連休初日、奥琵琶湖でのこと。
湖岸に迫る桜並木のなかに...。
Sony α99 Vario-Sonnar 24-70㎜/f2.8 (f/3.5,1/1250sec,ISO100)
青々と繁る葉の中に病葉(わくらば)を見つけた。
逆光に照らされて、点々とオレンジ色に輝く葉を眺めながら、
「ひょっとして、今年の秋はその中に潜んでいるのではないか」と、ふと思った。
実はこの「秋が潜む」話、毎年、この時期に同じ事を書いていて、
それは、太宰治の創作ノート「ア、秋」の一節の請売りなのである。
もう4、5年も前のことになるだろうか、
新聞のコラム欄でその一節を読んで以来、
夏の終わりのお気に入りの話題としている。
その一節、”秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル”と題された文章で、
「夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。」
太宰治一流のユーモアだが、確かに、夏から秋へと移り変わる季節はあいまいだ。
たとえば、桜が咲けば春が来たと思うし、梅雨が明ければ夏が来たと思う。
また、初雪の知らせがあれば、そろそろ冬の準備を、とも思う。
ところが、秋の到来は感覚で捉えるしかなく、
ことさら、今年のように猛暑が続くと、あいまいもなにも、
そもそも「秋がやってくるのか」などと悲観的に思ってしまう。
それで今年も、自分なりの秋を夏の風景の中に探してみたのだが、
それが「病葉」だったというわけだ。
しかしながら...。
本来、「病葉」は夏の季語。
病害虫の影響で変色した葉を指すものであって、秋の訪れと関連があるわけではない。
それは承知のこととして、
今年の夏、その異常な暑さゆえに
あえて、病葉に秋の訪れを重ねてみたくなったのだ。
そして、この「あはれ」な光景を感慨深く眺めながら思った。
病葉たちが散ってしまわない前に秋がやってきてほしいものだと。
折にふれて...というかなんとなくの選曲はジャーニー。
記事を書いているときは必ず、youtubeで音楽を聴いている。
そして、この時ふと心にとめたのが、
スティーブ・ペリーの伸びやかな歌声が印象的な曲。
Journey - When You Love a Woman
秋の澄んだ青空を情景として映すバラードナンバーだと感じた次第だ。