20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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水仙の花

2025年01月12日 | Weblog
            

明日は、成人式です。
今は、18歳からなのでしょうか?

私が20歳の成人式だった頃。
成人式の式典になどには、絶対出るのをやめよう。
そう、友人たちと話しました。
大人の年齢になったことを、お祝いするのは、自分たち自身の問題と。

時は、政治の季節。
私たちは、体制が作ったおままごとなどに、乗ってなるものかという、反体制の思いを持っていました。

「成人式の日は伊豆で、自分たちの成人を、自分たちで祝おう」
と、息高く、伊豆に行くことになりました。
なぜ、伊豆だったのか、そのあたりのことはあまり覚えていません。
「伊豆なら、少しは気候が暖かいだろう」くらいの発想だったような気がします。

15日の成人式の日。10人くらいで、一泊で伊豆に行きました。
前日に、秩父の父から、モロファチョウの羽を加工した、美しい大きなブローチが送られてきました。

            
こんな感じでした。もう少し鮮やかでした。

でも、もう、とっくに紛失してしまいましたが。
何度かのマンション買い替えのお引越しで、婚約指輪だって、結婚指輪だってどこへ行ったかわからない、という人間ですから(笑)。
夫に時々、嫌味を言われます。「給料何ヶ月分だった」と。
夫は今でも結婚指輪をちゃんとしていますから。

当時、「成人式の着物なんか着ない」といったのに、うつくしい振り袖の着物を両親が、仕立ててくれていました。

伊豆から秩父に帰ったら、両親に言われ、その和服を着て、秩父の写真館で写真を撮ることになりました。
成人式に着なかった、その着物に初めて袖を通したのは、その写真館。

2度目が、結納の日でした。

3度目は、その直後に行われた、夫の弟の結婚式。
弟の方が、兄である私たちより、結婚が半年くらい早かったのです。
大学を卒業してすぐに弟は結婚しました。
夜のホテルでの披露宴でしたが、その振り袖の着物を着て出席しました。

せっかくの振り袖も、その三度着ただけで、おしまい。
あとは、箪笥の肥やし。

結婚した時に、母が用意してくれた着物も全部そうです。振り袖の袖も、ちゃんと留袖にしてありました。
そういう時代でした。
「親の心、子知らず」とは、このこと。
皆さん、同じような体験をお持ちかもしれません。

断捨離を少しづつ始めた、骨折するちょっと前。
すでに、両親は亡き後。
和室の押し入れの和ダンスに、たとう紙に入った着物を、開いて。

子どもたちを連れて、遊びに来ていた娘に
「こんなの、着ないわよね?」
と、聞いたら、
そっけなく「いらない」と。

やはり時代も違うし、ずっと、たとう紙の中で眠っていた着物たちです。
訪問着はともかく、小紋などなら自分でも着られるかなと思いましたが、やはりダメでした。
仕方なく、心の中で、両親に侘びながら、全部、処分しました。
ついでに和ダンスも。

断捨離になるかと思いましたが、箪笥の隙間に詰め込んであった、山のように紙袋まで隅々まで押し込まれていた押入れは、空いたぶん、孫たちや子どもたちがお泊まりに来たとき用のパジャマや小物で、たちまち膨らみました。
物って、水を吸ったスポンジのように、捨ててもまた、どこからか湧いてくるものです(笑)。


さて、伊豆駅に着いた途端、スカーフを三角に頭に巻いた、新婚さんらしき人たちが、数組。

当時は、伊豆に新婚旅行に行かれる人もいたのです。
私たちが待っているバスを、その人たちも待っています。

むきあって微笑む2人からは、甘やかな香りがしました。
宿に着いたら、なんと、その新婚さんたちと一緒。

廊下や、お部屋に、水仙の花が、たくさん飾られていて・・・。

以来、水仙の花の香りを嗅ぐと、あの時の、新婚さんたちのスカーフや、笑顔が、今でも浮かびます。

あの人たち、私たちより年上だから、いいお年寄りになっていらっしゃるだろうなと。
そんな、当時の新婚さんの行く末を、水仙の花を見るたび、想像します。
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