はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

延長引き分け

2008-04-11 07:26:18 | はがき随筆

 今年のセンバツは白熱した好試合が多かった。全36試合のうち2点差以内が26試合。「大接戦の大会」を象徴するのが、鹿児島工が平安(京都)と演じた延長十五回引き分け再試合だろう。
 鹿児島は今春、引き分け再試合に不思議と縁がある。まず3月26日、九州地区高校野球大会県予選2回戦で、樟南と出水商が3-3で引き分け。甲子園での鹿児島工はその2日後である。
 珍しいことが続くと思っていたら、2~6日にあった九州地区高校軟式野球大会県予選では何と2度もお目にかかった。3日の準決勝で鹿児島商と育英館が1-1で引き分け。翌日の再試合を制した鹿児島商は、5日の決勝で今度は鹿児島実と3-3で引き分けた。軟式は、硬式に比べ球が飛ばないから点が入りにくいが、参加5校、4試合の大会で2度の引き分け再試合というのは高野連関係者も驚いていた。
 選手の健康管理の観点から延長引き分け再試合規定ができたのは1958年。春の四国大会で、今はタレントの板東英二さん(徳島商-中日)が連日の延長戦で計40イニングを投げ抜いたのがきっかけだ。徳島商は同年夏の甲子園で魚津(富山)と延長十八回引き分けを演じており、板東さんは自分が作らせた規定の適用第1号になった。
 春夏の甲子園では、名勝負と語り継がれる69年夏決勝・松山商-三沢(青森)戦など99年までに計4度(春1、夏3)。延長十八回が十五回になった00年以降は先日の鹿工-平安戦を含め5度(春3、夏2)あった。
 基準が3イニング短くなって出現率は上がったが、珍しいことに変わりはない。まして短期間に続けて起きるなんてめったにあるもんじゃない。
 軟式大会閉会式の帰り道、NHKの大河ドラマ「篤姫」にちなんだ例の観光ポスターがふと目に止まった。どうやら今年の鹿児島は、本当に「アツアツ」らしい。
鹿児島支局長 平山千里 2008/4/9 毎日新聞掲載

ぎゅーっと抱きしめて!

2008-04-10 14:43:15 | アカショウビンのつぶやき





在園児は、立派に声を揃えて歓迎の挨拶と歌を歌いました。


 学園理事として関わっている、信愛幼稚園の入園式に招かれ参加しました。
「今日は賑やかですよ…」と園長先生がおっしゃいましたが、入園式が始まる前から、ママにしがみつき泣きじゃくる子、不安そうにママの手をしっかり握っている子、一方では、早く式場に入りたくて胸をわくわくさせている子、それぞれの表情を見せながら、入園式が始まりました。
 初めて小さな椅子に座った子供たちは、先生方の優しい笑顔と楽しい歌に少しずつ緊張も解け、可愛い笑顔も見えるようになりました。
 でも、ママから離れることができず、最期まで泣いていた子も……。でもこの子たちが、「えーっ、あの泣いてた○○ちゃん」と驚くほどに成長した姿を見せてくれるのも間もなくです。
 「泣いて困らせた子が、後でしっかりしたお子さんに成長するような気がしますよ」とは、長年の保育を経験した○○元副園長の弁。
 それぞれが神様の大きな愛の中で「つよく、やさしく、たくましく」成長して欲しい。
 PTA会長は御祝いの挨拶で、
 「子供たちは幼稚園で新しいことをいっぱい学んでいます。園から帰ったら、子どもの話をしっかり聞いてあげてください。そして最後に、ぎゅーっと抱きしめてあげてください」と。
 三番目のお子さんが今年一年生になり、お父様も7年間の幼稚園生活を卒園することになった、Nさんの言葉はジーンと胸に響きました。
 

ピン・ポーン

2008-04-10 07:00:10 | はがき随筆
 オムツをしたくない母は、足がのろいので、おしっこをもらすことがある。
 「もうっ、お母さんは!」
 私の顔は引きつってしまう。
 そこで考えたのが、インターホン。
 母がトイレのドアを開けると「ピン・ポーン」と鳴るように取り付けてもらった。私は駆けていき、母を誘導する。
 「あら、来てくれたの?」
 「お母さんが呼んだからね」 
 「赤ちゃんと一緒だね」
 「赤ちゃんは可愛いけどね」
 笑いながら日に7~8回、母の私のトイレ戦争は続く。
 一度成功すると心はバラ色。
   阿久根市 別枝由井(66) 2008/4/10 毎日新聞鹿児島版掲載

母への願い

2008-04-09 15:21:52 | はがき随筆
 寝たきりになった母は、物忘れがひどくなってきた。
 誕生祝いの色紙を見て「私は94歳になったの?」と聞く。カーネーションの赤い色は分かるが、花の名前は出てこない。
 冬に「スイカを食べたい」と言っては困らせ、「背中をかいて」と甘えていたのが、今は頼みごとは少なく気力も無い。それでも私や、世話をしてくれるヘルパーさんに「ありがとう」と言う。感謝の心がうれしい。
 「また来るからね」と言う私に「もう帰るのかい……」とつぶやく母。息子の名を忘れず、一日でも長く生きて!と願い、介護ホームを後にする。
   出水市 清田文雄(68) 毎日新聞鹿児島版掲載

道のり

2008-04-08 08:32:52 | はがき随筆
 山頂から見える山々。
 この景色を見るまで、山頂にたどりつくために、ただ必死に山を登る。
 人生も同じ。
 人生という山も、登ったりくだったり。
 でも、人は達成感をあじわうために何か行動をおこす。やりとげた場合とやりとげられなかった場合が、山と同じだと私は思う。
 私は11さい。大人になるまで、たくさんのいいことがあり困難が待ち受けていると思う。
 たとえ、どんな困難が待ち受けていようと、私は自分の力で立ち向かっていきたいと思う。
   鹿児島市 萩原三希子(11) 2008/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はマグナさんより

完走しました

2008-04-07 08:59:54 | はがき随筆
 龍馬ハネムーンウォークに姉と初参加を決めた。足慣らしに半月ほど前からなるべく歩くものの、せいぜい3㌔どまり。8㌔歩き終えるか心配。
 当日は新婚組も交じり、思い思いのいでたちで出発。ふくらんだ人の塊が縦に縦に伸びてゆく。さいわいに薄曇りのウオーキング日和で、足も快調。
 鹿児島神宮を西側から入り、折り返し地点の公園で熱々のふくれ菓子をいただいて一息つく。帰りは侏儒どん橋を渡り、天降川沿いに歩き、街中へ出る。2時間20分で到着。ささやかな達成感に浸る。来年は20㌔コースをと夢はふくらむ。
   霧島市 口町円子(68) 2008/4/7 毎日新聞鹿児島版掲載

今は昔

2008-04-06 07:36:57 | はがき随筆
 目的は違うが、視察研修の目的地が続けて2回、福岡県飯塚市になった。街の振興や活性化を考える時、一見の価値があると考えてのことだろう。黒いダイヤでけた違いの繁栄を経験した街が今はどんな対策を……。
 しかし福岡市や北九州市に流出する購買力を防ぐことはできないようだ。繁栄の証のように残る嘉穂劇場、旧伊藤伝右衛門邸など、ぜいを尽くした建物は残るが、基幹産業を見出せない現状は厳しい。遠賀川の岸に立ち四方の山を眺める時、この街を捨てた柳原白蓮の気持ちが分かるかしら。そんなことを思いながら視察を終えた。
   志布志市 若宮庸成(68) 2008/4/6 毎日新聞鹿児島版掲載

コブシ咲く頃

2008-04-05 07:54:13 | はがき随筆
 裏通りの垣根越しに、枝々の先に筆の穂のようなふっくらとした包葉や6弁の花が見えた。ああ、コブシの花だ。澄んだ空に純白の花がまぶしい。
 眺めているうち、ふと遠い昔が思い出された。田園広がる地方の中学校に勤めていたころ、3月の別れ遠足は毎年、徒歩で1時間半ばかりの遠く市街が見える丘だった。
 途中、コブシの咲く民家の脇を通る。お下げ髪の生徒がきれいと見上げる。ふざけて畑に足を入れたりした丸刈りの生徒も、咲き誇るコブシに足を止めた。生徒たちの晴れやかな声が耳に残っている。
   出水市 年神貞子(72) 2008/4/5 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はバセさんより

収穫

2008-04-04 07:11:22 | はがき随筆
 キンカン、ハッサク、ビワの苗木を植えて5年になる。
 1時間以上もかかる道中を娘たちの協力で手入れに行くが容易ではない。雑草との戦い、消毒液の散布、肥料やり。天候や時期を見ながらの作業である。
 しかし収穫ともなれば自然と足どりも軽い。お陰で自称果樹園は確実に成長しつつある。キンカンは年々収穫も増え、うれしい悲鳴である。ハッサクは1㍍くらいの丈で初めて実をつけ、私は興奮ぎみであった。視力のない夫にも一個一個、手に触れさせて共に喜び、9個の大玉に感謝感激の時であった。ビワの収穫もまた楽しみである。
   鹿児島市 竹之内美知子(73) 2008/4/4 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はazukiさん

モクレンの花

2008-04-03 08:50:07 | はがき随筆
 モクレンの花は、ふくふくとあたたかく咲く。
 春の一瞬の風の中の、あの子たちの笑顔のように、清らかに際だって咲く。
 柔らかく、光って咲く。
 そして、いつの間にかさらりとドレスを脱いで「じゃあ、またね」と、あっさり姿を消すモクレンの花。
 夫が好きな花だから、いつの間にか気になる存在になった。
 ひと枝だけ、ベッドのそばに置いておく。
 目を覚ましたら見てね。あかりのように見えるし、いい香りもしてるわ。あなただけを、見守ってるわ。
   鹿児島市 萩原裕子(55) 2008/4/3 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真は珠樹さんより

故郷はいま……

2008-04-02 12:21:15 | はがき随筆
 祖母の遠忌で久しぶりに故郷を訪れた。何年ぶりだろう。すっかり変わり、驚くばかりだ。
 小鳥を捕り山菜を摘んだ丘には住宅が侵入し、団地を形成している。川はコンクリートで固められ、ただの水路だ。ウナギやフナがすみつく豊かさやぬくもりがない。チャンバラをし十五夜の綱引きをした道路は、車が高速で走り抜け、横断するのもひと苦労だ。帰省を喜んでくれたのは2人のいとこだけだ。
 桜が咲き満ちて入学を迎えてくれた母校は、跡形もなく消えて寂しい限りだ。昭和の尾灯とともに故郷もまた、春のかすみの中に消え去ってゆく。
   鹿児島市 福元啓刀(78) 2008/4/2 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はyushitaさん

七年忌を前に

2008-04-01 10:17:49 | はがき随筆
 病気知らずだった88歳の父は病を得てから、私の訪問を心待ちするようになった。
 父に応えようと、昼間に会った日も私はパジャマにはんてんをを羽織り毎夜5分、車を走らせた。母と3人、小一時間語らううち父が休む時刻。隣のお茶の間で母が見守る中、ベッドの父に薬を差し出し、足をさする。ほんの数分間でも「気持ちよかった。ありがとう」が終わりの合図。肩が冷えないように布団を押さえ「おやすみなさい」。電気を消して、ふすまを2㌢開けたまま部屋を出る。
 入院する前日まで続いた夜のひとときは、半年で終わった。
   いちき串木野市 奥吉志代子(59) 2008/4/1 毎日新聞鹿児島版掲載

四月一日…

2008-04-01 10:01:42 | アカショウビンのつぶやき
 今日の毎日新聞・余録欄によると、欧州連合ではエイプリルフールを廃止する動きがあるという。
若い頃の私は「またやられたー」と毎年、周囲を笑わせて? いや、笑われていたなあ…。軽い冗談なら許されようが被害者が訴訟まで! となったら深刻。今、騒がれている「暫定税率失効」これはエイプリルフールではないらしいが…。

 また、「発信箱」の記事には、63年前の今日、4月1日は、沖縄に米軍が上陸した日と書いてあった。
その中に、集団自決用に配られた、手投げ弾の栓を抜こうとした生徒に「抜くな!」と叫んだ勇気ある教師の一言が、12名の生徒の命を救ったという一節があった。悲惨な戦争はもう二度とくり返してはならない。

 私の義兄も衛生兵として沖縄戦線に赴き、待ちに待った我が子、M子誕生の報も届かず戦死した。父親が最期を遂げた沖縄の地に、成人したM子は奇しくも住むこととなった。そして摩文仁の丘に建立された「平和の礎」で、まだ見ぬ父「伊与田稔」の名と対面した。M子も、もう63歳…。交通事故で重度の後遺症を持つ婿の介護に明け暮れる毎日だが、逞しくそして穏やかに過ごしている。
頑張れ! とは言えないが、今日も平安な一日でありますようにと心から祈る。

 ブログは今日からチューリップ、如何でしょう。

桜の季節に

2008-04-01 08:00:36 | 女の気持ち/男の気持ち
 今年も桜の季節がやって来た。あの日のことは今でもありありと目に浮かぶ。
 満開の桜もそろそろ終わりかという日、病室の窓から寂しげに眺めていた夫を「今日は体の具合も良さそうだから、2人で花見に行きましょう」と誘い出した。
 片方に杖、片方は私としっかり腕を組み、少し離れた公園へゆっくりと足を運ぶ。強かった日差しもやや西に傾き、心地よいそよ風が肌をなでる。幸い公園は人影も少なく、ゆったりとベンチに腰を下ろす。見上げればどこまでも花の空。風に舞う花の精は、私たちの肩へハラハラと降ってくる。
 「見事だねえ、出てこられて本当によかった。ありがとう」
 「来年もきっと花見しましょう」
 「そうしたいけど、生きていればなあ……」
 「大丈夫。回復してるんだから」
 花冷えのせいか、つないだ手も冷たくなったが、胸の暖かさだけが伝わってくる。この幸せが続きますようにと祈りながら、花吹雪に送られ、病室に戻った。
 2人だけの花見。宴(うたげ)もなく、静かな静かな花見だった。2カ月後、夫は天国へ旅立った。
 それから9回目の桜の季節。あなた、天国の花見いかがですか。
   熊本市 原田初枝(77歳) 毎日新聞鹿児島版・の気持ち 掲載
写真はkatakataさん