梅雨の晴れ間を狙って、三重県、奈良県、和歌山県の棚田を巡った。
しかし晴れ間が無く、雨と霧の中の棚田巡りであった。
ここは三重県・伊賀市・波敷野(はじきの)です。
棚田の名前は「波敷野(はじきの)の棚田」です。
伊賀市は京都・奈良や伊勢を結ぶ奈良街道・伊賀街道・初瀬街道を有し、
古来より都(飛鳥、奈良、京都など)に隣接する地域として、また、
交通の要衝として、江戸時代には藤堂家の城下街や伊勢神宮への
参宮者の宿場町として栄えてきた。
今回の旅は、「紀州・熊野路の田園・里山巡り」です。
ここは
三重県・紀宝町・桐原
です。
「紀宝町・桐原の棚田」です。
三重県最南部の紀宝町の最北部にある桐原地区の
中でも一番奥にある数戸の集落にある棚田。
ホットケーキを重ねたような棚田です。
傾きかけた西日に約10段の棚田が照らされています。
台風の通り道である紀伊半島の南部のため、
9月上旬には稲刈りが終わっていました。
棚田の描く曲線は美しく、規模は小さいが、いつまでも残したい風景です。
訪れる人も少なく、静かな、静かな杉林にたたずむ棚田です。
田植えの頃か、実りの初秋に来てみたい棚田です。
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今回の旅は、「紀州・熊野路の田園・里山巡り」です。
ここは三重県・紀宝町・浅里です。
「浅里の里」です。 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道」のひとつ、
熊野川の航路沿いにある小さな集落には、54世帯103人が暮らす。
山すその石垣の上に民家が立ち並び、川に向かって田園が広がります。
浅里地区は、明治22(1889)年に熊野川がはんらんし、
大水害が発生した時の経験から、山の斜面に石垣を築いて
約50戸の家が身を寄せ合うように建つ。
かつて交通手段であった熊野川、川に面した石垣集落、
その間に広がる水田が調和した美しい里です。
集落内の民家は石積の上に建てられ、庭には野菜を自家栽培しています。
集落内は細い石畳の道があり、石階段で上の家に行きます。
朝日新聞社の「にほんの里100選」に選ばれました。
かつて熊野川交通の主役だった三反帆船を復活するなど
地域興しに取り組んでいます。
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今回の旅は、「紀州・熊野路の田園・里山巡り」です。
ここは
三重県・御浜町栗栖・尾呂志
です。
「御浜町・尾呂志の棚田」です。
朝霧が流れ落ちる「風伝おろし」で有名な尾呂志(おろし)地区です。
山頂から山すそに向かって、朝霧がかかり、
次から次へと
霧が流れます。
これは秋から春にかけて、晴れて冷え込んだ朝に見られる自然現象で
「風伝おろし」と呼ばれます。
この地区名「尾呂志」は、この「風伝おろし」が由来になっているとの説もあります。
でも、訪れた朝には朝霧が無く、風も無く「風伝おろし」を見ることは出来なかった。
また、来ます。
この地は、日本オオカミの血を引くという紀州犬の故郷です。
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今回の旅は、「紀州・熊野路の田園・里山巡り」です。
ここは
三重県・熊野市・紀和町長尾
です。
「熊野市・長尾の棚田」です。
「丸山千枚田」を越え、県道40号線の尾根道を車で走ること10分ばかり、
峠の下り道、眼下に棚田の集落が飛び込んで来た。
「丸山千枚田」を訪れる人は多いだろうが、この地までわざわざ足を
伸ばす人は少なく、余程、時間に余裕がある人であろう。
紀和町長尾地区は、どの市街からも遠く離れ、和歌山、奈良との
県境に近い風光明媚な山間集落です。
民家や棚田は斜面に積み上げた自然石の石組の上。
何世代も彩から子へ、子から孫と面々と引き継ぎ守り、
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標高差約200m、約100段が展開する様相は圧巻で、県道に設置された千枚田見下ろす景観が様々な写真集などに掲載されて、全国的にもよく知られている景観となっています。
畦畔の大部分が石積みによって画され、その高さは平均1.1mであり、この堅牢な石積みが急斜面の棚田を支えています。
また等高線に沿って細長い形状の棚田が幾重にも連続して美しい模様を織りなしているのが特徴である。中央にある大きな岩には供物が置かれるなどして信仰の対象になっています。