曇り空の下を走って高天(たかま)の天高彦神社の駐車場に着いたのは7時15分。
すでに道路まで駐車の列が並んでいるのに驚いたが、駐車場の中は余裕があった。後で気が付いたが、毎日登山の人の車が多くて出入りが激しいのだ。身支度をしている間にも、早や身軽な男性が下りてきて車に乗り込んですぐ駐車場を出て行った。

高天は天孫降臨の伝説地、いわゆる高天原で、この神社の祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ・葛城氏の祖神)だが、もともとは天彦神という葛城山(昔は金剛と葛城は区別しない同じ山)の地主神を祀ったという。参道は杉の古木が生い茂った神々しい感じである。
パラパラと雨が降り出したが、かえって涼しく登れるだろうといい方に考えて出発(07:30)。
高天寺の跡らしい草地に咲くキツリフネを眺めながら、10分ほどで高天滝に着く。雨が多かったので水量が多い。前からの橋と並んでかけられた新しい橋を渡ると、山腹の杉の植林帯に入る。ここは何年か前の大雨による崩落のあと昔の道が通れず、急らしく付けられた急な道を登るようになってトラロープが張ってある。途中で元の道に合流するが、時間稼ぎにそのまま新しい踏み跡を直登する。林の中で雨はかからないが、湿気が高くみるみる全身から汗が噴き出してくる。
正規の登山道に合流してすぐ標高600m地点にベンチがあり、遭難救助のための連絡ポイント「い-2」の標識がある。ここから歩きにくいごろ石の道や、木の階段道を織り交ぜて登ると750m地点で「い-3」のベンチ。腰を下ろして水分を補給した(08:10~08:15)。
ここから両側の旧道が崩壊した個所があり、しばらく中央の尾根を登る。旧道に合すると木の階段道や水平な植林帯の道が交互に現れて、最後の崩壊地をトラバースするとゴロゴロ石の登りになる。「ようお詣り」と声をかけてくれる男性や、「行ってらっしゃい」と励ましてくれる女性など、ここまででも何人か下山してくる人に出会った。雨はいつの間にか止んでいた。
木の間から見える白雲岳が次第に大きくなってくる。この山は天高彦神社のご神体とされてきた山である。ショウジョウバカマの大群落を見た昔を語り合いながら行く。標高900m地点で休んで、また水分補給。(08:55~09:00)

いよいよ500段の急な階段登り。このルート最大の苦しい個所だが、今日は途中で二度も休んでいるので難なくこなせた。20分足らずで登り切って、御所からのダイアモンドトレールと合流して一の鳥居を潜る(09:25)

山頂部は葛木神社と転法輪寺の寺社林であり、現在は国有林として保護されている。古い大木も多い。
この樹齢500年の仁王杉を過ぎると舗装の急坂になり、右手石段を登ると最高点を背後に控える葛木神社である。今日は山頂部でゆっくりするつもりなので帰りに参拝することにする。

参道左手に前にはなかった立派な広い道が付いているので、「雄略天皇御狩場跡」を見に行った。
「雄略天皇が猪狩に御登山された時、葛木一言主神とご会見せられ、また猪を蹴り殺されたという、記紀ともに残る名高いお話の場所で、葛木神社摂社矢刺神社として雄略天皇を奉祀されています」

下り坂になる左手の夫婦杉。一本の根本から二本の杉が仲良く生えている。
社務所近くに来ると大阪側からの登山者でぐんと賑やかになった。それでもいつもの金剛山に比べると静かな日だった。登山回数掲示板に義弟の名前を見つける。横の電光温度計は19℃を示していた。涼しいはずだ。

いつも賑わう国見城跡広場でも、わずか数人の人影しか見えない。西北隅の階段を大日岳の方に登ってみる。
展望台からは、晴れていれば見えるはずの淡路島も関空も霞んで見えなかった。
無人の展望台でベンチに座り、景色を眺めながら早めの昼食をとる。(09:50~10:10)
やっと腰を上げて転法輪寺にお参りし、福石前から山頂葛木神社へ参拝。

葛木神社の祭神は一言主神社、副祭神は楠正成である。

金剛山と楠一族との縁は深く、この末社の列の中にも「南木(なぎ)神社」の名があった。

雨上がりで空気が澄んできたのか、ブナ林からは葛城山がくっきりと眺められた。(10:25)
ゆっくりと元の道を下り、天高滝の下で汗を拭って駐車場に帰った(12:03)。
膝にサポーターを捲いてかばいながらの山行だったが、いつもに比べて休みを多く取ったので疲れも全く感じず、膝の痛みもほとんどなく歩けた。
曇り空で時々雨にあったが、ザックカバーを付けてすぐしまうほどの降りで、かえって涼しく登り降りできて快適だった。
すでに道路まで駐車の列が並んでいるのに驚いたが、駐車場の中は余裕があった。後で気が付いたが、毎日登山の人の車が多くて出入りが激しいのだ。身支度をしている間にも、早や身軽な男性が下りてきて車に乗り込んですぐ駐車場を出て行った。

高天は天孫降臨の伝説地、いわゆる高天原で、この神社の祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ・葛城氏の祖神)だが、もともとは天彦神という葛城山(昔は金剛と葛城は区別しない同じ山)の地主神を祀ったという。参道は杉の古木が生い茂った神々しい感じである。
パラパラと雨が降り出したが、かえって涼しく登れるだろうといい方に考えて出発(07:30)。
高天寺の跡らしい草地に咲くキツリフネを眺めながら、10分ほどで高天滝に着く。雨が多かったので水量が多い。前からの橋と並んでかけられた新しい橋を渡ると、山腹の杉の植林帯に入る。ここは何年か前の大雨による崩落のあと昔の道が通れず、急らしく付けられた急な道を登るようになってトラロープが張ってある。途中で元の道に合流するが、時間稼ぎにそのまま新しい踏み跡を直登する。林の中で雨はかからないが、湿気が高くみるみる全身から汗が噴き出してくる。
正規の登山道に合流してすぐ標高600m地点にベンチがあり、遭難救助のための連絡ポイント「い-2」の標識がある。ここから歩きにくいごろ石の道や、木の階段道を織り交ぜて登ると750m地点で「い-3」のベンチ。腰を下ろして水分を補給した(08:10~08:15)。
ここから両側の旧道が崩壊した個所があり、しばらく中央の尾根を登る。旧道に合すると木の階段道や水平な植林帯の道が交互に現れて、最後の崩壊地をトラバースするとゴロゴロ石の登りになる。「ようお詣り」と声をかけてくれる男性や、「行ってらっしゃい」と励ましてくれる女性など、ここまででも何人か下山してくる人に出会った。雨はいつの間にか止んでいた。
木の間から見える白雲岳が次第に大きくなってくる。この山は天高彦神社のご神体とされてきた山である。ショウジョウバカマの大群落を見た昔を語り合いながら行く。標高900m地点で休んで、また水分補給。(08:55~09:00)

いよいよ500段の急な階段登り。このルート最大の苦しい個所だが、今日は途中で二度も休んでいるので難なくこなせた。20分足らずで登り切って、御所からのダイアモンドトレールと合流して一の鳥居を潜る(09:25)

山頂部は葛木神社と転法輪寺の寺社林であり、現在は国有林として保護されている。古い大木も多い。
この樹齢500年の仁王杉を過ぎると舗装の急坂になり、右手石段を登ると最高点を背後に控える葛木神社である。今日は山頂部でゆっくりするつもりなので帰りに参拝することにする。

参道左手に前にはなかった立派な広い道が付いているので、「雄略天皇御狩場跡」を見に行った。
「雄略天皇が猪狩に御登山された時、葛木一言主神とご会見せられ、また猪を蹴り殺されたという、記紀ともに残る名高いお話の場所で、葛木神社摂社矢刺神社として雄略天皇を奉祀されています」

下り坂になる左手の夫婦杉。一本の根本から二本の杉が仲良く生えている。
社務所近くに来ると大阪側からの登山者でぐんと賑やかになった。それでもいつもの金剛山に比べると静かな日だった。登山回数掲示板に義弟の名前を見つける。横の電光温度計は19℃を示していた。涼しいはずだ。

いつも賑わう国見城跡広場でも、わずか数人の人影しか見えない。西北隅の階段を大日岳の方に登ってみる。
展望台からは、晴れていれば見えるはずの淡路島も関空も霞んで見えなかった。
無人の展望台でベンチに座り、景色を眺めながら早めの昼食をとる。(09:50~10:10)
やっと腰を上げて転法輪寺にお参りし、福石前から山頂葛木神社へ参拝。

葛木神社の祭神は一言主神社、副祭神は楠正成である。

金剛山と楠一族との縁は深く、この末社の列の中にも「南木(なぎ)神社」の名があった。

雨上がりで空気が澄んできたのか、ブナ林からは葛城山がくっきりと眺められた。(10:25)
ゆっくりと元の道を下り、天高滝の下で汗を拭って駐車場に帰った(12:03)。
膝にサポーターを捲いてかばいながらの山行だったが、いつもに比べて休みを多く取ったので疲れも全く感じず、膝の痛みもほとんどなく歩けた。
曇り空で時々雨にあったが、ザックカバーを付けてすぐしまうほどの降りで、かえって涼しく登り降りできて快適だった。