剣山といったら、昔から、鉄でできているもの。
剣山、あの剣山です。
お花を行ける時に、花器に入れ置いて、そこに、お花を挿していきます。
それが剣山。
30代の頃、草月流のお花を少しかじったことがあります。
真(しん)、福(そえ)、控(控)
そんな基本など、取っ払って、草月のモダンさだけを、我流で追求しました。
・・・というか、先生が懐の広い人で、「加藤さんは、基本からやれって、いっても、ダイナミックな、もうすでに形になっている草月に憧れ、それを自分も、今すぐに生けたいのだから、しょうがない。他に専門の仕事を持っているのだから、好きにやればいい」と。
お稽古というのは、やはり、じっくり基本から入り、基本をマスターした上で、自分流の美意識を作り出していかなければ、早晩、ゆきづまります。
そのお手本のように、私はどんどん墜落して行きました。
気持ちとしては、秋に、真っ赤なツルウメモドキなどが、お花屋さんに入ると、うずうず。
買ってきて、青山の草月会館で買ってきたいくつかの花器に、それを生けたりました。
お正月にもお花を生けます。
でも、どれをやっても、なんだか、しっくりした感じに仕上がりません。
基本をやっていないので、我流の美意識でだけでは、伸びしろもなく、縮こまるばかり。
あれ以来、かれこれ数十年は、見るだけの人になっています。
でも、こんなガラスの剣山などを見つけると、また、体のどこかが、うずうずします。
秋になったら、もう一度、ツルウメモドキに、チャレンジしてみようかな、なんて・・・。
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