東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・停洞鎮・擺墳村です。「擺墳の棚田」と命名しました。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
斜面の形状に合わせて、大小とりまぜ段々に作られた棚田は独特の景観を見せます。ミャオ族の人達は地球を創造しています。
ある意味ミャオ族は芸術家かもしれません。大地をキャンパスにして絵を描いています。その絵も四季に変化します。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・停洞鎮・擺墳村です。「擺墳の棚田」と命名しました。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
斜面の形状に合わせて、大小とりまぜ段々に作られた棚田は独特の景観を見せます。ミャオ族の人達は地球を創造しています。
ある意味ミャオ族は芸術家かもしれません。大地をキャンパスにして絵を描いています。その絵も四季に変化します。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・停洞鎮・停洞村です。
「停洞の棚田」と命名しました。
都柳江が見える棚田です。長さは751キロメートル。日本で一番長い川・信濃川は半分以下の367 km。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
日本で米と言えばジャポニカ米ですが、中国の米は「インディカ米」と「ジャポニカ米」に大別されます。
ジャポニカ米は主として中国の北部で栽培されています。インディカ米は南部地域で栽培されています。
貴州省ではジャポニカ米が栽培されています。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・停洞鎮・九日村です。
「停洞鎮・九日の棚田」と命名しました。
貴州省の棚田を見て・・・集落が山の上にあるのは不思議と思った。水を管理するには良いかもしれない。
しかし、下から上に行く時と上から下に行く時 ではかなり違う。つまり 収穫したときに 上から下に下りていくのがラクであるが、収穫したものを 上に担ぎ上げなくてはいけない。重いだろうに・・・。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・東朗郷・摆卡村です。
「東朗郷・摆卡の棚田」と命名しました。
斜面の形状に合わせて、大小とりまぜ段々に作られた棚田は独特の景観を見せます。
水が張られた田んぼには、稲床があり、田植えを待っています。
東朗郷も大きな棚田地帯です。
日本では見慣れない棚田風景です。
棚田の階段を登る重い天秤かごをミャオ族のお百姓さんです。
シャンと胸を張っていきます。
背すじをシャンと伸ばし胸を張って堂々と働いています。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・東朗郷・分居村です。
「東朗郷・分居の棚田」と命名しました。
左右の尾根筋の棚田が谷底に向かっています。
ミャオ族の人々は、山、谷筋の全てに棚田を造っています。
ひょうたん型の棚田です。
ひょうたんは、古来よりとても縁起の良いものとされ、除災招福のお守りや魔除けとして広く用いられてきました。また、蔓が伸びて果実が鈴なりになる様子から家運興隆、子孫繁栄、のシンボルともされていました。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・東朗郷・摆鸠村です。
「東朗郷・摆鸠の棚田」と命名しました。
巨大なあこや貝のような形をしています。
ミャオ族が暮らす摆鸠村が見えます。住宅の近くには棚田があります。
民族衣装を着たミャオ族の女性が山羊と散歩をしています。山羊は神の使いとしてミャオ族に愛され続けています。のどかな散歩です。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・東朗郷・党易村です。
「東朗郷・党易の棚田」と命名しました。
棚田の宝庫・加鳩郷から隣の東朗郷へと入ってきました。日本語ガイドの話では東朗郷も棚田の宝庫です。
谷の両側に築かれた棚田です。
畦道の幅はわずか30cm程。慣れない人が歩くには少々危険だが、お百姓さんは自分の田まで毎日の農作業にこの畦道を使っています。
山の斜面を階段状に削り、水平な畔を造る。一枚一枚の田に水が流れ、水面が出来、それが輝いている。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・じゅうえけん・か加鳩郷・裕民です。
「加鳩郷・裕民の棚田」と命名しました。
古墳型の棚田です。前方後円墳ですネ
古墳時代を象徴する墳形です。
次から次へと棚田の形状が変わってきます。
こわごわと細い畔を歩き、棚田の最上部から下を眺めました。急激に落ち込んだ棚田です。転んだら大変です。
棚田を横からの眺めです。
法面は3m程で非常に高く、農作業は危険です。
横から見るとモンブラン型の棚田です。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・加鳩郷・加鲁村です。
「加鳩郷・加鲁の棚田」と命名しました。
次から次へと棚田の形状が変わってきます。
田植え前の棚田は清流が注がれ、水面は輝いていた。
どこまでも続く棚田。農小屋があります。
田植えの忙しい時には、この農小屋に泊まる事もあろう
貴州省の棚田はまだ、観光資源とはなっていません。
棚田の絵葉書もありません。民族衣装等のお土産屋もありません。ただ、棚田を愛でるだけです。
東京はコロナが蔓延中。東京人は嫌われるので6年前に行った「貴州省の棚田の旅」をご案内します。
ここは貴州省・従江県・加鳩郷・加水村です。
「加鳩郷・加水の棚田」と命名しました。
徐々に霧が取れてきました。
谷に落ちる尾根筋に幾段もの棚田が連なります。
朝霧が取れると青空が見えると言いますが、青空は見えません。
加水村の集落が見える棚田です。
正に棚田街道です。