喪中でしたが、その母が高齢で天寿をまっとうしたということもあり、皆さまからお年賀状をいただきました。
例年と比べれば、わずかな枚数ではありましたが。
せっかくだからと当選番号を調べたら、それでも切手シートが一枚だけ当たっていました。
ずいぶん昔のこと。
加藤の母がまだ若かったころのことです。
「毎年、500枚くらいいただくお年賀状が、一枚も当たっていない年が一回だけあったのね。その年は悪いことばっかり起きて・・・」
と、母が臨場感をこめて話していたことがありました。
それ以来、そのときの母のことばが呪文のように脳裏にはりついていて、私は毎年、必死に当選番号を調べるはめに・・・。
そしてたとえ一枚でも(それが切手シートであっても)当たっていると安堵で胸をなで下ろすのです。
今年は、喪中だったからと自分に言い訳をしながらも、一枚でも当たっていたことに、どこかほっとした思いがしていました。
なにげない瞬間に母がつぶやいたことばだというのに、まるで呪縛に捕らわれるかのように引きずっていて、いまだ脳裏から離れずにいます。
例年と比べれば、わずかな枚数ではありましたが。
せっかくだからと当選番号を調べたら、それでも切手シートが一枚だけ当たっていました。
ずいぶん昔のこと。
加藤の母がまだ若かったころのことです。
「毎年、500枚くらいいただくお年賀状が、一枚も当たっていない年が一回だけあったのね。その年は悪いことばっかり起きて・・・」
と、母が臨場感をこめて話していたことがありました。
それ以来、そのときの母のことばが呪文のように脳裏にはりついていて、私は毎年、必死に当選番号を調べるはめに・・・。
そしてたとえ一枚でも(それが切手シートであっても)当たっていると安堵で胸をなで下ろすのです。
今年は、喪中だったからと自分に言い訳をしながらも、一枚でも当たっていたことに、どこかほっとした思いがしていました。
なにげない瞬間に母がつぶやいたことばだというのに、まるで呪縛に捕らわれるかのように引きずっていて、いまだ脳裏から離れずにいます。