昨年の暮れにGさんから、今夜これから中野で行われる、新年会のお誘いをいただきました。
なんどか行っているお店なのにいつもだれかと一緒なので、行き方を覚えようとしていません。ですからこんなとき「どこを曲がったらいいかわからない」ということになってしまうのです。
「じゃあ中野駅で待ってるから」とGさん。
いっつもこうです。こうして行き慣れない場所に行くときは、必ずどなたかにご迷惑をおかけしてしまうことになってしまいます。ほんとうにごめんなさい。
さて、その後藤竜二さんの、1976年講談社から出版された『白赤だすき小丸の旗風』が、このたび新日本出版社から復刊されました。装幀は当時のものとはすっかり様変わりしています。
この作品は、岩手県の南部藩の農民一揆の話です。
北海道生まれの後藤竜二さんの母方のふるさとが岩手だということを、後日、彼から伺いました。
その思いの深さと、後藤竜二の筆の力が、このすばらしい人間群像を活写する見事な物語を生みだしたのです。
とにかく歴史観が深いです。
そして驚くべきはこの作品、後藤竜二33歳のときのものだということです。
1976年。
当時、児童文学を勉強していた私たちは、岡野和さんの重厚な装幀の本を買い込み、高みを見上げるように夢中になって読み、あまりのすごさに深いため息をついたものでした。
いまでも書棚の、いつでも読める場所を陣取っています。
後藤竜二の文章のうまさと、文章の美しさ、そのセンスには昔から定評がありますが、それに加えてぞくぞくするような農民一揆の臨場感や緊迫感。権力への怒り。悲しみ。それが余すことなく活写されています。
そして作品の底辺を流れる民衆のロマンティシズムは秀逸です。
ところで、いま「白赤だずき・・・」が復刊されたというのは、もちろんこの作品が、名作中の名作ということは無論ですが、(後藤竜二はこの作品でその翌年、「日本児童文学者協会賞」を受賞しています)一方、「今」の時代性ということもあるような気がしています。
法政大学教授・江戸学が専門である田中優子さんの『カムイ伝講義』(小学館)や、小林多喜二の『蟹工船』ブームなど、ワーキングプア。あるいは若者たちが働くことにさえたどりつけない困難な時代。
そういった、「今」という状況と、この作品に描かれた民衆たちの置かれている状況との重ね合わせ・・・。
まだお読みになっていらっしゃらない方は、お急ぎください。
とにかく必読の名作です!
なんどか行っているお店なのにいつもだれかと一緒なので、行き方を覚えようとしていません。ですからこんなとき「どこを曲がったらいいかわからない」ということになってしまうのです。
「じゃあ中野駅で待ってるから」とGさん。
いっつもこうです。こうして行き慣れない場所に行くときは、必ずどなたかにご迷惑をおかけしてしまうことになってしまいます。ほんとうにごめんなさい。
さて、その後藤竜二さんの、1976年講談社から出版された『白赤だすき小丸の旗風』が、このたび新日本出版社から復刊されました。装幀は当時のものとはすっかり様変わりしています。
この作品は、岩手県の南部藩の農民一揆の話です。
北海道生まれの後藤竜二さんの母方のふるさとが岩手だということを、後日、彼から伺いました。
その思いの深さと、後藤竜二の筆の力が、このすばらしい人間群像を活写する見事な物語を生みだしたのです。
とにかく歴史観が深いです。
そして驚くべきはこの作品、後藤竜二33歳のときのものだということです。
1976年。
当時、児童文学を勉強していた私たちは、岡野和さんの重厚な装幀の本を買い込み、高みを見上げるように夢中になって読み、あまりのすごさに深いため息をついたものでした。
いまでも書棚の、いつでも読める場所を陣取っています。
後藤竜二の文章のうまさと、文章の美しさ、そのセンスには昔から定評がありますが、それに加えてぞくぞくするような農民一揆の臨場感や緊迫感。権力への怒り。悲しみ。それが余すことなく活写されています。
そして作品の底辺を流れる民衆のロマンティシズムは秀逸です。
ところで、いま「白赤だずき・・・」が復刊されたというのは、もちろんこの作品が、名作中の名作ということは無論ですが、(後藤竜二はこの作品でその翌年、「日本児童文学者協会賞」を受賞しています)一方、「今」の時代性ということもあるような気がしています。
法政大学教授・江戸学が専門である田中優子さんの『カムイ伝講義』(小学館)や、小林多喜二の『蟹工船』ブームなど、ワーキングプア。あるいは若者たちが働くことにさえたどりつけない困難な時代。
そういった、「今」という状況と、この作品に描かれた民衆たちの置かれている状況との重ね合わせ・・・。
まだお読みになっていらっしゃらない方は、お急ぎください。
とにかく必読の名作です!