ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大台ヶ原の怪物(続き)

2007-08-04 09:03:33 | 四方山話
文化年間、紀州熊野神の上村の者がこの禁を破って、十二月二十日この所を通りかかりと、大台辻の辺りで、髪をふり乱して顔色の青ざめた女に逢った。
道の傍らに乳呑子をおろしていたが、「私の肩に負わせておくれ」という。仕方なく子供を抱き上げて負わせた。この女は「里に帰っても、かならずこの事を人に話すなよ」といった。
けれども神の上に帰ってから、あまり恐ろしかったので、正月になって人にこのことを話したら、その夜に寝たまま死んだという。
土地の人は「昔は大台の伯母峰に行く人は、たびたび山姥に逢うことがあった。今はそんな事はなくなった」という。

大台辻より右に大台山へ登る。その道はスズタケが多く生い茂って道がなく、尾根通しに登って行く。
先を行く人の跡に、スズタケがすぐ覆い被さって道が見えなくなる。スズタケは人の背丈より高い。そこを押しわけ押しわけて登っていくと、「ホウソノ木谷」という所がある。また教導師という平な所がある。ここから大台の山々が見える。

以下は原文です。

『土俗云く、慶長十七年丙午年、伯母峰の道を開き、西上人(この僧不詳)この教導師へ変化を符じ込めしと云ふ。伯母峯よりこの所へ一里あり。それより先は、神代より樹木生ひ茂りて空は日の光を見ず。道の傍なる石は苔むして緑をなせり』

大台ヶ原の怪物

2007-08-03 18:31:31 | 四方山話
長い間秘境だった大台ヶ原には、イッポンタタラの他にも「義経の笹馬」などいろんな怪物が出没したようです。
幕末の紀州藩士、畦田翠山の「和州吉野郡群山記」によりますと…

大台辻より、大台山入口まで二里余(辻堂より二里半)。

<現在は川上辻から入之波温泉に下る途中、馬ノ鞍峰への道と分かれるところを大台辻と呼んでいますが、ここでいう大台辻はドライブウェイから小処温泉に下る林道が分岐しているあたりを指すようです。変愚院>
                          
 大台の辻には、道の傍に木の柱を建てて「これより西村(今の西原)領」と境界を記している。ここから西に下る道がある。西原へ行く道である。
ここは毎年十二月二十日、往来留め(通行止)になる。これは深山で雪が深いので、昔からご法度(法律で定められた禁止事項)となっているそうだ。
 世間では「牛鬼が出て熊野の海へ潮踏みに行く。その時は、辻堂に戸を閉じて、これを見る事を禁ず。もしも隙間などからこれを見れば、たちまち死ぬ。」というが、雪の上に一つづつ足跡があるというのは、嘘である。

<辻堂は、先程の林道を少し下ったところにありました。
お堂には狼地蔵が祀ってあり、狼はこの前を通れないと、群山記に記されています。
辻堂山はこのお堂があったことからこう呼ばれています>

経ヶ峰から笙ノ峰へ

2007-08-02 10:19:23 | 山日記


いよいよ9月から西大台への入山規制が実施されます。これまでのように思い立った日に気軽に…とはいかなくなります。
とはいえ、何度か歩いた周遊コースでは面白くないので、笙ノ峰まで足を伸ばすことにしました。前々からその美しい名前で気になっていた山です。



7月31日、真っ青に晴れ上がった空の下を大台ヶ原へ。
ワサビ谷降り口の広場に車を停めて、まず経ヶ峰を往復しました。
すぐ左の稜線に踏み跡を辿って行くと最初の小ピークに小さな石標が立っていました。慶長年間に西上人が怪物を封じ込めるために経を埋めた(和州吉野郡群山誌)という、経塔石のようです。



いったんドライブウェイに下り、再び稜線を行くと経ヶ峰(1529m)です。
山頂は樹木に囲まれて殆ど展望がありませんでした。帰りはドライブウェイを歩いて、往復45分のハイキングでした。



西大台への入り口・ワサビ谷への降り口です。「クマ注意」の看板が立っています。この道は初めてですが、思ったよりしっかりした道が続いています。一箇所ザイルが張ってある崩壊地を横切ると、あとはなだらかな下り道になります。



次第に谷の瀬音が近づき、やがて清冽な流れのワサビ谷に沿うようになると西大台周遊路の七ツ池との分岐に出ました。地形図の点線路は尾根筋で逆峠(サカサマトウゲ/1411mピーク)に続いていますが、現在の周遊路はここから尾根東側の平坦地を行きます。
<続く>

経ヶ峰から笙ノ峰へ(続き)

2007-08-01 15:22:45 | 山日記
続けて読んでいただくために、投稿の順序が逆になっています。



開拓分岐を過ぎて小処温泉へ続く道に入りました。
木の階段を登る途中で♀ペンが林の中をかけていく子鹿をみました。



強い陽射しが眩しい展望台。
去年であった人なつっこいシカに再会できるかと淡い期待をしていたのですが、シカはいず、今日初めて数人の登山者に会いました。
ここからは再び二人だけの静かな山道になりました。
逆峠を過ぎると崩れた斜面の上を行く山腹の道で、ときどき東ノ川対岸に聳える大蛇の姿を見ながら行きます。
竜口(リュウゴウ)尾根への分岐で南下してきた道は、ほぼ直角に曲がって西に向かいます。
ここで稜線をまたぐ格好になり、これまで左山腹を来た道が右山腹を行くようになります。
苔むした岩まじりの道などを緩くアップダウンしていきます。



稜線から60~70m下を、ほぼ等高線沿いに進みます。
笙ノ峰への登り口を探しながら、道を塞いでいた大きなブナの木を、やっと乗り越えたところです。
頭上に見えていたピークを行き過ぎて、少し下ったところから疎らな笹原の斜面を強引に登っていくと、微かな踏み跡がありました。



笙ノ峰山頂(1316m)です。
三角点から南側へ10mほど下ると切り立った崖の上で、南から西にかけて視界が開けました。
南は、すぐ近く山腹に林道の通る又剣山、その右肩に荒谷山、その右には遠く那智の山々が並んでいます。



西には、笠捨山から地蔵岳、釈迦岳、八経ヶ岳、弥山とつづく大峰山脈が一望できました。写真中央は釈迦ヶ岳です。




存分に展望を楽しんで山頂を後にしました。新しい西大台の魅力を見つけた静かな山歩きでした。