毎月11日は「鉄写同好会」の日。
詳しくは発起人てくっぺさんのブログ「高橋さんの写真記念館」をご覧ください。
「鉄」撮りでよく出かける場所に新疋田駅がある。
福井県敦賀市、滋賀県との県境にある秘境駅。
秘境駅とは当同好会の主催、てくっぺさんに教えていただいた駅カテゴリーであるが、その仔細はかつての記事をご参考いただけたら幸い。
また、「新」とつくにもかかわらず秘境駅。そのくだりについてはこの記事をご参考いただいて...
と、前置きが長くなったが...、そこに登場するのがすでに廃線となった柳ケ瀬線。
そして、今回の主役はその廃線跡に残っている小刀根トンネル。
完成は明治14年(1881年)というから135年前。
当時の姿がそのまま残る日本最古のトンネルだという。
「当時の姿がそのまま残る」とは、車道その他に転用されず手も加えられず保存されていることを指す。
トンネル内部の様子はこの通り。
正真正銘、当時の姿がそのまま残っていて、
鉄路が残されていようものなら、突然列車が現れて、向かってくるような気配さえ感じさせる。
さて、小刀根トンネルが明治14年に完成していることはたいへん興味深い。
なぜなら、日本最初の鉄道、新橋・横浜間が開通したのが明治5年で、
それからわずか9年後に、人里離れた山間部にこのトンネルが開通しているからだ。
参考までに他の鉄道各線の開通を調べてみると。
大阪・神戸間の開通が明治7年で京都までの延伸が明治10年。
国家事業として開拓された北海道、その最初の鉄道開通(札幌・手宮間)が明治13年。
東海道線に至っては、ルート決定に紆余曲折があったこともあり、全線開通は明治22年。
これらに比べても小刀根トンネルは当時としては異例のスピードで開通したことになる。
何故か?!
福井・滋賀県境の山岳地帯を貫く柳ケ瀬線。
その開通を急ぐ必要があったのは、
当時、国際的な視線は大陸に集中しており、
大陸への窓口として地政学的に敦賀港が重要視されていたことが理由ではなかったか。
東海道から敦賀へ鉄路が切れ目なく結ばれることで大陸への人や物資の迅速な輸送が可能となる。
現に、明治45年(1912年)に欧亜国際連絡列車の運行が始まっている。
東京・新橋から敦賀。
敦賀から連絡船を経由してウラジオストックへ。
さらにはシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断してヨーロッパに至る欧亜国際連絡列車。
その発着駅がある街として敦賀は大いに発展したという。
再現された旧敦賀港駅(福井県敦賀市)
日本で最初に鉄道計画が立案されたのが明治二年だという。
その段階で日本海側への鉄路建設計画が検討されていたとするなら、
明治政府の先見性と迅速な計画実遂行にただただ驚くばかりだ。
余談...。
北陸自動車道下り線杉津パーキングエリア(福井県敦賀市)
かつてここに旧北陸本線杉津(すいづ)駅があった。
敦賀湾を見下ろす高台、北陸随一の車窓は鉄道唱歌にも歌われたとか。
北陸トンネルの開通とともに廃線となり、
鉄路は国道に転用されたものの、
杉津駅の他にも当時の面影は随所に残っているという。
となれば、敦賀近郊はまさに廃線の宝庫。
旧柳ケ瀬線、旧北陸本線と「廃線の記憶」をたどってみるのも悪くはなさそうだ。
なんとなくの選曲。
なんとなく... ただ、なんとなく。
過ぎ去ってしまった過去に親しみを込めて。
TOO MUCH PAIN ザ・ブルーハーツ
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