教科書『東洋医学臨床論』を取り上げたい。理由は端的には、9月末の卒業臨床実技試験の内容は、『東洋医学臨床論』に沿ったものである、というだけでは無しに、そこに説かれる説き方が現代における鍼灸実践の最良のもの(これは『東洋医学臨床論』が鍼灸学校の教科書であるというのみならず、初版から四半世紀が過ぎ、他の教科書が次々に新版へと変わっていっているにもかかわらず、誰もが『東洋医学臨床論』の新版の編纂を成し得ないということからも)である、と思えるからである。
教科書『東洋医学臨床論』では、まず西洋医学的な病気の見方が示され、それに対しての鍼灸の処方例=選穴が示され、次に東洋医学的な病気の見方が示され、それに対しての鍼灸の処方例=選穴が示される。
これはもともとは、西洋医学というものが日本に入ってくるまでは、東洋医学的な病気の見方があって、それに対しての鍼灸の処方例=選穴ということだけがあったものが(正確には、病気の診断→治療というのは西洋医学の考え方で、東洋医学とは少し違うのであるが、そこを問うと本題から外れてしまうので、そこは目を瞑っていただきたい)、西洋医学が日本に入ってきて、東洋医学をほぼ駆逐するまでになった、なってしまっている現代においては、西洋医学を無視しては、東洋医学=鍼灸は現実性を持ち得ないがゆえにの、西洋医学的鍼灸+東洋医学的鍼灸=最善の鍼灸であるのだと思う。
しかしながら、西洋医学的な病気の見方が万能であるとされる現代において、西洋医学的な病気の見方、鍼灸治療を提示した上での、それに加えての東洋医学的な病気の見方、鍼灸治療ということは、東洋医学=鍼灸は非科学的であり迷信の類である、という避難に対しての言訳とはなるかもしれないが、そのような足し算が有効性を発揮することは無い、それは鍼灸の実践上の発展では無いのでは、と思う。
では、どうすれば?と言えば、答は一般的には、学問の歴史、哲学の歴史において、すでに出されていると思う。それは、例えば、トマス・アキュナスが宗教と相入れないものとされた学問に学ぶことで、スコラ哲学の体系を創り上げたごとくに、あるいは、大観念論哲学者であるヘーゲルが、自然科学=唯物論を学ぶことで自らの「唯物論的観念論」とも称される体系を創り上げた如くに、である。
これは、別言すれば、現代における東洋医学の発展とは、東洋医学に西洋医学を足し算する、継ぎ足すということでは無しに、両者の相対的独立かつ対立物の統一の学びでなければならない、ということであると思う。ここは改めて具体的な例をあげて説きたいと思う。
教科書『東洋医学臨床論』では、まず西洋医学的な病気の見方が示され、それに対しての鍼灸の処方例=選穴が示され、次に東洋医学的な病気の見方が示され、それに対しての鍼灸の処方例=選穴が示される。
これはもともとは、西洋医学というものが日本に入ってくるまでは、東洋医学的な病気の見方があって、それに対しての鍼灸の処方例=選穴ということだけがあったものが(正確には、病気の診断→治療というのは西洋医学の考え方で、東洋医学とは少し違うのであるが、そこを問うと本題から外れてしまうので、そこは目を瞑っていただきたい)、西洋医学が日本に入ってきて、東洋医学をほぼ駆逐するまでになった、なってしまっている現代においては、西洋医学を無視しては、東洋医学=鍼灸は現実性を持ち得ないがゆえにの、西洋医学的鍼灸+東洋医学的鍼灸=最善の鍼灸であるのだと思う。
しかしながら、西洋医学的な病気の見方が万能であるとされる現代において、西洋医学的な病気の見方、鍼灸治療を提示した上での、それに加えての東洋医学的な病気の見方、鍼灸治療ということは、東洋医学=鍼灸は非科学的であり迷信の類である、という避難に対しての言訳とはなるかもしれないが、そのような足し算が有効性を発揮することは無い、それは鍼灸の実践上の発展では無いのでは、と思う。
では、どうすれば?と言えば、答は一般的には、学問の歴史、哲学の歴史において、すでに出されていると思う。それは、例えば、トマス・アキュナスが宗教と相入れないものとされた学問に学ぶことで、スコラ哲学の体系を創り上げたごとくに、あるいは、大観念論哲学者であるヘーゲルが、自然科学=唯物論を学ぶことで自らの「唯物論的観念論」とも称される体系を創り上げた如くに、である。
これは、別言すれば、現代における東洋医学の発展とは、東洋医学に西洋医学を足し算する、継ぎ足すということでは無しに、両者の相対的独立かつ対立物の統一の学びでなければならない、ということであると思う。ここは改めて具体的な例をあげて説きたいと思う。