ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

勤労感謝の日

2009-11-23 16:18:43 | 過去の今日
この日は連休になることも多いので、あちこちに登っています。



1958年 東六甲縦走。初めて大山に登った仲間と芦屋ロックガーデンから最高峰
へ登り、宝塚まで縦走しました。これが2度目の山歩きです。
ハンチングベレー帽というのが流行していました。



1960年 金剛山南尾根縦走 紀見峠から金剛山に登り、御所に下山しました。
金剛山頂葛木神社にて。右端が変愚院です。隣で手に雪塊を持って女の子に
イタズラしているのは9歳年の離れた弟。この時代は、この時期の積雪は
ごく普通のことでした。



1961年 比良山北比良峠付近。前夜、八雲ヶ原で幕営のとき、後輩たちが
苦労して運んできたバーズデーケーキで祝ってくれました。朝から降雪の中、
武奈ヶ岳に登り下山してきたところです。

1978年 多武峰の向かい側にある音羽三山(音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳)を
縦走しました。何故か写真がありません。



1989年 毎年のように紅葉を見に行く大台ヶ原。大蛇にて。



1992年 唐木のキレット。鈴鹿山脈の南端近く、那須ヶ原山と高畑山の間に
あります。那須ヶ原山からキレットまではアップダウンが激しく、ところどころ
で藪漕ぎやガレ場の通過もあり面白かったです。



2000年 これも、あまり登られていないマイナーな大和の山。
大宇陀の南にあり、神武東征にまつわる八咫烏(ヤタカラス)伝説が残る山
です。



そして10年前の11月23日。標高およそ5,100m、「烏の墓場」という意味の
ゴラクシェプ。
荒れ果てたクーンブ氷河のアブレーション・バレー(側谷)に沿って登り、
標高差100mのサイドモレーンを越えて5時間かかって着いた、カラパタール
への最後の泊まり場です。背後の美しい三角錘の山はプモリ(7161m)です。
一休みすると、高山病の徴候が出てふらふらの身体を励まして、明日登る道を
標高差推定100m程登って高度順化しました。とても苦しい一日でした。

スタートの日と登頂の日(11月16日)

2009-11-15 18:55:24 | 過去の今日
ヒマラヤ・トレッキングには都合4度行きましたが、そのうち2度がエベレストを見るためのクーンブ地方へのトレッキングで、いずれも11月です。
この時期を選んだのはポスト・モンスーンで、山がとりわけ美しく見えるためです。

1999年のこの日はエベレスト展望の峰・カラパタールに向けて、トレッキングを開始した日でした。
カラパタールはエベレストBC(ベースキャンプ)へ道、いわゆるエベレスト街道より少しそれたピークで標高5545m。世界最高峰・エベレストを間近に仰ぐ展望台として知られています。
このときのパーティは私たち夫婦と若い山の後輩二人。手配旅行の気ままな旅でした。
私たちにとっては二度目のヒマラヤトレッキング、そして現在までの最高到達点になりました。



ルクラの飛行場(当時、滑走路以外は未舗装)で16人乗り小型機を降りたところ。
山の斜面がせまるネコの額ほどの空き地への着陸には、本当に肝を冷やしました。



登山用具店などの並ぶ短い商店街を抜けて、トレッキングの始まり。



経文が彩色された大きな石がありました。こういう聖なる場所では必ず左側を通らなければなりません。(つまり帰りには写真右側を下ります)



初日の泊まり場・バグディン。2003年にもここに泊まっています。

さて、その2003年ですが…
11月16日はゴーキョ・ピークに登頂して間近にエベレストと対面しました。

ゴーキョ・ピークはドゥード・コシ源流のゴジュンバ氷河西側に位置し標高5,360m(一説には5,483m)。サガルマータ(エベレストのネパール名)はじめ8000m峰4座の展望台として名高いピークです。

このときはA社のツァーで客は8人。うち登頂したのは6人でした。
7時、氷河湖の畔にある最終のキャンプ地・ゴーキョを出発。



氷河を見下ろしながら荒涼とした斜面を登ります。この辺りで標高は5,000mを超えました。



最後の急斜面を喘ぎながら一歩一歩、踏みしめるように登ります。
当時の山日記から…
『一歩足を運ぶごとに、頂上にはためく五色のタルチョ(祈祷旗)が近づいてくる。右手に見えるサガルマータ(エベレスト)がぐんぐんせり上がってくる。
その頂上を隠していた雲も次第に薄れてきた。



何度も深呼吸して息を整え、ついに岩屑が積み重なった細長い頂上の最高点に立つ。私たち夫婦にとって三つ目の5000m峰だ。』



正面にエベレスト、その右はヌプチェ。



見渡せばヒマラヤの、いや世界の山の盟主を守るようにずらりと居並ぶ白銀の峰々…。「やはり来て良かった…」顔を見合わせて、心からそう思った。』
♀ペンの目が少し潤んでいるようでした。

イエティ(雪男)の頭皮

2009-11-11 11:09:55 | 過去の今日
2003年11月11日、エベレスト街道トレッキング4日目。

トレッキング2日目は、標高差800mの急坂を登ってナムチェ(3,446m)
に着き、昨日10日は高度順化のため、ナムチェに滞在。
4日目の今日は次のキャンプ地・キャンヅマ(3,660m)に向かいます。





クンデ村からは正面にアマダブラムを仰ぎながらの楽しい道を
行きます。



クムジュン村に入るとゴンパ(チベット仏教の僧院)があります。
このゴンパは「雪男の頭皮」が保存されているので有名です。



ゴンパ内部です。
正面の金色の仏像を鮮やかな原色の幡などが取り巻いています。



両側の壁には無数の抽斗が並んでいます。
その一つ一つにありがたいお経が納められているのです。



伝説のイェティ(雪男)の頭皮は鍵のかかったガラス箱に納められています。
前に一度盗難にあったという話しです。
傍らには寄付を入れる箱が置いてありました。

過去の今日は?(11月8日)

2009-11-08 17:13:49 | 過去の今日
1981年は雪の鈴鹿…
町内の山の会例会で紅葉見物に鈴鹿へ。子供はクラブで♀ペンと二人参加しました。
ロープウェイで御在所岳へ登る途中から雪になりました。頂上駅で-2.5℃。



三角点で記念撮影後、武平峠へ下り鎌ヶ岳へ。
吹き溜まりでは足首が潜るくらいの雪で、紅葉見物どころか思わぬ
冬山気分を味いました。



鎌ヶ岳頂上は思いがけず展望が利き、伊勢湾も琵琶湖も見えました。

1987年は多紀アルプス…
三岳と小金ヶ岳へ登りました。前日は深山を下って籠坊温泉に泊まり、
二つの峰のコルまで車で登りピストンです。



三岳は793.4mの一等三角点を持つ雄峰ですが、最後は滑り落ちそうな急坂を
木の枝や岩角を掴んで登りました。(写真は小金ヶ岳第一岩峰からの三岳)



鞍部に帰り小金ヶ岳へは役行者ゆかりの修験道の岩稜です。
アルプスの名に恥じぬ気持ちの良い岩峰が続いて、山頂に出ました。



2003年のエベレスト街道では、ルクラに着きトレッキングを開始した日でした。



この日はバグディンまでで、途中の昼食時間をのぞくと実質3時間ほどの
楽な行程でした。



最後の写真はおまけの2007年11月8日。
奥磐梯と日光の旅行で最後の目的地・日光。中禅寺湖畔からの男体山です。

過去の今日は?(11月7日)

2009-11-07 16:22:44 | 過去の今日
今日は季節の上では立冬でしたが、暖かい小春日和の一日でした。



さて…
1987年の今日は、北摂山系の最高峰最高峰・深山(790.5m)にいました。
大阪・京都・兵庫の3府県に跨る山で、山頂には巨岩を御神体とする深山宮
(深山神社)があります。
雲一つない秋晴れの空の下に多紀アルプスが並んで見えました。



2001年の今日は、奈良と三重の県境の山・檜塚(1402m)にいました。
台高北部の明神岳から派生した尾根上の山です。
急に冷え込んだ朝で、素晴らしい霧氷の花が咲いていました。

そして2003年11月7日は、もう一度エベレストを見るためにネパールに
いました。



古稀を迎えた年で3度目のヒマラヤトレッキングでしたが、10月下旬に
腰を痛め10日間整形外科に通い、「もう大丈夫」と医師のお墨付きは貰った
ものの、いつ再発するかと不安いっぱい。
貼り薬と痛み止めをどっさり持って、行けるところまで行くつもりで
カトマンドゥに着きました。

あのときの7月29日

2009-07-29 21:45:51 | 過去の今日
なかなか梅雨が明けません。
僅かな晴れ間を見つけて、矢田歩きをするのがやっとの毎日です。
例年なら喜び勇んで夏山を楽しんでいたものを…
これまでの7月29日を振り返ってみます。



3年前の2006年。大峰山系・大普賢岳。このときで5度目
和佐又小屋から大普賢岳~無双洞と一周。暑い日でした。



6年前、2003年。八ヶ岳。このときで6度目
前日は阿弥陀岳~赤岳を縦走。天望荘泊。この日は深い霧の山陵を
高嶺の花に慰められながら歩き、横岳、硫黄岳を経て下山しました。



23年前、1986年。富士山。初登頂
今は懐かしいレーダードームが見えます。
このとき義父は今の変愚院と同じ75歳。前日は午後3時に5合目を
たち9合目泊。快晴の頂上でご来光を拝んでお鉢巡り。
それだけで終わらず、下山後は白糸の滝から五湖巡りをして清水泊。
翌日は次郎長生家、三保の松原、日本平、久能山東照宮、登呂遺跡
まで見物して帰りました。
車を運転する私の方がバテそうになるほどの元気で、とても今の私
には真似出来ません。98歳の今も矍鑠としてこのときのことを話して
は喜んでくれています。



31年前、1978年。木曽駒ヶ岳。このとき3度目
始めてロープウェイで駒ヶ根側から登りました。前夜は千畳敷山荘で
泊まり、この日極楽平から宝剣岳、本峰と歩いて駒ノ湯に下りました。

36年前、1973年。三瓶山。女三瓶、男三瓶、子三瓶、孫三瓶…と歩くが、
カンカン照りでブッシュ帯はまるでトルコ風呂。誰も歩いていない筈と
納得した。

37年前。1972年。剣岳。
前日、大日岳から奥大日を経て剣沢に入り、この日5度目の登頂を
果たしました。下山後は大勢の仲間と剣沢のテントで痛飲し、楽しい夜
でした。

思い返すと、それぞれの山行に楽しかったこと、苦しかったこと、様々な
想い出が詰まっています。これからあと何年、この想い出を積み重ねられる
のか…ちょっと心細い思いの今日この頃です。

ウエストン祭の想い出 (6月3日)

2009-06-03 16:35:04 | 過去の今日
「丹波のたぬき」さんのBLOGを読んでいて、8年前の今日、
ウエストン祭に参加したことを思い出しました。


上高地の梓川畔にあるウエストン碑です。
ウエストンはイギリス人の宣教師として来日、日本アルプスを
世界に紹介した人として知られています。

毎年6月の第一日曜日(2009年は6月7日)、この碑の前で
ウエストン祭が行われ、日本アルプスは本格的なシーズンを
迎えます。(写真は別の年の秋のものです)


2001年6月2日、島々谷を遡り、徳本峠(とくごうとうげ)
越えで上高地を目指します。
ウエストンが何度も通った道だと思うと感慨深いものがあり
ます。


午後1時頃、徳本峠に着きました。
残念ながら、梓川を距てた前穂高の山頂は雲に覆われています。


峠から上高地への道は、残雪に覆われていました。
滑らないように慎重に下ります。
この夜は上高地の日本山岳会上高地山岳研究所で一泊。


雲一つない眩しい程の青空で明けた3日。
大塚博美日本山岳会会長(当時)の式辞で式典が始まりました。


女性だけの登山クラブ「エーデルワイスクラブ」による山の歌合唱。
手前から3人目の赤いベレー帽の方は、クラブ創設者の坂倉登紀子さん。
1910年生まれですから、このとき91歳!
私たちと同じように昨日は徳本峠を越えて来られたのです。

(坂倉さんは、昨2008年12月、鬼籍に入られました。
改めてご冥福をお祈りします)


何度も見た河童橋からの穂高ですが、あの日の真っ青な空の下の姿は
今もはっきりと目に焼き付いています。

サッポロ雪まつり (2.5)

2009-02-05 17:19:17 | 過去の今日
札幌雪まつりが始まりました。
さっそく、その模様を…と言いたいところですが、


よくご覧下さい。「48th」とあります。
今年、還暦を迎えた雪まつりですので、これは12年前に行ったときの想い出です。


大通り会場。迫力満点の「なまはげ」


すすきの会場。魚やカニの入った氷柱で作られた厳島神社。


1997年2月6日朝の大通り会場。以下、なるべくあの年らしいものを…


長野オリンピックを1年後に控え、各競技の氷像で盛り上げています。


この年の雪のお城は松本城。ちなみに今年は岡崎城です。


「ちびまるこ」ちゃんの大好きなお祖父ちゃん「ともぞう」さん。