鳥海山・獅子ヶ原湿原と出羽三山の旅(2)
羽黒山は出羽三山のうち一番標高が低く、414mの山というより丘陵です。
特に豪雪地帯でもある他の二山に比べ参拝が楽なので、羽黒山頂の出羽神社を月山、湯殿山の里宮として三山の神々を合祀しています。

7月14日午後、バスで参道の大鳥居をくぐります。

手向の集落に入ります。ここには「御師」といわれる参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする人の家が今もたくさん残っています。
その家の軒の下には、妙な形をした注連縄が吊るされています。
これは出羽神社の神事「松例祭」に使われたツツガムシといわれる引綱で、無病息災のお守りだそうです。(写真はのちに真打が登場します)
白い注連縄が張られた上に見えるピンク色のものは「花」と呼ばれます。ちょうど翌15日に花祭りが行われる宵宮の日でした。

鳥居の奥に見えるのが「随身門」
もとは仁王門でしたが、明治の廃仏毀釈の際に名前が改められました。この先が月山、湯殿山を含めた出羽三山の神域になります。

随身門横の天拝石

ここから継子坂の急坂を下ります。

坂を下りきると祓川にかかる朱塗りの神橋。ここで水垢離をとり身の汚れを落として三山参拝に向かったところです。

祓川に落ちる須賀ノ滝

樹齢1000年という爺杉。この表参道の両側には山頂まで2kmの間、樹齢300~600年の大杉が生い茂っています。

こけら葺き、三間五層素木(しらき)造りの国宝・五重塔。平将門の創建と伝えられています。

参道の石段はここから「一の坂」の登りとなり、さらに「二の坂」「三の坂」を経て全部で2,446段。登りきると山頂の赤い鳥居に出ます。
斉藤茂吉の「三山参拝の歌」の中に
『しずかなる羽黒の山や杉のまの石の階(きざはし)を匍ひ(はい)つつのぼる』があります。

てっきりこの順路を登るものと覚悟していましたが、実はこの図のように、右手から山頂に通じる自動車道路が出来ているのです。
もとの継子坂を引き返しました。涼しい杉木立の中でも、急な石段の登りに全身から汗が吹き出します。

随身門前には神輿を載せた車が着き…

子供たちが楽しそうに明日のお祭りの準備をしていました。
ここから月山高原ラインで月山八合目まで登り、その帰りに三神合祭殿に参拝しました。
(BLOG構成の都合で、次は合祭殿をレポートします)
羽黒山は出羽三山のうち一番標高が低く、414mの山というより丘陵です。
特に豪雪地帯でもある他の二山に比べ参拝が楽なので、羽黒山頂の出羽神社を月山、湯殿山の里宮として三山の神々を合祀しています。

7月14日午後、バスで参道の大鳥居をくぐります。

手向の集落に入ります。ここには「御師」といわれる参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする人の家が今もたくさん残っています。
その家の軒の下には、妙な形をした注連縄が吊るされています。
これは出羽神社の神事「松例祭」に使われたツツガムシといわれる引綱で、無病息災のお守りだそうです。(写真はのちに真打が登場します)
白い注連縄が張られた上に見えるピンク色のものは「花」と呼ばれます。ちょうど翌15日に花祭りが行われる宵宮の日でした。

鳥居の奥に見えるのが「随身門」
もとは仁王門でしたが、明治の廃仏毀釈の際に名前が改められました。この先が月山、湯殿山を含めた出羽三山の神域になります。

随身門横の天拝石

ここから継子坂の急坂を下ります。

坂を下りきると祓川にかかる朱塗りの神橋。ここで水垢離をとり身の汚れを落として三山参拝に向かったところです。

祓川に落ちる須賀ノ滝

樹齢1000年という爺杉。この表参道の両側には山頂まで2kmの間、樹齢300~600年の大杉が生い茂っています。

こけら葺き、三間五層素木(しらき)造りの国宝・五重塔。平将門の創建と伝えられています。

参道の石段はここから「一の坂」の登りとなり、さらに「二の坂」「三の坂」を経て全部で2,446段。登りきると山頂の赤い鳥居に出ます。
斉藤茂吉の「三山参拝の歌」の中に
『しずかなる羽黒の山や杉のまの石の階(きざはし)を匍ひ(はい)つつのぼる』があります。

てっきりこの順路を登るものと覚悟していましたが、実はこの図のように、右手から山頂に通じる自動車道路が出来ているのです。
もとの継子坂を引き返しました。涼しい杉木立の中でも、急な石段の登りに全身から汗が吹き出します。

随身門前には神輿を載せた車が着き…

子供たちが楽しそうに明日のお祭りの準備をしていました。
ここから月山高原ラインで月山八合目まで登り、その帰りに三神合祭殿に参拝しました。
(BLOG構成の都合で、次は合祭殿をレポートします)