ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

わが家の庭で(2012.10.29)

2012-10-29 14:21:56 | 我が家の歳時記

 ツワブキが咲き始めました。俳句で「石蕗(つわ)の花」は冬の季語です。

五十嵐播水という人の句に…「蝶の黄を淡しと思う石蕗の花」。
たまたま庭に黄色の蝶がいたのですが、残念ながら写真には撮れませんでした。

 
 
ホトトギスはまだまだ元気に咲き続けています。
 

最後の柿を収穫しました。うちの柿は甘くてご近所でも好評なんですが…
今年は不作で、おまけに美味しそうなのはみんな、カラスとヒヨドリに食い逃げされてしまいました

鯖街道・熊川宿(2012.10.17)

2012-10-19 15:47:41 | 我が家の歳時記

 17日、夜が明けてもまだ雨は降っていませんが、風が強く窓の外の梢を揺らしています。8時半、若女将の見送りを受けて帰途に着きました。国道303号線(若狭街道)は滋賀県高島市に入ると琵琶湖西岸の今津に至りますが、私たちは今津町保坂から南へ367号線で京都へ向かいます。この小浜から保坂、朽木、大原を経て京都に至る道筋は古来「鯖街道」と呼ばれています。若狭の海で取れた魚、なかでも鯖が多く京都へ運ばれる道で、都に着く頃にはちょうど良い塩加減になったといいます。

 
熊川宿は鯖街道の若狭側にあり、上中から30分も走ると到着しました。秀吉に若狭一国の支配を任された浅野長政が、天正17年(1589)に交通と軍事の要の地として諸役免除の宿場町にしました。
 

ここは二度目ですが、今回は西口の駐車場にイノッチ車を置いて、丸さんの車で道の駅「若狭熊川宿」のパークに移動。ここからスタートして上ノ町の街並みを歩きます。すぐに復元された熊川番所(2006年撮影)があり、その先には「子守り岩」と呼ばれる大きな岩が民家の横にデンと鎮座していました。
 

河内橋を渡り中ノ町に入ります。これは「旧速見勘兵衛家」。伊藤忠二代目社長・伊藤竹之助氏の生家で熊川を代表する町屋です。一般公開されていますが、まだ時間が早いようでした。
 

もと熊川村役場を改修して鯖街道の資料や民具などを展示している資料館です(2006年撮影)。
 

若松屋。お土産屋さんで店を開いたばかりでしたが、イノッチさんがお婆さんにお話を聞きました。この看板は明治時代からあるとのこと。現在もタバコを売っています。
 

ここから国道に出るまでの短い路地を御蔵道といいます(2006年撮影)。今は崩れかけた蔵もあり、ドングリがいっぱい落ちていました。
 

国道側から見た御蔵道。ツタが絡まる廃屋の風情です。
 

倉見屋。元問屋で熊川宿でもっとも古い町屋です。平入造りの重厚な建築が往時の繁栄を偲ばせます。
 

得法寺。蓮如上人の旧跡でその銅像の他、徳川家康腰掛けの松(枯れて山門脇に根っこが置いてあります。元は真ん中の松の辺りにあったようです)、沼田氏の供養塔などがあります。
 

T字路の突き当りを左へLの字に曲がるところを「まがり」と呼んでいます。城下町などによく見られる軍事上の備えでしょうか。ここから下ノ町になります。

 
宿場歩きを終えて車に乗る頃から雨が降り始めました。朽木の道の駅「くつき新本陣」でお土産を買って、雨の鯖街道を走り抜けました。写真は「焼鯖寿司」です。

小さな庭の小さな秋(2012.09.24)

2012-09-24 09:04:53 | 我が家の歳時記

 昨夜、おそらく今年最後になると思われる月下美人がひっそりと咲きました。


 
今朝は爽やかな秋晴れです。庭の隅でワラベノカンザシが咲いています。
 

毎年この時期に咲きますがなんという名前でしょう?野草ではノギランに似ていますが…
「丹波のたぬきさん」から「斑入りのヤブラン」と教えて頂きました。ありがとうございました。
 

ホトトギスの葉っぱが坊主になっていると思ったら、こんな綺麗な毛虫が何匹も…
 

シュウカイドウは次々に咲き続けています。

わが家の庭で(2012.06.14)

2012-06-14 13:17:37 | 我が家の歳時記

梅雨の中休みで朝から強い陽射しが降り注いでいます。

崑崙原産の朝顔。だいぶ蔓を伸ばしました。

発芽の遅れていたのもそろそれ定植の時期に…

アジサイがようやく色づき始めました。

エビソウもまだほんのり赤い色に染まり始めたばかりです。

カタバミ。雑草ですが色と形が美しかったので…

ナンテンの花。庭のあちこちで満開です。

ゼラニュウム。この時期はちょっと淋しい庭に、ただ一つ彩りを添えてくれています。


わが家の庭で(2012.06.05)

2012-06-05 11:24:33 | 我が家の歳時記
今日は二四節気の「芒種」。「芒・ぼう」というのはノギ、稲で言えば籾殻にあるトゲのことだそうですね。「暦便覧」という本に「芒(のぎ)ある穀類、稼種(播種?)する時なり」とあるそうですが、以上すべてWikipediaの受け売りです。
もう田植えが済んだところも多いのに、ちょっと季節感がずれているようですが、次の節気はもう夏至になります。



柿の実が少し大きくなりました。



ムラサキツユクサ
高校の理科実験で雄蕊をテンプレートに乗せて顕微鏡で覗くと、細胞の「原形質流動」(だったか…?)が見えて、生命の神秘を感じたことを思い出します。





トキワツユクサ
普通のツユクサは水色なのに白い三角形の花を咲かせます。「露草」ですが、私にはこの花が咲きだすと山に行き辛い嫌な季節が来るので、「梅雨草」がぴったり来ます。



カラー
洋花かと思っていましたが、実は海芋(かいう)といって江戸時代に「海を渡ってきたイモ」として知られていたそうです。
同じサトイモ科のミズバショウに似ていますね。



ドクダミ
白い花に見えるのは苞で、花は小さい小さい黄色い部分。漢字で書くと「毒」の字でなくネットでは使えないような難しい字です。ただ別名は、ドクダメ(毒溜め)、ギョセイソウ(魚腥草)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)など恐ろしそうな名前ばかり。全体に独特の臭みがあり、十薬として漢方薬に使われるのはよく知られていますが、なんとベトナムでは香草として料理に使われるているそうです。



白い花が多い中で紅一点のミニバラ。もう終わりです。

郡山城址のサクラ(2012.4.7)

2012-04-08 09:44:03 | 我が家の歳時記


花曇りの土曜日、お城のサクラを見に行きました。



今年は開花が遅れたので、いつもより期間を一週間延ばして4月15日まで「お城まつり」が開かれています。



お堀端の花を見ながら



追手門をくぐります。



城内はどこもサクラで一杯



この石垣の上は昔、天守のあったところで今は藩主を祀る柳沢神社の境内です。



石垣をぐるりと巡る大きな数珠は、この城の石垣を築くときに筒井氏によって大和各地から石地蔵までもが集められたので、それを供養するためのものです。



毎年、この時期に「数珠繰り法要」が行われます。



内堀のシダレザクラ



即売会場の金魚。郡山は有名な金魚の産地で品評会を始め様々な催しも行われています。風もあり肌寒い陽気でしたが、たくさんの屋台も並び大勢の人で賑わっていました。