新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「細野の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・大島区・棚岡です。
「棚岡の棚田」です。
峠を越えて、細い山道をガタガタ車を転がしてします。
すれ違う車が無いように不安を感じながら前へ進めます。
写真を撮るには、安全スペースに車を停めて撮影地まで歩きます。
結構疲れます。歩数は一日15000歩を越える時もあります。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「細野の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・大島区・棚岡です。
「棚岡の棚田」です。
峠を越えて、細い山道をガタガタ車を転がしてします。
すれ違う車が無いように不安を感じながら前へ進めます。
写真を撮るには、安全スペースに車を停めて撮影地まで歩きます。
結構疲れます。歩数は一日15000歩を越える時もあります。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「細野の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・安塚区・細野です。
「細野の棚田」です。 旧安塚村です。
山の谷間に農小屋がある小さな棚田がありました。
戦国時代には、この一帯は上杉氏の治める城下町として栄えました。
細野には、三国街道と北国街道をつなぐ近道の「松之山街道(いわばバイパス的存在!)」が通り、交易上重要なルートに位置していました。
それゆえ、関東と越後(現在の新潟)を往来する人々がほその村に出入りしていた様です。
あの上杉謙信さんもこの街道を通って関東に遠征していたそうです。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「牧野の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・安塚区・牧野・牧野峠です。
牧野峠から見た「牧野の棚田」です。
妙高連山は雲の中です。
新潟県の地名となっている「頸城(くびき)」は 牛を使って田を耕うんする時に使う、
牛の首につける横木がその由来となっています。
この場合、「頸木(くびき)」と書きます。意味は首が回らないです。
「頸城(くびき)」地域は隣接する「魚沼」地域と並び昔から良質の米どころとして有名な地域です。
そして頸城から魚沼にかけては景観の美しい棚田が続き、 日本屈指の棚田エリアとなっています。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「横住の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・浦川原区・横住です。
「横住の棚田」です。
政令都市でも無いのに浦川原区と「区」が付いています。
新潟県南西部、東頸城(ひがしくびき)郡にあった旧村名:浦川原村です。
平成17年に上越市と合併し、浦川原区となりました。
畦を草刈りをしているお百姓さんがいます。
草刈りを終わった畔は綺麗になっています。
100メートル~200メートルの山腹に耕地が広がり、
地滑り指定、砂防指定の区域に大部分が含まれます。
冬は北西の季節風が強く、全国有数の豪雪地帯です。
酒米「五百万石」を生産しています。
この酒米で醸しあげた酒は、淡麗でスッキリとした味わいに仕上がります。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「坪野の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは上越市・浦川原区・坪野です。
「坪野の棚田」です。
黄色花が咲き誇ります。何と云う名前なんだろう??
斜面に造られた不揃いの田んぼは、
平地のない土地でもなんとかして米を作ろうとした先人の苦労が偲ばれます。
江戸時代は日本一の人口を有したという越後の国。
それだけ食料が豊富に生産されていたということでしょう。
向こう側の山の斜面に見える段々もたぶん放棄された棚田でしょう。
何とか昔のいいもの、残していけたらなぁと思います。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「川井沢の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは新潟県・上越市・牧区・平山です。
「平山の棚田」です。 棚田の上部は耕作放棄が進んでいます。
耕作放棄地は、「以前耕地であったもので、過去1年以上作物を栽培せず、
しかもこの数年の間に再び耕作する考えのない土地」と定義されています。
耕作放棄地発生の主な要因として、「高齢化・労働力不足」、
「農地の引き受け手がいない」など地域内の耕作者の減少や、
「農産物の価格低迷」、「収益の上がる作物がない」など 農業経営条件の悪化が挙げられました。
平山地区の民家です。この地方は豪雪地帯です。
屋根の構造が傾斜のある「への字」型になっています。
傾斜もかなり急になっています。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「川井沢の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは新潟県・上越市・牧区・泉です。
「泉の棚田」です。
ここからは棚田と妙高山が一望できる。でも・・・・
「泉の棚田の稲ほたる祭」が真夏の8月に開催されています。
わずか13軒32人が暮らしている集落です。
泉の棚田に蛍のように輝くキャンドルを1200個灯して幻想的な雰囲気を創りだします。
最近、各地の棚田でキャンドルをで飾る行事が行われます。
昔の「虫送り」の行事を想い出します。
「虫送り」とは日本の伝統行事のひとつ。
農作物の害虫を駆逐し、その年の豊作を祈願する目的で行われます。
現在のように農薬がなかった時代、春の田植えが終わり、
稲の穂が実り始めるころ(7月下旬)に、稲穂や他の作 物に害虫がついて農家を困らせていました。
そこで虫が夜暗い中、明るいもの(“たいまつ”等)に集まってくる習性
を利用して駆除する「虫送り」行事、が日本の農村地帯において全国的に行われていました。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「樫谷の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは新潟県・上越市・牧区・樫谷(かしだに )です。
「樫谷の棚田」です。
圃場整備した広い四角の棚田が広がっています。
しかも45度に交差する珍しい形の棚田です。
斜面の方向が違うのですね!
樫谷は人口総数50名の小さな集落です。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「川井沢の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは新潟県・上越市・牧区・大月です。
「大月の棚田」です。 上越市で最も著名な棚田の一つです。
地元の住民にとっては何気ない風景ですが、
ここ数年前から写真愛好家にとっては人気のあるスポットです。
圃場整備した長方形の田が階段状に繋がっています。
この5月に横浜市の白幡小学校の生徒が田植えを手伝いました。
平成22年から耕作放棄地となってしまう3アールほどの田んぼを借りて稲文字の作成を開始した。
今年も稲文字の田植えが行われました。しかも2枚の田に描かれています。
新潟県の棚田を巡り(新潟県・上越市の「池舟の棚田」)
6月上旬に越後の国へ出かけた。その報告です。
ここは新潟県・上越市・牧区・池舟です。
上越市には多くの名も知れない棚田があります。「池舟の棚田」です。
茅葺の家がある棚田です。
牧区内にあった「庄屋」さまの家をそのまま移築した古民家は総ケヤキ造りです。
圃場整備した長方形の田が階段状に繋がっています。
この5月に横浜市の白幡小学校の生徒が田植えを手伝いました。