はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

結局は島

2007-06-25 13:18:37 | かごんま便り
 ふらりと散策すれば、必ずと言っていいほど銅像や石碑、記念碑などが目につく。何と多い事か。「ほほぅ、こんな所にも」と立ち止まり、碑を眺め説明文を読み、興味がわけば帰って自分なりに調べている。
 碑は公園などの整備されている場所だけでなく、歩道上にぽつんと建っていることも多い。鹿児島市小川町、桜島桟橋通電停の近くの歩道には「赤倉の跡碑」。藩が1869(明治2)年に招いた英国人医師ウィリアム・ウィリスのために建てた病院が赤レンガ造りで「赤倉」と呼ばれていたことを知った。
 また加治屋町は、歴史に名を残した多くの人を輩出した地区だけに、それこそたくさんの碑がある。その中に面白い碑をみつけた。「毛利正直 兵六夢物語の碑」。これも歩道上に建ち、道をはさんだ向こうには県立鹿児島中央高校がある。
 鹿児島に伝わる大石兵六の物語を記念したものだ。表には腰に刀を差した兵六と数匹のキツネのレリーフがデザインされている。裏には「意気盛大な若者代表兵六が霊狐を退治する物語である。江戸文学の中でも高く評価されるべき風刺文学である」などの説明文が刻んである。
 しかし、この説明文を読む人はほとんどいない。とても時間をかけてゆっくりと読めるものではない。碑は歩道ぎりぎりに建っているので、裏の説明文は車道に降りなければ読めないからだ。車の往来は激しく危ない。「車道に入らずんば説明を読めず」。こんな事も、ある意味で興味深い発見の一つだ。
 歴史好きな私にとって鹿児島の生活は、毎日が刺激を受け発見の日々だった。赴任したてのころ、鹿児島の人から「桜島は島と思うか、山と思うか」と尋ねられた。今は陸続きだから「山」とも考えられるからだろう。1年9カ月を鹿児島で過ごしながら、あれこれと考えた私なりの結論は「陸続きになっても桜島は、山ではなく島である」。その心は「霧山を霧島と言うがごとし」。いかがでしょうか?
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 私が担当する最期の「鹿児島評論」になりました。7月1日付で福岡本部に転勤します。在任中は温かい励ましをありがとうございました。まだまだ行きたい、見たい地域が多く残ってます。再び訪れたい。そんな気持ちにさせられるのが鹿児島です。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 
   2007/6/25 毎日新聞鹿児島版掲載

子らに幸せを

2007-06-25 08:27:40 | はがき随筆
 晴天の7時20分前後毎朝のこと。「おはようございます」「気をつけてね」の会話。駐車場の花の水やり時、6、4、3年生のランドセルを背負い笑顔でしゃべっている児童3人。親子で朝食もしっかりとり、家族に優しく見送られただろう。さらに子供を信じ、人と仲良く和やかな絆をつくるように育まれただろうと楽しく思いを巡らす。彼らの下校はなかなか見かけないが「お帰りなさい」と声をかけ労ってやりたい。子らにとって不幸(虐待、暴行)の多い昨今、毅然とした親や教師に育て指導されることをこいねがうのみである。
   薩摩川内市 下市良幸(77) 2007/6/24 毎日新聞鹿児島版掲載