ふらりと散策すれば、必ずと言っていいほど銅像や石碑、記念碑などが目につく。何と多い事か。「ほほぅ、こんな所にも」と立ち止まり、碑を眺め説明文を読み、興味がわけば帰って自分なりに調べている。
碑は公園などの整備されている場所だけでなく、歩道上にぽつんと建っていることも多い。鹿児島市小川町、桜島桟橋通電停の近くの歩道には「赤倉の跡碑」。藩が1869(明治2)年に招いた英国人医師ウィリアム・ウィリスのために建てた病院が赤レンガ造りで「赤倉」と呼ばれていたことを知った。
また加治屋町は、歴史に名を残した多くの人を輩出した地区だけに、それこそたくさんの碑がある。その中に面白い碑をみつけた。「毛利正直 兵六夢物語の碑」。これも歩道上に建ち、道をはさんだ向こうには県立鹿児島中央高校がある。
鹿児島に伝わる大石兵六の物語を記念したものだ。表には腰に刀を差した兵六と数匹のキツネのレリーフがデザインされている。裏には「意気盛大な若者代表兵六が霊狐を退治する物語である。江戸文学の中でも高く評価されるべき風刺文学である」などの説明文が刻んである。
しかし、この説明文を読む人はほとんどいない。とても時間をかけてゆっくりと読めるものではない。碑は歩道ぎりぎりに建っているので、裏の説明文は車道に降りなければ読めないからだ。車の往来は激しく危ない。「車道に入らずんば説明を読めず」。こんな事も、ある意味で興味深い発見の一つだ。
歴史好きな私にとって鹿児島の生活は、毎日が刺激を受け発見の日々だった。赴任したてのころ、鹿児島の人から「桜島は島と思うか、山と思うか」と尋ねられた。今は陸続きだから「山」とも考えられるからだろう。1年9カ月を鹿児島で過ごしながら、あれこれと考えた私なりの結論は「陸続きになっても桜島は、山ではなく島である」。その心は「霧山を霧島と言うがごとし」。いかがでしょうか?
◇ ◇ ◇ ◇
私が担当する最期の「鹿児島評論」になりました。7月1日付で福岡本部に転勤します。在任中は温かい励ましをありがとうございました。まだまだ行きたい、見たい地域が多く残ってます。再び訪れたい。そんな気持ちにさせられるのが鹿児島です。
毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自
2007/6/25 毎日新聞鹿児島版掲載
碑は公園などの整備されている場所だけでなく、歩道上にぽつんと建っていることも多い。鹿児島市小川町、桜島桟橋通電停の近くの歩道には「赤倉の跡碑」。藩が1869(明治2)年に招いた英国人医師ウィリアム・ウィリスのために建てた病院が赤レンガ造りで「赤倉」と呼ばれていたことを知った。
また加治屋町は、歴史に名を残した多くの人を輩出した地区だけに、それこそたくさんの碑がある。その中に面白い碑をみつけた。「毛利正直 兵六夢物語の碑」。これも歩道上に建ち、道をはさんだ向こうには県立鹿児島中央高校がある。
鹿児島に伝わる大石兵六の物語を記念したものだ。表には腰に刀を差した兵六と数匹のキツネのレリーフがデザインされている。裏には「意気盛大な若者代表兵六が霊狐を退治する物語である。江戸文学の中でも高く評価されるべき風刺文学である」などの説明文が刻んである。
しかし、この説明文を読む人はほとんどいない。とても時間をかけてゆっくりと読めるものではない。碑は歩道ぎりぎりに建っているので、裏の説明文は車道に降りなければ読めないからだ。車の往来は激しく危ない。「車道に入らずんば説明を読めず」。こんな事も、ある意味で興味深い発見の一つだ。
歴史好きな私にとって鹿児島の生活は、毎日が刺激を受け発見の日々だった。赴任したてのころ、鹿児島の人から「桜島は島と思うか、山と思うか」と尋ねられた。今は陸続きだから「山」とも考えられるからだろう。1年9カ月を鹿児島で過ごしながら、あれこれと考えた私なりの結論は「陸続きになっても桜島は、山ではなく島である」。その心は「霧山を霧島と言うがごとし」。いかがでしょうか?
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私が担当する最期の「鹿児島評論」になりました。7月1日付で福岡本部に転勤します。在任中は温かい励ましをありがとうございました。まだまだ行きたい、見たい地域が多く残ってます。再び訪れたい。そんな気持ちにさせられるのが鹿児島です。
毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自
2007/6/25 毎日新聞鹿児島版掲載