ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

マンモスの牙から城下町の成立まで

2014-01-13 11:07:36 | Weblog



昨12日、橿原考古学研究所付属博物館へ行きました。畝傍山を降りて「イトクの森古墳」の前の県道を渡って少し歩くと博物館です。


最初に特別陳列の「十二支の考古学・午」を見ました。上のパンフ中央に見える「獣頭人身」の十二支「午」像の拓本をはじめ、藤ノ木古墳から発掘された鞍の金具、祭祀用の「土馬」など、珍しい資料が展示されていました。パンフレットの表紙にもなっている絵馬にも多くの種類があり、中には円の面積を求める「算額」もあって、様々な願いが込められていることを改めて感じました。


 

常設の第一展示室に入ると、まずマンモスの大きな牙が目を引きます。「シガゾウ」と説明があるので「日本にもゾウがいたんやなあ」と話していると、女性の学芸員さんが「ここは初めていらっしゃいましたか?」と話しかけてこられました。「何度かちかくを車で通っているのですが…」と答えると、「何10万年も前の氷河時代には大陸と地続きで、オホーツクなどの北からも動物が渡来できたのですよ」と話されました。そしてさりげなく、
次の「ナイフ型石器文明」の説明に移られました。二上山の「サヌカイト」の名前は知っていましたが、「讃岐で最初に発見された石器なので」この名があることは初めて教わりました。先ほどのシガゾウは滋賀県ではじめて発掘されたので付いた名で「なんでも早い者勝ちですね…」と笑いを誘われます。同じナイフ石器の原料で産地が信州・和田峠と分かるものがあり、当時から長距離の人的交流があったことや、1万2000年前の縄文土器のデザインの付け方も説明していただきました。他にも九州から始まった稲作が近畿に来るまで100年かかったこと、さらに100年後に秋田地方に伝わったことも地図で教わりました。


 銅鐸の展示(右端三つ以外は模造)

 紐に付いた鹿の角で銅鐸を鳴らす

他にも屈葬された人骨、いったん埋葬されて大きな土壺に入れられた頭蓋骨など興味深いものがありました。食糧にしていたはずの犬が壺に入れられて埋葬されているのもありました。学芸員さんが「よほど狩りなどで働いた犬なんでしょう」と言って「想像するのは自由で楽しいですよ」と言われたのが心に残りました。

第一展示室を観終わる頃に正午のチャイムが鳴り、「この調子で説明していくと3時間はかかるのでかえって迷惑でしょう。私はこれで…」「また来てください」と仰ってくださいました。館内の写真も撮影禁止のマークのあるもの以外は許可されること、第二、第三の展示室で特に重要な観るべきものを教えて頂いてお別れしました。私たち二人のためには勿体ないような懇切丁寧なお話に深く感謝します。



第二展示場の埴輪の馬。左になぜ鹿がいるのか…とバカなことを考えてしまいます。




第二展示室ではヤマト王朝が成立して古墳時代となり、飛鳥時代へと移る時代の展示。第三展示場では鎌倉時代に寺内町や城下町ができるまでの文物が展示されています。




特に藤ノ木古墳の出土品や太安磨呂墓からの出土品が必見です。


中庭で埴輪のウマさんと記念写真を撮りました。
普段よりも長い時間をかけて見学したので少々気疲れしましたが、本当に意義深い半日でした。