はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

佐木隆三さん講評

2007-06-17 23:43:29 | グランプリ大会
「250字の世界」本当に見事

 90年に始まり、現在18回目を募集中の北九州市自分史文学賞の審査員をずっと務めています。作品は400字詰め原稿用紙で200~250枚。職業作家でも大仕事ですが、毎年国内外から約400編という驚くほどの作品が寄せられ、大変うれしく思っています。
 これに対して、はがき随筆は250字。この字数にまとめるのは至難の業です。職業作家は原稿用紙1枚いくらで原稿料をもらいますから、水増しした会話で行数を稼ぐ人もいます。そうした世界にいる人間から見ると、250字にギュッと圧縮するのは本当に見事な業です。一昨年の宮崎大会で審査員を務めた時に思いましたが、今回もつくづく感じ入りました。
  ◇  ◇  ◇
 「近況報告」で大賞を受賞した古賀さんは、なかなかの名文家。こういうはがきをもらったら、「心の広い人だなぁ」と感じ入り、12階からの眺めを想像し、奥さんの回復を願うだろう。はがき随筆の金字塔といえる。
 世の中にいろんな形見があるが、久保さんの「慕情の鈴」には意表をつかれた。どんな場面で、チリリンとささやくのか、哀切きわまりないけれども、夫婦愛の深さがうらやましくなる。
 海汐さんの「お婆ちゃんの餞別」。とっさにティッシュで餞別を包み、「勉強をがんばりませう」と書いたりするのは、よくある場面かもしれない。しかし、時を経て佳話として実るから、人生は素晴らしい。
 「死に甲斐」の西さんの83歳(審査時)にして衰えぬ闘争心に驚かされる。辞書に「死に甲斐」はなくても、生きることに値するものとして、悪者を懲らしめる闘争心。その気概が世の中から失われつつある。
 おせっかいは迷惑だが、矢野さんの「珍しい人」のような人は確かに珍しい。世の中は捨てたもんじゃないと、読ませてもらってうれしくなる。ちょっといい話を提供するのも、はがき随筆なんですね。

「恋」テーマ 文学大賞に4作品

2007-06-17 22:32:19 | グランプリ大会
文学大賞 受賞者 喜びの声

ちょっと欲が 鹿児島県出水市 清水昌子さん

 信じられません。いつもと違って、甘い文章を書いたので恥ずかしい。作文は2年前から始め、新聞部だった高校以来、30年ぶりに書く楽しさに浸ってます。これからは短編や長めのエッセーも書いてみたい。ちょっと欲が出てきました。

「恋未満」
 生け垣のくちなしが咲き出していた。道場はすでに開け放たれ、彼は無心に弓を引いたいた。久しぶりに見る彼の姿だった。入部したての頃、私は彼から手取り足取りで弓道を教えてもらっていた――。
 練習を終えた彼は、他の部員たちに近況報告を始めていた。
 「就職も決まった。結婚も決めた」。矢をつがえていた私の耳に、その声は確かに届いた。ギリッギリッと振り絞る。矢は的中。「ヨッシャ!」。すかさず彼の温かく懐かしい声がした。
 でもあの頃とは違う私たち。でもあの頃のようにくちなしは薫っていた。


継母への鎮魂歌 鹿児島市 鵜家育男さん
読み手に伝わるように何十回と推敲を重ねた末の受賞でうれしい。継母は兄弟を分け隔て無く育てる気配りの人でした。死を目前にして、父に50年連れ添いながら、生母も眠る墓への遠慮が胸に詰まったのです。これは継母への鎮魂歌です。

「恋慕」 
 当時幼い私たち2人を抱えた若い父に若くして嫁いだ継母。1児をもうけたが分け隔てなく愛情を注ぎ育て上げてくれた。その母が生前病床でポツリ「父さんのお墓に入れない」とつぶやく。
 何を意味してポツリ。私はそのつぶやきが耳から離れずのどに小骨が刺さったようにうずく。母は生母よりも何倍もの歳月、父と生活を共にしてきたはず。今となっては聞くすべもない。頑張り屋で優しい控えめな母の心情は「最初に父さんを愛した人は……」との思いがあったのだろうか。私は、生母と父が眠る墓地に「安らかに」と強い意を込め両手を合わせ納骨した。


両親に内緒で投稿  北九州市 加来慎志さん
 題材は約15年前のエピソード。父のイメージとかけ離れた文面が意外でしたが、虹のくだりには当時、強烈な印象を受けました。はがき随筆初挑戦ですが、思ったことを短文に凝縮するのは難しいです。ちなみに両親には内緒で投稿しました。

「恋文」
 父が結婚前に母に送った手紙を読ませてもらった事がある。それが最初で最後の、唯一の恋文らしい。
 「雨は嫌いですか? 紫陽花の葉の裏を蝸牛が這っています。濡れそぼった犬が悲しげに吠えています。今、君は何をしていますか?」。何という陳腐さ! でも自分のロマンチストな性格が父譲りであるのを発見して、苦笑交じりに妙に納得できたものだった。手紙の最後。「雨上がりの空に虹を見つけました。今、僕は、君に会いたいなあ、と強く思っています」
 以来、空に虹を見つけると、誰かにラブレターを無性に書きたくなる。


日ごろの思い正直に 北九州市 豊浦美智子さん

 初投稿ですが、他のテーマなら書かなかったかもしれません。夫の病死から間もなく2年。この5月に銀婚式のはずでした。「ああすれば良かった」などといろんな後悔が今も残っています。そんな日ごろの思いを正直に書きました。

「恋」
 6月は苦手。空の色、空気の温度が私の心をしめつける。
 雨降りが続くとなおさら苦手。会いたくて、胸が痛くて、泣きたくなる。
 この気持ち……まぎれもなく、これは恋。それも生まれて初めての、超遠距離恋愛だ。当たり前だと思っていたけど、一緒にいられることの幸せに、もっと早く気付けばよかったのに……遠く離れて、私の想いは募るばかり。「ありがとう」も「ごめんね」も言えないまま、会えなくなった愛しい人に、初恋にも似た「胸キュン」のせつない気持ちで、私はずっと恋してる。
 7月1日、もうすぐ主人の三回忌。







あふれる思い「圧縮の美」

2007-06-17 18:12:16 | グランプリ大会
はがき随筆大賞に古賀さん(佐賀)
    優秀賞に久保さん(飯塚)、海汐さん(宮崎)
第6回毎日はがき随筆大賞(毎日新聞社主催、RKB毎日放送、日本郵政公社九州支社後援)の発表・表彰式が10日、北九州市小倉北区のステーションホテル小倉であった。「大賞」には妻の静養にと引っ越したマンションでの新生活を描いた佐賀市、古賀弘史さん(71)の「近況報告」が選ばれた。また「恋」をテーマに募集した「毎日はがき随筆文学賞」は、弓道部の先輩の思い出をつづった鹿児島県出水市、清水昌子さん(54)らの4編が大賞に決まった。
 随筆大賞は、毎日新聞の九州・山口各地域に掲載されている作品から選ばれた06年の各地区年間賞11編を直木賞作家の佐木隆三さんが審査した。大賞に次ぐ優秀賞は福岡県飯塚市、久保美佐子さん(80)の「慕情の鈴」と宮崎市、海汐(うみしお)千乃さん(72)の「おばあちゃんの餞別」▽RKB毎日放送賞は長崎県平戸市、西哲男さん(84)の「死に甲斐(がい」▽日本郵政公社九州支社長賞は北九州市八幡東区、矢野朔男さん(83)の「珍しい人」―――にそれぞれ決まった。
 一方、今年が2回目となる文学賞には93歳から18歳までの男女計268人が応募。毎日新聞西部本社の加藤信夫編集局長らが審査し、大賞に清水さん▽鹿児島市、鵜家育男さん(61)▽北九州市小倉南区、加来慎志さん(41)▽同市小倉北区、豊浦美智子さん(50)―――の作品を選んだ。
 式には約150人が参加。RKB毎日放送のラジオ番組パーソナリティ、中嶋順子さんが朗読する各受賞作に聴き入った。各地区ではがき随筆の普及などに功績のあった米良武子さん▽前田昭英さん▽長谷目源太さん▽山川敦子さん―――への感謝状贈呈もあった。

大賞・受賞に喜びの声
難しいが楽しい
頭を使うのは数独の比ではない 佐賀市 古賀弘史さん
 「名前が呼ばれた時、月並みですが、頭が真っ白になりました」
昨年8月、妻冨貴子さん(73)の手術を機に、佐賀市中心部のマンションに転居した。散歩中に思い浮かんだ日常の暮らしぶりをまとめた。8月31日付で掲載された作品は同月の月間賞に。「8年前から投稿し、月間賞は何度か頂きましたが、まさか年間賞になるとは……」。最終的に九州・山口のトップに登りつめた。
 「250字に収めるのはいつもひと苦労。頭を使うのは数独の比じゃありません。難しいが楽しい」。受賞作は比較的すんなり書けたといい「それが良かったのかも」
 帰宅して受賞を告げると冨貴子さんは「へえー」と一言だけ。「自分のことが書かれていて照れもあったのでしょうが、副賞の万年筆をしみじみ眺めていました」。所属する佐賀・毎日はがき同好会の仲間から御祝いの電話をもらい、実感がわいてきたという古賀さんは「これからも書き続けます」と意欲を見せていた。

大賞・受賞作品の紹介
「近況報告」
 病を得た妻の静養にと静かなマンションの12階に移った。3LDKとはいえ、隠れ家的な15坪は50坪から移り住むにはいかにも狭い。2部屋は物置と化し、残り2部屋もテレビあり机ありで生活空間は3畳2間となった。
 しかし、病床の妻をまたいで物を取りに行くたびに、失われがちだった夫婦の会話が復活していくみたいだ。
 驚くほど静かな朝6時、ベランダから眺める背振、天山の美しさに息をのみ、ふり返ってまた息をのむ。座るところがない。 「すごさ」ではセレブのそれに劣らない。ともあれ楽しい新居である。よろしく。


優秀賞受賞 喜びの声
夫を思い出しながら   飯塚市 久保美佐子さん
よく推敲せずに出し、後からしまったと思うこともしばしば。受賞にはびっくりしました。月1回投稿しており、受賞作は万年筆や指輪もさりげなく贈ってくれた夫を思い出しながら書きました。鈴は今も鍵につけて持ち歩いています。

受賞作品の紹介
「慕情の鈴」
 「鈴って、案外高いものだなー。おっと失礼」と言ってプレゼントしてくれた鈴。チリリン、チリリンと、透き通るように美しい音色と、小手鞠のように細工された絵柄は、見ただけで高価な品と分かった。早速、家の鍵と共につけた。間もなく夫はあの世に旅立ち、鈴は形見となった。夫を思い出し、哀しさ、寂しさに鈴を抱きしめよく泣いた。そのつらさに耐えかね、鍵から外し、鈴の音を聞かないようにしたが、亡夫への慕情は募るばかり。すぐに元のところに戻した。15年の歳月が流れた今もチリリン、チリリンとささやきかけてくれる。


優秀賞受賞喜びの声
うれしい驚き  宮崎市 海汐 千乃さん
 投稿歴8年ほどでの受賞はうれしい驚きです。長男が学生時代、帰省の折に母は孫にこっそり小遣いを渡し、彼は東京の下宿で泣いたそうです。まさか包み紙をずっと残しておいたとは。世事に疎い印象だった息子の別の一面を見つけました。

受賞作品の紹介
「お婆ちゃんの餞別」  
 母は7年前、89歳で他界した。
 その葬儀で、私の長男が弔辞を読んだ。彼は折り皺のついたティッシュを出すと、遺影に呼びかけるように切り出した。「お婆ちゃん、この紙覚えていますか。20年前僕が学生だったころ、空港で頂いたお金を包んでいたティッシュです。その時はラッキーと思いましたが、後で涙が出てきました」
 後で聞いたところによると、彼はそれを日記帳に挟み、大切に保存していたと。私は彼の別の一面に触れて胸が熱くなった。紙の表には「勉強をがんばりませう」という見慣れた母の文字が書かれていた。

RKB毎日放送賞受賞 喜びの声
老後の良い楽しみ   平戸市 西 哲男さん
 80歳になって書き始めたので、賞を頂いていいものかと恥ずかしいような気持ちです。随筆がきっかけで書くのが好きになり、文芸誌の同人だった仲間で小冊子を作ったり、老後の良い楽しみができました。受賞がまた励みになります。

受賞作品の紹介
「死に甲斐」
 ミシミシ、ギーギーの音で目が醒めた。深夜である。強盗か? 傍らの黒カシの木刀を取って握り締めた。妻は老人施設に入っている。後顧の憂いはない。どうせ死ぬなら悪者を懲らしめたい。闘争心が沸き上がってきた。
 また奥の間でミシっと音がした。「おい、出てこい」と叫んで障子をさっと開けて構えた。誰もいない。人の気配もない。電灯をつけた。妻のタンスが傾いていた。根太が腐って畳もろとも落ち込んでいた。
 私は拍子抜けして独り笑いした。「死に甲斐」という言葉を思い出したが、どの国語辞典にもなかった。


日本郵政公社九州支社長賞受賞 喜びの声    
妻と評価し合い 北九州市 矢野 朔男さん

 釣りでの体験は、人の良い所を素直に取り入れよう、と相手の話を聞いたからこそでした。はがき随筆も一緒。妻の影響で投稿を始めましたが、日ごろから2人で作品を評価し合ったことが今回の受賞につながったと思います。

受賞作品の紹介
「珍しい人」
 釣りのある日。右側の人が実に良く釣る。何度目か視線が合った時、さおを置き、すたすたとやって来た。「あんた釣れんなあ」「はあ」「どれ見ちゃろう」。仕掛けを見て「これじゃ効率が悪い」と引き返し、自分のを持ってきた。「わしが作ったんじゃ。あんたにあげよう」と付け替えた上、釣れるコツまで教えてくれた。礼を言い名前を聞くと「名乗るほどのもんじゃない」と笑った。苦心して身に着けたコツを惜しげもなく他人へ、こんな珍しい人もいるんだと敬服した。やがて釣れだして目が合ったら、あの人が頭の上に両手で大きな丸を作って笑った。


薩摩街道

2007-06-17 08:01:58 | はがき随筆
 新緑の薩摩街道を歩いた。出水駅より袋駅まで11㌔を歩く。旧道を抜けると野間の関所。講師の話では「参勤交代の道として出水筋は最重要路だった。勤王の志士、高山彦九郎さえ、許可が出るまで2週間、足止めされたほど厳しかった」。現在は堀の跡と古井戸だけが往事の面影をしのばせる。眼下を望むと不知火海が、真っ青な海に白い小舟と長島、天草の島が遠くに霞む。万葉ゆかりの潮風を受けて、県境の境橋に着く。橋のたもとには茶屋の跡があり、旅人はお茶や団子で疲れを癒しただろう。薩摩武士の勇姿を思い浮かべながら帰途についた。
   出水市 橋口礼子(73) 2007/6/17 毎日新聞鹿児島版掲載