はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ショパン 心ゆくまで

2007-06-04 15:45:56 | アカショウビンのつぶやき

スクリーンを彩る「名曲アルバム」の美しい映像と
ピアノ演奏で綴る…音楽の旅


〝ピアノの詩人〟ショパンの波乱に満ちた生涯を辿りながら、ショパンの生地ワルシャワ、美しい音楽を紡ぎ出したパリ、恋人ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島などの美しい映像を背景に、NHK古藤田京子アナウンサーの司会で、若きピアニスト、フィリップ・コパチェフスキの演奏する、ショパンの名曲を心ゆくまで堪能しました。
コパチェフスキはモスクワ生まれの17歳、まだ初々しさの残る面差しながら、素晴らしい演奏を披露してくれました。
オープニングは「軍隊ポロネーズ」。そしてノクターン、幻想即興曲、ワルツ、ポロネーズ、マズルカ等々、若きピアニスト・コパチェフスキのショパンは素晴らしかった。
ショパンの告別式には、彼が尊敬して止まなかった、モーツアルトのレクイエムが流されたと。
私は「別れの曲」にしようかなあ。なんて考えちゃった アカショウビンです。

コイの教え

2007-06-04 08:55:02 | かごんま便り
 天気のよい日。短時間の外出でも汗ばむほど蒸し暑くなった。歩いていると、木陰や噴水など涼しく感じられそうな景色を探すようになった。
 鹿児島市の鶴丸城址を歩いている時もそうだった。車の往来が多い国道、舗装した歩道の照り返しも強かった。水をたたえた城址の堀をのぞいた。新鮮なミドリのハスの葉が茂り、その茎の間を数匹のコイが泳いでいた。
 コイを観光の呼び物にしている島根県津和野町のコイに比べて、スマートで色は素朴。コイからして質実剛健だ。津和野町の堀割を泳ぐコイは藩政時代に、非常時の食料用に飼われていた。現在は食べられる心配がなく、丸々と太り、観賞用になっている。
 鶴丸城の堀のコイは、観光客どころか地元の人もほとんど気にもかけないだろうが、存在感があった。外国人もコイには一目置いていたようだ。釣り好きのアイザック・ウォルトンという人が1653年にロンドンで魚の釣り方、生態、料理法などをまとめた本を出版している。
 日本で言えば関ヶ原の戦いの53年後に当たる。私が持っている森秀人さん訳・解説の角川選書「完訳」〓釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)に、ウォルトンは「鯉はすべての川魚のなかの女王というべきもので、風格もあるし、非常に鋭敏、かつ狡猾な魚であります」と記している。
 鶴丸城址の堀のコイは鋭敏ではなくけだるい感じで漂うように体を動かしていた。水面近くで口を動かすから空気を飲み込む。何匹もいるからスポッ、ズボッ、シュポと連続した音になる。見ていた私は、いつの間にかくつろいでいた。
 中国の思想家、孔子の子どもの名が「鯉(り)」(字は伯魚)。父の孔子は「仁」を理想の道徳として教えた。仁は「礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり」(広辞苑)とある。
 孔子が鯉を諭した場所が庭だった孤児に由来して、家庭教育の場を「鯉庭」という。さしずめ、先輩たちから指導を受ける鹿児島の郷中教育も庭訓の部類に入るだろう。
 最近の殺伐とした事件。自分さえ満足ならぱよいという姿勢もあちこちで目につく。例えば、辺りをはばからない携帯電話で話す大声。ちょっとした周囲への思いやりが忘れられている。城跡の堀のコイは忘れがちな事を私に思い出させ、改めて教えてくれたような気がした。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自2007/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載

赤鉛筆

2007-06-04 08:03:52 | はがき随筆
 父が定期購読していた「中央公論」が届いた。今回で期間満了である。思えば60年以上も愛読していたことになる。
 先日、アルバムを見ていたら私と同年代の父が縁側に座って本を読んでいる写真があった。
 耳に赤鉛筆をはさんで、赤線を引くのが父の読み方だ。
 私は子どものころ、大人とは難しい本を読むものなのだと思っていた。
 青春時代のほとんどを戦争に費やした父は、空の上で心ゆくまで本を読んでいるかしら。
   鹿児島市 川崎泰子(51) 2007/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載