゾンの環境破壊問題。先住民族としてこの地に生まれ育ったモデル、ザヤ・グアラニは、自身の名声を活かし、ファッション業界からさまざまな啓発活動に取り組んでいる。

BY MASAMI YOKOYAMAMINA OBA

2023年5月、NYで開催されたFragrance Foundation Awardsに出席したモデルのザヤ・グアラニ。Photo: Noam Galai/Getty Images

「私は、先住民族と伐採業者/鉱山労働者との“戦争”のさなかに、アマゾン川付近で生まれ育ちました。私が子どもの頃、建設会社がアマゾンの豊かな天然資源を発見したことで森林伐採が増加し、祖母の若い頃にはあった領土全体がすでに消失しました。私は、物心ついた時から森林破壊を目の当たりにしてきたのです」

2023年11月にUS版『VOGUE』の取材に対しこう語ったモデルのザヤ・グアラニは、現在22歳。ブラジル先住民のカムラぺ族とグアラニ・ムビヤ族の一員として、アマゾン川最大の支流・マデイラ川付近のロンドニア州ポルト・ベーリョで生まれ育った。17歳の時にモデルとして見出された彼女は、サンパウロに移住後アメリカの大手モデルエージェンシー「Ford Models」初の先住民族ファッションモデルとして契約。インターナショナルな名声を獲得したが、故郷アマゾンの自然を守るという信念のもと政治的な活動を続けたことから、エージェンシーと対立し、わずか1年で契約を終了した。

消えゆく地球の肺・アマゾンの緑のために

「私が活動を続けていたとき、彼らから何度もやめるように言われました。結局のところ、エージェンシーの思惑はとても表層的なものだったのです。2022年2月にエージェンシーとの関係を断ち切ってからは、自分のポートレイトを社会的および環境に配慮した企業にのみ貸し出すなど、自分の活動の意図をより明確にしています」

2022年10月に『Sleek Magazine』に対しこう語ったザヤの目標は、地球規模の生態系崩壊を回避すべく、先住民族の哲学のもと「先住民族と現代人の架け橋」になることだ。その足がかりとして、まずはファッション業界から意識改革を起こすための取り組みに尽力している。

「ファッションは、多くの注目を集める産業です。私はブラジル版『VOGUE』に登場し、ラテン・アメリカン・ファッション・アワードでファッション・インフルエンサー・オブ・ザ・イヤーの栄誉を授与されました。これは、私にとって革命をもたらすための絶好のチャンスです」

こう語る彼女の故郷・アマゾンの緑は、現在森林伐採と鉱業によって急速に消失しており、多くの少数民族が頻繁に住む場所を変えなければならない現状が続いているという。そのため、モデルである自分にスポットライトを当て、この現状を広く世界に知って欲しいとザヤは続ける。

環境問題改善の鍵を握る先住民族

「私がモデルのなった理由の一つは、単にファッションに興味があっただけではなく、先住民族の表現をもっと増やしていきたいと思ったから。例えば、私たちは自分の気持ちに合わせて体に絵を描きます。幸せなとき、悲しいとき、あるいは誰かが亡くなったときに絵を描きます。この伝統を含め、私たちの真のアイデンティティをファッションで表現することで、私たちの文化をより身近に感じ、ひいては私たちが直面している問題に関心を深めて欲しいと思ったからです」

これまでUGGグッチGUCCI)などのブランドのモデルを務める一方、ダレン・アロノフスキー監督映画Postcard from the Earth』に主演するなど、活動の幅を拡大しているザヤ。そんな彼女は、ショービジネスと並行して気候変動対策に多角的に取り組む団体「スロー・ファクトリー」や国連のアドバイザーとして、先住民族の文化と知恵を気候変動対策に盛り込むための助言も行うなど、目標達成に向けて着実に歩み続けている。

ファストファッションブランドとは仕事をするつもりはないと公言する一方、持続可能な服作りなど、ブランド自身が変わろうとする姿勢には惜しみないサポートをしたいと語る彼女のトレードマークは、アマゾン伝統の皮膚装飾技術(タトゥー)だ。ジェニパポの実から採取した黒インクで施したこのタトゥーこそ民族のプライドだと語る彼女は、いまこの瞬間も消失しつつある故郷アマゾンの緑に思いを馳せ、その胸中をこう語った。

「私の目標の1つは、世界の重要な会議の場で先住民が意思決定に確実に含まれるようにすること。もう先住民族抜きでは環境問題を語ることができないことは、誰もがわかっているはずです。私たち先住民族は、持続可能な生き方を実践しており、さまざまな業界もこのような変化を求めている。今こそ、私たちの知恵を活かす時だと思うのです。

私のようないちモデルが、このような政治的問題について声を上げることは必ずしも奨励されるものではありません。ですが、沈黙していることや、黙認することほど危険なことはないと思うのです。私は、故郷アマゾンの緑を守りたい。そのためにも、私はこれからも声をあげ続けます」

Text: Masami Yokoyama Editor: Mina Oba

https://www.vogue.co.jp/article/zaya-guarani-climate-activism


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