私の動物記(2)
嘉一郎お宮参り(昭和9年12月21日) 嘉一郎8カ月(昭和10年)
嘉一郎4歳(昭和14年日支事変南京陥落記念) 嘉一郎7歳(昭和16年 田辺国民学校入学)
戦争が激しくなり家族で河内へ疎開することになりインコは誰かに譲ったらしいが、その止まり台と足を縛っていた鎖は残していた。戦争が終わると、どこからかカラスの子を拾ってきて「カー公」と名付けて育て、大きくなるとオウムの鎖を付けた。夕方になると運動のために放してやるが、仲間外れになるのか家の上を大きく旋回するだけで、親父が「カーコー」と呼ぶとすぐ止まり木に帰ってきた。
家族疎開で北河内郡四条村に転居した当時の写真
烏は雑食で餌に困らなかったが、ウグイスやメジロはそうもいかず、生餌のミノムシを取るのが私の仕事になった。また兎、鶏など飼って食糧難を乗り切ったが、ひもじくても口にするのは辛かった。