20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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ディズニー100年・1

2023年08月20日 | Weblog
           

          

ディズニーが、好きなわけではありません。

ディズニーランドが、浦安にできたばかりの頃、まだ小学生だった子どもたちにねだられ、当時は、世田谷・弦巻に住んでいたのですが、朝早くからお出かけしても、帰宅は夜。
強行スケジュールで一度、いったことがあるだけです。

子どもたちは、その後、友人たちと、何度かいっているようですが、私は、朝から家を出て、長い長い電車旅。それ一回だけです。

夜の闇のかかり始めた、帰りの東西線の中から見えた、行徳あたりの、線路に並ぶように建っているマンションだか、団地だかの光景だけが、鮮やかに残っています。

当時はまだ、京葉線も走っていなかったし「舞浜駅」などありませんでした。
ですから、新玉川線の「桜新町」(桜新町は準急も快速も止まりません)から、渋谷へ出て、山手線で高田馬場へ出て、東西線に乗り、浦安で降りて、商店街を歩いて、バス乗り場の広場まで歩いてバスに乗車・・・。
という、行き方でした。片道だけでも2時間くらいかかったのを覚えています。

朝、8時過ぎに自宅を出て、10時半くらいにやっと到着。
まずは入り口近くにあった「イッツ・ア・スモールワールド」に入り、音楽に合わせ、船で世界のお人形たちを巡ったような・・。
そのあとは、ホーンテットマンションだったか。
船に乗って、ジャングル巡りを案内の男性の方に誘導されてしたり、夕方まで、目一杯、遊んできました。
まだディズニーランド開業早々、だったので、どのイベントも、さほどの行列ではなかった記憶があります。
レストランにも入られましたし・・・。

あの時から、もうすごく長い年月が経っているので、思い出せたところだけ。
記憶力はいい方ですが、間違いもあるかもしれません。
夫に、昔の話をし始めると「覚えてない」と、少しづつディテールまで話し始めると、うすぼんやりと、記憶が戻ってくるようで
「そうだ、そうだ。そういうことがあった。本当に記憶力がすごい。IQは、いくつですか?」と(笑)。
記憶力だけは、家族一かもしれません。

ディズニーといえば。
夫が、アメリカに駐在している時、テレビでは朝から晩まで、「ディズニー・チャンネル」というのがあって、夏休みだった娘は、毎日、それを見ながら勉強をしたりしていました。

隣の部屋にいて、あのテレビから流れる、ディズニーのメロディまで、今でも脳裏を駆け回っています。
そう、あれは「リトル・マーメード」の音楽でした。

さて、前置きが長くなりました。
昨日、三越本店にいったら、そのディズニー100年展をやっていました。
ディズニーグッズって、こんなにあるんだわと、若い女性でいっぱいの、催し場を歩いてみました。
夫は地下の、ゆったりした椅子に座ってスマホを見ていて、こんな興味本位な放浪などには付き合いません。

会場では、若い子たちは、友人たちと、ぞろぞろいて、
「お財布の紐がヤバイ!」と、笑いながら悲鳴をあげていました。

「お財布の紐が緩みっぱなし、じゃなくて、紐がヤバイって、今の子たちはいうんだな」と、横でニヤリとしながら。

さて、明日は、その時の写真を載せます。

(夏は、告知をすることも何もなく、持ったいぶって、引きのばしています・笑)
コメント
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