ナショナルジオグラフィック12/24(日) 11:32配信
主要メディアも紹介、「サンタは極北の遊牧民サーミのシャーマン」の真偽と価値を問う
クリスマスの数日前、サンタクロースの衣装を着てメキシコシティを歩く人。サンタは、幻覚作用をもつキノコを食べたスカンディナビア北部のシャーマンに由来するという俗説があるが、真偽のほどは?(PHOTOGRAPH BY MARCO UGARTE)
サンタクロースは、スカンディナビア北部のサプミ(外部の人はラップランドと呼ぶ)と呼ばれる地域の先住民であるサーミ人のシャーマンに由来するという説がある。いわく、昔、サーミ人のシャーマンたちは、ベニテングタケ(Amanita muscaria)というキノコを集めて乾燥させていた。これは白い斑点のついた赤いキノコで、幻覚作用がある。冬至の日になると、村の小屋の天井を開け(ドアは雪で開かないため)、そのキノコをプレゼントしていたという。
【関連写真】はたしてサンタカラー? 実際のベニテングタケ(赤と白の毒キノコ)
サーミ人はトナカイの遊牧を行っているので、シャーマンがこのキノコを摂取したときは、トナカイが空を飛ぶ姿や、空飛ぶトナカイと一緒に冒険に出る様子を見たはずだ。トナカイにベニテングタケを与え、その尿を摂取することで毒を中和したという説もある。一方で、トナカイもキノコでハイになったという説もある。
さらに、サーミ人のシャーマンはよく赤い服を着ていたらしい。クリスマスツリーの下に置かれる赤白の包装紙に包まれたプレゼントは、常緑樹の足元に生えているベニテングタケを模したものだともいう。
だが、この説になにがしかの価値はあるのだろうか。
ベニテングタケを使った可能性は高い、だが……
「サンタの由来はサーミ人のシャーマンだったという説には、致命的な欠点がたくさんあります」。そう断言するのは、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の北欧学助教で、北米のサーミ人子孫のコミュニティにも所属しているティム・フランディ氏だ。「多くのサーミ人はこの説に批判的です。実際のサーミ文化をステレオタイプ的にとらえ、誤解をもたらす話だからです」
フランディ氏は、この説の要素をひとつずつ論破する。ベニテングタケは向精神薬としてシベリアでよく使われたが、サーミ人のノアイデ(シャーマン)が儀式で使っていたことを示す証拠はほとんどない。彼らがトランス状態になるために用いたのは、音楽やアルコール、痛みだったと言われている。
また、シベリアのシャーマンはキノコをモチーフにした服を着ることがあったが、サーミ人はそうではない。実際には、サーミ人のシャーマンの服装のことはほとんどわかっていない。現在まで残っている考古学的遺跡がほとんどないからだ。
「サーミ人がベニテングタケを使っていた可能性はあります。むしろ、その可能性が高いかもしれません。しかし、それがヨーロッパのクリスマスの伝承に影響するのは、考えにくいことです」。フランディ氏自身も、サーミ人シャーマンとベニテングタケの関連について聞いたことは一度しかないという。
「私はフィンランド人、スウェーデン人、そしてサーミ人として育ちました。その私が、クリスマスとキノコの関連について一度も聞いたことがないのです。はじめて聞いたのは、イケアがキノコの形をしたクリスマスツリーの飾りを売り出したときでした。そもそも、サプミのキノコは9月に生えてきますが、12月には深い雪の中です」
サンタクロースの都市伝説を生んだもの
キリスト教の多くの休日と同じく、クリスマスのもとになったのも、同じ時期に行われていた多神教の祝祭だ。古代ローマ人たちは、子どもを讃える祝宴を開いて冬至を祝った。北欧人たちは、ユールと呼ばれる祭りで、不気味な衣装を着て、プレゼントを持って家々を回った。
明らかにサンタに影響を与えたのは、オランダのシンタクラースだ。遠くから子どもの行動を見張っており、白馬に乗って家の屋根を渡っては、木靴にプレゼントを残していく人物とされる。このシンタクラースは、古代都市ミラ(現トルコ)の聖ニコラウスに由来する。初期キリスト教会のギリシャ人司教で、寛大さと子どもを守ったことで知られている。
「キリスト教の聖ニコラウスは、ローマ帝国や北欧諸国、米国などの冬至に関連するさまざまなキリスト教文化や多神教文化が複雑に混じり合った結果、民俗学的な妖精に変わっていきました」と、米国ニュージャージー・フォーク・フェスティバルの共同責任者で米ラトガース大学の米国学助教を務めるマリア・ケネディ氏は話す。
私たちがよく知っているサンタクロースは、トナカイが引く空飛ぶソリに乗って子どもたちの家にプレゼントを届ける。これが米国にはじめて現れたのは、1822年、『クリスマスのまえのばん』あるいは『サンタクロースがやってきた』というクレメント・クラーク・ムーアの詩が発表されたときだ。
挿画家のトーマス・ナストは、1863年から「ハーパーズ・マガジン」誌にサンタのイラストを掲載しつづけ、北極の家、妖精の助手、おもちゃ造りといった要素を付け加えた。小さく陽気な妖精だったサンタを大柄で陽気な男にしたのも、このナストだった。
フランディ氏によると、フィンランドやスウェーデンでは、クリスマスの伝承にサーミ人風の衣装が使われたことから、サーミ人とサンタのイメージが重なってしまった。
現在のサンタクロースのイメージを確立させたコカコーラのサンタが作られたのは1931年だが、それを描いた画家ハッドン・サンドブロムはフィンランド人とスウェーデン人の血を引いている。
「このイラストには、サーミ人をモチーフにした点が含まれています。先のとがった帽子、鮮やかな赤い色、太いベルトと温かそうな上着などは、サーミ人の民族衣装であるガクティを連想させます」とフランディ氏は話す。
おまけに、1920年代に米国の各都市で行われたクリスマスパレードでサンタを引いていたのが、サーミ人のトナカイだった。これで、サーミ人とサンタの関係が決定的になったようだ。
「これはいわば、植民地的搾取です」
とはいえ、証拠がないからといって、この都市伝説が勢いをそがれることはなかった。この説は、米国の公共ラジオネットワークであるナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)や、英国のガーディアン紙、米国のニューヨーク・タイムズ紙、米国のアトランティック誌などの主要メディアでも取りあげられた。
サイケデリックなサンタの話が興味を引くのは、ある意味当然のことだろう。子どもの人気キャラクターが、実際には世界を飛び回っているのではなく、キノコで幻覚を見ているというのだから。ただし、この説は部外者が作りだして広まったものであり、単なる楽しい話で済ませられるものではない。
「民俗学者である私は、みんながよくできた物語……なぜ物事が今のようになったのかを説明してくれる便利な歴史の話が大好きなのを知っています。問題なのは、そういった話が歴史の事実を覆い隠してしまうことです。残念ながら、その中には、入植者たちが先住民文化の一部だけを借用したり、利用したりしたものもあります」とフランディ氏は話す。
フィンランドには、サーミ人の土地に作られた「サンタの村」という観光名所がある。サーミ人たちは、サンタとサーミ文化がさらに結びつけられることを危惧し、自分たちの文化遺産が利用されることに抗議している。
「こういった行為は、入植者がサーミ人の無形文化遺産を不当に利用してきた長い歴史に通じるものです。サーミ文化においてこのような話が何を意味するのか、時間をかけてそれを理解しようとしないという選択がされようとしています。これはいわば、植民地的搾取です」
文=OLIVIA CAMPBELL/訳=鈴木和博
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f1ed20e7a7318a85cf13017e93aeab1961ddb95