はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

X線の精密検査

2007-12-23 20:29:44 | はがき随筆
 市役所から親展が届いた。レントゲンの集団検診に引っかかったので、再検査をうけるように、との指示書だ。主治医への封筒も入っている。
 精密検査に行くと医師は目の前で封を開けた。右の肺に線が引いてある。軽い問診の後X線室で技師を持つが、なかなか姿を見せない。<もし結果が悪かったら身障者の妻や寝たきりの母、愛犬の世話は……>などと余計なことを考えるが、♪そんなの関係ねぇ! オッパッピーを口ずさんで不安を打ち消す。
 医師の「肺はきれいです」の一言にホーッ。これで我が家も希望の新年を迎えられる。
   出水市 清田文雄(68) 2007/12/23 毎日新聞鹿児島版掲載

支局長選 心に響く一作

2007-12-23 17:38:42 | 受賞作品
 笑いあり 涙あり 心温まる…

 悲しい事件・事故が相次いだ今年の九州・山口。でも読者は心温まる話も読みたいのです。そんな時に目がいくのが各地域面に連日載っている、はがき随筆です。掲載随筆を選ぶ支局長等が推す「今年、心に響いた一作」を読みながら、ますますはがき随筆の奥深さを感じています。全作品を一挙に紹介しました。思わず笑ってしまう作品、勇気づけられる内容、そしてジーンと心が温まる感動作。年末のひととき、じっくりお楽しみ下さい。


<山口> 「真夜中の劇場」 福元 圭子(63) 光市 9月21日
 「なんちゅうてもやれんでよぉ、寝言で歌を歌うんじゃけぇ」「えっ、本当、歌詞ついちょった?」
 「一番でやめたと思ったら、また次を歌ったぞ。たまげたでよぉ、ハハハ……」「あなた、それ夢じゃないん?」「バカたれ、お前ほどボケちゃおらん。歌うのが分かっちょったら、カセットをセットしちょくんじゃったけどな。しかし、覚えられんもんじゃのぉ。長い寝言は特にいけん。あしたの朝は言うちゃろうと思うけど、どうしても思い出せん」
 毎晩のように一人で笑ったり泣いたり叫んだり。さて、今晩の出し物は。

 抱腹絶倒。ユーモアあふれる会話。笑顔で話す夫婦の姿が目に浮かぶ。
   (山口支局長 柴田種明)


<筑豊> 「いつも一緒」 松岡 香織(32)
 嘉麻市 6月26日
 息子が泣きべそをかいている。理由を聞くと自分が写っていないと一枚の写真を差しだす。夫と私の結婚式の写真だ。この子にとっては家族はいつも一緒が当たり前なのだ。2歳半の子供にどう説明したらいいのか分からず何度も頭をなでた。よしよし、よしよし。そんな息子もいずれは私たち親の元を離れていくはず。だけど今のこの気持ちがあればこの先のどんなつらいことも乗り越えてくれるのではなかろうか。
 今回、小さな小さな我が子に教わったこと。それは、家族の意味。私たちはいつも一緒だよ。だから安心して大きく大きく羽ばたいてね。

 1枚の写真から学んだ家族の意味。筆者の歓声にハッとさせられました。(筑豊支局長・後藤浩明)


 <北九州> 「どんな子供も日本の宝」 松尾 淳一(40) 北九州市 2月16日
 母が言う。「今朝も目がさめてよかったね。さあ戦争が始まるよ」。オマルに座って手と顔をふく。食事に時間がかかる。命の重さはみな同じ。全面介助で何もできなくても、そばにいてくれるだけでいいと言う両親は70歳と68歳。僕は2回目の成人式を迎えた。
 毎日テレビで寂しく悲しいニュースばかり。「立派なお友達が亡くなってもったいない。この子はいらないというお子さんは一人もいないよ。うちにもらってきて育てたい」と母は嘆く。
 いじめに遭っているお友達、生きているといつかはきっと良いことがあります。僕も一生懸命生きています。

 どんな時も前向きに生きるよう、勇気をもらった。きっといいことがある。(報道デスク・宮本勝行)


<宮崎> 「母の気持ち」 永井 ミツ子(59) 北郷町 7月30日 
 夕食後、くつろいでいると、息子より「夏、彼女をつれて帰るよ」と電話があった。突然のことに、驚きが喜びに変わり、御祝いの言葉を言おうとした時、「彼女、足が悪いんだよ」。息子の不安げな声に「反対されると心配していたんだなあ」と胸が熱くなった。
 私が励ますように「大丈夫」と言うと、「ほらネ」と彼女に呼びかける声と、小さな笑い声が聞こえた。
 「詳しいことは帰ってから」と電話は切れたが、私はその場から動くこともできず、息子の言葉を思い返した。
 「正確は、誠実な人」と言うひと言に支えられ「ヨーシ」と立ち上がった。

 筆者の気持ちの変遷の描写が見事で胸を打つ。県内審査では入賞しなかった作品だ。(宮崎支局長・大島透)


<佐賀> 「誕生日」 佐伯 スミ子(85) 唐津市 9月18日
 9月6日0時、85歳になり、「誕生日は1日中家事から解放」を宣言し就寝した。しかし5時起床、赤飯を作っていた。新米、新小豆で上出来。神様へお供えし、せっせと重詰め。「やはり作ったね」と配達係の孫。門にまで見送り、そのまま草取り。蚊をたたいた手のひらをみれば、生命線がくっきり。ここは百歳線か! 親友から「おこわありがとう。何がいい?プレゼント」「ダイヤもサファイアも何もいらぬ、わたしゃ家事を1日安みたい」「笑わせないでよ、罰あたり。健康に感謝しな」。ホーム入所、入院の友も多々。働ける日々に感謝し85歳に乾杯。

 「誕生日は家事解放」を宣言しながら早朝に起床。タフさに頭が下がった。(佐賀支局長・満島史朗)



<鹿児島> 「父の親指」 徳丸 伸子(54) 阿久根市 5月15日
 いつからだろう。眉がかゆくなると親指でかいている。7年前に他界した父が、晩酌しながらやっていた。他の指ならスムーズなのに、親指で眉をかくなんて不自然で、ぎこちないかゆみ止めの格好なのだ。
 気がつくと、娘の私がやっている。これがまた、親指の太さが、眉によく接触してかゆみが止まる。心の中で笑って、父が現れたことをおかしく、そして懐かしく思う。
 多分、93歳を迎えた母のことが心配で、時々、親指の力を借りて、母の事を頼んだよと言わんばかりの父の、お願いなのかもしれない。

 最近、亡父に話し方が似てきた と言われる私。親子って不思議だなと思う。(鹿児島支局長・平山千里)


<筑後> 「バスの中で」 久保田 清子(77) 大牟田市 10月6日
 うだるような暑さの中、バスに乗って一息ついたころ「……ご協力下さい」と運転手さんの声。何を協力? と思っていると運転手さんが「ほらついたぞ。バスハードで料金もらうぞ」。騒々しくなったが、バスの中は笑い声に包まれた。抱き起こされたのは小さな男の子。大きなランドセルを背負ってぐっする寝込んでいたのだ。やっと目が覚め下車していく。バスは何ごともなかったように発車した。車内アナウンスで「御迷惑かけます。学校帰りはバスの中ですぐ寝てしまうので、これからもよろしく」心得た乗客は、笑顔でいっぱいになった。

 運転手の絶妙なアナウンスで乗客も笑顔に。こんなバスに乗ってみたい。(久留米支局長・荒木俊雄)


<大分> 「挙手の礼」 臼杵 富子(84) 豊後大野市 9月12日
 戦争中、日豊線と鹿児島線を乗り継いで、実家と福岡市の学生寮を行き来していた。ある日、日豊線の車中に二人の海軍士官の方が乗ってこられ、一人が挙手の礼をして私の前に席に座った。婚の軍服、腰に短剣。死線は私に注がれ、私は目の置き場に困った。
 偶然が重なり車中でのデートが続いた。ある日「今日は小倉まで送るから」と。不安を感じた。今日で会えなくなるかも。しかし彼は「出撃」を言葉に出さなかった。小倉駅のプラットホーム、汽笛が鳴り挙手の礼で私を見送る彼。しばらくして彼は皇国の土となった。今も幻となって現れ、挙手の礼をして去って行く。

 出征兵士を送る歌「夜のプラットホーム」と重なった。父母の世代の青春を思う。(大分支局長・藤井和人)


<福岡> 「一個のナシ」 立石 進一(74) 福津市 11月3日
 包み紙をはがしたら一個のナシでした。信号待ちの車間をすり抜け、薄暗いバス停に立つ私どもへ届けて下さったのは、筋向かいのすし店のおかみさん。家内ともどもご厚意に深く感じ入りました。去る9月のこと。私どもの金婚式はバスで20分のすし店さんに決め、おいしいすしに満足。帰り支度の折、お見せの名の由来などを笑顔のご主人に尋ねました。「内証ですが、私どもは今日お店で金婚式ができました」とお礼を言って表へ出たすぐの出来事でした。海外観光や金製品の贈呈もかなわず、ただ温かな人の志が一個のナシに黄金色の輝きを放つかに見えました。

 二人だけの金婚式にナシ一個の志。それだけで、なぜか温かな気持ちになる(福岡報道部・松田幸三)


<熊本> 「息子を送る」 柳詰 敏子(84) 球磨村 9月5日
 朝5時半、いつものように起きて朝食の準備をする。みそ汁にキュウリの漬物、目玉焼き。息子と2人で食べる朝食は今日で終わる。10日間の休暇で帰って来ていた。ほっとしたり、寂しかったりというところである。
 フェリーの切符が取れず、大阪まで車で戻る。心配しても仕方がない。畑のキュウリ、ピーマン、オクラなどを土産に乗せた。
 送り出してからデイケアに行った。気が紛れてよかった。夕方になると、今ごろはどこを走っているだろうかと気になった。ビールの空き瓶を眺めては息子を思いだしている。

 読み返すほどに、母親の気持ちが伝わってくる。故郷が恋しくなった。(熊本支局長・中島伸也)



<長崎> 「乗り合わせて」 入江 美代子(64) 長与町 9月19日
 電車の中で若い夫婦が赤ちゃんにミルクを飲ませていて、床にこぼしてしまい、テッシュでふき取っている。私も持ち合わせのティッシュをあげると「ありがとう」と手話で話された。耳がご不自由のようだ。床を丁寧にふき取り、笑顔の黙礼で降りていかれた。
 バスの中では私の横に妊婦の方が立たれた。「お席、替わりましょうか」と声をかけると「次で降りますから」。降りる時、わざわざ「ありがとうございました」と言われた。私も「お大事に。丈夫な子を産んで下さい」と声をかけた。最近の若い方もすてきな人が多いなーと、うれしくなった。

 自己中心的世相。こんな当たり前のことが当たり前のようにあってほしい。(長崎支局長・前田岳郁)