文化年間、紀州熊野神の上村の者がこの禁を破って、十二月二十日この所を通りかかりと、大台辻の辺りで、髪をふり乱して顔色の青ざめた女に逢った。
道の傍らに乳呑子をおろしていたが、「私の肩に負わせておくれ」という。仕方なく子供を抱き上げて負わせた。この女は「里に帰っても、かならずこの事を人に話すなよ」といった。
けれども神の上に帰ってから、あまり恐ろしかったので、正月になって人にこのことを話したら、その夜に寝たまま死んだという。
土地の人は「昔は大台の伯母峰に行く人は、たびたび山姥に逢うことがあった。今はそんな事はなくなった」という。
大台辻より右に大台山へ登る。その道はスズタケが多く生い茂って道がなく、尾根通しに登って行く。
先を行く人の跡に、スズタケがすぐ覆い被さって道が見えなくなる。スズタケは人の背丈より高い。そこを押しわけ押しわけて登っていくと、「ホウソノ木谷」という所がある。また教導師という平な所がある。ここから大台の山々が見える。
以下は原文です。
『土俗云く、慶長十七年丙午年、伯母峰の道を開き、西上人(この僧不詳)この教導師へ変化を符じ込めしと云ふ。伯母峯よりこの所へ一里あり。それより先は、神代より樹木生ひ茂りて空は日の光を見ず。道の傍なる石は苔むして緑をなせり』
道の傍らに乳呑子をおろしていたが、「私の肩に負わせておくれ」という。仕方なく子供を抱き上げて負わせた。この女は「里に帰っても、かならずこの事を人に話すなよ」といった。
けれども神の上に帰ってから、あまり恐ろしかったので、正月になって人にこのことを話したら、その夜に寝たまま死んだという。
土地の人は「昔は大台の伯母峰に行く人は、たびたび山姥に逢うことがあった。今はそんな事はなくなった」という。
大台辻より右に大台山へ登る。その道はスズタケが多く生い茂って道がなく、尾根通しに登って行く。
先を行く人の跡に、スズタケがすぐ覆い被さって道が見えなくなる。スズタケは人の背丈より高い。そこを押しわけ押しわけて登っていくと、「ホウソノ木谷」という所がある。また教導師という平な所がある。ここから大台の山々が見える。
以下は原文です。
『土俗云く、慶長十七年丙午年、伯母峰の道を開き、西上人(この僧不詳)この教導師へ変化を符じ込めしと云ふ。伯母峯よりこの所へ一里あり。それより先は、神代より樹木生ひ茂りて空は日の光を見ず。道の傍なる石は苔むして緑をなせり』